■19349 / ) |
同じではない ≠ 全く異なるものであるw
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□投稿者/ パニチェ -(2021/11/25(Thu) 21:26:11)
| 2021/11/25(Thu) 22:09:13 編集(投稿者)
これはこれは、できるだけ相手の主張を理解しようと努め、よっぽどのことがない限り理解できるつもりであるにもかかわらず、全く永井哲学を理解していないくせにアンチ永井などとほざき、大嘘つきで藁人形論法と後出しジャンケンと印象操作が得意で、聞いてもないことを長々とペロペロ語りまくるが、突っ込まれだすと急に無口で自閉的なレスしかできなくなるザビビの藁人形製フクロウさん、こんばんは♪ 藁梟の自閉的なペロペロ投稿は無視するでw
■No19338に返信(ヴィランの梟さんの記事) > あと、いくつかレス。 > No19234 > を前提として、回答する。 > > No19312 >>【質問1】 >> もともと藁梟の主張は『少なくとも「論考」の〈私〉は、「先言の〈私〉」と同じものではありません。(No18151)』やろ。 >> で、No18176では『「比類なき先言の<私>」は、「論考」で示されるとされる独我論的「私」とは全く異なるものである。』に主張を勝手に変えとる。 >>『AとBは同じものではない』と『AとBは全く異なるものである』は藁梟のオツムでは同じなのか、それとも違うのか、どっちや?
> やれやれ,きみは揚げ足取りしかできんのか? > 答え…論理的内容として同じことを表している。
>> 『AとBは同じものではない』 >> 『AとBは全く異なるものである』
> は,ここでは文脈に相対的な表現上の違いにすぎないのであって,論理的内容としてはともに同じ >『A≠B』 > を意味するんだよ。
がはははは。黄便丸出し、くっさいのぉ〜w なんでわざわざ日本語を等号や等号否定に変換しとんねん、ほんまアホちゃうか。 しかも等号は“等しい”やし、等号否定は“等しからず”や。 『A≠B』は『AとBは等しからず』であって『AとBは全く異なるものである』ではない。 こんなこともほんまに分からんオツムなんか?
パニチェかく語りき『シマウマとウマは同じではない』 突っ込み「そらそやろ、ウマには縞模様がないからな。」
藁梟かく語りき『シマウマとウマは全く異なるものである』 突っ込み「なんでやねん!シマウマもウマもウマ科や!」
もうええかげんに黄便はそのくらいにしときや、恥の垂れ流しやねんから。
>>【質問2】 >> 藁梟の2の主張は『パニチェさんの「比類なき先言の<私>」についての言説は、無意味である(No18176)』で、その根拠が『「論考」の思想に依拠して、無意味だと論証した(No18962)』やな? >>「比類なき先言の<私>」は、「論考」で示されるとされる独我論的「私」とは全く異なるものであると主張している藁梟が何で全く違うものを「論考」の思想に依拠して、無意味だと論証できるんや? >> 全く筋が通ってないというか論理が破綻しとるやろ。ちゃんと説明してみ。
> No19324を見よ。
まず「『論考』の形而上学的主体である《私》は言語と共にある。」は藁梟のトンデモ解釈やん。 どこぞにそんなアホ解釈しているヤツがおるんか?そんなヤツおらんやろぉ〜。チッチキチ〜やな。 藁梟以外にもそんなトンデモ解釈している主張があるなら、ここに持っといで。
>>【質問3】 >> 「先言の〈私〉」は「比類なき先言の<私>」の省略形や。 >> 先言はたびたび説明しとるが〈私〉を説明してみろ。全く理解もせんとって自分には理解できないものだから論考の「私」とも全く違うし無意味なんだよぉ〜っと泣き叫んでるだけか?
> No19324を見よ。
後出しジャンケンご苦労さん。 今更「先言」だけにスポット当てて茶を濁してもあかんでw
No18159 パニチェ 先のレスから「ウィトゲンシュタイン(特に『論考』)解釈においては、アンチ永井均の立場」というところが見えませんし、「そ〜と〜な永井嫌い」である理由も分かりません。ウィトゲンシュタイン解釈についてのアンチ永井であるとしても、永井氏の主要テーマである「〈私〉の存在の比類なさ」をザビビのふくろうさんが理解されているとは(先のレスからして)到底思えず、この理解なしに「ウィトゲンシュタイン解釈においては、アンチ永井均の立場」というのはナンセンスであると思います。
No18176 藁梟 ただ、私が理解していないという判断はパニチェさんの勝手ではありますが、この議論を読んでくださっている人に私がそれを認めていると誤解を与えてもいけませんので、少し付言しておきます。 私は永井の独在論には関心がありませんから全部をフォローしてはいませんが、『ウィトゲンシュタイン入門』を始め、初期の勁草書房から出版されている諸著作、複数の研究者によるウィトゲンシュタイン哲学についての論文集に永井が寄稿した論文等、相当数の著作は読んでいます。なので、永井のウィトゲンシュタイン解釈(とくに『論考』解釈)については私なりに一応理解しているつもりです。言ってみれば、一方的な仮想論敵です(笑)むろん、自分なりの批判的見解ももっています。
ほれほれ、永井の独在論には関心がないが『ウィトゲンシュタイン入門』を始め、初期の勁草書房から出版されている諸著作、複数の研究者によるウィトゲンシュタイン哲学についての論文集に永井が寄稿した論文等、相当数の著作は読んでるんやろ。 逃げ回らずに〈私〉を説明してみろ。
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