(現在 過去ログ2 を表示中)

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

[ 親記事をトピックトップへ ]

このトピックに書きこむ

レス数の限度を超えたのでレスできません。

(レス数限度:100 現在のレス数:100) → [トピックの新規作成]
■19622 / inTopicNo.1)  夢ならば
  
□投稿者/ 時 -(2021/12/02(Thu) 02:08:10)
    露と落ち露と消えにし我が身かな 浪速のことも夢のまた夢(豊臣秀吉)

    この世に生まれ 多くを楽しみ多くを苦しみ 多くを勝ち それ以上に負けてきた

    二値の世界を飛び出して 多値の世界に飛び込んで

    やがてはそこをも飛び出して それでも所詮は夢ならば

    独り平安の地で暮らそうか 涅槃に沈むまで 涅槃に沈むまで
引用返信/返信 削除キー/
■19615 / inTopicNo.2)  哲学幻想
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2021/12/01(Wed) 23:59:52)
    2021/12/02(Thu) 12:54:15 編集(投稿者)

    月光の梟:独我夢幻/無限飛翔
     
    「子供の頃,ぼくは
    汽車の口真似が上手かった
    ぼくは世界の涯てが
    自分自身の夢のなかにしか
    ないことを
    知っていたのだ」―― 寺山修司


    夢は本質的に私の夢である。

    私に見ることのできる夢は 自分の夢のみであり,
    また私の夢は 私にしか見られない。

    人生が夢だとし,その夢を一本の映画に喩えよう。

    私の夢,私の人生物語を
    視野いっぱいに広がるスクリーンに映し出す一本の映画。

    それはいつ始まったかも,いつ終わるかもわからない,
    気づけばいつも,只今現在上映中の映画である。

    主人公も撮影監督も観客も,私 唯一人の映画。

    けして醒めることのない夢。

    エンディングの存在しない映画。

    到達しえぬ世界の涯て

    夢の終わりを夢見て彷徨う夢迷宮 

    その無限の夢幻の中で,

    僕は あなたと出逢ったんだ。

引用返信/返信 削除キー/
■19602 / inTopicNo.3)  Re[46]:  ウィットちゃんの言う「主体」
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2021/12/01(Wed) 20:34:32)
    悪魔ちゃん
    こんばんは

    >ところで、梟さん、
    >5・631からの流れで、
    >5・631に、
    >【…そこでは私の身体についても報告が為され、また、どの部分が私の意志に従いどの部分が従わないか等が語られねばならないだろう。…】
    >とか、
    >5・633の
    >【…だが、君は現実に眼をみることはない。そして、視野におけるいかなるものからも、それが眼によって見られていることは推論されない】
    みたいな、「身体」「眼」「視野」をウィットちゃんがもちだしてるけど、ここらへんどう見てます?

    これは

     視野 : 認識世界
     身体 : 世界内存在者の一例
     眼  : 思考し、表象する主観(=認識主観)
     
    という類比で捉えて、

    視野内において見えているところの、自分の身体を含むいかなるものからも、それらが眼によって見られている、ということが論理的には推論できないということにより、
    類比的に、
    認識世界内のいかなる存在者からも、それらを認識する主観というものが存在するということを論理的に推論できないということを主張しているものだよ。
    基本的には、いわゆる無主体論の議論だね。
引用返信/返信 削除キー/
■19600 / inTopicNo.4)  Re[45]:  ウィットちゃんの言う「主体」
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/12/01(Wed) 18:28:02)
    お邪魔しま〜す、
    ふくろうじゃなくなった梟さんへ、

    ■19550、
    >ただ、私見では,一番の問題は「思考し、表象する主体は存在しない」(T:5.631)の「思考し、表象する主体」をどう解釈するかだと思う。<
    わたしもウィットちゃんのそこ問題の一つとなってって、そこんところがよくわかんないのね。

    >「思考し表象する主体(主観)というのは,諸研究によって,ウィトゲンシュタインが10代の頃に読んで影響を受けた,ショーペンハウアーにその元があることがわかっている。ハッカーによれば,ショーペンハウアーの先験的自我(超越論的主体)は次のようなものだ。(「 」内が『意志と表象としての世界』からの引用)<
    「思考し、表象する主体は存在しない」(T:5.631)のところ、ショウペンハウアーのと関係してるのね、わたし知らなかった。

    >先験的自我は世界の存在のための前提である。このように考えられた認識主観は,単にその感性的直観にすぎない時間と空間の外に存在する。経験の形式と範疇の源泉として,それは「あらゆる経験の前提」である。それは「世界を支えるものであり,現象しているすべてのものにとり,…あまねくゆきわたりつねに前提とされる制約である。」自我は「いっさいを見るがおのれは見えない眼」であり,自我は「全存在の中心」である。(P.M.Sハッカー『洞察と幻想』59頁)<
    これってハッカーさんの見立てのようだけど、参考になりました。
    ありがとございま〜す。

    ところで、梟さん、
    5・631からの流れで、
    5・631に、
    【…そこでは私の身体についても報告が為され、また、どの部分が私の意志に従いどの部分が従わないか等が語られねばならないだろう。…】
    とか、
    5・633の
    【…だが、君は現実に眼をみることはない。そして、視野におけるいかなるものからも、それが眼によって見られていることは推論されない】
    みたいな、「身体」「眼」「視野」をウィットちゃんがもちだしてるけど、ここらへんどう見てます?

引用返信/返信 削除キー/
■19552 / inTopicNo.5)  ザビビのふくろうさんへ
□投稿者/ パニチェ -(2021/11/29(Mon) 20:42:35)
    忙しいところをありがとう。

    さっと読んだけど、せっかくやから次の土日に『論考』や入不二基義著『ウィトゲンシュタイン』、ショーペンハウアーを参照にしつつじっくり読ませてもらいます。

    短い返信やけどお目こぼしを

引用返信/返信 削除キー/
■19550 / inTopicNo.6)  Re[43]: 論考の「私」と「主体」について
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2021/11/29(Mon) 19:42:26)
    パニチェ氏へ

    私の悪い癖で、ちゃんと書こうとしたらついつい長大になりそうなので、
    方針を修正して、できるだけ質問に直接答える形で、短いレスになるようチャレンジすることにしました。
    ところが結果は,それでもやっぱり長くなってしまったのだった(笑)
    ******************
    >> 以下の「私」は、すべて「世界の限界としての私」(T: 5.63,5.631,5.632)
    > すなわち、「示される独我論的私(T: 5.62)」「形而上学的主体(T: 5.633)」を意味する。これらはすべておなじものを意味し
    >5.631も含め「5.6私の言語・・」「私は私の世界である」等々で述べられている「私」と、形而上学的主体(5.633&5.641また5.641では哲学的自我)や主体(5.62&5.631&5.632)が同一であるとザビビのふくろうさんが読解しているのは論考のどの言説からでしょうか?また同一であるにもかかわらず、使い分けている理由は何だと考えられますか?

    たぶん知ってると思うけど、『論考』の構造上,本来,T: 5.631,5.632,5.633――これらは全て「主体」について述べた命題だ――はすべてT:5.63の注釈のはずだよね。

    T:5.63 私は私の世界である(ミクロコスモス)

    とすれば,原則としては,これらの「主体」は全てT:5.63の「私」が意味しているものとするのがごくごく自然な解釈ではないかな。
    また、T:5.64では「唯我論の自我」と述べられ、その注釈のT:5.641では、それが「哲学的自我」「形而上学的主体」とも言い換えられており、また、それらがみなT:5.63の「私」であることも明示されている。
    だから、これらを同一のものを意味する表現とするのは自然な解釈と言えるのではないかな。
    一般的解釈もそうなっていると思うよ。

    ただ、私見では,一番の問題は「思考し、表象する主体は存在しない」(T:5.631)の「思考し、表象する主体」をどう解釈するかだと思う。
    No19324で「なお、「思考し,表象する主体」(T:5.631)は、これらと同じものではない。」と書いたように、「思考し,表象する主体」は,世界の限界である形而上学的主体とは異なるものと私は解釈している。
    これは一見,前言と整合しないように思われるかもしれないが,荒っぽく言うと、
    「思考し、表象する主体は存在しない。しかし,形而上学的主体は(世界の中には存在しないが) 世界の限界としてある意味存在する」
    ってことです。
    なぜこのように考えるかという理由は,この後。
    ***********************
    >できれば5.631をどのように読解しているのかも知りたい。

    「私」という語だけど、まず,『論考』でも「私」という語は基本的に,普通の一人称代名詞だよね。
    人称代名詞は一般に主体を指示する表現で,一人称代名詞の「私」は主体の中でも「自分」を指示する表現なので、これを言い換えると「一人称主観(主体)」と言って良いんじゃないかな?
    しかし、「私」の日常の使用では、「語りうる主体」を意味する場合や「語りえぬ主体」を意味する場合などが混在しているので、語りうる主体の方は世界の中に分析還元して消去し、「語りえぬ私(形而上学的主体)」を純化して取り出すのが、T:5.631での思考実験による議論だと思う。
    これは現象学的還元に類比的というか、現象学的還元に近いものだと言えるんじゃないだろうか。
    あなたもどこかで書いていたけど、いわゆる「マッハ的光景」=「私が見出した世界」として世界を捉えるということ。
    で、私見で最重要なのは、この「マッハ的光景」と、T:5.6331の図とを、完全に切り離すこと。けしてやっちゃいけないのは、マッハ的光景を、T:5.6331の図と結び付けて解釈すること。
    それは、形而上学的主体と、思考し表象する主体とを同一視することだから。
    (実は,日本の研究者は,この「思考し,表象する主体」をショーペンハウアーの超越論的主体ではなく,形而上学的自我として解釈する人が多い。)

    さっきも少し触れたこの「思考し表象する主体(主観)というのは,諸研究によって,ウィトゲンシュタインが10代の頃に読んで影響を受けた,ショーペンハウアーにその元があることがわかっている。ハッカーによれば,ショーペンハウアーの先験的自我(超越論的主体)は次のようなものだ。(「 」内が『意志と表象としての世界』からの引用)

    先験的自我は世界の存在のための前提である。このように考えられた認識主観は,単にその感性的直観にすぎない時間と空間の外に存在する。経験の形式と範疇の源泉として,それは「あらゆる経験の前提」である。それは「世界を支えるものであり,現象しているすべてのものにとり,…あまねくゆきわたりつねに前提とされる制約である。」自我は「いっさいを見るがおのれは見えない眼」であり,自我は「全存在の中心」である。(P.M.Sハッカー『洞察と幻想』59頁)

    PN氏は全集版を持ってるから,『草稿』で読んでいると思うが,1916/6/11に,「私」について書き始めたとき,こう言ってる。
    「私は知る,この世界があることを」
    「私の眼が目の視野の中にあるように,私が世界の中にいることを」
    つまり,「世界と私(主体)」との関係を「視野と眼」に比しているが、これは孫引きだが上に引用したようにショーペンハウアーがやっていることそのもの。
    しかし,これは1916/8/16 にはすでに否定されている。そしてこれが『論考』の元になった思考につながっていく。
    次は『論考』では削られた文章だが,このノートでは次のようなのがある。
    「表象する主体というのは,結局は単なる迷信ではないのか。」(全集1.p.266)
    だから,要するに,T:5.63〜T:5.64は,ショーペンハウアー的な思考し,表象する主体が,存在しないということを示す議論のわけだ。
    これは定説というか、ほぼ確実と言ってよい(例えば、ワイナー『天才と才人』、ハッカー『洞察と幻想』を見よ)。

    なので,「思考し、表象する主体は存在しない。しかし,形而上学的主体は(世界の中には存在しないが) 世界の限界として世界と共に存在する」
    換骨奪胎してイメージを述べると,世界の限界としての主体,というのは,デカルト的自我(思考する我)というより,西田幾多郎の「場所としての自己」に近いということ。

    >また同一であるにもかかわらず、使い分けている理由は何だと考えられますか?

    場合にもよると思います。
    「形而上学的主体」と「哲学的自我」なんていうのは同義語による単なる言い換えとみなしても問題ないと思います(例えばcf.古田哲也『ウィトゲンシュタイン 論理哲学論考』(266頁))。
    あと他の概念は,正確な言い方かどうかは別に,さしあたり、例えばユークリッド幾何学では「二等辺三角形」と「二等角三角形」の場合と同様に、これらの概念は、外延は同じだけれども内包 は異なるので、文脈に応じて使い分けている、という説明で十分ではないでしょうか。

    T:5.631の解釈については不十分かもしれないけど、まあこのへんにしておきます。
    ちなみに今回入不二基義さんの『ウィトゲンシュタイン』を復習したら、思いのほか『論考』解釈については一致しているとわかって驚きました。
    重要な点で異なるけれど、その違いが表面に現れるのはどっちかって言うと中期以降の解釈においてであり、表面的に現われている『論考』解釈の部分では、けっこう一致しているように思いました。
    たとえば、こんな文章がありました。
    「5.63と合わせて考えると、〈私=私の世界=世界=生〉という等式が成立していることになる」

    ******************
    うー、短くしてこれか…(笑)
    まあ、自分としては何とか短くなるよう努力はしたけど、無理なものは仕方ないので、一応、これでNo19475への回答とします。



引用返信/返信 削除キー/
■19475 / inTopicNo.7)  論考の「私」と「主体」について
□投稿者/ パニチェ -(2021/11/28(Sun) 08:02:34)
    2021/11/28(Sun) 16:02:53 編集(投稿者)

    No19473に返信(ザビビのふくろうさんの記事)
    > PN氏主宰の掲示板にきて、これだけあなたをこき下ろして削除もされてないんだから、
    > 質問に答えるくらいは――私に回答できるものであれば――答えますよ。

    サンキュ〜。削除されてないのは当然やん。
    法に抵触してるわけでもないし、INFORMATIONにあるサイトポリシーにも反してないからね。
    わしもプロレスチックなエンターテイメント的煽りは好きやし。w


    毒入りパニチェ的戦術とは違って(笑)、質問する前にまず自分の論考解釈を述べてみる。
    パニチェは(紛らわしいので自分のことをパニチェと表記する)論考の「私」と「形而上学的主体(哲学的自我)」や「主体」は異なるからこそ区別するために名を変えていると考えている。
    その根拠となるのが以下の言説。
    以下、大修館書店刊「ウィトゲンシュタイン全集1 論理哲学論考」よりの引用

    ******************************************
    5.631 思考し表象する主体は存在しない。
    もし私が「私が見出した世界」という本を書くとすれば、そこでは私の身体について報告がなされ、またどの部分が私の意志に従いどの部分が従わないか、等が語られねばならないだろう。即ちこれが主体を孤立させる方法であり、むしろある重要な意味で主体は存在しないことを示す方法なのである。というのもこの本では主体だけが論じることのできないものとなるであろうからである。
    5.632 主体は世界に属さない。それは世界の限界である。
    *************** 引用終わり ***************

    上記は主体を孤立させる方法として『私が「私が見出した世界」という本を書き、そこで私の身体について報告がなされ、またどの部分が私の意志に従いどの部分が従わないか等が語ること』と読める。そして「私の身体」や「どの部分が私の意志に従いどの部分が従わないか」は世界の事実(1.1)や事態(2)であるのに対して、主体は世界に属さないにために世界には『存在しない』ことを示しうる。

    混ざってるか(どちらかが部分であったり本体であったりするか)、くっついてる(隣接している)かはともかく(通常は)主体は私から孤立していない、これを孤立させる(浮き上がらせる)方法として上記の方法がある、と。

    このように読解すれば「私」と「主体」は異なる。
    異なるが故に「私」とは別物の主体を孤立させる方法を名を区別した上で別物として述べているという解釈が成立する。

    論考で用いられている「私」は読者も日常的に用いる一人称単数代名詞であり、これに対して「形而上学的主体(哲学的自我)」や「主体」は論考によって語りえない(世界に属さない)ものとして示された対象のひとつ(他にもある)であるという読解をしている。


    No19324 ザビビのふくろうさん
    > 以下の「私」は、すべて「世界の限界としての私」(T: 5.63,5.631,5.632)
    > すなわち、「示される独我論的私(T: 5.62)」「形而上学的主体(T: 5.633)」を意味する。これらはすべておなじものを意味し

    5.631も含め「5.6私の言語・・」「私は私の世界である」等々で述べられている「私」と、形而上学的主体(5.633&5.641また5.641では哲学的自我)や主体(5.62&5.631&5.632)が同一であるとザビビのふくろうさんが読解しているのは論考のどの言説からでしょうか?また同一であるにもかかわらず、使い分けている理由は何だと考えられますか?
    できれば5.631をどのように読解しているのかも知りたい。

引用返信/返信 削除キー/
■19473 / inTopicNo.8)  PN氏へ
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2021/11/28(Sun) 00:50:02)
    PN氏

    >PS.まだ叩き合いが続くならどこかで聞いてみようと思ってたことがあるねん。
    >おそらく質問しても私の納得のいく回答ではないと思うし、それに対する反論や議論するつもりはないんだけど、ザビビのふくろうさんがどのように解釈しているか知りたいという興味はある。
    >もしよかったら他意のない興味本位からの質問として聞いてもええか?
    >もちろん、付き合う気がないなら遠慮なく言うてや、スルーでも全然構わんし。

    PN氏主宰の掲示板にきて、これだけあなたをこき下ろして削除もされてないんだから、
    質問に答えるくらいは――私に回答できるものであれば――答えますよ。

引用返信/返信 削除キー/
■19456 / inTopicNo.9)  ヴィランの梟さんへ
□投稿者/ みのり -(2021/11/27(Sat) 20:51:38)
    No19446に返信(ヴィランの梟さんの記事)
    > みのりさんへ
    >
    > どうも誤解を与えたようで,申しわけありません。
    > No19408の該当箇所は削除しました。
    >
    > ただ、「誤解」と言ったように、あなたがNo19400の最初で、
    >
    > >パニチェさん、こんばんは。
    > >お二人の議論とは関係なく、質問していいですか。
    > >(議論展開については、よくわからないところが多かったですし。)
    >
    > と書かれている以上,当然,あなたのことは私の念頭に全くありませんでした。
    > 私の念頭にあったのはおくたがわさんです。
    > おくたがわさんは,最初はわからなかったのですが,私が何か言ったくらいで動揺するような方ではないとわかりましたので,少し挑発してみたのです。
    > とは言え,あなたに誤解を与えるような言い方をして,大変申し訳ありませんでした。

    丁寧にありがとうございます。了解いたしました。


    別の話ですが、

    パニチェさんから私にいただいたレス中の

    ・・・・・
    No19349
    パニチェかく語りき『シマウマとウマは同じではない』
    突っ込み「そらそやろ、ウマには縞模様がないからな。」

    藁梟かく語りき『シマウマとウマは全く異なるものである』
    突っ込み「なんでやねん!シマウマもウマもウマ科や!」
    ・・・・・

    について、私は、パニチェさんが考えられた文章だという認識で拝見していました。
    No付で、その投稿まで飛べるようになっていて、その投稿を私は昨日見ていますし、そうした上でも、パニチェさんが考えられた文章なのだとして拝見しました。

    ヴィランの梟さんとしては、この部分をご自分が語られたものとしてロムの人たちに誤解されるのを避けたい思いがあるのですね。(誤解は避けたいものですものね。)
    私についてはそうしたことはなかったですよ。

    ではこれで。^^



引用返信/返信 削除キー/
■19450 / inTopicNo.10)  ZBBH氏へ
□投稿者/ パニチェ -(2021/11/27(Sat) 18:15:10)
    2021/11/27(Sat) 20:49:20 編集(投稿者)

    No19449に返信(ヴィランの梟さんの記事)

    > No19408の 内容は編集し,該当箇所を削除ました。
    > また,みのりさんとおくたがわさんへの謝罪は,別にしました。
    > これでよろし?

    了解しました。ありがとう。私のレスは削除しました。
    おくたがわさんについて、ザビビのふくろうさんは多少見くびっている、または挑発的なレスだとは思いますが、私からはこれ以上の言及は避けます。

    > レスそのものについては,
    > 私がそもそもNo19408 を投稿するはめになったのは,議論終了の提案を受け入れるというレスの後に,あなたがみのりさんへの説明で,

    > >藁梟かく語りき『シマウマとウマは全く異なるものである』
    > >突っ込み「なんでやねん!シマウマもウマもウマ科や!」

    > という,捏造の発言を再掲したことが原因です。
    > 私は一言もこんなことを言っていません。
    > この捏造を,議論終了後に他のニ―クラメンバーにまき散らすのはかまわないのでしょうか?
    > もし,こんな捏造を信用してしまうとしたら私としては大変迷惑ですし,捏造とわかっているのに放置すれば,ますます信じる人がふえる可能性もあり,私の責任として放置できないと判断しました。
    > なので,誤解の根を断つために,No19408を投稿したわけです。
    > したがって,残ったNo19408自体については,削除する気はありません。

    了解。普通に話をしよう、多少の誤解もあるので。
    上記は捏造ではなくて例え話(二つの言明が違うものであるということを突込みによって表現した例え話)を多少のからかい(ツァラトゥストラかく語りきのパロディ)を入れて私がレスした文章であるということはみのりさんは知ってるし、もしニークラメンバーでそのような(ザビビのふくろうさんが発言したものとして)誤解をしている人がいるなら謝るよ。私の予想では多分いないと思うよ。

    > >これを拒否するなら遠慮なく楽しい楽しい毒入りパニチェを継続させてもらうで。
    > >さらにより昔に近い毒入りパニチェを披露してやろう。
    > >ネタバラシしても突っ込めるネタは腐るほどあるし、しょうもない論考論をしなくとも現代言語ゲームにおける日本語の正しい使い方指導の観点から藁梟の主張を否定することは簡単や。
    > >藁梟を藁袋にして袋叩きにするネタと気概はめちゃめちゃあるで。

    > これね、私はきみのイタキャラは嫌いじゃないんだけど、これ以上、きみのゴタクにつきあう気はないよ。
    > もちろん、勝手にやってくれる分には全く構わない。
    > ただ、私は一切スルーすると思うから、それはご了承ください。
    > さて、これでOK?

    なんかこの口調や言い回しは気に入らんけどOKしとくわ。
    ここはお互い様やしな。

    PS.まだ叩き合いが続くならどこかで聞いてみようと思ってたことがあるねん。
    おそらく質問しても私の納得のいく回答ではないと思うし、それに対する反論や議論するつもりはないんだけど、ザビビのふくろうさんがどのように解釈しているか知りたいという興味はある。もしよかったら他意のない興味本位からの質問として聞いてもええか?もちろん、付き合う気がないなら遠慮なく言うてや、スルーでも全然構わんし。


引用返信/返信 削除キー/
■19449 / inTopicNo.11)  PN氏へ
□投稿者/ ヴィランの梟 -(2021/11/27(Sat) 17:24:04)
    2021/11/27(Sat) 17:40:28 編集(投稿者)

    PN氏へ

    No19408の 内容は編集し,該当箇所を削除ました。
    また,みのりさんとおくたがわさんへの謝罪は,別にしました。
    これでよろし?

    レスそのものについては,
    私がそもそもNo19408 を投稿するはめになったのは,議論終了の提案を受け入れるというレスの後に,あなたがみのりさんへの説明で,

    >藁梟かく語りき『シマウマとウマは全く異なるものである』
    >突っ込み「なんでやねん!シマウマもウマもウマ科や!」

    という,捏造の発言を再掲したことが原因です。
    私は一言もこんなことを言っていません。
    この捏造を,議論終了後に他のニ―クラメンバーにまき散らすのはかまわないのでしょうか?
    もし,こんな捏造を信用してしまうとしたら私としては大変迷惑ですし,捏造とわかっているのに放置すれば,ますます信じる人がふえる可能性もあり,私の責任として放置できないと判断しました。
    なので,誤解の根を断つために,No19408を投稿したわけです。
    したがって,残ったNo19408自体については,削除する気はありません。

    >これを拒否するなら遠慮なく楽しい楽しい毒入りパニチェを継続させてもらうで。
    >さらにより昔に近い毒入りパニチェを披露してやろう。
    >ネタバラシしても突っ込めるネタは腐るほどあるし、しょうもない論考論をしなくとも現代言語ゲームにおける日本語の正しい使い方指導の観点から藁梟の主張を否定することは簡単や。
    >藁梟を藁袋にして袋叩きにするネタと気概はめちゃめちゃあるで。

    これね、私はきみのイタキャラは嫌いじゃないんだけど、これ以上、きみのゴタクにつきあう気はないよ。
    もちろん、勝手にやってくれる分には全く構わない。
    ただ、私は一切スルーすると思うから、それはご了承ください。

    さて、これでOK?

引用返信/返信 削除キー/
■19448 / inTopicNo.12)  おくたがわさんへ
□投稿者/ ヴィランの梟 -(2021/11/27(Sat) 17:14:37)
    おくたがわさん,

    No19408 での失礼な発言,申しわけありませんでした。
    該当箇所を削除するとともに,謝罪します。

    私は当初,二―クラにもっと議論好きな人がいるだろうと思っていたんですが,全くあてがはずれ,あなたが貴重な存在だったかもしれない,と正直少し後悔しました(笑)

引用返信/返信 削除キー/

次の12件>

トピック内ページ移動 / << 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 >>
Mode/  Pass/

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -