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■37053 / inTopicNo.25)   純粋理性批判B179
  
□投稿者/ pipit -(2024/04/08(Mon) 16:22:14)
    No37052
    (pipitの感想文)
    > 純粋でアプリオリな概念が私たちにある。
    > カテゴリーにおける悟性の機能として。
    > それだけではなく、
    > その概念には、感覚(内官)の形式的条件→→時間も含まれている。
    > その概念には、カテゴリーの対象への適用を可能とする条件も含まれている。<

    純粋悟性概念に付随する、対象への適用を可能とする条件が、図式なのだというのとが、次の文章で述べられるようです。

    (英訳)
    This formal and pure condition of sensibility, to which the conception of the understanding is restricted in its employment, we shall name the schema of the conception of the understanding, and the procedure of the understanding with these schemata we shall call the schematism of the pure understanding.

    (pipit日訳)
    悟性概念がその使用において制限される、この形式的で純粋な感性の条件を、悟性概念の図式と名づけ、このような図式を用いた悟性の手続きを、純粋悟性の図式論(図式機能)と呼ぶことにする。
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■37061 / inTopicNo.26)  Re[12]: 純粋理性批判B179
□投稿者/ pipit -(2024/04/09(Tue) 22:07:37)
    2024/04/09(Tue) 23:15:52 編集(投稿者)

    みなさまこんばんは!続きです。

    (J. M. D. Meiklejohnさん英訳)
    The schema is, in itself, always a mere product of the imagination.
    But, as the synthesis of imagination has for its aim no single intuition,
    but merely unity in the determination of sensibility,
    the schema is clearly distinguishable from the image.

    (英訳のpipit日訳)
    図式はそれ自体、常にイマジネーションの産物にすぎない。
    しかし、イマジネーションの総合は、単一の直観を目的とするのではなく、
    感性の規定における統一を目的とするのであるから、
    図式はイメージとは明らかに区別される。

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■37062 / inTopicNo.27)  日記
□投稿者/ pipit -(2024/04/09(Tue) 22:32:07)
    2024/04/09(Tue) 23:18:58 編集(投稿者)

    No37061
    んー?わからないので、反対から読んでみます...

    > 図式はイメージとは明らかに区別される。<

    うん、これは言ってることは一応わかる。

    >感性の規定における統一を目的とするのであるから、<

    これが理由で、図式とイメージが区別される?

    >しかし、イマジネーションの総合は、単一の直観を目的とするのではなく、<

    イマジネーション(想像)の総合の目的は、単一の直観ではなく、感性の規定における統一を目的にするので、図式とイメージは区別される。

    >図式はそれ自体、常にイマジネーションの産物にすぎない。<

    イマジネーションの産物が図式ではあるのだが、、、

    イマジネーションの目的(の一つとして)、単一の直観。
    図式(Schema)の目的として、感性の規定における統一。
    この目的の違いにより、イメージと図式を区別する。

    感性の規定における統一を目的とする図式とは、
    No36890の経験的概念における例としては、下側の水色の矢印が、イマジネーションの産物である内でも、特定の目的を持つ『図式』という産物、ということかな、と思いました。

    全然違ったらすみません、読み進めてみます
    m(_ _)m

    おやすみなさいー(( _ _ ))..zzzZZ


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■37069 / inTopicNo.28)  純粋理性批判B179
□投稿者/ pipit -(2024/04/10(Wed) 14:02:50)
    みなさまこんにちは、続きです♪
    少しずつ投稿します。

    Thus, if I place five points one after another.... this is an image of the number five.
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■37070 / inTopicNo.29)  Re[14]: 純粋理性批判B179
□投稿者/ pipit -(2024/04/10(Wed) 14:06:59)
    On the other hand, if I only think a number in general, which may be either five or a hundred, this thought is rather
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■37071 / inTopicNo.30)  純粋理性批判B179
□投稿者/ pipit -(2024/04/10(Wed) 14:07:51)
    the representation of a method of representing in an image a sum (e.g., a thousand) in conformity with a conception,
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■37072 / inTopicNo.31)  Re[16]: 純粋理性批判B179
□投稿者/ pipit -(2024/04/10(Wed) 14:08:19)
    than the image itself, an image which I should find some little difficulty in reviewing, and comparing with the conception.
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■37073 / inTopicNo.32)  Re[17]: 純粋理性批判B179
□投稿者/ pipit -(2024/04/10(Wed) 14:09:06)
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■37074 / inTopicNo.33)  Re[18]: 純粋理性批判B179
□投稿者/ pipit -(2024/04/10(Wed) 14:10:52)
    2024/04/10(Wed) 14:14:05 編集(投稿者)

    No37069-37073

    (英訳のpipit意訳・日訳)

    したがって、もし私が5つの点を次々に置くとしたら
    ・・・・・
    これは数字の5のイメージである。

    一方、もし私が、(5かもしれないし100かもしれないが)、一般的な数を思い浮かべるだけなら、この思い浮かべ方はむしろ、イメージそのものというよりも、概念に従ったある集合量(たとえば1000)をイメージで表す方法の表象であり、

    このイメージを確認し、概念と比較することには少し困難が伴うはずである。

    さて、このように、ある概念に対してイメージを提示する想像力の一般的な手順を表現したものを、私はこの概念の図式と呼ぶ。
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■37075 / inTopicNo.34)  感想日記
□投稿者/ pipit -(2024/04/10(Wed) 14:28:46)
    2024/04/10(Wed) 15:02:43 編集(投稿者)

    まだ図式論を通して読んでるわけではないので、勘違いかもしれませんが今の時点で考えてることを書きます。

    ・・・・・

    は、実際に見ることが可能ですよね?
    『像』として、見えてますよね?
    この像を心の中で思い浮かべた場合(目を瞑って思い浮かべられるでしょうか?)、カントはそのような心の中における像を『イメージ(心象)』と表現しているのではないかと考えました。

    で、5 の場合は、・ を5回打ったわけですが、

    10は、・・・・・・・・・・10回打ちます。

    1000なら・・・→ 1000回打ちます。

    ここにある手続きが存在しています。【X回・を打つことで、該当数字Xの『心象』を表象出来る】という手続きのあり方が存在しています。
    この手続きを名指して【図式】と言ってるのかな、と思いました。

    【図式】がそのまま『・・・・・(心象)』というわけではなく、【図式】を機能させると、心象化が可能となる、という捉え方をpipitはしました。

    全然勘違うかもなので、先を読んでみます (T ^ T)


    No37074
    > (英訳のpipit意訳・日訳)
    >
    > したがって、もし私が5つの点を次々に置くとしたら
    > ・・・・・
    > これは数字の5のイメージである。
    >
    > 一方、もし私が、(5かもしれないし100かもしれないが)、一般的な数を思い浮かべるだけなら、この思い浮かべ方はむしろ、イメージそのものというよりも、概念に従ったある集合量(たとえば1000)をイメージで表す方法の表象であり、
    >
    > このイメージを確認し、概念と比較することには少し困難が伴うはずである。
    >
    > さて、このように、ある概念に対してイメージを提示する想像力の一般的な手順を表現したものを、私はこの概念の図式と呼ぶ。
引用返信/返信 削除キー/
■37095 / inTopicNo.35)  Re[20]: 感想日記
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/04/12(Fri) 18:58:33)
    お邪魔しま〜す。

    カントの言う「図式」っていうのわたしわかんないけど、その前に、

    カントの場合、「イマジネーション」と「イメージ」は区別されてるの?
引用返信/返信 削除キー/
■37100 / inTopicNo.36)  図式.....
□投稿者/ pipit -(2024/04/12(Fri) 21:12:09)
    2024/04/12(Fri) 21:16:19 編集(投稿者)

    悪魔ちゃん、こんばんは!

    No37095
    > カントの言う「図式」っていうのわたしわかんないけど、その前に、<

    私もわからんよぅ ( ; ; )挫折しそうやよぅ....


    > カントの場合、「イマジネーション」と「イメージ」は区別されてるの?<

    区別されてるとpipitは思ってるんだけど、、、
    pipit的な考えでは、想像力(創像力)と、像、みたいな関係に捉えてるよ。

    あ、そしたらpipitの感想は間違えてる気がしてきたなぁ(><)
    やっぱり『像』が図式やから、ボヤボヤっとした像なんやろうか?
    アリがいっぱいいたら、100くらいかなぁ、と考える時の、100の量のぼやぼや像??
    を、想像力が作る手続きが図式機能?
    うぅわからん、、、

    カントの原語を書いておくね。

    J. M. D. Meiklejohnさんの英訳
    『Now this representation of a general procedure of the imagination to present its image to a conception, I call the schema of this conception.』
    の箇所の
    カントのドイツ語原語は、
    『Diese Vorstellung nun von einem allgemeinen Verfahren der Einbildungskraft, einem Begriff sein Bild zu verschaffen, nenne ich das Schema zu diesem Begriffe.』
    となってて、

    imagination → 『Einbildungskraft』
    image → 『Bild』

    だと思う。
    カント事典では、
    『Einbildungskraft』は『構想力』
    『Bild』は『形象』と日訳されてたよ。

    pipitの日訳含めカント文の解釈を間違えてたらごめんなさい m(_ _)m

    書き込みありがとうね!(^O^)



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