| ■35864、pipitさま、ありがと。
>pipitの憶測なんだけど、カントは心の能力として感性や悟性を捉えてるかもと思ったよ。< 了解で〜す。 せっかく来てくれたので、
>純粋理性批判初版では、感性、悟性の他に、想像力(構想力)も、きちんと心の第三の能力として登場させてるみたい。< じつはいまね、わたし「想像力」っていうの、現象学のから調べて考えてるところ。 そんななかで、 カントの「構想力」について、【「現象学事典」弘文堂2014】にあったので、その一部をちょっと書き写しておくね。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 想像 [(独)Phantasie (仏)imagination ] プラトンが認識における想像的契機(eikasia)をイデアから遠のいたものとして拒斥したの対して、アリストテレスは想像(fantasia)を感性的知覚と思惟の中間に位置づけ、後者の遂行に不可欠なものと規定し、記憶と親近関係にあるとした。ギリシア語のfantasia,ラテン語のonaginatioをパラケルスス(Paraceisus,1493-1551)がドイツ語でEinbildungskraftと訳す。 アリストテレスの思想は、たとえばカントの構想力(Einbildungskeraft)に見られるように、その後の哲学的伝統を領導することになる。カントはさらに再生産的構想力(reproduktive E.)と生産的構想力(produktive E.)に分け、後者は悟性的認識への通路を開く超越論的機能をもつとした。‥‥‥ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ っていうことみたい。 メルポンのはまだ簡単にまとめられてないから今は書けないけど、もしできたら後でお喋りする予定。
>カントは感情と心の関係をどのように捉えてるんだろうね?< <心の能力>として〈感情〉と呼んでるものがある、っていうことになるんだと思うんだけど。 〈想像する力(心の能力)〉と〈感情(心の能力)〉の関係性について、メルポンは、【モーリス・メルロ=ポンティ『子供の心理−社会学』ソルボンヌ講義2/松葉祥一・澤田哲生・酒井麻衣子訳/みすず書房2023】のなかで、 『想像的なものの源泉が情緒にある』 って言ってるのね。
思案中で〜す。
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