| 2024/03/12(Tue) 20:57:36 編集(投稿者)
こんばんは、restさん。横レス失礼します。
本当に歳と共に時間の流れが早くなることを感じます。そう感じるということは以前から聞いていたので、やはりそうだったと再度認識しなおしている次第です。
何故そう感じるのかはこれまであまり深く考えてきませんでしたが、最近、自分の死期が近づいてくるにも拘わらずやはりまだ死にたくないという気持ちが、時間の流れを早く感じさせているのかなと思っています。自分の死に向かって出来るだけ遅く歩みたいのに時間はおかまいなく進むので、相対的に早く進んでいるように感じるのかなと考えたりしています。
これはパニチェさんが書かれた分数仮説に通ずるところがあります。分数仮説では今まで生きた年月を分母にしていますが、この考えは残りの人生の時間を分母にしています。人生の長さを線分で表すと、例えば若い時の1年は残りの人生全体に占める比率は少ないですが、70歳の時の1年は残りの人生の長さに対して大きな部分を占めます。 仮に人生80年とすると、10歳の時の1年は残りの1/70ですが、70歳の時の1年は1/10になります。同じ1年で1/70経過するのと1/10経過するのとでは1/10経過した方が時間の進み方が早いと感じるのではないかという仮説です(この仮定では分数仮説とは異なり値が大きいほど感覚的な時間進行が早いことになります)。自分の人生が何年なのかはわかりませんが、歳をとるほど残り時間が少なくなることは確かです。
そもそも子どもの頃は感覚的時間経過の進み方について遅いとか早いとかは考えることもなかったように思います。それは老年期を経験していないので比較の対象がなかったことも一因としてあるでしょう。また自分の死はまだ真剣に思考すべきことでもないので、とりあえずは永遠の生の中の1年のように感じていたのかも知れません。
このように考えてくると、(自分には経験がないのでわかりませんが)悟りの境地を得、生死から自由になると時間経過の遅早も感じなくなるのかもしれません。
自分の人生を振り返ると小学校6年間が一番長く感じます。幼稚園やそれ以前のことは記憶量もそれほど多くありません。このことから死生観とは別に記憶量の多寡が時間経過の遅早(おそはや)に関係しているかもしれません。
一方、夢中になっている時は時間があっという間に過ぎ、退屈な時は時間の進みを遅く感じるということもあります。これも独特の感覚的時間経過です。
最後に時間の進み具合を最も切実に感じた事例を紹介します。 まだ学生の頃、エキストラでベルリオーズの幻想交響曲を演奏した事があります。この曲は50分ほどかかる大曲です。本番前日、激辛のカレーを食べたためか、おなかの調子がよくなく、始まってすぐに便意が襲ってきました。幻想の1楽章の冒頭部分のイントロダクションはテンポが遅く、ああ、これは最後まで持たない・・・という絶望的な気持ちでした。 詳しくは書きませんが、曲のテンポの速い部分では光明が見え、遅い部分ではどうやって舞台から引っ込むか?だけを考えていました。特にテンポの遅い3楽章、冒頭のコールアングレののんびりした田舎の情景部分はまさに時間が止まっているかのようで地獄でした。4楽章の断頭台へ行進が始まった時はひょっとしたらセーフかもしれないと一縷の望みがみえたことを覚えています(結果的に持ち堪えました)。
人間の感覚とは不思議なものです。
長々と失礼しました m(_ _)m
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