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■14079 / inTopicNo.97)  Re[84]: 感情
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/06/13(Sun) 19:28:08)
    メルポンの『知覚の現象学』のなかから「感情」について記述されているところを書き写して見ます。

    第三部 対自存在と世界における(への)存在 ―T、コギトの中に、
    〔コギトと感情的志向性〕と題して、
    【しかしながら、知覚の場合は特殊な場合ではなかろうか。知覚は一つの世界に向って私を拓くのであるが、そうすることができるのは、私を超え、おのれを超えることによってのみである。したがって知覚的「総合」は未完成でなければならない。それは誤謬の危険におのれをさらすことによってしか、私に一つの「現実的なもの」を提示することができないのだ。物が一個の物であるべきであるなら、それが私に対してかくれた諸側面をもつことはまったく必然である。したがって、現れと現実との区別が知覚的「総合」においてその場をもつのは、至極あたりまえである。これに反して、「心的諸事実」についての私の意識を考察するなら、意識はその権利と自己自身の完全な所有とを取り戻すように思われる。例えば、愛と意志は内的作用である。それらはおのれの対象を捏造し、かくすることによって、現実から遠ざかり、この意味においてそれらがわれわれを欺くことは容易に理解できる。しかし、それら自身に関してわれわれを欺くことは不可能と思われる。私が愛、歓喜、もしくは悲哀を体験している以上、たとえその対象が、実際は、つまり他人にとっては、あるいは他の時点における私自身にとっては、私が現在それに与えている価値をもっていないとしても、私が愛し、喜び、あるいは悲しんでいることには変りない。現れは私においては現実である。意識の存在は、自己に向って現れることである。意志するとは、意志するに値するものとして(倒錯した意志の場合には、まさに意志するに価しない限りにおいて意志するに価するものとして)ある対象を意識することでなくして何であろうか。愛するとは、愛すべきものとしてある対象を意識することでなくして、何であろうか。そして対象の意識は必然的に意識自身についての知を包含しており、しからざれば意識が自己自身から逃れてしまい、その対象さえ捉えられないだろうから、意志することと意志していると知ること、愛することして愛してると知ることは、ただ一つの作用である。愛とは愛することの意識であり、意志とは意志することの意識である。自己を意識していない愛もしくは意志とは、ちょうど無意識的な思惟が、思惟しない思惟であるように、愛していない愛であり、意志していない意志となるであろう。その対象がまがいものであろうと現実のものであろうと、意志もしくは愛には変わりがなかろう。そして実際にそれらが向かう対象への関わり方から切り離して考察するならば、それらは、われわれから真理が逃れるはずのない、
    絶対的確実性の領域を構築するであろう。意識においては、いっさいが真理であり、錯覚は外的対象に関してしか存在しないということになろう。一個の感情は、それが感ぜられているからには、それ自身において考察されるなら、つねに真実であるであろう。しかし、もっと詳細にしらべてみよう。】

    ここのなかには「感情」「愛」「意志」についての記述だけじゃなくて、いろんな現象学的見方がが書かれてるようにわたしには見えるんだけど、
    ま、もっとも現象学のじゃないことに志向してる人には関係ない話しだけどね。

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■14082 / inTopicNo.98)  悪魔ちゃんは
□投稿者/ マジカルモンキー -(2021/06/13(Sun) 20:49:52)
    はい、こんばんわ、悪魔ちゃん。

    悪魔ちゃんの好きな哲学者って、
    ハイデガーとフーコーというイメージなんだわね。

    実はとある論文を読んで、
    フーコーと繋がる部分を見つけたんですよ。
    ニーチェとカントは、ぼんやりと全体像が見えてきています。
    ハイデガーがかなり難しいイメージです。

    んで、悪魔ちゃんにとって、哲学者は誰の事を指しますかね?

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■14089 / inTopicNo.99)  Re[86]: マジモンさんは
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/06/14(Mon) 18:46:30)
    あら、ストーカーのマジモンさん、いいこと教えてあげる。

    ニーチェのアフォリズム。
    【真理が女である、と仮定すれば――、どうであろうか。すべての哲学者は、彼らが独断家であったかぎり、女たちを理解するにかけては拙かったのではないか、という疑念はもっともなことではあるまいか。彼らはこれまで真理を手に入れる際に、いつも恐るべき真面目さと不器用な厚かましさをもってしたが、これこそは女(あま)っ子に取り入るには全く拙劣で下手くそな遣り口ではなかったか。女たちが籠絡されなかったのは確かなことだ。】
    ねえ、心当たりない?

    以下は適当に書いちゃうから、反省は無用ね。もっともパニさんに𠮟られるかもしんないけど、
    ニーチェはね、「汝があるようなものになれ」とか、「おのれを制することができる者は、他人をも制することができるのだよ」って言ってるみたい。「権力の意志」とか「力への意志」っていうのこういうことなんだとわたし思ってるよ。

    ねえ、マジモンさん。武道やってるみたいだけど?こういうのどうかしら?

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■14092 / inTopicNo.100)  Re[87]: 哲学者
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/06/14(Mon) 19:12:09)
    ■14082、、マジモンさん、
    >悪魔ちゃんにとって、哲学者は誰の事を指しますかね?<
    ごめんね、意味わかんない。

    でもちょっと書いて見る。

    「哲学者」って〈哲学する人〉ってするね。
    哲学する人、有名どころでは、…ソクラテス、プラトン、アリストテレス、ホッブス、デカルト、スピノザ、ロック、ライプニッツ、バークリ、ヒューム、カント、ヘーゲル、ショーペンハウアー、キルケゴール、マルクス、ニーチェ、フッサール、ジェームズ、 ソシュール、フッサール、ハイデガー、ウェトゲンシュタイン、ポンティ、フーコー、…かな?

    そもそも、「哲学」ってなあに?なんじゃない?
    「哲学とは?」で、いろんな人がいろんなことをいってるみたい。
    でね、
    メルポンのばあい(あるいは現象学において)の「哲学」っていうのは、【哲学とは哲学自身の出発点に立ち帰って、繰り返しこれを体験し直すことである。】みたい。だから、〈出発点に立ち帰って、繰り返しこれを体験し直すこと〉をしている人が「哲学者」っていうことになる。

    このごろのわたしはね、メルロ=ポンティの。
    フッサールのやハイデガーのはそのためのお勉強で〜す。





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■14093 / inTopicNo.101)  Re[88]: 意志
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/06/14(Mon) 19:16:59)
    What do you(I) want to do?
    「あなた(わたし)は何をしたいの?」この問いに対して、

    「〜したい」「〜しよう」っていう、ある答えが導き出されたとき、それを「意志」と呼ぶことにする。

    「意志」を「欲望」ってして見てるんだけど、これっていまだ実現されていない“これからのこと”って見ることもできる。

    ん〜ん、「現在の」じゃなくて「未来の」ね。
    これって、やっぱ内的志向性だと思う。

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