| ■45090 / ) |
Re[15]: つれづれなるままに 22
|
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2026/01/04(Sun) 19:02:22)
| No45087のつづき的なのになるんだけど
No45032(事典D)の(d)に「後からの確認」ってあって、(8)-Fには「後からの覚認」ってあって、わたしのばあい「覚認」の方がいいかなって思ってる。っていうのは、気づかれる自我っていうのはどうやら感性のうちに見られているみたいだから。あ、これはいいんだけど。 (d)に、 〔反省が可能であるためには、反省に先立って、自我はいつも自己自身のうちに隔たりを発生させ、同時にそれを架橋しながら、自己を(まさにたえざる自己差異化の過程のなかで)同一的なものとして構成しているのでなければならない。〕 の、〔自我の自己差異化…同一的なもの〕なんだけど、 No45034資料(8)-@に、〔自我の自己分離(Sich-Spalaten)と再同一化〕ってあって、 資料(5)には「自我-分極(Ich-Polarisierung)」、資料(10)には「自我分裂」、ってあるんだけど、たぶん同じことを言ってるんだと思う。
こういうのどう見ようかな、って思って。 〈反省のときに、同一的な自我のうちに、差異化(分極・分極)が行われる〉 ってして見たのね。 で、 No45087で見たようなのと、 No45062の図で見て見て、
(D2)を〈u自我〉の時、(D1)を〈i自我〉の時、ってして、 〈u自我(D2)〉の自我が〈i自我(D1)〉の自我――この両者は同一的なもなんだけど――反省のときには、〈u自我(D2)〉の自我と〈i自我(D1)〉の自我が〔差異化・分離・分極〕されてる、っていうふうなことを言ってるんじゃないかした?って。
そして、資料(8)-@に、 〔私は、この絶え間ない自我の自己分離(Sich-Spalaten)と再同一化において、原的な極、すなわち根源的に機能している自我、および、この原-自我にとって対峙して存在するようになった自我を見出す。〕 っていうふうに、分離した自我のうちに〔根源的に機能している自我〕〔原-自我〕をフッサールは見出した、ってわたし見たのね。
ん、〔自己〕って、(Sich)ってあるから、〔自我の自己分離〕って〈自我自身の分離〉っていうふうに見てもいいのかな?
|
|