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Re[7]: つれづれなるままに 21
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2025/09/14(Sun) 09:22:26)
| No44171のつづき、 『一なる意識((私)という自己意識))』についてね。 まず、 (A1)―――――― カントの『自己意識』ってうの、 No43291(資料Ap)のから (1)『自己意識』 → 〈自己という意識が存在する〉 ってわたしして見て見た。 これわたしの見方では、〈自己というコギト(私は考える)が存在する〉ってなってなるんだけど、自己っていうのがなんか分かんない。でね、自己を私に置き換えて見たらどうかな?って。 で、 (2)〈私というコギト(私は考える)が存在する〉 ってなるんだけど、これどう見ようかな、って思って、 (3)(2)を、{私が存在する}っていうことと{私は考える}っていうことに分けて見たのね。で、これをまとめて、 {私が存在する}と{私は考える} ってして見た。 意味的には、「私、私は存在する、って思ってる」みたいなの。 で、 (4)「自己意識」 → <{私が存在する}と{私は考える}> ってして見ることにして見た。
次に、 (A2)―――――― (4)の見方から、『(私)という自己意識』を見て見るんだけど、 ここでは(私)ってカッコで(本文では『私』っていうカッコで)括られてるから、{ }を( )にして見るよ。 (5)(私)という<(私が存在する)と(私は考える)> ってってなるんだけど、な〜んかヘンで、これどう見ようかな〜?でいろいろ考えて見たんだけど、 (6)<(私が存在する)と(私は考える)>の(私) っていうのはどうかな?って。 意味的には、(私が存在する)という表象と(私は考える)という表象、これを表象している(私)、みたいな感じのね。 で、 (7)『(私)という自己意識』 → <(私が存在する)と(私は考える)>の(私) ってして見ることにした。
次に、 (A3)―――――― 『一つの意識』あるいは『一なる意識』なんだけど、 これ、わたしのばあい、 (8)「一つのコギト(私は考える)」あるいは「一なるコギト(私は考える)」 ってなるんだけど、 Bに、『我々は、…自分の…自己同一性を、…意識している』 ってあるので、「一つの」とか「一なる」っていうのを、「自己同一性」のことってして見たのね。 で、 (9)『一つの意識』 → 自己同一性のコギト(私は考える) あるいは、『一なる意識』→自己同一性におけるコギト(私は考える)
次に (A4)――――――― 『一なる意識((私)という自己意識))』なんだけど、 これを、 「一なる意識、すなわち、(私)という自己意識」ってして見て、 (7)と(9)から、 (10)自己同一性のコギト(私は考える)、すなわち、<(私が存在する)と(私は考える)>の(私) ってなった。 これを簡単にまとめて、 (11)<(私が存在する)と(私は考える)>の(私)は同一性 あるいは、 (12)同一性の(私)による<(私が存在する)と(私は考える)> ってして見た。
次に、 (A5)―――――――――――― カントのカッコで括られた(私)っていうの、〈(私)は同一性〉とか〈自己同一性である(私)〉ってして見たことから、 これ、簡単に〈一つの(私)〉、〈一なる(私)〉、〈(私)は一つ〉でもいいかな、って思って、 だから、 (13)「自己同一性」≒〈一なる(私)〉 ってして見よっかな、って。 カントの場合、「自己同一性」って言うのを〈一なる(私)〉ってして言い表してるかも、っていうこと。 また、〈一なる〉っていうのは(私)のこと、ってして見てもいいかな、って。
最後に、 (A6)――――――――――― こういうのから、カントの言う (14)『一なる意識((私)という自己意識))』 → <(私は存在する)と(私は考える)>の<一なる(私)> ってして見た。
(KI)、こういうふうにして見たらどうかな、って。
カントの、ますます自分勝手な見方になって来てる感もあるから、「それ違うよ」っていうのあったらお願いしま〜す。
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