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■31490 / inTopicNo.61)  ザビビのふくろうさんへ
  
□投稿者/ みのり -(2023/07/03(Mon) 14:17:44)
    2023/07/03(Mon) 14:55:13 編集(投稿者)

    ザビビのふくろうさん、レスありがとうございます。

    No31489に返信(ザビビのふくろうさんの記事)

    >>死刑廃止派の方々は、どういった理由でそのように考えられていたのか、ザビビのふくろうさんが議論された方々の見解を差し支えなければ教えていただけたら嬉しいです。
    >>よろしくお願いします_(._.)_
    >>
    >
    > 私の議論相手の人達の、死刑反対の根本的な思想根拠は、基本的人権の尊重という近代民主主義の根本理念から、死刑の認められないことが必然的に帰結するから、というものでした。
    > そのロジックは、私には到底受け入れがたいものでした。
    > はっきり覚えていませんが、基本的人権の理念+目的刑論から死刑廃止を導く議論だったように思います。

    (調べたのですが、目的刑論というのは、刑罰は犯罪を抑止する目的で設置されるべし、という論みたいですね。)
    そして、その方たちの根本的な根拠は、誰にでも基本的人権はあり死刑はそれに反するということになるのですね。
    +目的刑論というのは、何も死刑でなくても他の方法なりで抑止はできるのではないか、っていう見解になるのでしょうか。

    > あとは冤罪の排除不可能性を根拠にするもの、抑止効果を否定するもの、憲法の残虐な刑罰の禁止との矛盾を指摘するものなど、法学を專門に学んだ人達(たぶん弁護士も)も何人かいて、かついずれも死刑存廃問題についての議論も場数を踏んだ人達ばかりだったので、様々な論点が具体的(条文・判例・論文etc.)に提示され、詳細に議論展開されました。今でも私にはとても再現できませんが。その意味では勉強になりました。

    冤罪の排除不可能性、抑止効果の否定、憲法との矛盾の指摘など。
    具体的にありがとうございます。

    大変かつ有意義な議論をされたのですね。^^

    > ただその人たちは法学には詳しくても、哲学・法哲学については専門の人がいなかったので、何とか付け焼き刃で勉強しながら理屈をこねて対抗しました(笑)。

    なんだか楽しそうです。

    > 私は大雑把には絶対的応報刑論の立場で、カントには共感するところが大いにありますが、私は同害報復の立場はとらないところが異なります。
    > 前に議論した人達の話でも、同害報復は論外っていうのがほとんど前提の感じでした。理由は忘れましたが、とにかく応報刑論には否定的だったと思います。
    > ひょっとすると、応報刑=同害報復とみなしてたのかな?うーん、思いだせませんm(__)m

    調べましたよ〜。
    絶対的応報刑論と同害報復。 どう違うの?だったけど、違うんですね。

    絶対的応報刑論は、刑罰は犯罪を行ったことに対する報いとして加えられる、とする。
    ザビビのふくろうさんの立場ですね。
    こちらだと、例えば殺人罪でも加害者が死刑になるとは限らないですよね。
    同害報復は、被害に相応した報復または報いを受けさせること。
    こちらは、目には目を歯には歯を、命には命を、になりますよね。

    カントって同害報復支持なんですか? ちょっと意外に思えます。

    >>先日、パニチェさんとここでやりとりした通り、私は死刑制度については強い肯定はできずとも完全に否定もできない、といったところです。
    >>
    >>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%91%E7%BD%B0#%E5%88%91%E7%BD%B0%E6%A8%A9
    >>===
    >>刑罰の本質
    >>刑罰については、絶対主義、相対主義、併合主義の3つの立場がある。
    >>
    >>絶対主義
    >>刑罰は正義を回復するための道義的必要に基づく応報であり、犯罪を行ったから罰するものであるという立場を絶対主義という[3]。絶対主義は絶対的応報刑論を内容としている[3](応報刑論を参照)。絶対的応報刑論の論者としてカントやヘーゲルがいる[4]。
    >>相対主義
    >>刑罰の合目的性・有用性から刑罰は犯罪を行わせないために罰するものであるという立場を相対主義という[3]。相対主義は目的刑論を内容としている[3](目的刑論を参照)。
    >>相対主義には一般予防論と特別予防論がある[4]。
    >>一般予防論とは、刑罰は犯罪者を処罰することにより社会の一般人を威嚇し犯罪が発生することを抑止する目的をもつものであるという立場をいう[4]。一般予防論は中世における不合理で残虐な刑罰を批判し、相対主義によって刑罰の合理化や緩和化を図ろうとしたもので、一般予防論の論者としてベッカリーアやフォイエルバッハがいる[4]。
    >>特別予防論とは、刑罰は犯罪者を処罰することにより犯罪者自身を改善するもので、それによって将来の犯罪を抑止する目的をもつものであるという立場をいう[4]。特別予防論の論者としてリストやフェリーがいる[4]。
    >>併合主義
    >>絶対主義と相対主義の両者を統合し、刑罰には正義の回復と合目的性のいずれも存在し、犯罪を行ったがゆえにかつ犯罪を行わせないために刑罰は存するという立場を併合主義という[3]。
    >>20世紀のヨーロッパ各国での刑法改正作業では応報刑論と目的刑論が対立していたが、応報刑論者も刑罰による犯罪者の改善の必要性を承認するようになったため併合主義が通説化した[4]。
    >>===
    >>
    >>このうちのどれかに(無理にでも)当てはめるとしたら、私は三番目の「併合主義」になるのかもです。

    > 私は根が哲学体質なので刑罰の本質論などが大変面白く、バトルしながら集中的に自分なりの考えを構築しましたが、まあ素人考えです。
    >
    > その私見の一つは、ラフに言うと原理原則論と実践論を分離することです。
    > 別のところで少し書いたのですが、論理学などで意味論と語用論を区別するのと類否的です。

    言外の意味、意図を考慮しないのが意味論。
    考慮するのが語用論。
    私は今、ザビビのふくろうさんの投稿で再確認してきました。
    初めて見る方もいるかもなのでごく簡単に書いてみました。

    > 例えば、禁止されたらやりたくなる、みたいな天邪鬼人間がいるとして、そんな人間まで最初から考慮して原理を立てねばならないなら、禁則なんてそもそも不可能になります。
    > 刑務所での安楽な暮らしを求めて犯罪を繰り返す人も同様です。

    まぁそうですよね。ごく少数の例外者を考慮しての廃止は現実としておかしいですね。

    > しかしながら、法は国家成立の条件となる原理原則として必要不可欠です。
    > 原理原則としての法体系は現実への適用と独立させ、現実への法の適用・運用は個別に・そして現実的に対応すべきと考えます。
    > なので抑止効果なんかも現実的には考慮して体制を整える必要はあると思いますが、
    > それ以前かつそれとは独立に、しちゃダメな事はダメと禁則を立てる必要がありますし、罰則なき禁則は禁則ではありませんから、罰則も必要不可欠だと考えます。

    そうですね。ダメなものはダメ、これは考えてみたら欠かせないと思います。

    > つまり、あんまし効果がないし廃止!って話ではないと思うわけです。
    > なので、死刑存廃問題を論じる場合も、例えば宅間守のような例はとりあえず措いて、また抑止効果も措いて、あくまで法の本質論、罪刑の本質論として死刑を捉えるべきというのが私の考えです。

    理解できたと思います。

    > その私見の一つは、ラフに言うと原理原則論と実践論を分離することです。
    > 別のところで少し書いたのですが、論理学などで意味論と語用論を区別するのと類否的です。
    ↑ 前に出てきてたこれですね。

    ダメなものはダメなんだからそう意味で刑罰は与えるよ(それが場合によっては死刑に相当する場合もある)、よって死刑は肯定するという立場。
    すごくわかりやすく言うと、このようなのがザビビのふくろうさんの見解になるのかな、と考えました。

    > ついラフに言ってしまいましたが、以上の私見は応報刑論の立場に立つもので、目的刑論の立場の人には全く受け入れられない議論だと思います。
    > いずれにせよ、この問題は専門家の間でも決着が着いてないですし、普通に考えたらジレンマだらけで一方の立場だけを選択してその正当化の議論を組み上げるのも結構勉強も必要だし苦労かもです。
    > しいて言えば、と述べてらっしゃるので積極的に採られてているのではないことは承知していますが、併合主義ってなんかご都合主義的で、あんまり立場って感じもしないことないですか?にもかかわらず、普通に考えたらそうなっちゃいますよね^^
    > 私はそういうのが我慢できないもので、当時、全然知識もないのに屁理屈こねるのだけが専門なので強引に立場をつくっちゃいましたが、その法哲学的意義はともかく、詳しい人相手にボロクソ言われながら必死で考えることができてなかなか面白かったです(笑)

    見解を教えていただいて本当にありがとうございました。
    まっとうな見解のように私は感じましたよ。

    ザビビのふくろうさんが書いてくださったことを私が誤認している部分があったらすみません。
    お許しを〜_(._.)_
引用返信/返信 削除キー/
■31489 / inTopicNo.62)  みのりさんへ
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2023/07/03(Mon) 12:18:02)
    みのりさん、こんにちは。
    レスをありがとうございます。

    No31439に返信(みのりさんの記事)
    > 2023/07/02(Sun) 17:55:59 編集(投稿者)
    >
    > ザビビのふくろうさん、レスありがとうございます。
    >
    > ■No31431に返信(ザビビのふくろうさんの記事)
    >
    >>みのりさんはやっぱり心がやさしい人なんですね。
    >>私と発想が違う気がします。
    >>実は私はパニチェさんと同じく死刑については存置派なんですが、世界の趨勢から見たら、これは非人道的とされる考えだと思われるんですね。
    >>日本でも特に法学に詳しい人たちほど死刑廃止派(人権派?)が多い印象があって、私は以前別の掲示板でバトってたことがあるんです(笑)
    >
    >
    > ザビビのふくろうさんは、死刑について存置派なのですね。
    > たしかに法学に詳しい人ほど死刑廃止派が多い印象は私もあります。
    >
    > 死刑廃止派の方々は、どういった理由でそのように考えられていたのか、ザビビのふくろうさんが議論された方々の見解を差し支えなければ教えていただけたら嬉しいです。
    > よろしくお願いします_(._.)_
    >

    私の議論相手の人達の、死刑反対の根本的な思想根拠は、基本的人権の尊重という近代民主主義の根本理念から、死刑の認められないことが必然的に帰結するから、というものでした。
    そのロジックは、私には到底受け入れがたいものでした。
    はっきり覚えていませんが、基本的人権の理念+目的刑論から死刑廃止を導く議論だったように思います。

    あとは冤罪の排除不可能性を根拠にするもの、抑止効果を否定するもの、憲法の残虐な刑罰の禁止との矛盾を指摘するものなど、法学を專門に学んだ人達(たぶん弁護士も)も何人かいて、かついずれも死刑存廃問題についての議論も場数を踏んだ人達ばかりだったので、様々な論点が具体的(条文・判例・論文etc.)に提示され、詳細に議論展開されました。今でも私にはとても再現できませんが。その意味では勉強になりました。
    ただその人たちは法学には詳しくても、哲学・法哲学については専門の人がいなかったので、何とか付け焼き刃で勉強しながら理屈をこねて対抗しました(笑)。

    私は大雑把には絶対的応報刑論の立場で、カントには共感するところが大いにありますが、私は同害報復の立場はとらないところが異なります。
    前に議論した人達の話でも、同害報復は論外っていうのがほとんど前提の感じでした。理由は忘れましたが、とにかく応報刑論には否定的だったと思います。
    ひょっとすると、応報刑=同害報復とみなしてたのかな?うーん、思いだせませんm(__)m



    >
    > 先日、パニチェさんとここでやりとりした通り、私は死刑制度については強い肯定はできずとも完全に否定もできない、といったところです。
    >
    > https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%91%E7%BD%B0#%E5%88%91%E7%BD%B0%E6%A8%A9
    > ===
    > 刑罰の本質
    > 刑罰については、絶対主義、相対主義、併合主義の3つの立場がある。
    >
    > 絶対主義
    > 刑罰は正義を回復するための道義的必要に基づく応報であり、犯罪を行ったから罰するものであるという立場を絶対主義という[3]。絶対主義は絶対的応報刑論を内容としている[3](応報刑論を参照)。絶対的応報刑論の論者としてカントやヘーゲルがいる[4]。
    > 相対主義
    > 刑罰の合目的性・有用性から刑罰は犯罪を行わせないために罰するものであるという立場を相対主義という[3]。相対主義は目的刑論を内容としている[3](目的刑論を参照)。
    > 相対主義には一般予防論と特別予防論がある[4]。
    > 一般予防論とは、刑罰は犯罪者を処罰することにより社会の一般人を威嚇し犯罪が発生することを抑止する目的をもつものであるという立場をいう[4]。一般予防論は中世における不合理で残虐な刑罰を批判し、相対主義によって刑罰の合理化や緩和化を図ろうとしたもので、一般予防論の論者としてベッカリーアやフォイエルバッハがいる[4]。
    > 特別予防論とは、刑罰は犯罪者を処罰することにより犯罪者自身を改善するもので、それによって将来の犯罪を抑止する目的をもつものであるという立場をいう[4]。特別予防論の論者としてリストやフェリーがいる[4]。
    > 併合主義
    > 絶対主義と相対主義の両者を統合し、刑罰には正義の回復と合目的性のいずれも存在し、犯罪を行ったがゆえにかつ犯罪を行わせないために刑罰は存するという立場を併合主義という[3]。
    > 20世紀のヨーロッパ各国での刑法改正作業では応報刑論と目的刑論が対立していたが、応報刑論者も刑罰による犯罪者の改善の必要性を承認するようになったため併合主義が通説化した[4]。
    > ===
    >
    > このうちのどれかに(無理にでも)当てはめるとしたら、私は三番目の「併合主義」になるのかもです。
    >
    > 現状、死刑が犯罪抑止力になってないどころか、死刑になりたくて殺人する人もいることを思えば、死刑への疑問が出ます。
    > しかし、被害者家族の心情を思えば、存続が必要なのだろうと思います。
    > また、死刑に代わり完全無期懲役刑のみになったとしたら、死なずに済む上、寝食とそれなりの人道的な扱いが保証されることで、凶悪犯罪が増える懸念があります。
    > この最後の懸念は、無期懲役刑のみになったなら必ず発生してくると思うのです。
    > なので、死刑廃止について簡単に賛成はできないと考えています。
    >
    > とはいえ、相手が犯罪者とはいえ、国家として人命を奪うことの是非についても考えてしまいます。
    > もし冤罪だとしたら、無期懲役なら命だけは助かりますし、支援者の力で無罪になることというのもあります。
    > ほんとうに難しいです。
    >

    私は根が哲学体質なので刑罰の本質論などが大変面白く、バトルしながら集中的に自分なりの考えを構築しましたが、まあ素人考えです。

    その私見の一つは、ラフに言うと原理原則論と実践論を分離することです。
    別のところで少し書いたのですが、論理学などで意味論と語用論を区別するのと類否的です。

    例えば、禁止されたらやりたくなる、みたいな天邪鬼人間がいるとして、そんな人間まで最初から考慮して原理を立てねばならないなら、禁則なんてそもそも不可能になります。
    刑務所での安楽な暮らしを求めて犯罪を繰り返す人も同様です。
    しかしながら、法は国家成立の条件となる原理原則として必要不可欠です。
    原理原則としての法体系は現実への適用と独立させ、現実への法の適用・運用は個別に・そして現実的に対応すべきと考えます。
    なので抑止効果なんかも現実的には考慮して体制を整える必要はあると思いますが、
    それ以前かつそれとは独立に、しちゃダメな事はダメと禁則を立てる必要がありますし、罰則なき禁則は禁則ではありませんから、罰則も必要不可欠だと考えます。
    つまり、あんまし効果がないし廃止!って話ではないと思うわけです。
    なので、死刑存廃問題を論じる場合も、例えば宅間守のような例はとりあえず措いて、また抑止効果も措いて、あくまで法の本質論、罪刑の本質論として死刑を捉えるべきというのが私の考えです。

    ついラフに言ってしまいましたが、以上の私見は応報刑論の立場に立つもので、目的刑論の立場の人には全く受け入れられない議論だと思います。
    いずれにせよ、この問題は専門家の間でも決着が着いてないですし、普通に考えたらジレンマだらけで一方の立場だけを選択してその正当化の議論を組み上げるのも結構勉強も必要だし苦労かもです。
    しいて言えば、と述べてらっしゃるので積極的に採られてているのではないことは承知していますが、併合主義ってなんかご都合主義的で、あんまり立場って感じもしないことないですか?にもかかわらず、普通に考えたらそうなっちゃいますよね^^
    私はそういうのが我慢できないもので、当時、全然知識もないのに屁理屈こねるのだけが専門なので強引に立場をつくっちゃいましたが、その法哲学的意義はともかく、詳しい人相手にボロクソ言われながら必死で考えることができてなかなか面白かったです(笑)

引用返信/返信 削除キー/
■31470 / inTopicNo.63)  Re[31]: 罪を憎みて人を憎まず
□投稿者/ みのり -(2023/07/02(Sun) 20:47:09)
    No31469に返信(パニチェさんの記事)

    > 私も調べてみました。
    >
    > https://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/mc/2011/newpage2.html
    >
    > 上記サイトに「数カ月にわたって専門家をだまし続けることは、実際上は難しいようです。」とありますね。
    >
    > 超ヘソ曲がりな私は「そういうことにしとかないと精神鑑定が成り立たんわな」なんて関西人のノリでツッコんでしまいそうになります。^^

    映画に出てくるような犯罪者なら、かなり手ごわいでしょうね。^^
引用返信/返信 削除キー/
■31469 / inTopicNo.64)  Re[30]: 罪を憎みて人を憎まず
□投稿者/ パニチェ -(2023/07/02(Sun) 20:39:05)
    レスありがとうございます。

    No31467に返信(みのりさんの記事)

    > 今、少し調べただけなので正確な情報ではないかもしれませんが、、
    > 数か月、数年に渡って精神鑑定の専門家を騙し続けることは難しい、とありました。
    > 短い期間、少ない回数であれば、巧みな犯罪者は専門家相手でも騙せるかもしれませんが、長期間をかければほころびがあれば出るのではないかな。。と。

    私も調べてみました。

    https://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/mc/2011/newpage2.html

    上記サイトに「数カ月にわたって専門家をだまし続けることは、実際上は難しいようです。」とありますね。

    超ヘソ曲がりな私は「そういうことにしとかないと精神鑑定が成り立たんわな」なんて関西人のノリでツッコんでしまいそうになります。^^
引用返信/返信 削除キー/
■31467 / inTopicNo.65)  Re[29]: 罪を憎みて人を憎まず
□投稿者/ みのり -(2023/07/02(Sun) 20:32:53)
    パニチェさん、こんばんは。レスありがとうございます。

    No31463に返信(パニチェさんの記事)
    > 2023/07/02(Sun) 20:20:44 編集(投稿者)
    >
    > こんばんは、みのりさん。横レス失礼します。
    >
    > ■No31462に返信(みのりさんの記事)
    >
    >>現代風にいうと、心から悔いているか、情状酌量の余地があるかによって、慈愛をもって判決を下す(その分、刑を軽くする)ということになるのでしょうか。
    >>遥か古代にこのような判決を勧めていた孔子は素晴らしいですね。
    >
    >
    > しかし悔いているのが本気か演技かは誰が何をもって判定するんですかね。
    > 少し話が横道にそれますが裁判官が判決に際して「世間に与えた影響が大」みたいなことを言いますが「報道しなければ影響を与えないやろ」ってツッコミたくなります。
    > また精神鑑定もそれなりの知識があれば有利な結果に誘導できるという話を聞いたことがあります。
    > 脳をスキャンして調べるわけではないし、精神鑑定の信ぴょう性ってどれくらいあるのか。。。

    今、少し調べただけなので正確な情報ではないかもしれませんが、、
    数か月、数年に渡って精神鑑定の専門家を騙し続けることは難しい、とありました。
    短い期間、少ない回数であれば、巧みな犯罪者は専門家相手でも騙せるかもしれませんが、長期間をかければほころびがあれば出るのではないかな。。と。
引用返信/返信 削除キー/
■31463 / inTopicNo.66)  Re[28]: 罪を憎みて人を憎まず
□投稿者/ パニチェ -(2023/07/02(Sun) 20:16:53)
    2023/07/02(Sun) 20:20:44 編集(投稿者)

    こんばんは、みのりさん。横レス失礼します。

    No31462に返信(みのりさんの記事)

    > 現代風にいうと、心から悔いているか、情状酌量の余地があるかによって、慈愛をもって判決を下す(その分、刑を軽くする)ということになるのでしょうか。
    > 遥か古代にこのような判決を勧めていた孔子は素晴らしいですね。


    しかし悔いているのが本気か演技かは誰が何をもって判定するんですかね。
    少し話が横道にそれますが裁判官が判決に際して「世間に与えた影響が大」みたいなことを言いますが「報道しなければ影響を与えないやろ」ってツッコミたくなります。
    また精神鑑定もそれなりの知識があれば有利な結果に誘導できるという話を聞いたことがあります。
    脳をスキャンして調べるわけではないし、精神鑑定の信ぴょう性ってどれくらいあるのか。。。

引用返信/返信 削除キー/
■31462 / inTopicNo.67)  Re[27]: 罪を憎みて人を憎まず
□投稿者/ みのり -(2023/07/02(Sun) 20:12:01)
    田秋さん、こんばんは。 投稿ありがとうございます。

    No31449に返信(田秋さんの記事)
    > みなさん、こんにちは。
    >
    > 横レス失礼します。
    >
    > 「罪を憎みて人を憎まず」は孔叢子(くぞうし)の刑論第四を出典としています。要約は以下の通りです。
    >
    > 子張が尋ねた。
    > 「裁判官が、赤子を育むように慈愛を以て判決を下すことは可能でしょうか」
    > 孔子が答えた。
    > 「できるよ。昔の裁判官は、(罪を犯した人の)心根を悪(にく)むがその人間を悪(にく)むことはなかった。罪を犯した者がいれば、その長所を探し求め、その上で長所なければ刑を与えた。このように裁判官は人の人情に沿って判決を下した。しかし今の裁判官は、心根を悪まずその人自体を悪むという風である。これはいにしえの道に反している」
    >
    > ===
    > 「長所」と訳したところは原文は「生かすに足る」となっています。
    > また「赤子を育む」は「書経」の康誥篇を出典としています。
    >
    > 孔叢子は古代中国の儒家の書物。秦漢から魏晋の間頃に成立したようです。
    >
    > 原文
    > 《書》曰:「若保赤子。」子張問曰:「聽訟可以若此乎?」孔子曰:「可哉!古之聽訟者惡其意,不惡其人,求所以生之,不得其所以生,乃刑之。君必與眾共焉,愛民而重棄之也。今之聽訟者不惡其意,而惡其人,求所以殺。是反古之道也。

    現代風にいうと、心から悔いているか、情状酌量の余地があるかによって、慈愛をもって判決を下す(その分、刑を軽くする)ということになるのでしょうか。
    遥か古代にこのような判決を勧めていた孔子は素晴らしいですね。

引用返信/返信 削除キー/
■31449 / inTopicNo.68)  罪を憎みて人を憎まず
□投稿者/ 田秋 -(2023/07/02(Sun) 18:35:58)
    2023/07/03(Mon) 07:27:17 編集(投稿者)

    みなさん、こんにちは。

    横レス失礼します。

    「罪を憎みて人を憎まず」は孔叢子(くぞうし)の刑論第四を出典としています。要約は以下の通りです。

    子張が尋ねた。
    「裁判官が、赤子を育むように慈愛を以て判決を下すことは可能でしょうか」
    孔子が答えた。
    「できるよ。昔の裁判官は、(罪を犯した人の)心根を悪(にく)むがその人間を悪(にく)むことはなかった。罪を犯した者がいれば、その長所を探し求め、その上で長所なければ刑を与えた。このように裁判官は人の人情に沿って判決を下した。しかし今の裁判官は、心根を悪まずその人自体を悪むという風である。これはいにしえの道に反している」

    ===
    「長所」と訳したところは原文は「生かすに足る」となっています。
    また「赤子を育む」は「書経」の康誥篇を出典としています。

    孔叢子は古代中国の儒家の書物。秦漢から魏晋の間頃に成立したようです。

    原文
    《書》曰:「若保赤子。」子張問曰:「聽訟可以若此乎?」孔子曰:「可哉!古之聽訟者惡其意,不惡其人,求所以生之,不得其所以生,乃刑之。君必與(※)共焉,愛民而重棄之也。今之聽訟者不惡其意,而惡其人,求所以殺。是反古之道也。

    (※)
    https://kanji.jitenon.jp/kanjit/9982.html
引用返信/返信 削除キー/
■31439 / inTopicNo.69)  ザビビのふくろうさんへ
□投稿者/ みのり -(2023/07/02(Sun) 14:12:30)
    2023/07/02(Sun) 17:55:59 編集(投稿者)

    ザビビのふくろうさん、レスありがとうございます。

    No31431に返信(ザビビのふくろうさんの記事)

    > みのりさんはやっぱり心がやさしい人なんですね。
    > 私と発想が違う気がします。
    > 実は私はパニチェさんと同じく死刑については存置派なんですが、世界の趨勢から見たら、これは非人道的とされる考えだと思われるんですね。
    > 日本でも特に法学に詳しい人たちほど死刑廃止派(人権派?)が多い印象があって、私は以前別の掲示板でバトってたことがあるんです(笑)


    ザビビのふくろうさんは、死刑について存置派なのですね。
    たしかに法学に詳しい人ほど死刑廃止派が多い印象は私もあります。

    死刑廃止派の方々は、どういった理由でそのように考えられていたのか、ザビビのふくろうさんが議論された方々の見解を差し支えなければ教えていただけたら嬉しいです。
    よろしくお願いします_(._.)_


    先日、パニチェさんとここでやりとりした通り、私は死刑制度については強い肯定はできずとも完全に否定もできない、といったところです。

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%91%E7%BD%B0#%E5%88%91%E7%BD%B0%E6%A8%A9
    ===
    刑罰の本質
    刑罰については、絶対主義、相対主義、併合主義の3つの立場がある。

    絶対主義
    刑罰は正義を回復するための道義的必要に基づく応報であり、犯罪を行ったから罰するものであるという立場を絶対主義という[3]。絶対主義は絶対的応報刑論を内容としている[3](応報刑論を参照)。絶対的応報刑論の論者としてカントやヘーゲルがいる[4]。
    相対主義
    刑罰の合目的性・有用性から刑罰は犯罪を行わせないために罰するものであるという立場を相対主義という[3]。相対主義は目的刑論を内容としている[3](目的刑論を参照)。
    相対主義には一般予防論と特別予防論がある[4]。
    一般予防論とは、刑罰は犯罪者を処罰することにより社会の一般人を威嚇し犯罪が発生することを抑止する目的をもつものであるという立場をいう[4]。一般予防論は中世における不合理で残虐な刑罰を批判し、相対主義によって刑罰の合理化や緩和化を図ろうとしたもので、一般予防論の論者としてベッカリーアやフォイエルバッハがいる[4]。
    特別予防論とは、刑罰は犯罪者を処罰することにより犯罪者自身を改善するもので、それによって将来の犯罪を抑止する目的をもつものであるという立場をいう[4]。特別予防論の論者としてリストやフェリーがいる[4]。
    併合主義
    絶対主義と相対主義の両者を統合し、刑罰には正義の回復と合目的性のいずれも存在し、犯罪を行ったがゆえにかつ犯罪を行わせないために刑罰は存するという立場を併合主義という[3]。
    20世紀のヨーロッパ各国での刑法改正作業では応報刑論と目的刑論が対立していたが、応報刑論者も刑罰による犯罪者の改善の必要性を承認するようになったため併合主義が通説化した[4]。
    ===

    このうちのどれかに(無理にでも)当てはめるとしたら、私は三番目の「併合主義」になるのかもです。

    現状、死刑が犯罪抑止力になってないどころか、死刑になりたくて殺人する人もいることを思えば、死刑への疑問が出ます。
    しかし、被害者家族の心情を思えば、存続が必要なのだろうと思います。
    また、死刑に代わり完全無期懲役刑のみになったとしたら、死なずに済む上、寝食とそれなりの人道的な扱いが保証されることで、凶悪犯罪が増える懸念があります。
    この最後の懸念は、無期懲役刑のみになったなら必ず発生してくると思うのです。
    なので、死刑廃止について簡単に賛成はできないと考えています。

    とはいえ、相手が犯罪者とはいえ、国家として人命を奪うことの是非についても考えてしまいます。
    もし冤罪だとしたら、無期懲役なら命だけは助かりますし、支援者の力で無罪になることというのもあります。
    ほんとうに難しいです。

    > 情報ありがとうございます。
    > 私もアニメは一応見ていますが、原作を未読なので、今後がどうなってるのかわかりません。
    > ただ、もちろん人間の時から救いがたい犯罪者だった鬼もいますしね。そもそも鬼舞辻無惨みたいにね。
    > ただ、憎しみは抱き続ける本人が辛いですし、いくら憎んでも無意味だと思える犯罪者もいますから、解放される方が救いにはなるような気がします。

    そうかもしれないですね。

    >>最後に・・
    >>慈悲は単なる同情ではなく智慧とともにあるもの、というところから私の好きなお話に、
    >>幼子を亡くし悲しみにくれるキサーゴータミーという女性が仏陀から説法を受け、悲しみを乗り越え出家する、というのがあります。
    >>(5世紀に書かれたものなのだそうで、仏陀直接のお話ではないようです。)
    >
    > うろ覚えですが、私も読んだ気がします。
    > 智慧かー
    > 難しいですね。
    > 何か金八先生みたいになってしまいますが(笑)
    > 炭治郎もそうかもしれませんが、やっぱり人は悲しみを知る人こそがやさしくなれるのでしょうか。
    > 智慧は必要条件なのか十分条件なのか…?
    > 智慧浅き私にはわかりません。
    > ただ悲しみも受けとめ方でその意味が変わることは確かでしょう。
    > そこに智慧が関係するのでしょうかね?
    > 仏教を学べばわかるのかなー?

    私は仏教もぜんぜんわからないんです。。
    でも、単なる同情と仏教での慈悲との違いは、仏教の慈悲は智慧から生まれるものとされているらしいのです。
    ニーチェが同情について、それは自己愛から生まれるものであると批判しているのともどこか似ているようにも私としては感じます。
引用返信/返信 削除キー/
■31432 / inTopicNo.70)  パニチェさんへ
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2023/07/02(Sun) 09:59:50)
    パニチェさん、こんにちは。
    レスをありがとうございます。

    No31424に返信(パニチェさんの記事)
    > 2023/07/02(Sun) 07:37:47 編集(投稿者)
    >
    > こんばんは、ザビビのふくろうさん。レスありがとうございます。
    >
    > ■No31415に返信(ザビビのふくろうさんの記事)
    >>「罪を憎んで人を憎まず」
    >>という諺がありますね。
    >>聖書にも同様の言葉があるようですが、一応出典は孔子の言葉とされています。
    >>この言葉、真剣に考えるとなかなか深い問題が内包されていると思います。
    >>詳しく話すと大変なんで、なるべく軽く簡単に述べてみます。
    >
    >>罪を憎むということは即ちその人を憎むということちゃうのんかい?と思う人もあるみたいです。
    >>もし諺の意味が、悪いのは行為あるいはその心(悪意)であって、行為者ではないということなら、行為者が罰を受けるのは矛盾しているようにも思えますし、まあ気持ちとしては何となく分かります。
    >>これって、ほんとに切り離せるのか?って思いがあるからです。
    >
    >>でも孔子は罰を否定したわけではないようですから、あくまで『報復』としての罰を否定したと解釈可能かもしれませんね。
    >
    > なるほど、そうですね。恨みは新たな恨みを生みますからね。
    > ちなみに私が思うところの死刑は同害報復であり、もともとの同害報復は『ハンムラビ法典』の「目には目を」が最古とのことですが、この意味は「目を潰されたら、潰した相手の目を潰してもよいが、それ以上のことはするな」という意も含んでたみたいですね。
    >

    そうらしいですね。
    だからというか、私も個人的心情で言うなら、むしろ同害報復なんて生ぬるくて、倍返し以上がロジックとしては合理的だとさえ思います(笑)

    >>ところで、調べると対応する英文の一つとして次が上がります。
    >
    >>Condemn the offense but pity the offender.
    >
    >>「罪を咎め、罪人を憐れめ」
    >>って感じに理解してもいいかな?と思うのですが、
    >>とにかく私がこの英語訳に引っ掛かったのは、実は私にはアニメ『鬼滅の刃』の主人公が、まさにこれを体現しているように思えるからなんです(笑)
    >>詳細は省きますが、主人公の竈門炭治郎は、鬼が行ってきた、死をもってしか償いようのない悪業に対してその責任をとらせるため、迷いなく鬼の首を日輪刀で切り落とします。
    >>しかし、同時に炭治郎はその能力で、鬼もかつて人間であり、同情すべき悲しい過去をへて鬼となったことを感じ取って、憎むことをしません(相手にもよりますが)。
    >>同情の心を寄せ、憐憫の情をかけるのです。
    >>私はこれを見て初めて、罰を科すことと憎まないことが、ジレンマに陥らずに済む可能性のあることが腑に落ちた気がするんですよ。
    >>いや、炭治郎、えらいわー(笑)
    >
    > ザビビのふくろうさんも鬼滅の刃を見てるんですね。
    > あれはよく出来たストーリーですね、武士道を象徴するシーンや台詞もあり私もファンです。
    > ただ自分の肉親を惨殺されたとしても「罪を憎んで人を憎まず」とか「罪を咎め、罪人を憐れめ」という気になるか自問自答すると自信がないです。
    > 可能な手段があるなら同害報復のチャンスをうかがうかもしれません。
    >

    私も死刑は絶対に必要だとする存置論者です。
    しかし、その根拠とする刑罰についての法哲学的考えとしては、同害報復に対しては否定的立場の一種で、かなり変ったわたし独自の考えを持っています。
    これは学術的に認められたようなものでもありませんし、大変なんで説明は省略します(笑)
引用返信/返信 削除キー/
■31431 / inTopicNo.71)  みのりさんへ
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2023/07/02(Sun) 09:54:20)
    みのりさん、おはようございます。
    レスをありがとうございました。

    No31419に返信(みのりさんの記事)
    > 2023/07/02(Sun) 07:32:19 編集(投稿者)
    > ザビビのふくろうさん、こんばんは。
    >
    > ■No31415に返信(ザビビのふくろうさんの記事)
    >>2023/07/01(Sat) 19:10:42 編集(投稿者)
    >>みのりさん、パニチェさん、こんばんは
    >>横レス失礼しますm(_ _)m
    >>
    >
    >>「罪を憎んで人を憎まず」
    >>という諺がありますね。
    >>聖書にも同様の言葉があるようですが、一応出典は孔子の言葉とされています。
    >
    > 孔子の言葉だったのですね。
    > 世間の人々の経験からいつの間にか発生した言葉だと思ってました。。
    > お恥ずかしい。。(^▽^;)
    >

    いえ、私も今回調べてはっきり知りました^^

    >>この言葉、真剣に考えるとなかなか深い問題が内包されていると思います。
    >>詳しく話すと大変なんで、なるべく軽く簡単に述べてみます。
    >>
    >>罪を憎むということは即ちその人を憎むということちゃうのんかい?と思う人もあるみたいです。
    >>もし諺の意味が、悪いのは行為あるいはその心(悪意)であって、行為者ではないということなら、行為者が罰を受けるのは矛盾しているようにも思えますし、まあ気持ちとしては何となく分かります。
    >>これって、ほんとに切り離せるのか?って思いがあるからです。
    >>
    >>でも孔子は罰を否定したわけではないようですから、あくまで『報復』としての罰を否定したと解釈可能かもしれませんね。
    >>
    >>ところで、調べると対応する英文の一つとして次が上がります。
    >>
    >>Condemn the offense but pity the offender.
    >>
    >>「罪を咎め、罪人を憐れめ」
    >>って感じに理解してもいいかな?と思うのですが、
    >>とにかく私がこの英語訳に引っ掛かったのは、実は私にはアニメ『鬼滅の刃』の主人公が、まさにこれを体現しているように思えるからなんです(笑)
    >>詳細は省きますが、主人公の竈門炭治郎は、鬼が行ってきた、死をもってしか償いようのない悪業に対してその責任をとらせるため、迷いなく鬼の首を日輪刀で切り落とします。
    >>しかし、同時に炭治郎はその能力で、鬼もかつて人間であり、同情すべき悲しい過去をへて鬼となったことを感じ取って、憎むことをしません(相手にもよりますが)。
    >>同情の心を寄せ、憐憫の情をかけるのです。
    >>私はこれを見て初めて、罰を科すことと憎まないことが、ジレンマに陥らずに済む可能性のあることが腑に落ちた気がするんですよ。
    >>いや、炭治郎、えらいわー(笑)
    >
    > 炭治郎くんの慈悲はすごいものがありますね。
    > 殺した後に必ず、「成仏してください」と手を合わせます。
    >
    > ほんと、炭治郎は誰に教わるでもなく、書かれている「罪を憎んで人を憎まず」、「罪を咎め、罪人を憐れめ」の精神を持ってると私も思います。
    > 物事への理解を共感力と共に為せる、ということなのかな。
    > 見習いたいですし、慈悲ってとても大切だと私は思うのです。

    みのりさんはやっぱり心がやさしい人なんですね。
    私と発想が違う気がします。
    実は私はパニチェさんと同じく死刑については存置派なんですが、世界の趨勢から見たら、これは非人道的とされる考えだと思われるんですね。
    日本でも特に法学に詳しい人たちほど死刑廃止派(人権派?)が多い印象があって、私は以前別の掲示板でバトってたことがあるんです(笑)
    仏教思想から死刑問題はどうなるのか私にはわかりませんが、炭治郎は死罪というものが、非人道的でもなく、また少なくともある種の宗教的な魂に対する態度と矛盾しないという事を示していると思うのです。

    >
    >  プチ情報です♪
    > 今、調べたところによると、当初の炭治郎は鬼になった背景を理解し慈悲を向けていたのだけれど、強くて残忍極まる鬼が登場してくるようになると、怒りや復讐心を燃やすようになっていくそうなんです。。
    > 私は最初の頃の話しか知らなかったのですが、詳しい方ならこのあたりわかるかもです。

    情報ありがとうございます。
    私もアニメは一応見ていますが、原作を未読なので、今後がどうなってるのかわかりません。
    ただ、もちろん人間の時から救いがたい犯罪者だった鬼もいますしね。そもそも鬼舞辻無惨みたいにね。
    ただ、憎しみは抱き続ける本人が辛いですし、いくら憎んでも無意味だと思える犯罪者もいますから、解放される方が救いにはなるような気がします。

    >
    > 最後に・・
    > 慈悲は単なる同情ではなく智慧とともにあるもの、というところから私の好きなお話に、
    > 幼子を亡くし悲しみにくれるキサーゴータミーという女性が仏陀から説法を受け、悲しみを乗り越え出家する、というのがあります。
    > (5世紀に書かれたものなのだそうで、仏陀直接のお話ではないようです。)

    うろ覚えですが、私も読んだ気がします。
    智慧かー
    難しいですね。
    何か金八先生みたいになってしまいますが(笑)
    炭治郎もそうかもしれませんが、やっぱり人は悲しみを知る人こそがやさしくなれるのでしょうか。
    智慧は必要条件なのか十分条件なのか…?
    智慧浅き私にはわかりません。
    ただ悲しみも受けとめ方でその意味が変わることは確かでしょう。
    そこに智慧が関係するのでしょうかね?
    仏教を学べばわかるのかなー?


引用返信/返信 削除キー/
■31424 / inTopicNo.72)  ザビビのふくろうさんへ
□投稿者/ パニチェ -(2023/07/01(Sat) 22:46:40)
    2023/07/02(Sun) 07:37:47 編集(投稿者)

    こんばんは、ザビビのふくろうさん。レスありがとうございます。

    No31415に返信(ザビビのふくろうさんの記事)
    > 「罪を憎んで人を憎まず」
    > という諺がありますね。
    > 聖書にも同様の言葉があるようですが、一応出典は孔子の言葉とされています。
    > この言葉、真剣に考えるとなかなか深い問題が内包されていると思います。
    > 詳しく話すと大変なんで、なるべく軽く簡単に述べてみます。

    > 罪を憎むということは即ちその人を憎むということちゃうのんかい?と思う人もあるみたいです。
    > もし諺の意味が、悪いのは行為あるいはその心(悪意)であって、行為者ではないということなら、行為者が罰を受けるのは矛盾しているようにも思えますし、まあ気持ちとしては何となく分かります。
    > これって、ほんとに切り離せるのか?って思いがあるからです。

    > でも孔子は罰を否定したわけではないようですから、あくまで『報復』としての罰を否定したと解釈可能かもしれませんね。

    なるほど、そうですね。恨みは新たな恨みを生みますからね。
    ちなみに私が思うところの死刑は同害報復であり、もともとの同害報復は『ハンムラビ法典』の「目には目を」が最古とのことですが、この意味は「目を潰されたら、潰した相手の目を潰してもよいが、それ以上のことはするな」という意も含んでたみたいですね。

    > ところで、調べると対応する英文の一つとして次が上がります。

    > Condemn the offense but pity the offender.

    > 「罪を咎め、罪人を憐れめ」
    > って感じに理解してもいいかな?と思うのですが、
    > とにかく私がこの英語訳に引っ掛かったのは、実は私にはアニメ『鬼滅の刃』の主人公が、まさにこれを体現しているように思えるからなんです(笑)
    > 詳細は省きますが、主人公の竈門炭治郎は、鬼が行ってきた、死をもってしか償いようのない悪業に対してその責任をとらせるため、迷いなく鬼の首を日輪刀で切り落とします。
    > しかし、同時に炭治郎はその能力で、鬼もかつて人間であり、同情すべき悲しい過去をへて鬼となったことを感じ取って、憎むことをしません(相手にもよりますが)。
    > 同情の心を寄せ、憐憫の情をかけるのです。
    > 私はこれを見て初めて、罰を科すことと憎まないことが、ジレンマに陥らずに済む可能性のあることが腑に落ちた気がするんですよ。
    > いや、炭治郎、えらいわー(笑)

    ザビビのふくろうさんも鬼滅の刃を見てるんですね。
    あれはよく出来たストーリーですね、武士道を象徴するシーンや台詞もあり私もファンです。
    ただ自分の肉親を惨殺されたとしても「罪を憎んで人を憎まず」とか「罪を咎め、罪人を憐れめ」という気になるか自問自答すると自信がないです。
    可能な手段があるなら同害報復のチャンスをうかがうかもしれません。

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