| ここでの物語は現象学的見方・考え方を中心とした〈私の生の意識(精神)のフィロソフィア〉なんだけど、身体を絡めるね。
わたしのばあい、身体を大きく「脳」と「体」の二つに分節して見ている。 「体」っていうのは「脳」以外の身体の領分。
そして意識とか精神は身体である脳の活動による現れ、ってしてる。
メルポンの『見えるものと見えないもの』のなかに、 【精神を身体の裏面として定義すること――われわれは身体によって裏打ちされていないような、〔身体という〕この土壌の上に身を落ちつけていないような精神の観念はもってはいない。――「裏面」ということで言わんとしているのは、身体はそれがこうした裏面をもつかぎり客観的用語、即自的用語で記述されるものではないということ、この裏面は本当に身体の裏面なのであり、身体のうちにはみ出して(Uberschreiten〔踏み越えて〕)ゆき、身体を蚕食し、身体のうちに隠されているのだということ、――そしてそれと同時に、身体を必要とし、身体において仕上げられ、身体の内に投錨しているのだということ、なのである。精神の身体があり、身体の精神があり、そして両者の交叉配列があるのである。この裏面なるものは、客観的思考においてのように、同じ実側面のもう一つの投射図とう意味においてではなく、或る深みへ向かっての、或る次元性――広がりとう次元性ではない――へ向かっての身体のUberstieg〔上昇〕、感じうるものへ向かっての否定的なものの超越、という意味で理解されねばならない。】(Uの上の‥は省いてます) って言うのがある。
一枚の紙の一面に「身体」って書いて、もう一面に「精神」って書く。その人がどちらの面を上にして置くかによって主題が変わってくるのだけれど、結局一枚の紙におけるもの、みたいな感じで見てる。
身体と精神の関係をこんな感じでわたし見てる。
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