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■32884 / inTopicNo.97)  「超越論的独我論」者カント(;´・ω・)?
  
□投稿者/ うましか -(2023/09/06(Wed) 00:07:33)
    2023/09/06(Wed) 00:18:46 編集(投稿者)

    ◇ 宮島光志『カントと「形而上学的エゴイズム」の問題 −「イデアリズム論駁」との関連で − 』,2003年

    https://www.jstage.jst.go.jp/article/tpstja/19/0/19_KJ00003906009/_article/-char/ja


    ◇ 倉本香『カント実践哲学における独我論の問題』,1997年

    https://www.jstage.jst.go.jp/article/philosophy1952/1997/48/1997_48_227/_article/-char/ja

    >カントは『実用的見地における人間学』において、「一切の目的を自分の上だけに限り己れに役立つもの以外には何の効用も認めない幸福論者」を「道徳的エゴイスト」と呼ぶ一方で、自らの実践哲学を「自分を単なる一人の世界公民と考え、またそのように振る舞うような考え方」(VII 130)、即ち複数主義(Pluralism)と見なしている。カントは、幸福論者は「自己中心的な我執(selbstsuch)」即ち、独我論(solipsismus)に陥っていると述べ(V 73)、道徳法則こそ我執を打倒し複数主義の立場へと意志を規定することを明らかにした。< 倉本,p.227


    *******

    ◇ 中島義道「カントにはなぜ<他者論>がないのか?」,1994年

    http://www.showado-kyoto.jp/book/b96265.html



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■32886 / inTopicNo.98)  Re[12]: 田秋さんへ(;´・ω・)
□投稿者/ 田秋 -(2023/09/06(Wed) 07:36:30)
    おはようございます、うましかさん

    お返事ありがとうございます。ショーペンハウアーは独我論を章立てするまでもない、エゴイズムの一種と捉えていたのでしょうかねえ。。。

    理論的エゴイズムを検索していたら種村剛氏のサイトがヒットしました。
    http://tanemura.la.coocan.jp/re3_index/1A/e_egoism.html

    (種村剛氏は、以前、悟性に関してpipitさんから紹介して頂いたサイトの著者ですが)そこには(理論的ではなく)論理的エゴイズム、実践的エゴイズムの他、心理的エゴイズム、倫理的エゴイズムなどの分類が載っていました。

    うましかさんご紹介のショーペンハウアーの言葉の中で

    「このようなエゴイズムを本気で確信している例は精神病院〔*2〕のなかにしか見出されない。これを本気で確信しているとしたら、こういうエゴイズムに必要なのは証明であるよりはむしろ治療であろう」

    の部分が特に気に入りました。直前に「証明によってはけっして論駁できない」が置かれているので「むしろ治療であろう」が(燦然と)輝いています。

    このようなことはショーペンハウアーだからこそ言えることで、もしもボクがこんなことを書いたなら《傲慢》の烙印が押されるだけでしょう。

    ありがとうございました。引き続き宜しくお願いします。
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■32955 / inTopicNo.99)  種村剛の「エゴイズム」資料集(/・ω・)/
□投稿者/ うましか -(2023/09/09(Sat) 23:21:04)
    2023/09/09(Sat) 23:47:49 編集(投稿者)

    田秋さんご紹介の種村剛「エゴイズム」解説の引用集、とてもありがたいですね!m(__)m

    http://tanemura.la.coocan.jp/re3_index/1A/e_egoism.html

    私にとって、とくにありがたかった情報=◆をメモ(・∀・)
    *の記述はうましかによります。

    ◆「エゴイズム(egoism)」ということばは、「わたし」を意味するラテン語 ego と18世紀の哲学界において広く使用された接尾語 - ismus / ista を組み合わせた造語
    ◆この合成語は、J. アディソン編集の『スペクテイター』(1714年)において、代名詞の「わたし」を多用するあり方、もしくは自己自身のことばかり語る悪徳を意味する「自己中心癖(egotism)」としてはじめて登場

     * Wikipediaからスペクテイターの翻訳情報を確認(;´・ω・)。門田俊夫訳。
    https://www.i-repository.net/il/user_contents/02/G0000031Repository/repository/keidaironshu_066_001_249-271.pdf

    ◆C. ヴォルフは、確実に存在するのは自我のみであると主張するデカルト主義的独我論を「エゴイズム」と呼んだ

     * ヴォルフ自身が「確実に存在するのは自我のみである」という(デカルトの)主張を<デカルト主義的独我論>と称したかどうか、私には不明(;´・ω・)

     * 先述のNo.32884 における宮島論文は「18世紀における「エゴイズム」概念の登場と継承」について言及している。それによれば、ヴォルフは「このエゴイズムというテーマは、 大真面目に究明されることは稀であったが、一八世紀の精神的雰囲気の徴候を示しており、デカルト的な思惟に付随する特微的な現象と見なすことができる」と述べているとのこと。
     ・https://www.jstage.jst.go.jp/article/tpstja/19/0/19_KJ00003906009/_pdf/-char/ja

    ◆ヴォルフの影響を受けたカントは『人間学』第1篇第2節において、自分の判断を他人の悟性について吟味することを無用とみなす「論理的エゴイズム」、他人の評価を気にせず、自己自身の趣味に満足する「美的エゴイズム」、あらゆる目的を自己自身にのみ限定し、自分に役立つもの意外のものには何の利益も見いださないような「道徳的エゴイズム」の三つを区別

     * 先述のNo.32884 であげた倉本論文によれば、カントは『人間学』において「「一切の目的を自分の上だけに限り己れに役立つもの以外には何の効用も認めない幸福論者」を「道徳的エゴイスト」」と呼び、そうした幸福論者を「自己中心的な我執(selbstsuch)」即ち、独我論(solipsismus)に陥っている」としたとあります。
    https://www.jstage.jst.go.jp/article/philosophy1952/1997/48/1997_48_227/_article/-char/ja


    *******

    「独我論」の二義性… 認識論的/道徳論的 ・・・(。´・ω・)?



    (/・ω・)/カントせんぱ〜い







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■32957 / inTopicNo.100)  寺田俊郎のカント実践哲学論(;´・ω・)
□投稿者/ うましか -(2023/09/10(Sun) 00:04:21)
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■32958 / inTopicNo.101)  宮島光志のエゴイズム解説(/・ω・)/
□投稿者/ うましか -(2023/09/10(Sun) 00:15:04)
    カント事典、p.36「エゴイズム Egoismus」にありますね(*‘∀‘)

    >そもそも「エゴイスト」という呼称は、概念史的には、ヴォルフが自我の確実性を唱えるデカルト主義者をそう名づけて批判したことに淵源する。したがって、その立場は今日の語法ではむしろ「独我論(Solipsismus)」を意味する。そうした元来の形而上学的な「エゴイズム」概念は、幾多の媒介により意味の分化と変容を遂げながら、カントの類型論に影響を与えた。< 〔カント事典,p.36、宮島光志の解説による〕


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