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■14215 / inTopicNo.13)  Re[12]: 意識(精神)の分節の仕方
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/06/17(Thu) 17:34:22)
    おじさんたちの意識の分節の仕方、だいたいこんな仕方でいいかな。

    で、次はその発生ね。
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■14260 / inTopicNo.14)  Re[13]: 自分の発生
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/06/19(Sat) 18:40:36)
    「自分」っていうのは〈自の分化〉っていう意味ね。

    大人になった私の意識の分節はだいたいできたので、その発生をどう見て置くか、っていう物語に入ろっかな。

    現象学のは現象学的還元によって、
    No11532の世界へと遡り、そのうちで、見ようとしてるんだとわたし思ってる。
    No11365のように、メルポンが言う、
    「言葉のざわめきの下の原初的な沈黙を再発見し、それをやぶる身振りを描きだすこと」ね。
    ん〜ん、言いかえると、私の意識の根源的・原初的世界へ、そのうちで、かな?

    No11053で書いたように「私の生の意識のアプリオリな総合はどのようにして?」っていう問いのつづき。
    あと、「アプリオリ」だから、
    No10810のニーチェが言っているような
    【…意識的な思惟の大部分をなお本能活動のうちに数えなければならない。…】っていうのとも連関してくる感じがしてる。


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■14299 / inTopicNo.15)  Re[14]: 自
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/06/20(Sun) 20:16:36)
    「自」には2つの意味があるみたい。
    「自(おの)ずと」と「自(みずか)ら」っていう。

    この語、わたしけっこう気に入ってる。
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■14345 / inTopicNo.16)  Re[15]: 身体
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/06/22(Tue) 21:40:16)
    一般的に、人0歳児は20歳に比べて未熟よね。
    だって、一般な20歳は自力で立って歩けるけど0歳児にはそれはムリよね。

    これ「事実」だと思うんだけど、どうかしら?


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■14349 / inTopicNo.17)  Re[16]: 身体
□投稿者/ マジカルモンキー -(2021/06/23(Wed) 07:31:07)
    No14345に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > 一般的に、人0歳児は20歳に比べて未熟よね。
    > だって、一般な20歳は自力で立って歩けるけど0歳児にはそれはムリよね。
    >
    > これ「事実」だと思うんだけど、どうかしら?

    はい、おはようございます、悪魔ちゃん。

    『 人0歳児は20歳に比べて未熟 』という文章に違和感。

    10歳は20歳に比べて未熟なら、なんとなく筋が通ると思う。
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■14371 / inTopicNo.18)  Re[17]: 身体
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/06/23(Wed) 20:59:16)
    ■14349、あら、マジモンさん

    なんで、>『 人0歳児は20歳に比べて未熟 』という文章に違和感<なのか、
    なんで、>10歳は20歳に比べて未熟なら、なんとなく筋が通ると思う<
    なのか、わかんな〜い。

    わたし、0歳児と比較する年齢から出発してひとまず20歳ってした。90歳でもよかったんだけどそうすると生老病死って長くなるからひとまず20歳ってして見ただけ。

    マジモンさんひょとしたら20歳から比較した年齢を考えて見たのかしら?

    ねえ、マジモンさん
    No11532、見てないよね。
    生後1歳1か月〜6か月で、自力で立って歩けるようになる。「マンマ」「ママ」など一語文ができる、っていうことよ。これができるのは0歳児にはすでにそれができる能をすでに有している、っていうことを意味してるよ。



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■14374 / inTopicNo.19)  Re[18]: 身体
□投稿者/ マジカルモンキー -(2021/06/23(Wed) 23:53:29)
    No14371に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > ■14349、あら、マジモンさん
    >
    > なんで、>『 人0歳児は20歳に比べて未熟 』という文章に違和感<なのか、
    > なんで、>10歳は20歳に比べて未熟なら、なんとなく筋が通ると思う<
    > なのか、わかんな〜い。
    >
    > わたし、0歳児と比較する年齢から出発してひとまず20歳ってした。90歳でもよかったんだけどそうすると生老病死って長くなるからひとまず20歳ってして見ただけ。
    >
    > マジモンさんひょとしたら20歳から比較した年齢を考えて見たのかしら?
    >
    > ねえ、マジモンさん
    > No11532、見てないよね。
    > 生後1歳1か月〜6か月で、自力で立って歩けるようになる。「マンマ」「ママ」など一語文ができる、っていうことよ。これができるのは0歳児にはすでにそれができる能をすでに有している、っていうことを意味してるよ。

    はい、こんばんわ、悪魔ちゃん。

    あんまり納得がいかないが続けてくれ〜
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■14416 / inTopicNo.20)  Re[19]: 身体
□投稿者/ マジカルモンキー -(2021/06/25(Fri) 06:39:43)
    NO11532


    私は研究脳だから、比較をするのならば
    0歳と14歳、14歳と24歳ならば、比較になるとおもいます。

    20歳はゴミ箱を漁る事はできるが、0歳はゴミ箱を漁る事はできない。
    生きていける脳と生きていけない脳の違いかもしれない。

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■14434 / inTopicNo.21)  Re[20]: 身体
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/06/25(Fri) 19:24:12)
    わたしの物語り、つづけま〜す。

    自分の発生(あるいは発育)、において、それが可能となるには、すでにそこに、そのようになることができる基が存在していなければならないはず。
    未熟は熟すものがまだ未なだけであって、欠如(あるいは無)しているっていうことじゃない、とも見てる。

    わたしこんな感じのを思ってる。

    No11411の(MP-4)でメルポンが言っている【現象学とは…「すでにそこに」あることを認める哲学でもある。】
    みたいな。とは違うかもしんないけど。

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■14461 / inTopicNo.22)  Re[21]: 志向性
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/06/26(Sat) 18:06:10)
    No14181のつづきになるけど、

    「現象学事典」では、フッサールの「志向性」につてのなかからとくに重要な事項が書かれてあって、そのなかの一つを書き写して見ます。

    〔受動的志向性
    志向性の本質は構成的能作にあるとはいえ、実在事物の存在意味を構成するには、その素材となるべき感覚与件が必要である。能動的な構成の能作も、それ自身は非志向的な感覚与件を対象から受けとり、それを生化(besslen)することから始まる。すなわち、客観が主観を触発することによって、主観の対象的志向性が目覚めるのである。それゆえフッサールは「何かについての意識が取らざるをえない特殊な形態としての受動的志向」の機能にも注目して、受動性がなければ能動性も機能しえないであろうと述べている。ただし、このように感覚与件を受容する場合だけではなく過去の意識生活の中で既得物(=認識の成果など)を、あらかじめ与えられたものとして受け入れ、それを基盤に新たな意味付与がなされるような場合にも、やはり受動的志向性がともに機能しているのであり、このようなケースは〈受動的発生による構成〉とも言われ、〈連合〉がその原理だとされる。なお、感覚与件を受容する際には、対象へ眼を向けたり、他を伸ばして触るなど、主観の側の能動的な身体運動が必要になる。それゆえこのような〈受動性〉は自我の能動性の最低段階と見なされる。〕

    「受動的総合」については、
    No11875に書きました。

    ここでわたしが見ているところは、
    〔感覚与件を受容する際には、対象へ眼を向けたり、他を伸ばして触るなど、主観の側の能動的な身体運動が必要になる。それゆえこのような〈受動性〉は自我の能動性の最低段階と見なされる。〕っていうとこ。
    ここに、精神と身体との連関性が触れられている。

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■14485 / inTopicNo.23)  Re[22]: 身体と精神
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/06/27(Sun) 16:59:19)
    ここでの物語は現象学的見方・考え方を中心とした〈私の生の意識(精神)のフィロソフィア〉なんだけど、身体を絡めるね。

    わたしのばあい、身体を大きく「脳」と「体」の二つに分節して見ている。
    「体」っていうのは「脳」以外の身体の領分。

    そして意識とか精神は身体である脳の活動による現れ、ってしてる。

    メルポンの『見えるものと見えないもの』のなかに、
    【精神を身体の裏面として定義すること――われわれは身体によって裏打ちされていないような、〔身体という〕この土壌の上に身を落ちつけていないような精神の観念はもってはいない。――「裏面」ということで言わんとしているのは、身体はそれがこうした裏面をもつかぎり客観的用語、即自的用語で記述されるものではないということ、この裏面は本当に身体の裏面なのであり、身体のうちにはみ出して(Uberschreiten〔踏み越えて〕)ゆき、身体を蚕食し、身体のうちに隠されているのだということ、――そしてそれと同時に、身体を必要とし、身体において仕上げられ、身体の内に投錨しているのだということ、なのである。精神の身体があり、身体の精神があり、そして両者の交叉配列があるのである。この裏面なるものは、客観的思考においてのように、同じ実側面のもう一つの投射図とう意味においてではなく、或る深みへ向かっての、或る次元性――広がりとう次元性ではない――へ向かっての身体のUberstieg〔上昇〕、感じうるものへ向かっての否定的なものの超越、という意味で理解されねばならない。】(Uの上の‥は省いてます)
    って言うのがある。

    一枚の紙の一面に「身体」って書いて、もう一面に「精神」って書く。その人がどちらの面を上にして置くかによって主題が変わってくるのだけれど、結局一枚の紙におけるもの、みたいな感じで見てる。

    身体と精神の関係をこんな感じでわたし見てる。

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■14487 / inTopicNo.24)  Re[23]: 身体と精神の発育
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/06/27(Sun) 17:38:10)
    生まれたての人は未熟よね。だから当然精神も未熟。
    でも、一般的に成熟できるためには、その未熟さのなかに成熟できるものが存在していなければならないはずよね。
    No14434でちょっと触れた〈基〉みたいなもの。これを〈芽〉とも呼ぼうかな。

    これまで、私の大人になった意識(精神)作用の分節を、感覚・知覚・記憶・考・思・想像・感情・意志・欲望・愛…みたいにして見てきたのだけど、これらの根源的な世界っていうことになるのかな。
    乳幼の頃の精神の未熟さのなかに、このようなものが発育する芽がすでにそこに存在している、って見てる。

    このような乳幼の世界を原初的世界とも呼ぶことにする。
    そしてこのような世界に遡って、そのうちで見る、っていうこと。

    あ、ここ、「フィロソフィア」には関心あるけど知ろうとしない人には意味ない物語りだから、勝手に進めることにした。



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