| 2021/09/30(Thu) 08:41:21 編集(投稿者)
おはよー、悪魔ちゃん
日本国憲法前文に
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。
とあります。
ここには 「主権が国民に存することを宣言」すると共に 「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」するとあります。 特に最後の2行には固い決意を感じます。 なので政党は個人とは無関係だとは言えなくなってきます。
民主主義は個人の自由を認めていますが、みんなで何かをしようという時、個人個人がいつも同じ考えとは限らないので、何らかの方法で意思統一をしなければなりません。それが「過半数の意思を持って全体の意思とする」方法、多数決なんだと思います。ここには数の原理が厳然と存在するので、同じ考えの人が徒党を組み、数を確保しようとします。これが政党です。
現在、自民党は国会の第1党(一番人数が多い)です。次の衆議院選挙で再び自民党が第1党になれば、自民党総裁が総理大臣指名を受けます。単独過半数に満たない場合は連立し(例えば公明党と)、過半数を保ちます。逆に次の衆議院選挙で他の政党が第1党になれば、岸田さんは自民党の総裁だけれども総理大臣にはならない、ということです。
選挙結果が(国政選挙でも知事選でも市長選でも)国民の意思の反映というのが民主主義の建前です。誰が総理大臣になっても同じさ、というのも一つの見識ではありますが。
国民主権と政党政治との関係は、ま、大体こんな感じです。
ボク?当然「誰が総理大臣になっても同じさ」派で〜す。
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