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■36782 / inTopicNo.13)  Re[31]: 時間論の系譜
  
□投稿者/ 田秋 -(2024/03/12(Tue) 20:53:53)
    2024/03/12(Tue) 20:57:36 編集(投稿者)

    こんばんは、restさん。横レス失礼します。

    本当に歳と共に時間の流れが早くなることを感じます。そう感じるということは以前から聞いていたので、やはりそうだったと再度認識しなおしている次第です。

    何故そう感じるのかはこれまであまり深く考えてきませんでしたが、最近、自分の死期が近づいてくるにも拘わらずやはりまだ死にたくないという気持ちが、時間の流れを早く感じさせているのかなと思っています。自分の死に向かって出来るだけ遅く歩みたいのに時間はおかまいなく進むので、相対的に早く進んでいるように感じるのかなと考えたりしています。

    これはパニチェさんが書かれた分数仮説に通ずるところがあります。分数仮説では今まで生きた年月を分母にしていますが、この考えは残りの人生の時間を分母にしています。人生の長さを線分で表すと、例えば若い時の1年は残りの人生全体に占める比率は少ないですが、70歳の時の1年は残りの人生の長さに対して大きな部分を占めます。
    仮に人生80年とすると、10歳の時の1年は残りの1/70ですが、70歳の時の1年は1/10になります。同じ1年で1/70経過するのと1/10経過するのとでは1/10経過した方が時間の進み方が早いと感じるのではないかという仮説です(この仮定では分数仮説とは異なり値が大きいほど感覚的な時間進行が早いことになります)。自分の人生が何年なのかはわかりませんが、歳をとるほど残り時間が少なくなることは確かです。

    そもそも子どもの頃は感覚的時間経過の進み方について遅いとか早いとかは考えることもなかったように思います。それは老年期を経験していないので比較の対象がなかったことも一因としてあるでしょう。また自分の死はまだ真剣に思考すべきことでもないので、とりあえずは永遠の生の中の1年のように感じていたのかも知れません。

    このように考えてくると、(自分には経験がないのでわかりませんが)悟りの境地を得、生死から自由になると時間経過の遅早も感じなくなるのかもしれません。

    自分の人生を振り返ると小学校6年間が一番長く感じます。幼稚園やそれ以前のことは記憶量もそれほど多くありません。このことから死生観とは別に記憶量の多寡が時間経過の遅早(おそはや)に関係しているかもしれません。

    一方、夢中になっている時は時間があっという間に過ぎ、退屈な時は時間の進みを遅く感じるということもあります。これも独特の感覚的時間経過です。

    最後に時間の進み具合を最も切実に感じた事例を紹介します。
    まだ学生の頃、エキストラでベルリオーズの幻想交響曲を演奏した事があります。この曲は50分ほどかかる大曲です。本番前日、激辛のカレーを食べたためか、おなかの調子がよくなく、始まってすぐに便意が襲ってきました。幻想の1楽章の冒頭部分のイントロダクションはテンポが遅く、ああ、これは最後まで持たない・・・という絶望的な気持ちでした。
    詳しくは書きませんが、曲のテンポの速い部分では光明が見え、遅い部分ではどうやって舞台から引っ込むか?だけを考えていました。特にテンポの遅い3楽章、冒頭のコールアングレののんびりした田舎の情景部分はまさに時間が止まっているかのようで地獄でした。4楽章の断頭台へ行進が始まった時はひょっとしたらセーフかもしれないと一縷の望みがみえたことを覚えています(結果的に持ち堪えました)。

    人間の感覚とは不思議なものです。

    長々と失礼しました m(_ _)m

引用返信/返信 削除キー/
■36769 / inTopicNo.14)  Re[32]: 時間論の系譜
□投稿者/ rest -(2024/03/10(Sun) 20:32:36)
    2024/03/11(Mon) 09:02:22 編集(投稿者)

     パニチェさん こんばんは。丁重な返信ありがとうございました。こむつかしい書き方をしているのでたぶん読まれないだろうな、と思っていましたが安心しました。
    パニチェさんに紹介していただいた「分数仮説」ですが1年の長さを人生の経過した年数で割った数字はなぜ時間の速さを示しているのか疑問です。人生の経過年数における1年の割合が時間の速さというのは理解に苦しみます。それよりも私が書いた
    > A、Bが並んで一定の速度で走っているとしよう。Bがスピードを上げるとAは段々と遅く走っているように見える。そしてBがスピードを落としていくとAは段々と速さを増していくように見える。Aを時計の針の変化、Bを意識の変化と考えれば同様のことがいえるのである。
     のほうが時間の速さを明確に示しているのでわかりやすいと思うのですが。
    > 鋭敏性仮説
    >子どもの頃は初体験が多くそれぞれの出来事に対して感覚や感情が敏感に反応するが、歳をとるとともに経験が増え出来事に対しての目新しさがなくなり鈍感になる。一日の時間の流れでも印象的なエピソードが多ければ体験した時間は長く感じられるが少なければ早い。これに同じ。

    上記の「鋭敏性仮説」のほうが私の仮説と重なっているような気がします。ただ
    年をとると時間があっという間に過ぎるというのは個人差があるので、たとえば若くても新しい経験が少なくルーティン化していると時間がたつのが速く感じられるので必ずしも年齢によって決まるとは言えません。ジャネーの法則は傾向性とはいえても科学的法則とまではいえないと思います。ですから年とって時間が速くなったと感じたら、新しい経験を増やすとか、思考速度を速める訓練をすれば時間が経つのも遅くなるだろうと思います。

引用返信/返信 削除キー/
■36762 / inTopicNo.15)  Re[31]: 時間論の系譜
□投稿者/ パニチェ -(2024/03/10(Sun) 10:00:50)
    おはようございます、restさん。横レス失礼します。

    No36751に返信(restさんの記事)

    > 子供のころは、意識の変化が激しいので一時間でも遅く感じられ、老年になると意識の変化がなく単調であるから一時間が速く感じられる。以上が「ジャネーの法則」の説明である。

    同意ですというか、私も全く同じことを考えていました。

    あと類似しますが別の仮説として。。。

    分数仮説
    生きてきた年月が分母で1年が分子とすれば分母が大きくなればなるほど値は小さくなる。

    鋭敏性仮説
    子どもの頃は初体験が多くそれぞれの出来事に対して感覚や感情が敏感に反応するが、歳をとるとともに経験が増え出来事に対しての目新しさがなくなり鈍感になる。一日の時間の流れでも印象的なエピソードが多ければ体験した時間は長く感じられるが少なければ早い。これに同じ。

    なんてことも考えています。。。
引用返信/返信 削除キー/
■36751 / inTopicNo.16)  Re[30]: 時間論の系譜
□投稿者/ rest -(2024/03/09(Sat) 10:54:48)
    2024/03/09(Sat) 10:59:29 編集(投稿者)

    >追記7.「すなわち未来も過去も存在せず、また三つの時間すなわち過去、現在、未来が存在するということもまた正しくない。それよりはむしろ、三つの時間、すなわち過去のものの現在、現在のものの現在、未来のものの現在が存在するというほうがおそらく正しいであろう。じっさいこれらのものは心のうちにいわば三つのものとして存在し、心以外にわたしはそれらのものを認めないのである。すなわち過去のものの現在は記憶であり、現在のものの現在は直覚であり、未来のものの現在は期待である。」(アウグスティヌス著『告白』下p123 岩波文庫)

    > 時間の起源は日時計から始まり、太陽の日周運動を利用して太陽の時角の推移から時刻を定め、影を利用して視太陽時を計測する装置を発明した。そしてエジプト文明においてナイル川の増水や種まき、収穫の時期を予測するため、太陽の年周運動から1年を365日とする太陽暦が作り出された。
    >時間は人類のはるかな祖先が作り出した概念であり、社会的約束事でありルールだということは間違いない。B系列のような実体はない。

    追記8.「ジャネーの法則」というのがある。少年の日は長く、老年の日はあっという間に暮れるという経験則をいう。これを考察してみたい。
     基本的に大事なことはあまり観念論に走らずにしっかりとした現実的土台の上で考えるという姿勢である。現実世界を構成しているのは明確に三次元空間である。その単一の空間内で、すべての事物は変化している。変化には二種類あって、位置変化と状態変化に分けられる。時間は位置変化の規則性を基に造られたものである。具体的には太陽や月そして星の位置変化を基準にしている。たとえば太陽が東から昇るときから、真上にきた時を約六時間とし、同様に西へ沈むまでを約六時間とする。すると太陽の軌道を十二等分すれば、一時間あたりの位置変化がわかることになる。とりあえず太陽の位置変化を基準にそれを測定するものとして日時計というものが発明され、やがて今日のものまで発展してきた。
     つぎに速さの概念について考えたみたい。太陽の位置変化を基に時計が発明されてきたわけであるが、その針の位置変化を速さの測定に使うことができる。すなわちAとBが百メートルを競争して、Aがゴールに達するのに、十秒の位置変化があり、Bがゴールに達するには十二秒の位置変化があったとする。するとAのほうがBより二秒だけ速かったということになり、速さの概念がこのように測定対象の位置変化と時計の針の位置変化の相対比較によって形成されていることがわかる。
     時計の側からみた客観速度というのはこのように測定されるが、逆の場合、時計変化が速いか遅いかの主観的速度というのも存在するようである。これは主観内の意識変化と時計の針の変化の相対比較によって形成される。主観内の意識の変化が激しいと時間は遅く感じられ、意識の変化がゆるやかだと時間が速く感じられる。なにかしていると時間が経つのが遅いが、ボウとしていると時間はあっという間に過ぎてしまう。これは二台の車が走っている場合と同じである。A、Bが並んで一定の速度で走っているとしよう。Bがスピードを上げるとAは段々と遅く走っているように見える。そしてBがスピードを落としていくとAは段々と速さを増していくように見える。Aを時計の針の変化、Bを意識の変化と考えれば同様のことがいえるのである。
     子供のころは、意識の変化が激しいので一時間でも遅く感じられ、老年になると意識の変化がなく単調であるから一時間が速く感じられる。以上が「ジャネーの法則」の説明である。

引用返信/返信 削除キー/
■36728 / inTopicNo.17)  Re[33]: 余談。党議拘束への疑問
□投稿者/ rest -(2024/03/06(Wed) 09:18:39)
    2024/03/06(Wed) 09:30:13 編集(投稿者)
    2024/03/06(Wed) 09:19:53 編集(投稿者)

    > 追記2。世界の非民主主義国が119か国、民主主義国が60か国。趨勢が非民主主義国の流れになっている。この傾向は憂うばかりだ。
    > 冷戦後のロシアの混乱は民主主義になれていないという民度の低さに起因すると思われるが、それに乗じてプーチンが独裁的権力を掌握したということのようだ。
    >民度の低い民主主義は容易に独裁者誕生の口実を与える。
    > アメリカも大統領選挙の年をむかえているが、トランプのようなポピュリストが万が一選ばれたりしたら民度の低さを疑われる。トランプのように一国主義を強めると他国も又一国主義に走り、その結果世界全体が経済が停滞して気の合う国同士の軍事ブロック化が進む。このことは20世紀の第二次世界大戦で経験したことではないか。ポピュリストはさらに民度を低め、国民を危険な方向へと導く。

    追記7.世論調査ではバイデン氏が支持率45%、トランプ氏の支持率が47%と拮抗している。共和党候補では少数派のヘイリー氏が大統領選のキャスティングボートを握っている。最終段階でヘイリー氏が党議拘束を離れ、支持者に大統領選で棄権を呼びかけるか、バイデン氏へ投票するように呼び掛けると少数派であっても大きな影響力をもつことになる。拮抗している場合は少数派の動向が大統領選を左右するのは明らかだ。共和党におけるヘイリー氏の支持者の民度が高く、ポピュリスト・トランプの危険性を認識しているならその良識に従って投票すべきだろう。
引用返信/返信 削除キー/
■36684 / inTopicNo.18)  Re[29]: 時間論の系譜
□投稿者/ rest -(2024/03/02(Sat) 09:21:27)
    2024/03/02(Sat) 09:32:09 編集(投稿者)
    2024/03/02(Sat) 09:29:56 編集(投稿者)


    > 追記6.「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」(親鸞)
    >諸行無常。明日でもいい、という思いから今ある機会を逃がしてしまうことの教訓。未来も、過去も大切だけれども最も大切なのは「今」ということのようだ。実在しているのはこの「今」という現在のみだ。しかも自由意志は現在にしか存在していない。相対論のようなB系列の時間は映像フィルムのように過去も未来も実在するという立場だから自由意志はなく運命論に支配されてしまう。自由意志を尊重するカント的な時間論の方が親鸞の教えと相性がいいように思える。

    追記7.「すなわち未来も過去も存在せず、また三つの時間すなわち過去、現在、未来が存在するということもまた正しくない。それよりはむしろ、三つの時間、すなわち過去のものの現在、現在のものの現在、未来のものの現在が存在するというほうがおそらく正しいであろう。じっさいこれらのものは心のうちにいわば三つのものとして存在し、心以外にわたしはそれらのものを認めないのである。すなわち過去のものの現在は記憶であり、現在のものの現在は直覚であり、未来のものの現在は期待である。」(アウグスティヌス著『告白』下p123 岩波文庫)

     時間の起源は日時計から始まり、太陽の日周運動を利用して太陽の時角の推移から時刻を定め、影を利用して視太陽時を計測する装置を発明した。そしてエジプト文明においてナイル川の増水や種まき、収穫の時期を予測するため、太陽の年周運動から1年を365日とする太陽暦が作り出された。
     時間は人類のはるかな祖先が作り出した概念であり、社会的約束事でありルールだということは間違いない。B系列のような実体はない。

引用返信/返信 削除キー/
■36656 / inTopicNo.19)  Re[32]: 余談。党議拘束への疑問
□投稿者/ rest -(2024/02/25(Sun) 21:47:52)
    2024/02/27(Tue) 09:37:35 編集(投稿者)
    2024/02/27(Tue) 09:32:16 編集(投稿者)

    微妙な訂正。再々度訂正。

    追記5.翻ってわが日本はどうだろうか。日本は民度が高いので、これ以上高める必要がないのではとか、日本に対する批判は野暮であるという見解がある。ほんとうにそうか。去る2021年衆院選挙で全有権者のうち26.3%の得票率しかないのに自民党は議席を過半数を占めるという状況において果たして民意を反映した運営ができるといえるだろうか。しばしば世論調査で過半数(約6割以上)の反対があるにも関わらず実施を強行することもある(マイナンバー保険証の発行など)。そういう状況を放置している日本の民度は高いといえるのだろうか。全有権者の5割が棄権しているからこそこういう状態になる。だからまだまだ民度を高める余地があると思うがどうだろうか。

    追記6. ロシアで最近反政府活動家で弁護士のアレクセイ・ナワリヌイ氏の死が報じられた。どう受け取っていいのか分からない。独裁者プーチンによっていわゆる旧KGB流のやりかたで殺害されたということだろう。プーチンは「勝てば官軍、負ければ賊軍」という発想でやっていると思うが、決して民衆の力を侮ってはならないと気付く時が来るだろう。目覚めた民衆、民度の高まった民衆は独裁者をゆるさない。
    ロシアの経済は原油の値上がりと軍需産業のおかげで成長しているように見えるがロシアの通貨ルーブル安が欧米諸国による制裁の結果として続いている。物価は上昇し消費は落ち込んでいる。つまり実質所得の急激な低下は国民の生活を圧迫し、政府への不満を高めている。ナワリヌイ氏の死がロシア国民の民度を高め、改革のきっかけになるかもしれない。繰り返しになるが
     「一粒の麦がもし落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかしもし死ねば、豊かな実を結びます。」(新約聖書ヨハネ福音書第12章24節)
    ナワリヌイ氏の安らかなお眠りをお祈りします。
     


引用返信/返信 削除キー/
■36628 / inTopicNo.20)  Re[31]: 余談。党議拘束への疑問
□投稿者/ rest -(2024/02/24(Sat) 10:27:19)
    2024/02/25(Sun) 20:21:49 編集(投稿者)
    2024/02/24(Sat) 11:17:05 編集(投稿者)
    2024/02/24(Sat) 10:50:44 編集(投稿者)


    >追記2。世界の非民主主義国が119か国、民主主義国が60か国。趨勢が非民主主義国の流れになっている。この傾向は憂うばかりだ。
    >冷戦後のロシアの混乱は民主主義になれていないという民度の低さに起因すると思われるが、それに乗じてプーチンが独裁的権力を掌握したということのようだ。
    >民度の低い民主主義は容易に独裁者誕生の口実を与える。
    >アメリカも大統領選挙の年をむかえているが、トランプのようなポピュリストが万が一選ばれたりしたら民度の低さを疑われる。トランプのように一国主義を強めると他国も又一国主義に走り、その結果世界全体が経済が停滞して気の合う国同士の軍事ブロック化が進む。このことは20世紀の第二次世界大戦で経験したことではないか。ポピュリストはさらに民度を低め、国民を危険な方向へと導く。

    追記5.翻ってわが日本はどうだろうか。日本は民度が高いので、これ以上高める必要がないのではという、日本に対する批判は野暮であるという見解がある。ほんとうにそうか。去る2021年衆院選挙で全有権者のうち26.3%の投票率しかないのに自民党は議席を過半数を占めるという状況において果たして民意を反映した運営ができるといえるだろうか。しばしば世論調査で過半数(約6割以上)の反対があるにも関わらず実施を強行することもある(マイナンバー保険証の発行など)。そういう状況を放置している日本の民度は高いといえるのだろうか。全有権者の5割が棄権しているからこそこういう状態になる。だからまだまだ民度を高める余地があると思うがどうだろうか。
引用返信/返信 削除キー/
■36579 / inTopicNo.21)  Re[28]: 時間論の系譜
□投稿者/ rest -(2024/02/18(Sun) 21:01:10)
    2024/02/18(Sun) 21:06:04 編集(投稿者)

    >追記5.未来は実在しないけれども「過去」は実在するという見方をする人がけっこういるようだ。そこで「過去」の実在性について検討してみたい。
    >哲学者マクタガートの時間論においてA系列は過去と未来は明確に区分されているけれどもB系列においては区分されていない。それどころか過去と未来は重なっている。B系列=A系列+C系列なのでB系列の中にA系列が含まれている。たとえばある時点からみた未来は別の時点からみると過去になるということが生じる。年表を考えてみたらいい。1960年から未来は1980年からみると過去になる。未来は過去でもあるということになる。その結果「未来」が実在しなければ「過去」も実在しないということが導かれる。過去も未来も時間軸(年表)においてひとつながりの連続体なので切り離して考えることはできない。
    >マクタガートはA系列の「変化」を幻想として、すなわち仏教的な「諸行無常」を否定して「変化」のないB系列(正確にはA系列を否定しているのでC系列)、変化のない映像フィルムのみを認めている。そこにおいては過去も未来もいっしょなので未来の実在性を否定すれば必然的に過去の実在性も否定されることになる。
    >カントの三次元空間の唯一無二説からは「未来」の無数の三次元空間や「過去」の無数の三次元空間の実在性を否定して「現在」における現実の三次元空間のみを唯一無二と考えることができる。そこにおいては三次元空間をのぞいてはすべてが変化するという「諸行無常」を本質と考える。「時間」とは太陽の変化を基準に考え出された社会的約束事であり、すなわちルールとして存在している。この「時間」には背景に年表という実体はない。マクタガート的にはA系列が実在であってB系列は幻想なのだと結論としていえる。ただ「過去」は実在しないとはいえ有用性があることは間違いない。過去の記憶、記録から教訓を得たり、事実を再構成したり役立っていることも銘記しておきたい。

    追記6.「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」(親鸞)
    諸行無常。明日でもいい、という思いから今ある機会を逃がしてしまうことの教訓。未来も、過去も大切だけれども最も大切なのは「今」ということのようだ。実在しているのはこの「今」という現在のみだ。しかも自由意志は現在にしか存在していない。相対論のようなB系列の時間は映像フィルムのように過去も未来も実在するという立場だから自由意志はなく運命論に支配されてしまう。自由意志を尊重するカント的な時間論の方が親鸞の教えと相性がいいように思える。
引用返信/返信 削除キー/
■36558 / inTopicNo.22)  Re[30]: 余談。党議拘束への疑問
□投稿者/ rest -(2024/02/17(Sat) 12:09:11)
    No36521に返信(restさんの記事)
    > 2024/02/12(Mon) 10:41:10 編集(投稿者)
    > ■No36500に返信(restさんの記事)
    >>■No36342に返信(restさんの記事)
    > >>2024/01/31(Wed) 10:51:47 編集(投稿者)
    > >>2024/01/31(Wed) 09:52:39 編集(投稿者)
    > >>2024/01/31(Wed) 09:52:30 編集(投稿者)
    > >>
    > >>私の過去ログに保存しておきたいので他のトピから転記します。
    > >>
    > >>投稿者/ rest -(2024/01/27(Sat) 22:24:52)
    > >>
    > >>以前に大手のマスコミに投稿して没になった原稿の大筋をまとめてみた。
    > >>仮定の話だが、仮に国会の衆議院がが100名の議員で構成されているとしよう。それぞれの地域を代表してきている選挙で選ばれた議員だ。ある議案が提出された。ある国と戦争を開始するという法案がだされた。賛成が40名で反対が60名だった。本来なら法案は否決されるはずだが通過してしまった。なぜか、それは個人より組織が優先するという政党政治があったからだ。自民党が60名おり、野党が40名だ。自民党内部で35名が賛成で25名が反対だった。野党は40名全員が反対だった。反対が65名で多数なのになぜか法案が可決してしまった。党議拘束が自民党全員に適用され、反対派の25名は賛成にまわったからだ。この結果戦争法案は自民党60名の可決で通過してしまった。政治家個人では国民の民意を反映しているのに、組織優先にすると民意が反映されなくなる。国民全体でみると一部の少数派が実権をにぎることになり、独裁政治となんら変わらない。自民党の賛成派の中にさらに派閥という組織をつくると国民全体から見るとごく少数の人たちが権力を握り、民意が反映せず独裁的な派閥政治が横行してしまう。現代は非常に危険な時代だと思う。
    > >>
    > >>追記。最も理想的な政治形態はなんだろうか、と考えている。ニーチェの精神的貴族による政治というのは、衆愚化された大衆政治の対極にあるものと思う。それは理想ではあるがそれに近いもっと民度の高い民主主義というのも考えていいのかもしれない。それには国民の教育レベルが高くなければならないと思うが。ところでそのための理想の教育ってなんだろう?利己主義とは違う夏目漱石の「個人主義」か、一方的な犠牲愛か、そのほか何があるだろうか。指針となるのは。
    >>
    >>追記2。世界の非民主主義国が119か国、民主主義国が60か国。趨勢が非民主主義国の流れになっている。この傾向は憂うばかりだ。
    >> 冷戦後のロシアの混乱は民主主義になれていないという民度の低さに起因すると思われるが、それに乗じてプーチンが独裁的権力を掌握したということのようだ。
    >>民度の低い民主主義は容易に独裁者誕生の口実を与える。
    >> アメリカも大統領選挙の年をむかえているが、トランプのようなポピュリストが万が一選ばれたりしたら民度の低さを疑われる。トランプのように一国主義を強めると他国も又一国主義に走り、その結果世界全体が経済が停滞して気の合う国同士の軍事ブロック化が進む。このことは20世紀の第二次世界大戦で経験したことではないか。ポピュリストはさらに民度を低め、国民を危険な方向へと導く。
    >
    > 追記3。民度を高めるために資すればと次のことを考えてみた。市民社会における自由の意味について。自由には二つの意味がある。一つは任意に行う自由(Freedom)、二つ目は支配からの自由(Liberty)がある。市民社会における支配・被支配のない対等な関係とは後者の支配からの自由を意味し、つまり対等な関係は自由な社会関係を表しているといえる。
    >  力の強いものと弱いものが対等な関係を築くには力の強いものが自制的でなければならない。通常、共同体を司る力が行使されるのは、ある個がルール違反をした場合にのみ限定されるべきであると思う。これを権力的関係というのか疑問がある。直接民主主義においては自ら法律(ルール)を決め、自ら従うのでカントのいう自律であり、定言命法である。しかし独裁者が法律を決め人々が従うというのは他律でありこれこそが権力的な関係といえる。自律的な自己規制力は権力とは呼ばない。
    >  そのほかカントは「物件」を除いて自由には人格があるので、したがって自由には責任が伴う、ということも述べている。

    追記4.「一粒の麦がもし落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかしもし死ねば、豊かな実を結びます。」(新約聖書ヨハネ福音書第12章24節)
     民度を高めるための普及が目的の場合、著作権は放棄してもいいのではないか、と考えている。書物にして売るために書いているわけではないので援用はご随意にといいたい。ただし個人攻撃は容赦願いたい。
引用返信/返信 削除キー/
■36521 / inTopicNo.23)  Re[29]: 余談。党議拘束への疑問
□投稿者/ rest -(2024/02/12(Mon) 10:38:57)
    2024/02/12(Mon) 10:41:10 編集(投稿者)
    No36500に返信(restさんの記事)
    > ■No36342に返信(restさんの記事)
    >>2024/01/31(Wed) 10:51:47 編集(投稿者)
    >>2024/01/31(Wed) 09:52:39 編集(投稿者)
    >>2024/01/31(Wed) 09:52:30 編集(投稿者)
    >>
    >>私の過去ログに保存しておきたいので他のトピから転記します。
    >>
    >>投稿者/ rest -(2024/01/27(Sat) 22:24:52)
    >>
    >>以前に大手のマスコミに投稿して没になった原稿の大筋をまとめてみた。
    >>仮定の話だが、仮に国会の衆議院がが100名の議員で構成されているとしよう。それぞれの地域を代表してきている選挙で選ばれた議員だ。ある議案が提出された。ある国と戦争を開始するという法案がだされた。賛成が40名で反対が60名だった。本来なら法案は否決されるはずだが通過してしまった。なぜか、それは個人より組織が優先するという政党政治があったからだ。自民党が60名おり、野党が40名だ。自民党内部で35名が賛成で25名が反対だった。野党は40名全員が反対だった。反対が65名で多数なのになぜか法案が可決してしまった。党議拘束が自民党全員に適用され、反対派の25名は賛成にまわったからだ。この結果戦争法案は自民党60名の可決で通過してしまった。政治家個人では国民の民意を反映しているのに、組織優先にすると民意が反映されなくなる。国民全体でみると一部の少数派が実権をにぎることになり、独裁政治となんら変わらない。自民党の賛成派の中にさらに派閥という組織をつくると国民全体から見るとごく少数の人たちが権力を握り、民意が反映せず独裁的な派閥政治が横行してしまう。現代は非常に危険な時代だと思う。
    >>
    >>追記。最も理想的な政治形態はなんだろうか、と考えている。ニーチェの精神的貴族による政治というのは、衆愚化された大衆政治の対極にあるものと思う。それは理想ではあるがそれに近いもっと民度の高い民主主義というのも考えていいのかもしれない。それには国民の教育レベルが高くなければならないと思うが。ところでそのための理想の教育ってなんだろう?利己主義とは違う夏目漱石の「個人主義」か、一方的な犠牲愛か、そのほか何があるだろうか。指針となるのは。
    >
    > 追記2。世界の非民主主義国が119か国、民主主義国が60か国。趨勢が非民主主義国の流れになっている。この傾向は憂うばかりだ。
    >  冷戦後のロシアの混乱は民主主義になれていないという民度の低さに起因すると思われるが、それに乗じてプーチンが独裁的権力を掌握したということのようだ。
    > 民度の低い民主主義は容易に独裁者誕生の口実を与える。
    >  アメリカも大統領選挙の年をむかえているが、トランプのようなポピュリストが万が一選ばれたりしたら民度の低さを疑われる。トランプのように一国主義を強めると他国も又一国主義に走り、その結果世界全体が経済が停滞して気の合う国同士の軍事ブロック化が進む。このことは20世紀の第二次世界大戦で経験したことではないか。ポピュリストはさらに民度を低め、国民を危険な方向へと導く。

    追記3。民度を高めるために資すればと次のことを考えてみた。市民社会における自由の意味について。自由には二つの意味がある。一つは任意に行う自由(Freedom)、二つ目は支配からの自由(Liberty)がある。市民社会における支配・被支配のない対等な関係とは後者の支配からの自由を意味し、つまり対等な関係は自由な社会関係を表しているといえる。
     力の強いものと弱いものが対等な関係を築くには力の強いものが自制的でなければならない。通常、共同体を司る力が行使されるのは、ある個がルール違反をした場合にのみ限定されるべきであると思う。これを権力的関係というのか疑問がある。直接民主主義においては自ら法律(ルール)を決め、自ら従うのでカントのいう自律であり、定言命法である。しかし独裁者が法律を決め人々が従うというのは他律でありこれこそが権力的な関係といえる。自律的な自己規制力は権力とは呼ばない。
     そのほかカントは「物件」を除いて自由には人格があるので、したがって自由には責任が伴う、ということも述べている。
引用返信/返信 削除キー/
■36500 / inTopicNo.24)  Re[28]: 余談。党議拘束への疑問
□投稿者/ rest -(2024/02/10(Sat) 21:38:59)
    No36342に返信(restさんの記事)
    > 2024/01/31(Wed) 10:51:47 編集(投稿者)
    > 2024/01/31(Wed) 09:52:39 編集(投稿者)
    > 2024/01/31(Wed) 09:52:30 編集(投稿者)
    >
    > 私の過去ログに保存しておきたいので他のトピから転記します。
    >
    > 投稿者/ rest -(2024/01/27(Sat) 22:24:52)
    >
    > 以前に大手のマスコミに投稿して没になった原稿の大筋をまとめてみた。
    > 仮定の話だが、仮に国会の衆議院がが100名の議員で構成されているとしよう。それぞれの地域を代表してきている選挙で選ばれた議員だ。ある議案が提出された。ある国と戦争を開始するという法案がだされた。賛成が40名で反対が60名だった。本来なら法案は否決されるはずだが通過してしまった。なぜか、それは個人より組織が優先するという政党政治があったからだ。自民党が60名おり、野党が40名だ。自民党内部で35名が賛成で25名が反対だった。野党は40名全員が反対だった。反対が65名で多数なのになぜか法案が可決してしまった。党議拘束が自民党全員に適用され、反対派の25名は賛成にまわったからだ。この結果戦争法案は自民党60名の可決で通過してしまった。政治家個人では国民の民意を反映しているのに、組織優先にすると民意が反映されなくなる。国民全体でみると一部の少数派が実権をにぎることになり、独裁政治となんら変わらない。自民党の賛成派の中にさらに派閥という組織をつくると国民全体から見るとごく少数の人たちが権力を握り、民意が反映せず独裁的な派閥政治が横行してしまう。現代は非常に危険な時代だと思う。
    >
    > 追記。最も理想的な政治形態はなんだろうか、と考えている。ニーチェの精神的貴族による政治というのは、衆愚化された大衆政治の対極にあるものと思う。それは理想ではあるがそれに近いもっと民度の高い民主主義というのも考えていいのかもしれない。それには国民の教育レベルが高くなければならないと思うが。ところでそのための理想の教育ってなんだろう?利己主義とは違う夏目漱石の「個人主義」か、一方的な犠牲愛か、そのほか何があるだろうか。指針となるのは。

    追記2。世界の非民主主義国が119か国、民主主義国が60か国。趨勢が非民主主義国の流れになっている。この傾向は憂うばかりだ。
     冷戦後のロシアの混乱は民主主義になれていないという民度の低さに起因すると思われるが、それに乗じてプーチンが独裁的権力を掌握したということのようだ。
    民度の低い民主主義は容易に独裁者誕生の口実を与える。
     アメリカも大統領選挙の年をむかえているが、トランプのようなポピュリストが万が一選ばれたりしたら民度の低さを疑われる。トランプのように一国主義を強めると他国も又一国主義に走り、その結果世界全体が経済が停滞して気の合う国同士の軍事ブロック化が進む。このことは20世紀の第二次世界大戦で経験したことではないか。ポピュリストはさらに民度を低め、国民を危険な方向へと導く。
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