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■33880 / inTopicNo.85)  ダンマパダ第六章・『賢い人』78
  
□投稿者/ pipit -(2023/10/11(Wed) 19:29:18)
    みなさまこんばんは。ダンマパダ78です。

    Bhikkhu Sujatoさまの英訳をpipitが日訳しました。
    ※アクセス禁止になるので英訳を略します。
    https://suttacentral.net/dhp76-89/en/sujato?lang=en&layout=plain&reference=none&notes=asterisk&highlight=false&script=latin

    (英訳のpipit日訳)

    悪い朋友と交流しないように。
    最悪な人たちとも交流しないように。

    精神的な朋友と交流するように。
    最高の人たちと交流するように。

    ---------------------
    (pipit感想)
    Bhikkhu Sujatoさまが〔spiritual friends〕と訳された原語はなにかなーと見てみました。
    【mitte kalyane】でした。※記号省略


    辞典を見ると、【mitte】は友、【kalyane】は「善い、善良の」などと載っていました。

    パーリ経典では、善友はとても大切な語句として出てきます。
    仏教で言う「善友」とは、例えば私の持っている『仏法』(ポーオーパユットーさま著、野中耕一さま訳)と言う本の註釈には、
    『「善友」とは、普通の友人のような狭い意味ではなく、教師、師、先生、友人など誰であれ、善で正しい実践行為の道を助言してくれ、三学の修習を助けてくれる者を意味する。』p394
    とありました。

    お坊さまの説法で、善友といえば私だよ、とお釈迦さまが述べられたというような経典があると聞いたことがあって、
    私の中では、お釈迦さまも善友と勝手に思わせていただいています。

    実践が全っ然っできてないので、お釈迦さまがもしもしもしも現れられたら、ちょっと隠れちゃう気持ちもでちゃうのですが

    ε=ε=ε=ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘


引用返信/返信 削除キー/
■33811 / inTopicNo.86)  ダンマパダ第六章・『賢い人』77
□投稿者/ pipit -(2023/10/08(Sun) 21:56:12)
    みなさまこんばんは。ダンマパダ77です。Bhikkhu Sujatoさま英訳のpipit日訳です。

    Advise and instruct;
    忠告し、指導する;

    curb wickedness:
    悪いことを制止する:

    for you shall be loved by the good,
    そうすればあなたは善人から愛され、

    and disliked by the bad.
    悪人からは嫌われるでしょう。

引用返信/返信 削除キー/
■33725 / inTopicNo.87)  ダンマパダ第六章・『賢い人』76
□投稿者/ pipit -(2023/10/05(Thu) 20:34:55)
    みなさまこんばんは。ダンマパダ76です。

    (Bhikkhu Sujatoさまの英訳)
    Regard one who sees your faults
    as a guide to a hidden treasure.

    Stay close to one so wise and astute
    who corrects you when you need it.

    Sticking close to such an impartial person,
    things get better, not worse.

    (英訳のpipit日訳)
    あなたの欠点を見つける人を、隠された宝への案内人のように考えること。

    必要なときにあなたを正してくれる、智慧があって賢い人のそばにいるように。

    そのような公平な人の近くにいることで、
    物事は良くなるのであって、悪くなることはない。
引用返信/返信 削除キー/
■33718 / inTopicNo.88)  ダンマパダ第六章・『賢い人』76
□投稿者/ pipit -(2023/10/05(Thu) 18:20:02)
    みなさまこんばんは(^_^)
    この章のパーリ語原語は『Panditavagga』です。※文字化けする記号は省略してます。

    https://suttacentral.net/dhp76-89/pli/ms?lang=en&layout=plain&reference=none&notes=asterisk&highlight=false&script=latin

    『Pandita』をパーリ語辞典で調べると、
    『賢い、博学の、賢智の、賢者、智者』などとありました。

    いつも参考にさせていただいているページのひとつに『ココロとカラダのセルフケア』というページがあります。
    パーリ原語の解説なども乗っていて大変助かります(^人^)感謝です♪

    https://north-market.com/care/dhammapada-contents/6-wise/

    ではまず、『賢い人』第一番目、ダンマパダ通算では76番目の偈の、Bhikkhu Sujatoさまの英訳を引用します。

    Regard one who sees your faults
    as a guide to a hidden treasure.
    Stay close to one so wise and astute
    who corrects you when you need it.
    Sticking close to such an impartial person,
    things get better, not worse.

    こちらから読んでいきます♪
引用返信/返信 削除キー/
■33710 / inTopicNo.89)  ダンマパダを読んでます。
□投稿者/ pipit -(2023/10/04(Wed) 22:10:07)
引用返信/返信 削除キー/
■33334 / inTopicNo.90)  田秋さんへ
□投稿者/ pipit -(2023/09/21(Thu) 19:23:08)
    こんばんは(^O^)

    私も自然薯大好きですー

    するの大変ですけど。。。
引用返信/返信 削除キー/
■33333 / inTopicNo.91)  Re[9]: 時さんへ
□投稿者/ 田秋 -(2023/09/21(Thu) 19:19:22)
    こんばんは、pipitさん、時さん

    横レス失礼します。

    自然薯なら大好きなのですが・・・


    ホント、失礼な横レスですたぁ
     
    平に平にご容赦を〜 m(_ _)m


引用返信/返信 削除キー/
■33330 / inTopicNo.92)  時さんへ
□投稿者/ pipit -(2023/09/21(Thu) 19:10:34)
    兄上さまー、こんばんは!

    No33327に返信(時さんの記事)
    > pipitさんへ。こんにちは。
    >
    > もしも原始の内容が本当だったのならばという事での私見なのですが、、、、一番最短で輪廻の終焉を迎える方法は、四禅定の初禅に至ることです。
    >
    > 初禅に到達した聖弟子は、その死後、梵衆天の神々の眷属へ生まれ変り、寿量は一劫という事で、その寿命が尽きた時にそのまま般涅槃するとあります。(増支部経典 四集 恐怖品 第一殊異経)=(増支部経典 4-123経)に記載があります。
    >
    > 十二支縁起等のややこし気なロジックは横に置いておいて、四念処をメインに学ばれれば良いように思います。四念処が十分に修習されれば、何も考えなくても自然と四禅定の初禅に至っていると思います。
    >
    > 初禅に到達した聖弟子の死後→天界(梵衆天の神々の眷属)→般涅槃。で、輪廻は終焉するようです。
    >
    > 老婆心ながら、ご参考まで。^^<


    瞑想するの(pipitの怠け心満載なこともあって)無理ぽよー、と思ってしまうのですが、
    「四念処をメインに学ばれれば良いように思います。四念処が十分に修習されれば、何も考えなくても自然と四禅定の初禅に至っていると思います。」
    というお言葉に、たとえ真似事からでも意識してみようと思いました。

    ありがとうございます♪

引用返信/返信 削除キー/
■33327 / inTopicNo.93)  pipitさんへ
□投稿者/ 時 -(2023/09/21(Thu) 18:36:05)
    pipitさんへ。こんにちは。

    もしも原始の内容が本当だったのならばという事での私見なのですが、、、、一番最短で輪廻の終焉を迎える方法は、四禅定の初禅に至ることです。

    初禅に到達した聖弟子は、その死後、梵衆天の神々の眷属へ生まれ変り、寿量は一劫という事で、その寿命が尽きた時にそのまま般涅槃するとあります。(増支部経典 四集 恐怖品 第一殊異経)=(増支部経典 4-123経)に記載があります。

    十二支縁起等のややこし気なロジックは横に置いておいて、四念処をメインに学ばれれば良いように思います。四念処が十分に修習されれば、何も考えなくても自然と四禅定の初禅に至っていると思います。

    初禅に到達した聖弟子の死後→天界(梵衆天の神々の眷属)→般涅槃。で、輪廻は終焉するようです。

    老婆心ながら、ご参考まで。^^
引用返信/返信 削除キー/
■32874 / inTopicNo.94)   田秋さんへ
□投稿者/ pipit -(2023/09/05(Tue) 17:56:53)
    2023/09/05(Tue) 21:00:42 編集(投稿者)

    田秋さん、こんばんは♪

    No32865
    > 日本語の偈を読むと「滅度」が聞き慣れない言葉だったので、大辞林で引きました。
    > 「煩悩をすべて消滅させ、完全な悟りの状態を実現すること」
    > とあったので悟りに近いのかなと思ったのです。
    >
    > 他の人の訳例に『涅槃に至るもの』を載せられていますが、pipitさんが「滅度」を当てたのは、消える、滅するというquenchが持つ語感を表現しようとなさったのですね?<

    はい。私の拙い努力をわかってくださって嬉しいです(o^^o)


    > 面白いと感じたのは、「煩悩を焼き尽くす」の場合は「焼く」、一方quenchは「冷却する」という意味合いがあり、反対の方法でもって同じ境地に到達しようとしているところです。<

    ほんとですね、面白いですね。対機説法という言葉もありますし、いろんな側面があるのかもしれませんね。

    pipit個人的には、煩悩を火のように描いた経典が結構強烈に印象に残っているので、
    > quenchは「冷却する」<
    という訳語は、そんなに違和感はなかったです。

    印象が強く残っているのは、石飛道子先生訳の『燃えている』という経典で、この世の一切は貪瞋痴によって燃えている、というような意味の描写があります。

    https://manikana.net/canon/aditta.html

    今訳しているダンマパダも私には厳しすぎなのですが、(わたくし在家ですし....)と心の中で逃げてます
    (^◇^;)

引用返信/返信 削除キー/
■32865 / inTopicNo.95)  Re[5]: 田秋さんへ
□投稿者/ 田秋 -(2023/09/05(Tue) 06:48:13)
    おはようございます、pipitさん

    説明ありがとうございます。

    日本語の偈を読むと「滅度」が聞き慣れない言葉だったので、大辞林で引きました。
    「煩悩をすべて消滅させ、完全な悟りの状態を実現すること」
    とあったので悟りに近いのかなと思ったのです。

    他の人の訳例に『涅槃に至るもの』を載せられていますが、pipitさんが「滅度」を当てたのは、消える、滅するというquenchが持つ語感を表現しようとなさったのですね?

    面白いと感じたのは、「煩悩を焼き尽くす」の場合は「焼く」、一方quenchは「冷却する」という意味合いがあり、反対の方法でもって同じ境地に到達しようとしているところです。
引用返信/返信 削除キー/
■32864 / inTopicNo.96)  田秋さんへ
□投稿者/ pipit -(2023/09/04(Mon) 23:52:43)
    田秋さん、こんばんは!
    書き込みありがとうございます(^ ^)

    No32859
    > no 32856 偈中の「滅度( quenching)」は「悟り」とほぼ同じ意味ですか?<

    まず、パーリ語原語(※文字化けする記号は外しました。)は、
    『nibbanagamini』という複合語で、

    『nibbana』が、通常『涅槃』や『ニルヴァーナ』と訳される単語で、
    『gamini』はパーリ語辞典では、『行く、行かせる、導く者』とありました。

    この複合語を、訳者のスジャトー様は
    『the path to quenching』とされたようです。

    他の訳者ではそれぞれ、
    『knowledge leads to Nibbana』
    『the path going to Nibbana 』
    『涅槃に至るもの』
    などと訳されていました。

    https://suttacentral.net/dhp?view=normal&lang=en
    ※『Fools』の1番最後の偈です。

    wikiの『涅槃』の説明には、
    『原語のサンスクリット語: nirvana(ニルヴァーナ、巴: nibbana)とは「消えた」という意味である[11]。「涅槃」はこれらの原語の音写である[8][9][注釈 3]。音写はその他に泥曰(ないわつ)、泥&#27961;(ないおん)、涅槃那、涅隸槃那などがある[8]。
    梵: nirvanaは、滅、寂滅、滅度、寂、寂静、不生不滅[要出典]などと漢訳される[8]。また、解脱、択滅(ちゃくめつ)、離繋(りけ)などと同義とされる[8]。』
    とありました。

    それで冒頭の田秋さんのご質問なのですが、、、

    > no 32856 偈中の「滅度( quenching)」は「悟り」とほぼ同じ意味ですか?<

    wikiには『涅槃』とは別に『悟り』の項目もありまして、そこには、

    『インドの仏教では、彼岸行とされる波羅蜜の用法を含めれば、類語を集約しても20種類以上の「さとり」に相当する語が駆使された[3][要検証 &#8211; ノート]。』

    などとあり、pipitには正確なことはわからないです、すみません
    m(_ _)m

    でも、私で調べられることがあれば喜んで調べますので、気軽に書き込みくださいね、
    ご質問をありがとうございます!

引用返信/返信 削除キー/

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