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■19834 / inTopicNo.61)  Re[39]: ふくろうさんへ
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/12/11(Sat) 17:39:10)
    ■19831、
    ありごとございま〜す。

    たしかメビウスで、フクロウさまとは論理学とか概念についてちょっとだけお話しした記憶あるんだけど、ちがったかな?

    わたしいまでもここであいかわらずメルポンのをとらえようとしてる。


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■19831 / inTopicNo.62)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2021/12/11(Sat) 16:42:07)
    悪魔ちゃん

    No19829に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > 『論考』の、そろそろおしまいにするね。
    >
    > 感想
    >
    > ウィットちゃんの私は、『論考』のなかでは、〈論理の世界〉、もうちょっと広く見ると〈言語の世界〉、〈思考の世界〉に居て、それ、そこから物語ってる。
    > No18849で見たように
    > 『論考』の中のウィットちゃんは〈身体のない私〉になってる感じ。
    >
    > こういう意味で、わたしのここでの物語りのテーマ、「私」、「世界」、そして「私と世界との関係性」において、ウィットちゃんの見方とわたしのとは、かなり異なっているということがわかった、っていうか、ウィットちゃんの志向とわたしの志向とは違う、っていうことかな。
    >

    そうね、同意します^^
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■19829 / inTopicNo.63)  Re[37]: 『論考』の
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/12/11(Sat) 15:58:09)
    『論考』の、そろそろおしまいにするね。

    感想

    ウィットちゃんの私は、『論考』のなかでは、〈論理の世界〉、もうちょっと広く見ると〈言語の世界〉、〈思考の世界〉に居て、それ、そこから物語ってる。
    No18849で見たように
    『論考』の中のウィットちゃんは〈身体のない私〉になってる感じ。

    こういう意味で、わたしのここでの物語りのテーマ、「私」、「世界」、そして「私と世界との関係性」において、ウィットちゃんの見方とわたしのとは、かなり異なっているということがわかった、っていうか、ウィットちゃんの志向とわたしの志向とは違う、っていうことかな。



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■19822 / inTopicNo.64)  悪魔ちゃん
□投稿者/ マジカルモンキー -(2021/12/11(Sat) 10:36:15)
    10時のつぶやき

    はい、おはようございます、悪魔ちゃん

    梯子に関して、自分のトピで考察することにしました。
    ありがとうございました。_(._.)_

    どうしても、この梯子の絵が浮かばないだけなんだよね、それでは。
引用返信/返信 削除キー/
■19812 / inTopicNo.65)  Re[35]: 梯子
□投稿者/ マジカルモンキー -(2021/12/10(Fri) 23:12:33)
    返信ありがとうございます、悪魔ちゃん。

    この『 梯子 』ついて、過去、ものすごく考え込んだ事がありまして。
    支離滅裂になるかもしれませんが、ご容赦ください。

    過去、悪魔ちゃんとオイラは、ある犯罪事のついて語った事があります。
    小学生が、仮に、なぜ、人を殺してはいけないのか?という質問してきた場合、
    オイラは、こう答える

    「 一度殺人を起こすと、もう元に戻れないからだよ
      心の中に超えてはいけない一線があり、その一線を越えると
      元には戻らないよ 」と

    すると、悪魔ちゃんは俺にこういった。

    「 この一線(ライン)はあるのか? 」

    私はこう答えた。

    「 確実にある。しかし、そのラインを越えてしまって
      振り返っても、もうそのラインは存在しない 」と


    それと今回の「 梯子を外さなければいけないがリンクするのではないか? 」と
    思っている。




    しかし、この梯子。本当に存在するのだろうか?
    梯子は人工的で、『 長さ 』と『 引っ掛け 』があり、
    都合よく、長さと引っ掛ける場所が、当たっているのだろうかと思っている。

引用返信/返信 削除キー/
■19794 / inTopicNo.66)  Re[34]: 梯子
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/12/10(Fri) 18:41:28)
    あら、マジモンさん、

    ■19791、
    >なぜ、梯子を投げ捨てる必要性があるのか?<
    これって、
    6・54【私を理解する人は、私の命題を通り抜け――その上に立ち――それを乗り越え、最後にそれがナンセンスであると気づく。そのようにして私の諸命題は解明を行う。(いわば、梯子をのぼりきった者は梯子を投げ棄てねばならない。)】
    のところのよね。

    わたしなんかに聞くより、パニさんやふくろうさんに聞いた方がいいかもよ。

    でも、ちょっと考えて見た。

    そうよね〜、なにも梯子を投げ棄てなくてもいいのにね。
    梯子を投げ棄てちゃうと、そこから降りられなくなっちゃうよね。
    ん〜ん、ウィットちゃんの「覚悟」なんじゃないかしら?

    6・54の次に来るのが、最後の、
    7【語りえぬものについては、沈黙せねばならない。】
    ね。

    6・54に「梯子を投げ棄て“ねばならない”」
    7に、「沈黙せ“ねばならない”」
    ってあるから、なまじ梯子をかけたままにておくと、また降りたくなっちゃうから、それをできなくしちゃう、っていうことなのかもよ。

引用返信/返信 削除キー/
■19791 / inTopicNo.67)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ マジカルモンキー -(2021/12/10(Fri) 10:18:59)
    10時のおやつのつぶやき

    はい、こんにちわ、悪魔ちゃん
    気になった文章あるんですが、なぜ、梯子を投げ捨てる必要性があるのか?

    …です。
引用返信/返信 削除キー/
■19781 / inTopicNo.68)  Re[32]: 『論考』の
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/12/09(Thu) 20:54:24)
    ウィットちゃんの「哲学」の記述、
    「哲学」と「自然科学」とを対比して書いてるじゃん(カントの出番かも?)。
    彼、言ってること、メチャクチャね、とても「論理」じゃない。

    だから、
    6・54【私を理解する人は、私の命題を通り抜け――その上に立ち――それを乗り越え、最後にそれがナンセンスであると気づく。そのようにして私の諸命題は解明を行う。(いわば、梯子をのぼりきった者は梯子を投げ棄てねばならない。)】

    なのかもね。

引用返信/返信 削除キー/
■19775 / inTopicNo.69)  Re[31]: 『論考』の
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/12/09(Thu) 19:29:28)
    5・641【それゆえ、哲学において、自我について心理学的にではなく論じうる意味が、たしかにある。
    自我は、「世界は私の世界である」ということを通じて、哲学に入りこむ。
    哲学的自我は人間ではなく、人間の身体でも、心理学が扱うような人間の心でもない。
    それは形而上学的全体、すなわち世界の――分部ではなく――限界なのである。】

    わたし、メルポン派だから、5・631もそうだけど、「身体」が出てくると、ちょっと反応しちゃうのね。

    でね、ウィットちゃんはこう言ってるのよね。
    「人間ではなく、人間の身体でも、心理学が扱うような人間の心でもない」もの、これをわたしウィットは「哲学的自我」と呼んでいる。
    って。

    5・641に「形而上学」って言う語が出てきてるんだけど、ウィットちゃん、「形而上学とは〜である」って書いてないの。だから彼の言う「形而上学」の彼の意味はわかんな〜い。
    でも、彼の言う「哲学」の語の彼のはいろいろ書いてある。ちょっとそこんとこ書き写して置くね。

    3・324 かくしてもっとも基本的な混同が容易に生じる。(哲学の全体がこうした混同にみちている。)
    4・003 哲学的なことがらについて書かれてきた命題や問いのほとんどは、誤っているのではなく、ナンセンスなのである。それゆえ、この種の問いに答えを与えることなどおよそ不可能であり、われわれはただそれがナンセンスであると確かめることしかできない。哲学者たちの発するほとんどの問いと命題は、われわれが自分の言語の理論を理解していないということに基いている。
    (それらは、「善と美はおおむね同一であるのか」といった問いと同類である。)
    そしてもっとも深遠な問題が実はいささかも問題ではなかったということは、驚くべきことではない。
    4・11 真な命題の総体が自然科学の全体(あるいは諸科学の総体)である。
    4・111 哲学は自然科学ではない。
    (「哲学」という語は、自然科学と同じレベルのものを意味するのではなく、自然科学の上にある、あるいは下にあるものを意味するのでなければならない。)
    4・112 哲学の目的は思考の論理的明晰化である。
    哲学は学説ではなく、活動である。
    哲学の仕事の本質は解明することにある。
    哲学の成果は「哲学的命題」ではない。諸命題の明確化である。
    思考は、そのままではいわば不透明でぼやけている。哲学はそれを明確にし、限界をはっきりさせねばならない。
    4・1121 他の自然科学に比して心理学がより哲学に近いわけではない。
    認識論は心理学の哲学である。
    記号言語に関する私の研究は、哲学者たちが論理の哲学にとってきわめて本質的とみなしていた思考過程の研究に相当するものとなってはいなか。彼らはほとんどの場合いたずらに非本質的な心理学研究にまきこまれていたにすぎない。私の方法にも、同様の危険がある。
    4・113 哲学は自然科学の議論可能な領域を限界づける。
    4・114 哲学は思考可能なものを境界づけ、それによって思考不可能なものを境界づけねばならない。
    哲学は思考可能なものを通して内側から思考可能なものを限界づけなければならない。
    4・115 哲学は、語りうるものを明晰に描写することによって、語りえぬものを指し示そうとする。
    5・641 それゆえ、哲学において、自我について心理学的にではなく論じうる意味が、たしかにある。
    自我は、「世界は私の世界である」ということを通じて、哲学に入りこむ。哲学的自我は人間ではなく、人間の身体でも、心理学が扱うような人間の心でもない。それは形而上学的全体、すなわち世界の――分部ではなく――限界なのである。
    6・53 語りうること以外は何も語らぬこと。自然科学の命題以外は――それゆえ哲学とは関係のないこと以外は――何も語らぬこと。そして誰か形而上学的なことを語ろうとするひとがいれば、そのたびに、あなたはその命題のこれこれの記号にいかなる意味も与えていないと指摘する。これが、本来の正しい哲学の方法にほかならない。この方法はひとを満足させないだろう。――彼は哲学を教えられている気がしないだろう。−―しかし、これこそが、唯一厳格に正しい方法なのである。

    ウィットちゃんの言う「哲学」っていうの、こういうことみたいよ。

    ただ書き写すことだけだったら、わたしでもできるよ〜。

引用返信/返信 削除キー/
■19758 / inTopicNo.70)  Re[30]: 『論考』の中の「私」
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/12/08(Wed) 19:11:57)
    あ、なにが言いたいかって言うと〜、

    ウィットちゃん、「私」についてはな〜んにも語ってない、っていうこと。
引用返信/返信 削除キー/
■19757 / inTopicNo.71)  Re[29]: 『論考』の中の「私」
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/12/08(Wed) 18:57:58)
    あ、またまたごめん、肝心なのなの抜けてた。

    5・6【私の言語の限界が私の世界の限界を意味する。】
    5・6【私は私の世界である。】
    5・641【それゆえ、哲学において、自我について心理学的にではなく論じうる意味が、たしかにある。
    自我は、「世界は私の世界である」ということを通じて、哲学に入りこむ。哲学的自我は人間ではなく、人間の身体でも、心理学が扱うような人間の心でもない。それは形而上学的全体、すなわち世界の――分部ではなく――限界なのである。】

    でも、ウィットちゃんにおける「私とは?」についてじゃないよね。

    5・6の「私は私の世界である」と5・641の「世界は私の世界である」の「世界」を〈成立していることがらの総体〉に置き換えて見ると、
    〔私は私の〈成立していることがらの総体〉である〕
    〔〈成立していることがらの総体〉は私の〈成立していることがらの総体〉である〕
    こういうのが、5・641の前の5・64に書かれてるウィットちゃんの「独我主義」につながるのかな?
    5・64【ここにおいて、独我論を徹底すると純粋な実在論(87)と一致することが見てとられる。独我論の自我は広がりを欠いた点にまで縮退し、自我に対応する実在が残される。】
    (87)〔実在論――唯一の明確な規定を与えることはできないが、とりあえず、実在を主観から独立にある者として捉える立場と述べておくことができるだろう。そのとき対比される立場は観念論であり、観念論は、そのような主観から独立の実在を否定し、主観によって把握されたかぎりでの世界、ないし主観によって構成されたかぎりでの世界だけを認める立場である。〕

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■19736 / inTopicNo.72)  Re[28]: 『論考』の中の「私」
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/12/07(Tue) 20:59:36)
    あ、ごめん。「私」って言う語が出てきてるところあった。

    6・54【私を理解する人は、私の命題を通り抜け――その上に立ち――それを乗り越え、最後にそれがナンセンスであると気づく。そのようにして私の諸命題は解明を行う。(いわば、梯子をのぼりきった者は梯子を投げ棄てねばならない。)】

    ここにある【それ】って何を指してるのかしら?
    【私の命題】?

    わたしだったら梯子をのぼりきってそれがナンセンスだと気づいたら、梯子をおりてまた地に戻って、その梯子を投げ棄てるけどね。
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