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Re[18]: つれづれなるままに
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/09/24(Sun) 10:03:35)
| いまわたしの頭ン中、あっちこっち行ってて整理できないでいるけと、 なんか思いついたのを、
No33335の〔言語は意味をもっている〕のなかにあった、
(1)経験主義的もしくは機械的心理学の考え方は、有意味なものものとしての語の手前にとどまっている。主知主義的心理学は、その向こう側に立つ。 (2)経験主義的もしくは機械的心理学の考え方は、語るひとというものがない。主知主義的心理学は、主体はあるが、これは語る主体ではなく考える主体である
っていうところ、わたし思ったのね。 (a)経験主義の精神は感じるだけになってる。 (b)主知主義の精神は考えるだけになってる。独我主義も同じかな。 行動する私の身体(身振り)には見て見ぬふりなのかな? メルポンは言語も身振りって見てる。そして、『範疇作用がいったんおこなわれても、それをしめくくる語の発言ということが、依然として説明されねばならない。』って言ってる。
私絵(ちょっと変えてみたよ)に、経験主義、主知主義、独我主義を位置づけて見たんだけど、どうかしら? これらの主義、私の精神のうちだけでのお話しになってて、私の身体は、無視?沈黙?それとも見逃されてる?
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