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■18279 / inTopicNo.73)  カント沼におはまりのみなさんへ
  
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2021/11/03(Wed) 21:17:13)
    こんばんは。

    ここではpipitさんをはじめ、『純粋理性批判』を熱心に勉強しておられる方がいるようなので、カントを意識して『論考』について少し補足解説します。

    『論考』解釈史の比較的早い時期に、E.ステニウスが『論考』について「超越論的言語論」という解釈をしました。
    つまり、『論考』の思想を超越論的哲学として捉えるもので、これはほぼ定説と言ってよい解釈になっています(たぶん)。
    これを私なりにわかりやすく敷衍しますと、
    カントが『純粋理性批判』において認識の限界の画定として行った超越論的考察を、
    ウィトゲンシュタインは『論考』において、いわば『純粋言語批判』として、すなわち言語(語り)の限界・思考の限界の画定として行いました。
    具体的には、要は、言語の超越論的考察=論理(学)的考察として行ったのです。
    なので、主観も、認識世界の超越論的条件であるという点に関しては少しかぶっています。
    『論考』の形而上学的主観は「世界を構成する主観」ではないので、「超越論的主観」と言ってもだいぶん違いますが、ラフに言ってしまうと、カントの主観(実際にはショーペンハウアーの「純粋我」と言うべきかもしれませんが)を論理的に純化していろいろそぎ落とした、って感じかな。
    …うー、ま、しかし、この主観の説明は換骨奪胎しすぎ、ミスリーディングかもしれません。ご注意ください。

    上に述べたことを、ほんの少しだけですが内容に踏み込んで説明しましょう。
    ちょっと前に純理トピでも話題になっていたと思いますが、有名な

    〈私は思惟する〉はすべての私の表象に伴いうるのでなければならない。

    というカントのテーゼがありますね。これを、

    〈私は語る〉は、すべての私の表象に伴いうるのでなければならない

    と言い換えれば、

    私の言語(の限界)が表象世界の超越論的条件(私の世界の限界)である、

    というふうに、なんとなく直感的にイメージできるのではないでしょうか?
    もちろん、このままの形でウィトゲンシュタインが言っているわけではありませんので、その点、誤解なきよう。対応するオリジナルは次です。

    T5.6 私の言語の限界が私の世界の限界を意味する

    どうです?これ、ちょっと興味を惹かれませんか?(笑)

    また言うまでもないと思いますが、以上の説明は、あくまでザビビのふくろう個人の解釈に基づいています。
    ********************
    とりあえず以上です。
    ん〜、わかりやすいかな、これ?(笑)
    わかりにくかったらすみませんm(__)m

引用返信/返信 削除キー/
■18278 / inTopicNo.74)  pipitさんへ
□投稿者/ パニチェ -(2021/11/03(Wed) 21:13:46)
    2021/11/03(Wed) 22:26:22 編集(投稿者)

    今回の印象を正直に返信しますね。

    今回の質問は〈私〉とは無関係のものだと思っていました。
    今、pipitさんが考えていることをパニチェがどう考えるのか、とか、ひょっとしたらそういう要素もあったのかもしれませんが、今は分かりません。
    相手の述べていることを本当に知りたいと思った時にはどのようなアプローチがよりベターでしょうか?

    それは知りたい人が自分の既存の知識をベースとして主導的な役割を果たしながら対象に近付こうとするアプローチでは少なくともないです。
    相手の話をできるだけ先入観をなくして聞き、分からなければ質問するという相手主導のレス交換の方が近づきやすいです。
    みのりさんとのレス交換が有意義だったのはそういうスタンスであったからです。

    目的を伏せてレス交換し、ようやく〈私〉を理解しようとする質問であることが分かりましたが、それまでのアプローチは全く〈私〉に近付くような内容ではなかったです。
    最後の締めが「独断論ではないかな?と思いました。」というのはちょい悲しいというか、情けないいレスで、まるで捨て台詞にさえ聞こえます。
    まぁ、現時点でのpipitさんの正直な気持ちと受け止めますが。。。。

    相手の述べていることを理解せずに現時点とは言え上記のようなレスを返すのはちょっとどうかな、と思います。
    私なら、そういうレスは絶対に返しません。

    少し言い過ぎたところがあるかもしれませんが、できれば水に流して下さい。
    私も水に流します、

引用返信/返信 削除キー/
■18277 / inTopicNo.75)  パニチェさんへ
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2021/11/03(Wed) 21:08:29)
    パニチェさん
    レスをどうもm(__)m
    おや?ちょっと足元に火がついたかな?(笑)

    >論考は言語と論理を世界の写像(写像理論)として論じていることは同意いただけますよね?

    いいえ。細かいようだけど、重要な点なので、少し補足修正させてもらいます。
    言語は世界(事態)の写像であると言ってもかまわないけれども、
    T6.13で、論理(学)は鏡像であり、超越論的だと言われているので、厳密に言うと論理は写像ではありません。
    もちろん、論理は言語の形式なので、同じものとして扱ってよい場合もありますが。

    >「私は私の言語世界である」「私が存在するときは言語世界が存在する」なんてことはウィトゲンシュタインは論考では述べておりません。もし述べているならNoを示して下さい。

    私は、ウィトゲンシュタインがそう述べているとは一言も言っていませんが。
    私の議論を読んでくださってますか?
    私は先に、こう述べています。
    >『論考』における“私の世界”とは、“私の言語”が語る世界です。
    >「語りえぬ世界」というのは語義矛盾です。
    >したがって、世界とは本質的に言語世界(言語によって語られる世界)のことです。

    これと、
    5.63 私は私の世界である。(ミクロコスモス。)

    を前提として、
    > 私は私の言語世界である
    をふくむ以下の主張を、論理的に導出しているのです。
    私はあなたと違って論理的に考察しますので、無根拠に放言したりしません。
    だから、議論としては、前提を否定しないと反論にすらなりません。

    >理解しようとしない人に説明するのは時間と労力の無駄だと思いますので。

    これをそのままお返ししますと言いたいところですが、「理解できない人」に訂正したほうがいいようですね。
    ****************

    >仮に「私は私の言語世界である」とするなら私は言語空間でもある世界内に位置することになります。
    >では、何故ウィトゲンシュタインは「5.632 主体は世界に属さない。それは世界の限界である。」「5.633世界のどこに形而上学的な主体が認められうるのか。」と述べているのでしょうか?
    >そもそも言語とともにある私が何故形而上学的主体なんでしょうか?
    >ご説明下さい。

    先に述べたように、私の主張は、
    私は私の世界である
    ⇔私は私の言語世界である

    というものです。
    なので、ここの“私”とは、当然、世界の限界たる私、形而上学的主体であって、

    >仮に「私は私の言語世界である」とするなら私は言語空間でもある世界内に位置することになります。

    なんてことにはなるわけありません。

    >では、何故ウィトゲンシュタインは「5.632 主体は世界に属さない。それは世界の限界である。」「5.633世界のどこに形而上学的な主体が認められうるのか。」と述べているのでしょうか?

    形而上学的主体なんだから、当然、時間空間を超えているからです。
    「形而上学的」の言葉の意味は理解できましたか?

    >そもそも言語とともにある私が何故形而上学的主体なんでしょうか?

    T5.6 私の言語の限界が私の世界の限界を意味する

    からですよん^^

    >ザビビのふくろうさんの主張「私」は形而上学的主体のことであり、「私」が存在するときは言語世界が存在するなら、「私」が世界の限界に位置したり、世界に属さないというのは矛盾します。

    ウィトゲンシュタインは、『論考』において、「「私」が世界の限界に位置し」ている、などと一言も述べていません。
    T5.632 主体は世界に属さない。それは世界の限界である。

    と言っているのです。
    主体は「限界に位置している」のではなく、「世界の限界」なのです。
    だから、世界には属さないのです。
    よって、私の主張に矛盾はありません。
    よろし?

    >この矛盾はザビビのふくろうさんのウィトゲンシュタイン解釈の誤解から生じているというのが私の主張(反論)です。

    矛盾という論理的概念を使いたいなら、最初のほうに書いたように、批判は論理的におこなわないといけません。
    あなたのは、そもそも反論にすらなっておりません。
    よって、却下。

    以上です。

引用返信/返信 削除キー/
■18276 / inTopicNo.76)  ザビビのふくろうさんへ
□投稿者/ pipit -(2021/11/03(Wed) 21:03:49)
    ザビビのふくろうさん、こんばんは!

    No18273
    返信ありがとうございます
    m(_ _)m

    わたしのおもしろいなーと思っていたことはもっと単純で素朴でお恥ずかしいことです
    (^^;
    でも、お返事嬉しいです!

    ありがとうございます♪
    書き込み、無理されないでくださいね。

    おつかれさまです!

引用返信/返信 削除キー/
■18275 / inTopicNo.77)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2021/11/03(Wed) 21:00:42)
    >悪魔ちゃん

    パニチェさんに関することはスルーするとして(笑)

    >〈言語に先立って〉っていうことだけを見たとき、フッサールの「前述語的世界」とかメルポンの「言葉のざわめきの下」って言うのわたし思い出しちゃうのね。

    これは、非常に鋭い、いいセンスの指摘だと思うよ。
    私、ちゃんと復習しないと今はきちんとしたこと言えないけど、これは『論考』の思想とフッセルやメルロー=ポンチら現象学の異同として、なかなか興味深い問題だと私も思います。

引用返信/返信 削除キー/
■18273 / inTopicNo.78)  pipitさんへ
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2021/11/03(Wed) 20:55:18)
    pipitさん
    レスをありがとうございます。

    No18179
    >現象に現れるものって、空間の座標として、一点ものだなー
    >おもしろいなー、って思ってました。
    >伝わるかな?
    No18181
    >現れた、が、静止画像として自分への認識として作られたもの、が、一点を占める
    >写真にすれば、一点を占める
    >そんなイメージです。
    >テキトーイメージすぎて、伝わらないかなぁ(^◇^;)

    正直言うと、よくわかんないんですが(笑)、こういったことでしょうか?

    例えば、車を運転しているとき、今運転している自分の眼前に見えている視覚風景が、
    カーナビに描出される俯瞰風景の中の車が位置する一点に対応する、というのが面白いと。

引用返信/返信 削除キー/
■18271 / inTopicNo.79)  パニチェさんへ・ありがとうございました
□投稿者/ pipit -(2021/11/03(Wed) 20:46:57)
    2021/11/03(Wed) 20:48:32 編集(投稿者)

    では、pipitの現時点での感想を書きますね。

    パニチェさんにとって、パニチェさんの意識は、パニチェさんが直接知ってる。(パニチェさんの感性の内に現れているから。)

    パニチェさんにとって、pipitの意識は、パニチェさんの推論で知ってる。(パニチェさんの理性で知っている。)


    パニチェさんにとって、パニチェさんの五識は、直接知ってる。(パニチェさんの感性の内に現れているから。)

    パニチェさんにとって、パニチェさんの五識の原因は、推論で知ってる。(パニチェさんの理性で知っている。)



    なのではないかな?とpipitは今の時点では思っていて、
    さらに、
    パニチェさんが、パニチェさんが知ってる自分の五識の実在から、五識の原因への実在を主張するのは、独断論ではないかな?と思いました。

    また意見は変わるかもですが、ここでいったん終わりにします。
    たくさんパニチェさんに書き込みいただいて、ありがとうございます
    m(_ _)m

    おつかれさまです
    m(_ _)m

引用返信/返信 削除キー/
■18265 / inTopicNo.80)  pipitさんへ
□投稿者/ パニチェ -(2021/11/03(Wed) 20:11:10)
    2021/11/03(Wed) 20:16:57 編集(投稿者)

    No18264に返信(pipitさんの記事)
    > ■No18263に返信(パニチェさんの記事)
    >>■No18258に返信(pipitさんの記事)

    > >>パニチェさんにとっての『先言の〈私〉』と、『先言のパニチェさんの五識と第六意識』はイコールで結ばれますか?
    > >>※第六意識は言葉を除いたとしても記憶なども含まれるので『』に入れました。

    >>結ばれません。

    > では、どのような関係になりますか?

    関係だけで例えるなら私秘性と公共性ってところでしょうか。
    これかなりの確率で〈私〉を理解するレス交換にはならないと思います。
    〈私〉から離れて行ってます。^^;

    めちゃめちゃ面倒かもしれませんがアートポットさんにもお伝えしたように過去ログの「〈私〉について5」でみのりさんに〈私〉を伝えたレス交換を「親記事をトピックトップへ」をクリックした上で順を追って読んでもらって分からないところを質問してもらう方が急がば回れになると思います。
引用返信/返信 削除キー/
■18264 / inTopicNo.81)  パニチェさんへ・実在
□投稿者/ pipit -(2021/11/03(Wed) 20:00:05)
    No18263に返信(パニチェさんの記事)
    > ■No18258に返信(pipitさんの記事)
    >
    >>パニチェさんにとっての『先言の〈私〉』と、『先言のパニチェさんの五識と第六意識』はイコールで結ばれますか?
    >>※第六意識は言葉を除いたとしても記憶なども含まれるので『』に入れました。
    >
    > 結ばれません。

    では、どのような関係になりますか?
引用返信/返信 削除キー/
■18263 / inTopicNo.82)  Re[16]: パニチェさんへ・実在
□投稿者/ パニチェ -(2021/11/03(Wed) 19:58:51)
    No18258に返信(pipitさんの記事)

    > パニチェさんにとっての『先言の〈私〉』と、『先言のパニチェさんの五識と第六意識』はイコールで結ばれますか?
    > ※第六意識は言葉を除いたとしても記憶なども含まれるので『』に入れました。

    結ばれません。
引用返信/返信 削除キー/
■18258 / inTopicNo.83)  パニチェさんへ・実在
□投稿者/ pipit -(2021/11/03(Wed) 19:42:30)
    パニチェさん、こんばんは!
    返信ありがとうございます。
    ちょっと、実在にこだわらしてください。

    No18251に返信(パニチェさんの記事)
    > レスありがとうございます。
    >
    > ■No18245に返信(pipitさんの記事)
    >
    >>
    > >>もしそうだとするならパニチェの五識にかぎらず、五識は言語に先んじて存在すると思います。
    > >>幼児も言語習得する以前から五識は働いていますし、言語を持たない動物にも五識はありますから。<
    >>
    >>はい。
    >
    >>では、パニチェさんにとって、『先言の・パニチェさんの五識』は実在ですか?
    >
    > はい。
    >
    >>※※※※※※※※
    >
    >>知識のはじまりの元に、五識が実在する。
    >>このことに対してpipitは納得できるんです。
    >
    > はい。これは一般的な考えだと思います。
    > これなくして赤子がどうやって知識を習得し蓄積できるのか、ってことです。
    >
    >>でも、パニチェさんは、五識のもう一つ前に 実在があるとおっしゃりますか?
    >
    > はい。
    >
    >>そこがまだpipitには、わからないんです。
    >>実在の五識から別の実在へのジャンプ(超越)に見えるんです。
    >>パニチェさんの実在の五識と、〈私〉の関係を、言葉で表現できますか?
    >
    > 五識と第六意識でもいいですし、もっとメジャーな五蘊(色受想行識)でもいいですが、これは万人に共通する認識作用、あるいはプロセスですよね?
    > ここには個別性や唯一無二性が削げ落ちています。
    >
    > 今、PCの前で私とレス交換しているpipitさんは名前でもなければ、万人共通する認識作用としても表現できません。
    > つまり言語で共有可能なところにない実在がピピットさんということになります。
    > 言葉にすればその特性は削げ落ちてしまう存在です。
    >
    > で、五識で考えるより、ポイントを絞り「先言」の字面通り、言語と〈私〉で考えた方が分かりやすいです。
    > 上記と同じように言葉に先んじた主体がなくして、一体どうやって誰が言語を習得できるか、ってことになります。
    >
    > 但し、これは「先言」を説明しているだけの言葉となり、おそらく万人に共通するであろう「先言的な主体」の説明でしかありません。<


    パニチェさんにとっての『先言の〈私〉』と、『先言のパニチェさんの五識と第六意識』はイコールで結ばれますか?

    ※第六意識は言葉を除いたとしても記憶なども含まれるので『』に入れました。
引用返信/返信 削除キー/
■18251 / inTopicNo.84)  Re[14]: パニチェさんへ
□投稿者/ パニチェ -(2021/11/03(Wed) 19:22:27)
    レスありがとうございます。

    No18245に返信(pipitさんの記事)

    >
    >>もしそうだとするならパニチェの五識にかぎらず、五識は言語に先んじて存在すると思います。
    >>幼児も言語習得する以前から五識は働いていますし、言語を持たない動物にも五識はありますから。<
    >
    > はい。

    > では、パニチェさんにとって、『先言の・パニチェさんの五識』は実在ですか?

    はい。

    > ※※※※※※※※

    > 知識のはじまりの元に、五識が実在する。
    > このことに対してpipitは納得できるんです。

    はい。これは一般的な考えだと思います。
    これなくして赤子がどうやって知識を習得し蓄積できるのか、ってことです。

    > でも、パニチェさんは、五識のもう一つ前に 実在があるとおっしゃりますか?

    はい。

    > そこがまだpipitには、わからないんです。
    > 実在の五識から別の実在へのジャンプ(超越)に見えるんです。
    > パニチェさんの実在の五識と、〈私〉の関係を、言葉で表現できますか?

    五識と第六意識でもいいですし、もっとメジャーな五蘊(色受想行識)でもいいですが、これは万人に共通する認識作用、あるいはプロセスですよね?
    ここには個別性や唯一無二性が削げ落ちています。

    今、PCの前で私とレス交換しているpipitさんは名前でもなければ、万人共通する認識作用としても表現できません。
    つまり言語で共有可能なところにない実在がピピットさんということになります。
    言葉にすればその特性は削げ落ちてしまう存在です。

    で、五識で考えるより、ポイントを絞り「先言」の字面通り、言語と〈私〉で考えた方が分かりやすいです。
    上記と同じように言葉に先んじた主体がなくして、一体どうやって誰が言語を習得できるか、ってことになります。

    但し、これは「先言」を説明しているだけの言葉となり、おそらく万人に共通するであろう「先言的な主体」の説明でしかありません。
引用返信/返信 削除キー/

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