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■35279 / inTopicNo.25)   第7章 阿羅漢の章 ダンマパダ97
  
□投稿者/ pipit -(2023/12/04(Mon) 21:53:54)
    2023/12/04(Mon) 22:01:52 編集(投稿者)

    みなさま、こんばんは♪
    ダンマパダ97のBhikkhu Sujatoさま英訳のpipit日訳です。

    Lacking faith, a house-breaker,
    one who acknowledges nothing,
    purged of hope, they’ve wasted their chance:
    that is indeed the supreme person!


    信仰を欠く者、
    家を壊す者、
    何も認めない者、
    希望を吐き出し、
    チャンスを無駄にする:
    それこそが至高の人間!

    ---------------------

    (pipit感想)
    この偈文は、原語がえ!?と意表を突くような言葉遊びになっているようです。

    pipitの感想としては、
    信仰を欠く者→体現しているゆえに信が不用な者、
    家を壊す者→輪廻しない者、
    何も認めない者→作られざるもの(涅槃)を知る者、
    希望を吐き出し→全ての欲望は捨てられ、
    チャンスを無駄にする→輪廻の機会を放棄する者
    って感じかな?と思いました。

    誤解してたらすみませんm(_ _)m

    ※正田大観さまの日訳はこちらです。(7.8)
    https://suttacentral.net/dhp90-99/jpn/daikan?lang=en&reference=none&highlight=false
引用返信/返信 削除キー/
■35249 / inTopicNo.26)   第7章 阿羅漢の章 ダンマパダ96
□投稿者/ pipit -(2023/12/02(Sat) 23:34:54)
    皆々様、こんばんは(o^^o)

    ダンマパダ96のThanissaro Bhikkhuさまの英訳をpipitが日訳しました。

    https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/kn/dhp/dhp.07.than.html


    Calm is his mind,

    calm his speech

    & his deed:

    one who's released through right knowing,

    pacified,

    Such.


    静けさが 彼の心

    静謐な 彼の言葉と行い

    正しく了知し解放された人

    穏やかである

    そのような人。

引用返信/返信 削除キー/
■35179 / inTopicNo.27)   第7章 阿羅漢の章 ダンマパダ95
□投稿者/ pipit -(2023/11/25(Sat) 20:44:19)
    2023/11/25(Sat) 23:25:54 編集(投稿者)

    みなさま、こんばんは。ダンマパダ95のBhikkhu Sujatoさまの英訳をpipitが日訳しました。

    Undisturbed like the earth,
    true to their vows, steady as a post,
    like a lake clear of mud;

    such a one does not transmigrate.

    大地のように揺るぎなく、
    自らの誓いに忠実であり、
    柱のように安定していて、
    泥のない湖のよう;

    そのような者に移転(輪廻)はない。

引用返信/返信 削除キー/
■35164 / inTopicNo.28)  第7章 阿羅漢の章 ダンマパダ94
□投稿者/ pipit -(2023/11/24(Fri) 18:55:38)
    みなさまこんばんは。ダンマパダ94のBhikkhu Sujatoさまの英訳をpipitが日訳しました。


    Whose faculties have become serene,

    like horses tamed by a charioteer,

    who has abandoned conceit and defilements;

    the poised one is envied by even the gods


    御者に馴らされた馬のように、

    その能力は穏やかになり、

    慢心と汚れを捨てた、

    その落ち着いた人は、神々にさえ羨ましがられる。
引用返信/返信 削除キー/
■35140 / inTopicNo.29)  ダンマパダ93 英訳
□投稿者/ pipit -(2023/11/22(Wed) 19:05:51)
引用返信/返信 削除キー/
■35139 / inTopicNo.30)  阿羅漢の章 ダンマパダ93
□投稿者/ pipit -(2023/11/22(Wed) 19:03:17)
    みなさまこんばんは。ダンマパダ93のThanissaro Bhikkhuさまの英訳をpipitが日訳しました。

    https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/kn/dhp/dhp.07.than.html
    ※英訳略(別投稿します)


    有漏(うろ)は終わり、

    食に依存せず、

    彼らの領域は---

    無記号の、空(くう)と自由 。

    彼らの跡は、

    虚空を飛ぶ鳥たちのように、

    辿ることはできない。

引用返信/返信 削除キー/
■35116 / inTopicNo.31)  時さんへ
□投稿者/ pipit -(2023/11/20(Mon) 19:53:30)
    2023/11/20(Mon) 19:54:59 編集(投稿者)

    時兄上さま、こんばんはー(^○^)♪

    No35113
    >>多分なんですけど、sphere of neither-perception-nor-non-perception.と訳されてる禅定は、日本では「非想非非想処定」と訳されている境地なんじゃないかなと思っています。
    >
    > 私もそのように思います。
    > 知覚と非知覚のどちらでもない領域、境地。想が非ず非想にも非ずの領域という事で、非想非非想処ですね。別の表現では、一に非ず二に非ずで不一不二の境地とも、有の世界の頂点で有頂天とも表現されているようですが、全て同じ領域の別表現です。原始では、非想非非想処(界、定)で良いと思います。<

    よかったです(o^^o)ホッ

    >>wiki『禅定』より
    >>https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%85%E5%AE%9A
    >>『8. 非想非非想処(ひそうひひそうしょ)- 漢訳で想が非ず非想にも非ずの領域の意味。』
    >>『〈無所有処〉を全く超越して、〈非想非非想処〉(想いがあるのでもなく、想いが無いのでもないという境地)に達して住する。これが第七の境地である。』
    >
    > ご紹介していただいたwikiを確認してみました。非想非非想処の第七の解脱の説明の所ではないのですが、
    >
    >>〈空無辺処〉を全く超越して、〈(すべては)無辺なる識である〉と観じて、〈識無辺処〉に達して住する。これが第五の解脱である。
    >
    >>〈識無辺処〉を全く超越して、〈何ものも存在しない〉と観じて、〈無所有処〉(=何も無いという境地)に達して住する。これが第五の解脱である。
    >
    > 上記(wikiの説明)では、識無辺処、無所有処共にどちらも第五の解脱となっています。
    >
    > 原始の長部16経「大般涅槃経」の八解脱の説明では、識無辺処に住するのが第五の解脱。無所有処に住するのが第六の解脱の境地だとあります。多分、wikiの説明は誤記・誤植だと思いますが、理解の流れ的にwiki等を参考にする場合には注意が必要ですね。<

    本当ですね!wikiはすごく便利で重宝していますが、誤記・誤植の可能性も常に頭に入れておかなければいけませんね。


    >>実践しなくてはわからないだろうと、理解は置いておくつもりなんですが、、、
    >
    > 仏陀の教えは、頭での道理の理解と実践での体験による理解の2つで構成されているのだろうと思います。この2つが重なった時に体得となるのでしょう。<

    理論と実践(実験)、、、科学的に思えました。

    ふと、テーラガーターの偈を思い出しまして、
    本を見てみると、テーラガーター24 の スガンダ長老の詩偈でした。
    中村元先生の訳を引用します。

    『わたくしは、雨季の定住修行(安居・あんご)を終えたあとで、遍歴に出かけた。
      
     見よ---教えが真理にみごとに即応していることを!

    (わたくしは)三種の明知を体得し、ブッダの教えを実行した。』

    (岩波文庫『仏弟子の告白 テーラガーター』中村元先生訳、p14.15より引用)

    兄上さま、どうぞご自愛くださいませ (*^◯^*)


引用返信/返信 削除キー/
■35113 / inTopicNo.32)  Re[53]: 日記
□投稿者/ 時 -(2023/11/20(Mon) 10:44:56)
    pipitさんへ こんにちは。

    No35104に返信(pipitさんの記事)

    > 多分なんですけど、sphere of neither-perception-nor-non-perception.と訳されてる禅定は、日本では「非想非非想処定」と訳されている境地なんじゃないかなと思っています。

    私もそのように思います。
    知覚と非知覚のどちらでもない領域、境地。想が非ず非想にも非ずの領域という事で、非想非非想処ですね。別の表現では、一に非ず二に非ずで不一不二の境地とも、有の世界の頂点で有頂天とも表現されているようですが、全て同じ領域の別表現です。原始では、非想非非想処(界、定)で良いと思います。

    > wiki『禅定』より
    > https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%85%E5%AE%9A
    > 『8. 非想非非想処(ひそうひひそうしょ)- 漢訳で想が非ず非想にも非ずの領域の意味。』
    > 『〈無所有処〉を全く超越して、〈非想非非想処〉(想いがあるのでもなく、想いが無いのでもないという境地)に達して住する。これが第七の境地である。』

    ご紹介していただいたwikiを確認してみました。非想非非想処の第七の解脱の説明の所ではないのですが、

    > 〈空無辺処〉を全く超越して、〈(すべては)無辺なる識である〉と観じて、〈識無辺処〉に達して住する。これが第五の解脱である。

    > 〈識無辺処〉を全く超越して、〈何ものも存在しない〉と観じて、〈無所有処〉(=何も無いという境地)に達して住する。これが第五の解脱である。

    上記(wikiの説明)では、識無辺処、無所有処共にどちらも第五の解脱となっています。

    原始の長部16経「大般涅槃経」の八解脱の説明では、識無辺処に住するのが第五の解脱。無所有処に住するのが第六の解脱の境地だとあります。多分、wikiの説明は誤記・誤植だと思いますが、理解の流れ的にwiki等を参考にする場合には注意が必要ですね。

    > 実践しなくてはわからないだろうと、理解は置いておくつもりなんですが、、、

    仏陀の教えは、頭での道理の理解と実践での体験による理解の2つで構成されているのだろうと思います。この2つが重なった時に体得となるのでしょう。
引用返信/返信 削除キー/
■35106 / inTopicNo.33)  SN40.9 Animittapanhasutta
□投稿者/ pipit -(2023/11/19(Sun) 22:22:51)
引用返信/返信 削除キー/
■35104 / inTopicNo.34)  日記
□投稿者/ pipit -(2023/11/19(Sun) 18:30:08)
    2023/11/19(Sun) 22:25:24 編集(投稿者)



    Animitto Sutta (英訳:The Signless)
    https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn40/sn40.009.wlsh.html

    は、今の私には難しすぎて置いておくつもりなんですが、、、
    冒頭が気になります...(※冒頭文は、経典の英訳ではなく、経典内容の説明のようです。)

    ========
    [1] [The Ven. Moggallaana has described how, with the aid of the Buddha, he has passed through all the jhaanas[2] right up to the "sphere of neither-perception-nor-non-perception."]

    pipit日訳
    モッガラーナ尊者は、
    ブッダの助けを借り、
    どのように【"〈知覚がある〉でもなく、〈知覚が無い〉でもない"領域】までの禅定を通過したのかを、述べられました。

    ========
    多分なんですけど、sphere of neither-perception-nor-non-perception.と訳されてる禅定は、日本では「非想非非想処定」と訳されている境地なんじゃないかなと思っています。

    wiki『禅定』より
    https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%85%E5%AE%9A
    『8. 非想非非想処(ひそうひひそうしょ)- 漢訳で想が非ず非想にも非ずの領域の意味。』
    『〈無所有処〉を全く超越して、〈非想非非想処〉(想いがあるのでもなく、想いが無いのでもないという境地)に達して住する。これが第七の境地である。』

    実践しなくてはわからないだろうと、理解は置いておくつもりなんですが、、、
    やっぱり

    sphere of neither-perception-nor-non-perception.

    の説明文は気になります...

    (・・?)ドンナセカイ?
引用返信/返信 削除キー/
■35096 / inTopicNo.35)  Animitta・無相 について
□投稿者/ pipit -(2023/11/18(Sat) 22:09:15)
    みなさまこんばんは♪
    ダンマパダ92のパーリ語原文を見てみました。

    https://suttacentral.net/dhp90-99/pli/ms?lang=en&layout=plain&reference=none&notes=asterisk&highlight=false&script=latin
     
    (※記号省略)

    Yesam sannicayo natthi,
    ye parinnatabhojana;

    Sunnato animitto ca,
    vimokkho yesam gocaro;

    Akaseva sakuntanam,
    gati tesam durannaya.

    ===========

    Bhikkhu Sujatoさまが
    「the signless 」(記号が無い)と訳された原語は【animitto】が気になって、検索したら、《Animitto Sutta》が出てきました。

    https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn40/sn40.009.wlsh.html

    サンユッタニカーヤ40.9かぁ、と、光明寺さまのホームページを探すと、日訳されていました。

    https://komyojikyozo.web.fc2.com/
    「相応部」→「六処篇」→「モッガラーナ相応」→第九経

    光明寺さまは【Animitta】を【無相】と日訳されていました。

    経典文読んで、、、今の私には難しい、、、

    とりあえずwikiさんの「無相」の説明を
    『無相(むそう)とは仏教における用語の一つで、形や特徴がないこと。対義語は有相(うそう)[1]。一切の執著から離れた境地をも指す。三解脱門の一つに数えられる[2]。』

    https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E7%9B%B8

    アニミッタ、で、無相と思うのですが、先のページに、
    Nimitta. The characteristic features of anything.
    という説明が載っていました。
    ニミッタが「相」という意味で、内容は「何かの特徴」みたいな感じかな。
    それが、無い、というのが「Animitta」ですかね。


引用返信/返信 削除キー/
■35094 / inTopicNo.36)  日記
□投稿者/ pipit -(2023/11/18(Sat) 19:17:58)
    おぉ 、 今加筆に気づきました o(^▽^)o

    ありがとうねー♪

    急にめちゃ寒だね!

    この前、実家に帰ったとき、【草鍋】食べに連れて行ってもらいました。

    山盛りの草が出てきたよ、おもしろかったです

    風邪などひきませんように!

引用返信/返信 削除キー/

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