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■33499 / inTopicNo.73)  悪魔さんへ
  
□投稿者/ マジカルモンキー -(2023/09/24(Sun) 18:32:13)
    NO33477 の画像の『 自 』ってのが、解せんのよ…。どうしても…。俺の目には。
引用返信/返信 削除キー/
■33496 / inTopicNo.74)  Re[22]: pipitさまへ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/09/24(Sun) 17:40:02)
    >感覚器官としての身体、と、身体が作り出す精神、という分け方で考えてるの?<
    >意志はどちらに宿ってると考えているの?<
    >精神は身体のおしゃべり,って感じ?<
    >意識が身体のおしゃべり?<
    pipitさま、いろいろ聞いてくれてありがと。

    ちょっとズレるかもだけど、わたしの書いて見る。
    No32875で言ったように、
    人=私=身体
    ってなっちゃたのね、わたしのばあい。
    これはヘン、って言われちゃうかもしれないけど、どうしてこうなっちゃたのか言葉で上手に表現しようとしてるところ。
    でね、
    「私」をそのうちで分けて見たのね。
    私=身体を、私〈身体〉ってするね。
    で、
    身体を大きく2つに分節して、〈体〉と〈脳〉。
    〈体〉っていうのは〈脳〉の以外の身体の部分。
    式にすると、
    →私〈身体(体・脳)〉。
    「精神」とか「意識」とか「心」は、だいたい同じようなものをそう呼んでる、ってして、
    こういうのは、〈脳〉の活動によって〈生み出されてるもの〉ってして見たのね。
    「精神」で式にすると、
    →私〈体・脳→精神〉。
    いまんとここういうのがわたしの分け方になってて、これで見てるところ。

    身体は感覚器官だけじゃなくて、運動器官でもあるわけよね。
    お喋り、って実際、身体の運動によってなされてる。
    お喋りの内容は精神によるもの、って見てる。

    メルポンは身振り(身体の運動)のなかにお喋りも入れてて、「言語的身振り」って言ってる(たぶん)。
    そして、「言語的身振りは精神的景観をめざしている」って言ってる。
    こういうのを理解するために、上のような分け方になったのかも。

    あと、
    >意志はどちらに宿ってると考えているの?<
    身体か精神か、っていうことだったら、どちらかっていうと〈意志〉は〈精神〉に宿ってる、っていうことになるかな。

    おかげで、わたしに思われているものを言葉で表現できたかも。

引用返信/返信 削除キー/
■33485 / inTopicNo.75)  Re[21]: 悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2023/09/24(Sun) 15:27:39)
    No33483に返信(pipitさんの記事)
    > 精神は身体のおしゃべり,って感じ?<

    意識が身体のおしゃべり?
引用返信/返信 削除キー/
■33483 / inTopicNo.76)  Re[20]: 悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2023/09/24(Sun) 14:57:53)
    精神は身体のおしゃべり,って感じ?

引用返信/返信 削除キー/
■33482 / inTopicNo.77)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2023/09/24(Sun) 14:50:38)
    お邪魔しますm(__)m

    No33477
    >私絵(ちょっと変えてみたよ)に、経験主義、主知主義、独我主義を位置づけて見たんだけど、どうかしら?
    これらの主義、私の精神のうちだけでのお話しになってて、私の身体は、無視?沈黙?それとも見逃されてる?<

    悪魔ちゃんは、感覚器官としての身体、と、身体が作り出す精神、という分け方で考えてるの?
    意志はどちらに宿ってると考えているの?
引用返信/返信 削除キー/
■33477 / inTopicNo.78)  Re[18]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/09/24(Sun) 10:03:35)
    いまわたしの頭ン中、あっちこっち行ってて整理できないでいるけと、
    なんか思いついたのを、

    No33335の〔言語は意味をもっている〕のなかにあった、

    (1)経験主義的もしくは機械的心理学の考え方は、有意味なものものとしての語の手前にとどまっている。主知主義的心理学は、その向こう側に立つ。
    (2)経験主義的もしくは機械的心理学の考え方は、語るひとというものがない。主知主義的心理学は、主体はあるが、これは語る主体ではなく考える主体である

    っていうところ、わたし思ったのね。
    (a)経験主義の精神は感じるだけになってる。
    (b)主知主義の精神は考えるだけになってる。独我主義も同じかな。
    行動する私の身体(身振り)には見て見ぬふりなのかな?
    メルポンは言語も身振りって見てる。そして、『範疇作用がいったんおこなわれても、それをしめくくる語の発言ということが、依然として説明されねばならない。』って言ってる。

    私絵(ちょっと変えてみたよ)に、経験主義、主知主義、独我主義を位置づけて見たんだけど、どうかしら?
    これらの主義、私の精神のうちだけでのお話しになってて、私の身体は、無視?沈黙?それとも見逃されてる?

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■33409 / inTopicNo.79)  Re[17]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/09/22(Fri) 19:14:22)
    ■33342、
    田秋さん、ありがとございま〜す。

    身体を持ち出してるのはメルポンの影響。そしてわたしもそう思えるから。

    世界と人(私)の関係(私を世界内存在として見る)のなかで、「私」を考えるとき、身体はやっぱ外せないよね、って。

    わたしの身体機能が止まったら(死んだら)、わたしはおしまい、ってわたしも思ってる。これはね、わたしは死んだ、とは思うことができないのね。だって死んじゃってるんだもの。
    死後、魂は存在する、みたいなことを言っている人は、なんかあやしい。
    神の存在を信じている人も同じ。

    「生」っていうのは「死」から生まれた文化的存在なのかもね。

    あれ、身体の話しだったんだけど話しがヘンになってるから、こころにうつりゆくこと、やめます。



引用返信/返信 削除キー/
■33342 / inTopicNo.80)  Re[16]: つれづれなるままに
□投稿者/ 田秋 -(2023/09/21(Thu) 20:51:19)
    こんばんは、悪魔ちゃん

    ちょっと賞味期限が切れたレスなんだけど・・・

    No33210に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > 「私の身体」っていうの、
    > どう見ます?
    >
    > 無視します?
    >
    > 私の外におきます?
    >
    > 存在しない、って見ます?
    >

    以下はあくまでボク個人の考えです。ボクは母が受精したときに始まり、自分が死んだら全ておしまいと思っています。自分の精神〜俗に魂と呼ばれているもの〜は、ボクの全身体のみに支えられていて、故に身体の死がボクの終わるときだと考えているので、ボクにとって、身体は非常に大事です。
引用返信/返信 削除キー/
■33337 / inTopicNo.81)  Re[20]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/09/21(Thu) 19:45:09)
    今日はもうちょっと、

    No33030の、
    〈「私」をetre au mondeとして見る〉、と関係することとして、

    「私」と「身体」と「世界」の関係。そして「身体」と「知覚」との関係で、メルポンの、前に書いたの、ちょっと書きだしておく、

    『私は絶対的な根源である。私の実存は、私の経歴、私の自然的・社会的環境から由来するのではない。私の実存はこれらに向かってゆき、これらを支える。』
    『私は私の身体の前にいるのではない。私は私の身体のなかにいる。いやむしろ私は私の身体である。』
    『身体とは、われわれが一つの世界をもつ一般的な手段である。』
    『身体は「世界における(への)存在」の媒体である。身体をもつということは、生きるものにとって、一定の環境にくわわり、若干の企投と一体となり、たえずこれに自己を拘束するということである。』
    『〈身体の媒介〉というものは、たいていのばあい、私によって見逃されているものである。』
    『身体の理論はすでに知覚の理論である』

引用返信/返信 削除キー/
■33335 / inTopicNo.82)  Re[19]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/09/21(Thu) 19:25:03)
    いまは、復習しながら、
    No33145の本を読んでるところ。

    メルポンが言ってる、『言語は身振り』に倣って、

    お喋りは身振り――身体の運動

    過去の記述を簡単に引っぱり出せるように、
    No27792
    No27469

    【モーリス・メルロ=ポンティ著 『知覚の現象学』1945中島盛夫訳法政大学出版局2009】の、
    第一部 身体           
    Y 表現としての身体と言葉(パロール)p289−
    のところの、
    〔言語は意味をもっている〕p292−
    ***************
    ところが実は、経験主義的もしくは機械的心理学と、主知主義的心理学との間の、血縁関係の存在に、今再び注目しなくてはならないのである。前者の主張から後者の反論に移ったからとて、言語の問題は解決するものではない。先ほどは語の発生、語心像の復活ということが本質的であった。今やそれらは、真の呼称と内的な作用としての本来の発言の、外被以上のものではない。とはいえ、この二つの考え方は、いずれにとっても語が意義をもっていないという点で、一致している。
    第一の考え方においてこの点は明白である。というのは、それによれば語の喚起はいかなる概念によっても媒介されず、与えられた刺激もしくは「意識の諸状態」が神経機構の法則もしくは連合の法則に従って語を呼び起こすことになり、したがって語はその意味も内的な能力ももつことなく、客観的な因果の戯れによって呼びさまされる、心的、生理的、いや物理的とさえいえるひとつの現象、他の諸現象と並ぶ一つの現象にすぎないからである。呼称に範疇的作用を重ねたからといって、事情は変わらない。語は依然としてそれ固有の効力を奪われている。なぜなら、このたびは語は内的な再認の外的な記号にすぎないし、この内的な再認は語が伴わなくても成立することが可能であり、したがって語はそれに何の貢献もしていないからである。語の背後に範疇的作用があるのだから、それは意味を剥奪されてはいない。しかしそれは意味をもってはいない。所有してはいないのだ。意味をもっているのは思惟だけであり、語は依然として空虚な外被にすぎない。それは単なる調音的・音声的現象にすぎないか、あるいはこの現象の意識にすぎない。しかしいずれにせよ言語は思惟の外的付随(ある事物が他の事物につき従っていること)物以上のものではない。
    第一の考え方は有意味なものものとしての語の手前にとどまっている。第二の考え方はその向こう側に立つ。前者(経験主義・機械的心理学)には語るひとというものがなく、後者(主知主義的心理学)には、なるほど主体はあるが、これは語る主体ではなく考える主体である。言葉そのものに関しては主知主義は経験主義と殆ど変わらない。そしてこれと同様、自動現象による説明ないしですますことはできない。範疇作用がいったんおこなわれても、それをしめくくる語の発言ということが、依然として説明されねばならない。語は生気のない単なる外被だから、この説明は再び生理的、もしくは心的メカニズムによることになる。それゆえ、語は意味をもつという単純な注意によって、経験主義と同じように主知主義も超えられる。
    ***************
    これはあのとき書いてなかったかも?って思って。

引用返信/返信 削除キー/
■33263 / inTopicNo.83)  Re[18]: つれづれなるままに
□投稿者/ マジカルモンキー -(2023/09/20(Wed) 22:23:39)
    No33252に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > ■33246、
    >
    > >悪魔ちゃんのおっしゃりたい事は<
    > え〜!? どうしちゃったの、マジモンさん。
    > 狂っちゃった? 狂った人が狂っちゃって、“まとも”になっちゃた、みたいな〜?
    > ん? 逆に、まともな人が狂っちゃた、みたいな?
    > そもそも「狂ってる」っていうのどういうのかしらね。
    > ん? 狂った人が狂ったらどうなるのかしら?

    俺からしたら、皆狂っているよ (笑)

    > >健康っていうのはどういう状態かというと・・・<
    > 「健康」っていうの、どういうのかしら?
    > 人はいつか死ぬのよね。
    > 健康でないと病気になって、死んじゃう、ってすると、
    > 健康のままの死に方ってどういのかしら?

    結構いるぞ。5分前ぐらいまで笑っていたのに、そのままソファーで往生する人。

    > >映像(想像)として身体は見れないからだと思うんだが<
    > うん、わたしのそういうの、あるかもね。
    > マッハ光景図みたいに。でもこの絵、“作ってる”よね。
    > 左眼のまぶたの裏側を描くときにはそこに集中(志向)しているし、右手を描くときにはそこに集中(志向)してるし、そのような時には他は“見えてない”んじゃないかしら、って。――結局あの絵、合成図でしかないのよ。そういうふうにして描かれた合成図された絵は“想像されたも”の、っていうことになるのかも、ってね
    > あ、マジモンさんのいってることとはズレてるのかもね。

    俺は視野が黄金比にしかみえない。
    以上です。
引用返信/返信 削除キー/
■33252 / inTopicNo.84)  Re[17]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/09/20(Wed) 19:56:37)
    ■33246、

    >悪魔ちゃんのおっしゃりたい事は<
    え〜!? どうしちゃったの、マジモンさん。
    狂っちゃった? 狂った人が狂っちゃって、“まとも”になっちゃた、みたいな〜?
    ん? 逆に、まともな人が狂っちゃた、みたいな?
    そもそも「狂ってる」っていうのどういうのかしらね。
    ん? 狂った人が狂ったらどうなるのかしら?

    >健康っていうのはどういう状態かというと・・・<
    「健康」っていうの、どういうのかしら?
    人はいつか死ぬのよね。
    健康でないと病気になって、死んじゃう、ってすると、
    健康のままの死に方ってどういのかしら?

    >映像(想像)として身体は見れないからだと思うんだが<
    うん、わたしのそういうの、あるかもね。
    マッハ光景図みたいに。でもこの絵、“作ってる”よね。
    左眼のまぶたの裏側を描くときにはそこに集中(志向)しているし、右手を描くときにはそこに集中(志向)してるし、そのような時には他は“見えてない”んじゃないかしら、って。――結局あの絵、合成図でしかないのよ。そういうふうにして描かれた合成図された絵は“想像されたも”の、っていうことになるのかも、ってね
    あ、マジモンさんのいってることとはズレてるのかもね。

    わたし、スポーツ興味ない。
    っていうか、身体能力っていう分けのなかで、それ、価値(欲求を満たすもの)ないのね。
    将棋のふじいさんだっけ?これと同じ理由で、「あ、そう、よかったじゃん」で終わり。
    ほら、わたしのLGBTQの人に対する反応、「あ、そう」、と同じ、っていうことになるのかな。

    マジモンさん、ごめんね、こんなのしか返信できなくて。

    『無症状』っていうの、わたしなんか気にいっちゃった。使わせてもらうね。

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