| 2023/11/26(Sun) 07:01:47 編集(投稿者)
形而上について「形をもっていないもの」という定義が複数の辞書やサイトで散見される。 こういうのを見た時に思い出すのはixtlanさんとの認識論に関するレス交換というか議論。
当時の私は今以上に無知だったこともあり、怖いもの知らずで、カントだったかハッキリとは覚えてないが、ixtlanさんがKIDAMASAさんだったかな?認識論に関する議論をしているところに横入りして「古典の認識論をもとにした議論ってのは発展性がありますか?哲学はもともと学問全体のことなんだから、現代では認識論は脳科学の知見を積極的に取り込むべきだと思います」みたいなことをレスしたことが思い出される。
その後、寛容なixtlanさんは私の意見を取り入れていただき「脳と意識の地形図」という書籍の読書会を実施してもらい、もの凄く有意義なレス交換となった。
「形がある」「形がない」「個物」も明らかに古典的な分類であって、特殊相対性理論でもってE=mc^2が証明されている以上、「形あるもの」と「形ないもの」は同等であるということ。 さらに量子力学の登場でもって「形のある、なし」以前に存在についても素朴実在論がどうやら怪しいということが明確になった。
形而上の対象として「形をもっていないもの」なんて定義は古典哲学を研究する学ならともかく、現代哲学ではナンセンスな定義だと思う。 もし、この主張自体が否定されるような哲学が本道なら、哲学なんて過去の学問はますます衰退するのではないか?
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