| 2023/07/02(Sun) 07:37:47 編集(投稿者)
こんばんは、ザビビのふくろうさん。レスありがとうございます。
■No31415に返信(ザビビのふくろうさんの記事) > 「罪を憎んで人を憎まず」 > という諺がありますね。 > 聖書にも同様の言葉があるようですが、一応出典は孔子の言葉とされています。 > この言葉、真剣に考えるとなかなか深い問題が内包されていると思います。 > 詳しく話すと大変なんで、なるべく軽く簡単に述べてみます。
> 罪を憎むということは即ちその人を憎むということちゃうのんかい?と思う人もあるみたいです。 > もし諺の意味が、悪いのは行為あるいはその心(悪意)であって、行為者ではないということなら、行為者が罰を受けるのは矛盾しているようにも思えますし、まあ気持ちとしては何となく分かります。 > これって、ほんとに切り離せるのか?って思いがあるからです。
> でも孔子は罰を否定したわけではないようですから、あくまで『報復』としての罰を否定したと解釈可能かもしれませんね。
なるほど、そうですね。恨みは新たな恨みを生みますからね。 ちなみに私が思うところの死刑は同害報復であり、もともとの同害報復は『ハンムラビ法典』の「目には目を」が最古とのことですが、この意味は「目を潰されたら、潰した相手の目を潰してもよいが、それ以上のことはするな」という意も含んでたみたいですね。
> ところで、調べると対応する英文の一つとして次が上がります。
> Condemn the offense but pity the offender.
> 「罪を咎め、罪人を憐れめ」 > って感じに理解してもいいかな?と思うのですが、 > とにかく私がこの英語訳に引っ掛かったのは、実は私にはアニメ『鬼滅の刃』の主人公が、まさにこれを体現しているように思えるからなんです(笑) > 詳細は省きますが、主人公の竈門炭治郎は、鬼が行ってきた、死をもってしか償いようのない悪業に対してその責任をとらせるため、迷いなく鬼の首を日輪刀で切り落とします。 > しかし、同時に炭治郎はその能力で、鬼もかつて人間であり、同情すべき悲しい過去をへて鬼となったことを感じ取って、憎むことをしません(相手にもよりますが)。 > 同情の心を寄せ、憐憫の情をかけるのです。 > 私はこれを見て初めて、罰を科すことと憎まないことが、ジレンマに陥らずに済む可能性のあることが腑に落ちた気がするんですよ。 > いや、炭治郎、えらいわー(笑)
ザビビのふくろうさんも鬼滅の刃を見てるんですね。 あれはよく出来たストーリーですね、武士道を象徴するシーンや台詞もあり私もファンです。 ただ自分の肉親を惨殺されたとしても「罪を憎んで人を憎まず」とか「罪を咎め、罪人を憐れめ」という気になるか自問自答すると自信がないです。 可能な手段があるなら同害報復のチャンスをうかがうかもしれません。
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