| 話をもとに戻しま〜す。
No35646の表から対比して見た。 あ、ちなみに、「対比」っていうのは〈ついひ〉って読むのよ(わたしの勝手な読み方)。 「意識」のなかには「知性的(a)」と「知覚的(b)」っていうのが両方あるっていう見方、対(つい)してあるっていうこと。「意識」の話しを、「(a)か(b)」かじゃなくて「(a)と(b)」で見る、っていう感じかな。こういうふうに見るのはメルポンに倣ってね。
表から見えるのは、「知性的意識」のなかで、「認識」「客観的」「判断」「述語(述定)的」「理解」「概念」っていう語が使われる、っていうことになるんかな。
(3)「認識という理論的実践」と「認識に先立つ世界」 メルポンのこういう区別、 「認識」っていうの、「知性的意識」にかかわることとして使ってる感じ。 メルポンは、「意識」という語(意味)と「認識」という語(意味)を区別してる。認識=意識じゃなっていうことなんだと思う。 わたしもこれに倣ってる。
ちょっと確認。 「認識」をネットで調べて見たら、 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ ブリタニカ国際大百科事典 【認識】cognition; Erkenntnis 知ること,あるいは知られた事柄。後者の意味では knowledgeの語も多く用いられる。概念,推理,判断を主要3契機として遂行され,推理と判断において認識全体が積極的に関与する。推理の過程のない認識を直観的認識という。さらに判断の契機が消えるか極小になると知覚になり,認識と区別される。しかし知覚により近い自然科学的認識の場合,判断は客観的であり,その認識は一般性をもっている。そこでの認識の働きは本質的に重要でなく,結果のみが価値をもっている。このような認識内容は知識と呼ばれることが多い。一方形而上学的,宗教的認識などでは認識主体の役割が大きく,この場合認識の働きそのものが認識内容と等しい重要性をもっている。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ ってあった。 ここにも「認識」と「知覚」は区別されてる。そして「認識」のなかに「概念」とか「判断」が入ってる。 メルポンも「概念」、「判断」は「知性的意識」に入ってる。 ほかに、 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 精選版 日本国語大辞典精選版 【認識】 @認め知ること。物事をはっきり知り、その意義を正しく理解・弁別すること。 A(cognition の訳語) 心理学で、知覚・記憶・想像・構想・判断・推理を含んだ広義の知的作用。 B(Erkenntnis の訳語) 哲学で、一般にわれわれが物事について持っていて、それが真であることを要求できるような概念、またはそれを得る過程。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ ここにも「概念」っていうのがでてきてるし、あと「正しく理解」とか「真であること」っていうのあるよね。 わたしのばあい、「認識」っていうばあい、「正しく」とか「真であること」っていうのがくっついてる「意識」のことってして見ることにした。 だから、「正しい」とも「真である」ともいえない「意識」っていうのもある、っていうこと。 「真偽善悪」みたいなことを取り扱うのが(「意識」のなかのひとつの識)「認識」、そして、そういう判断以前の(認識に先立つ)「意識」を「知覚的意識」〈感性〉ってして見た。 Aの心理学では、広義の「知的作用」として、「知覚」も入れてる。
「認知」っていうのもあるみたい。「認識」とはちょっと違うみたい。これネットで調べて見てだいたい分かったからここでは書かないけど、ここでは「認識」の方で見てゆく。
ひとまず、 「認識」っていうのを〈物事を正しく理解し判断する意識のひとつ〉ってしとく。 あ、〈物事〉っていうの、〈世界〉って言ってもいいかな。 わたしの、「認識」と「意識」の関係を図にしたのを添付しま〜す。
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