| ■44223 / ) |
Re[16]: つれづれなるままに
|
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2025/09/21(Sun) 09:33:55)
| カントのわたしの物語りをつづける。 No44173のようなわたしの見方ができたところで、 No44110(KI)のところをもういちど見ていって見ることにしたよ。
(K-A1)カントの、「統覚」と「自己意識」と「自己同一性」の関係について、
O統覚は自己意識である これから、カントは 「自己意識」=「統覚」 ってしてる、ってしとく。 P統覚は…自己同一性である ってあって、OとPをまとめて、 (a1)統覚は自己意識であり自己同一性である。 (k1)「統覚」=「自己意識」=「自己同一性」 っていうことでいいかな。 で、これをわたしの見方で書くと、 (a2)「統覚」は<(私が存在する)と(私は考える)>であり<一なる(私)>である。 ってなる。
(K-A2)カントの、「統覚Apperzeption」について、
「統覚」には4つあるみたいっていうことと、「意識」と「統覚」とはちょっと違うみたいなので、(KI)のなかからちょっと整理して見たよ。 (e)「経験的意識」(2)−――経験的統覚」Q (u) ――−―「根原的統覚」HNQ㉑㉒ (r)「純粋思惟」J−――――「純粋統覚」@FQRS (t)「超越論的意識」HL――「超越論的統覚」HM㉔ だいたいこんな感じかな。(KI)のところには「根原的意識」っていうのは出てきてなかったと思うけど。 ひとまず、カントの、 (15)「統覚Apperzeption」 = 〈悟性による綜合的統一〉 としといて、 No44106の(資料Ap)からのBのからのでは、カントの「統覚」は、 〔感性の直観において諸表象の多様が与えられる際、それを総合的に統一し、一であり同一な経験的主観の自己意識の下へと帰属させる作用〕 っていうことになるのかな。 これ、自己意識→<(私が存在する)と(私は考える)>、ってして見ると、 〈感性の直観において諸表象の多様が与えられる際、それを総合的に統一し、一であり同一な経験的主観の<(私が存在する)と(私は考える)>の下へと帰属させる作用〉 っていうふうになる。
え〜と、カントにおける「意識」と「統覚」の関係については、 「意識〈コギト(私は考える)〉」において「統覚〈悟性による綜合的統一〉する」 見たいにして見とく。
つづく
|
|