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Re[29]: つれづれなるままに
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/12/16(Sat) 17:58:35)
| メルポンの「意識」の分節の仕方、 No35564 からの、簡単にしたの、
(1)「知性的意識」と「知覚的意識」 (2)「世界についての知」と「私の知覚」 (3)「認識による世界」と「認識に先立つ世界」 (4)「客観的な世界」と「前客観的な世界」 「判断」と「判断以前」 (5)「学的世界理解」と「自然的世界知」 (6)「述語的」と「前述語的」 (7)「知性によって理解された世界」と「知覚された世界」
もっと簡単に見ちゃって、 〈知性によるもの〉と〈知覚されてるもの〉っていう「意識」の分節の仕方。 ん、わたしのばあい、感覚-知覚-統覚はセットになってるから、これまとめて〈感性〉ってして、 〈知性〉と〈感性〉、ん〜ん、だいぶ、スッキリした感じ。
ちなみに、ここで見てる「世界」っていうのは〈生きられた生活世界の地平〉っていう世界のこと。
わたし「世界(存在)」を「文化(的存在)」と「自然(的存在)」とに分けて見てるんだけど、前者を〈知性によるもの〉、後者を〈感性によるもの〉って見ることもできるんじゃないかな〜、って、ちょっと思ってる。
あと、わたし、広い意味で「意識(精神)」っていうばあい、「脳」(身体)から生み出されたものってしてるんだけど、ここで見てる「意識(精神)」っていうのは、狭い意味で、大脳皮質の活動によって生み出されたものとして見てる。 No33642で調べて見たような「神経系」の分類の仕方のなかで、ね。
いま読んでる【モーリス・メルロ=ポンティ『子供の心理−社会学』ソルボンヌ講義2/松葉祥一・澤田哲生・酒井麻衣子訳/みすず書房2023】のなかに、 (s)『一般的に、子どもの因果性に関する研究は、子どもがつくりあげた表現だけを対象にして、知覚経験よりも知的概念だけを対象にします。しかし、両者はつねにかなり大きな違いがあります。』(p44) ってある。 区別としては、「知覚経験」と「知的概念」っていうことになるのかな。このばあい、わたしの見立てでは、前者が〈感性〉、後者が〈知性〉っていうことになるんだと思う。
「意識」の分節――〈知性〉と〈感性〉、なんか前に言ったことの繰り返しになっちゃてるかも、だけど。
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