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Re[65]: つれづれなるままに
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/03/17(Sun) 16:36:09)
| きょうはもう少しお喋り つぎに、〈知覚〉と〈想像〉の関係についてなんだけど、
No36835のつづき No36016の、 (c)『イメージと幻覚には欺瞞が含まれており、それらは疑似的な視覚として示されます。』 の『欺瞞』(あざむく)は別として、〈知覚〉と〈想像〉の関係について、 (c-A)〈想像-されるもの(非現実的なもの/現にないもの)〉によって、〈疑似的な感覚(感覚の変様態)〉が、知覚に示される。 これと、 (f)の『投影』 わたしこれ、〔刺激対象を知覚する際に、個体の興味、欲求、期待などの影響を受けて、それにそうように知覚が生じる〕ってし て見てる。 ここんとこ、どう見ればいいのかずーっと考えてる。
(c-A)なんだけど、 〈想像-されるもの〉は感覚自体に作用して〈疑似的な感覚(感覚の変様態)〉にしちゃってるのかしら?って思ったのね。 でもそうすると、 No36191の(w)「共現在化」となんかなんか違ってきちゃうかな?って。
でね、こう考えて見たのね。
〈知覚〉は、〈感覚=現実的なもの/現にあるものの感覚〉へ志向してるんだけど、知覚がそれを取り入れるときに、〈想像-されるもの(非現実的なもの/現にないもの)〉が介入して、〈想像-されるもの〉のなかの〈疑似的なもの〉も“知覚しちゃう”、って。 ――こう見たときあざむかれてるのは知覚ってして見てもいいかもだけど。 「知覚は感覚へ志向してそれが構成される」ってしてるなかで、想像による〈疑似的なもの〉も知覚されるって見て、こういうなかで、〈疑似的なもの〉の〈もの〉を「感覚」って呼んじゃってるんじゃないかしら?
〈現実的なもの/現にあるものの感覚〉と〈非現実的なもの/現にないものである想像・記憶〉ってわたし分けて見たのね。 No36191の(w)〔知覚対象は単なる現前ではなくつねに付帯現前なのである〕のように、この二つが”知覚されている”って「知覚」って言うのが使われちゃってるんじゃないかしら? 現象学は、No36289の(qs)〔想像を・・・・知覚と並び知覚にどこまでも近いひとつの表象〕ってしてる見たいだし。
でね、 〈現実的なもの/現にあるものの感覚〉へ志向するのを〈端的な知覚〉ってして、これによって構成されたものを〈知覚-“されたもの”〉(これ、No36016の(o)の『現実的なものの知覚』のこと)って言うことにして、これと、〈非現実的なもの/現にないものである想像・記憶〉の両方によって構成されてるもの〈知覚“されているもの”〉って言うことにして区別して見た。 この〈知覚“されているもの”〉が(w)のような「共現在化」ことね。 あ、これ、現象学で、〈知覚されているもの〉のなかに〈想像〉を含めている、としたばあいね。
こんなふうに見たんだけど、〈知覚-されたもの〉と〈知覚されているもの〉って言う言い方での区別って、なんかまぎらわしいな〜、って思って、な〜んかいい言い方ないかな〜って・・・・最近ふと思いついたのが、〈現の知覚〉、〈非現の知覚〉って言う言い方。〈現〉っていうのは「現前」「現在」「現実」のことね。
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