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■33798
/ inTopicNo.85)
Re[11]: Tagebuecher1914-1916
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□投稿者/ 田秋
-(2023/10/07(Sat) 21:41:58)
こんばんは、うましかさん
ここでうましかさが紹介された《Tagebuecher 1914-1916》は、今ボクが読んでいる「秘密の日記」と同じノート(の右半分に)書かれたものですね!(まさかボクが「秘密の日記」読んでいることを知っての上でこれを紹介されたのではないでしょうね!?)
しかもですよ、うましかさんが抜粋されたHinter unseren Gedanken 〜が書かれた8. 12. 14.(1914年12月8日)は、先にパニチェさんに報告した(
no33711
)秘密の日記に(ウィトゲンシュタインが)ニーチェの著作物を買ったことを記した日付です!
Hinter unseren Gedanken 〜
さすが、難しいことを考えているんですね。
関係あるかどうかわかりませんが、同日の日記を筆写してみます。
(前略)ニーチェ[選集]第八巻を買い、読んだ。彼のキリスト教に対する敵意に強く心を動かされる。というのも、彼の書にも何らかの真理が含まれているからだ。確かに、キリスト教は幸福へ至るただ一つの確実な道だ。しかし、もしある者がこのような幸福をはねつけたとしたらどうだろうか?!外的な世界に対する望みのない戦いの中で不幸にも破滅するほうが勝るということはありえないのだろうか?しかし、そのような生は無意味だ。しかし、意味のない生を送ったってよいのではないか?それは[生きるに]値しないのだろうか?それは独我論的な立場とどのような折り合うのだろうか?しかしそれにしても、僕自身の生が自分から失われないようにするために、僕は何をしなければならないのか?僕は常に自分自身の生を―――ということは常に霊を―――自覚していなければならない―――。
(―――:原文では切れ目はありません。[選集]、[生きるに]は訳者が挿入したもの)
(春秋社 ウィトゲンシュタイン『秘密の日記』P72〜73より引用)
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■33793
/ inTopicNo.86)
Tagebuecher1914-1916
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□投稿者/ うましか
-(2023/10/07(Sat) 19:23:44)
2023/10/07(Sat) 22:21:46 編集(投稿者)
・
https://www.wittgensteinproject.org/w/index.php?title=Tageb%C3%BCcher_1914-1916#1._12._14.
>8. 12. 14.
Hinter unseren Gedanken, wahren und falschen, liegt immer wieder ein dunkler Grund, den wir erst spaeter ins Licht ziehen und als einen Gedanken aussprechen koennen.<
ウィトゲンシュタイン全集1, 奥雅博 訳, p.186より。
>1914年12月8日
真な思想、偽な思想、いずれにせよ我々の思想の背後には暗い根拠が常に存在している。我々は後になってはじめてこの暗い根拠を光の中にもたらし、それを一つの思想として表明できるのである。<
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■33554
/ inTopicNo.87)
なぜ意識は実在しないのか(。´・ω・)?
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□投稿者/ うましか
-(2023/09/27(Wed) 22:02:00)
◇永井均『なぜ意識は実在しないのか』
・
https://www.iwanami.co.jp/book/b243853.html
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■33522
/ inTopicNo.88)
Re[10]: 田秋さん現われるとき、、、
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□投稿者/ 田秋
-(2023/09/25(Mon) 06:51:43)
おはようございます、うましかさん
ウィキペディア〈ショーペンハウアー〉に依れば「1813年、ゲーテ64歳、ショーペンハウアー25歳のときに母ヨハンナの
ワイマールにあったサロンにて二人は出会う」とあります《三枚目の写真(ゲーテ)のすぐ下》。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%A2%E3%83%BC#cite_note-examplen-20
なのでうましかさんの
「ゲーテとショーペンハウアーは交流がありましたね(;´・ω・)」
は正しいと思います。
二人は39歳差なんですね。てっきり互いに出会えない世代の人間だと思っていました。
しかも二人の出会いの最初は色彩に関する研究だったんですね。ゲーテに対する認識も改めました。
ご紹介の堀郁さんの論文も読みました。
うましかさんに感謝!
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■33518
/ inTopicNo.89)
田秋さん現われるとき、、、
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□投稿者/ うましか
-(2023/09/24(Sun) 22:39:51)
私うましかは、自身の書いたものに誤記等がないか見直す( ;∀;)
田秋さん、こんばんはー(・∀・)
>震度5強くらいの衝撃です!
そうなんですね… 私はせっかく田秋さんが「衝撃」とコメントしてくださったことに対し、自分が貼ったリンクが誤っていたことに気づき卒倒しました(゚Д゚;)
大変失礼いたしましたm(__)m
(^^)/〜♪
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■33517
/ inTopicNo.90)
Re[8]: 心の科学とエピステモロジーφ(..)
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□投稿者/ パニチェ
-(2023/09/24(Sun) 22:38:06)
2023/09/26(Tue) 08:28:07 編集(投稿者)
こんばんは、うましかさん。横レス失礼しますがスルーでいいですよ、^^
■
No33515
に返信(うましかさんの記事)
>
No.33254
> 南学正仁の論文より引用(
https://www.jstage.jst.go.jp/article/epstemindsci/5/1/5_12/_pdf/-char/ja
)
> ただし、私うましかが読みやすいように改行してあります。
> *******
> >意識の超難問は、世界中に存在する無数の身体を、どれもが「<私>でありうる身体」であるとして、等価視するところから始まる。
> 同じような身体、同じような脳を持ち、物質的にはどれが<私>であってもよさそうであるのに、そのなかの、特定の「この」身体だけに<私>が宿る理由を問うことによって、意識の超難問は成立する。
> しかし、この問い方は、順序が逆転している。
> 客観化の原理が指摘するように、<私>は最初から「この」特定の身体に宿っており、「この」特定の身体を通じて世界を見ている。
> 他者の身体や自己の身体、そして他者の心を観察して客観的世界を構成し、さらに他者の心との類比から自己の心を客観的世界に組み込んでいこうとするプロセスは、あくまで客観化の過程において、後からなされるものである。
> こうして、後から構成された客観的世界が、「この」身体を通じて<私>が世界を見ているというそもそもの世界に先立つものであると錯覚することにより、「なぜ世界でひとりだけが<私>なのか?」という問いが意味を成すように思われるのである。<
> *******
> うーん、、、「錯覚」なのかなあ(;´・ω・)。私が「私は〜と考える」と言うとき、そもそも上のような問いは発しないです。そうした問いを発するとき、その人は「私は〜と考える」という言い方は選ばないんじゃないかな(。´・ω・)?
> 「私は〜と考える」という言明は、(たとえ他人から錯覚と言われようと)「世界でひとりであるこの私」という信念が前提になければ意味をもたない。だって、そう考えている(と言う)当の「私」が、同時に、そう考えているのがこの私かどうか曖昧なんですなんて言ってたら、その主張自体が「身元不明」になってしまう( ノД`)シクシク…
「意識の超難問」は「意識の難問」とは根本的に異なり、答えを求める問いではありません。
ネーゲルの「コモウモリであるということはどのようなことか」と同類で、〈私〉に気付くための問いです(ネーゲルの問いは〈私〉に気付くための問いではありませんが答えを求める問いではないという意味で同類)。
上記の論文の著者は「意識の超難問」が公案であることに気付いてない、つまり〈私〉に気付いてないということが分かります。
自分事として〈私〉に気付いてから探究が始まるのですが、少なくとも私にとってその探究は「何故、私は他の誰でもなくこの私なのか?」というような問いに対する探究にはなりません。
> (;´・ω・)沼どころじゃない
雲を掴むような話ですね(笑)。
引用返信
/
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■33515
/ inTopicNo.91)
Re[7]: 心の科学とエピステモロジーφ(..)
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□投稿者/ うましか
-(2023/09/24(Sun) 22:11:03)
2023/09/24(Sun) 22:18:29 編集(投稿者)
No.33254
南学正仁の論文より引用(
https://www.jstage.jst.go.jp/article/epstemindsci/5/1/5_12/_pdf/-char/ja
)
ただし、私うましかが読みやすいように改行してあります。
*******
>意識の超難問は、世界中に存在する無数の身体を、どれもが「<私>でありうる身体」であるとして、等価視するところから始まる。
同じような身体、同じような脳を持ち、物質的にはどれが<私>であってもよさそうであるのに、そのなかの、特定の「この」身体だけに<私>が宿る理由を問うことによって、意識の超難問は成立する。
しかし、この問い方は、順序が逆転している。
客観化の原理が指摘するように、<私>は最初から「この」特定の身体に宿っており、「この」特定の身体を通じて世界を見ている。
他者の身体や自己の身体、そして他者の心を観察して客観的世界を構成し、さらに他者の心との類比から自己の心を客観的世界に組み込んでいこうとするプロセスは、あくまで客観化の過程において、後からなされるものである。
こうして、後から構成された客観的世界が、「この」身体を通じて<私>が世界を見ているというそもそもの世界に先立つものであると錯覚することにより、「なぜ世界でひとりだけが<私>なのか?」という問いが意味を成すように思われるのである。<
*******
うーん、、、「錯覚」なのかなあ(;´・ω・)。私が「私は〜と考える」と言うとき、そもそも上のような問いは発しないです。そうした問いを発するとき、その人は「私は〜と考える」という言い方は選ばないんじゃないかな(。´・ω・)?
「私は〜と考える」という言明は、(たとえ他人から錯覚と言われようと)「世界でひとりであるこの私」という信念が前提になければ意味をもたない。だって、そう考えている(と言う)当の「私」が、同時に、そう考えているのがこの私かどうか曖昧なんですなんて言ってたら、その主張自体が「身元不明」になってしまう( ノД`)シクシク…
(;´・ω・)沼どころじゃない
引用返信
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■33514
/ inTopicNo.92)
衝撃
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□投稿者/ 田秋
-(2023/09/24(Sun) 21:59:36)
こんばんは、うましかさん
>ゲーテとショーペンハウアーは交流がありましたね
震度5強くらいの衝撃です!
ショーペンハウアーの方がずっと後だと思ってますたぁ〜!
引用返信
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■33506
/ inTopicNo.93)
ショーペンハウアー「生」の概念(;´・ω・)
▲
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□投稿者/ うましか
-(2023/09/24(Sun) 20:59:58)
2023/09/24(Sun) 22:29:04 編集(投稿者)
◇ 竹内綱史『ショーペンハウアーにおける「生」の概念』, 2008年
・
https://www.jstage.jst.go.jp/article/diltheygsj/2008/19/2008_62/_article/-char/ja/
◇ 飯田隆『ウィトゲンシュタインとゲーテ的伝統』,2001年
・
https://www.jstage.jst.go.jp/article/morpho1979/2001/23/2001_23_2/_article/-char/ja
飯田論文の冒頭、ストローソンによるウィトゲンシュタイン「青色本」に対する「剥き出しの思考を初めて見た」という感想、にもかかわらず、それは決して無からの創造ではなく、彼の最初の哲学がショーペンハウアー哲学だったという言葉に裏付けられるカント的伝統に位置付けられ、さらにゲーテ的伝統とつながりも認められるという内容は今でも興味深いです。
*******
ちなみに、ゲーテとショーペンハウアーは交流がありましたね(;´・ω・)
◇ 堀 郁『ゲーテとショーペンハウアーにみる〈自然〉の哲学的考察』,2019年
・
https://kwansei.repo.nii.ac.jp/records/27553
◇ 酒井剛『ショーペンハウアー自然哲学とゲーテ形態学』,2003年
・
https://www.jstage.jst.go.jp/article/morpho1979/2003/25/2003_25_113/_article/-char/ja
*******
ゲーテ、ショーペンハウアー、そしてウィトゲンシュタイン、、、三者ともに「色彩論」があるのも興味深いですね。もっとも、下記の村田論文によればウィトゲンシュタインがゲーテ『色彩論』を集中的に読んだのは死の直前1950-51年にかけてらしいですが(;´・ω・)
◇ 酒井剛『眼と構想力 − ショーペンハウアーの色彩論 −』,2004年
・
https://www.jstage.jst.go.jp/article/morpho1979/2004/26/2004_26_73/_article/-char/ja
◇村田純一『色彩の多次元性 − ゲーテとウィトゲンシュタイン −』,2001年
・
https://www.jstage.jst.go.jp/article/morpho1979/2001/23/2001_23_16/_article/-char/ja
*******
なんだかタイトルから横道にそれてしまった。。。(;´Д`A ```
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■33254
/ inTopicNo.94)
心の科学とエピステモロジーφ(..)
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□投稿者/ うましか
-(2023/09/20(Wed) 21:14:24)
◇ 「こころの科学とエピステモロジー」
・
https://www.jstage.jst.go.jp/browse/epstemindsci/list/-char/ja
*******
◇ 南学正仁『「なぜ私が死ななければならないのですか」− 科学としての医療が崩れるとき 』,2023年
・
https://www.jstage.jst.go.jp/article/epstemindsci/5/1/5_12/_article/-char/ja
人文死生学という分野、あるんですね。。。。(;´・ω・)
・
https://sites.google.com/view/thanatology-as-humanities
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■33208
/ inTopicNo.95)
T.リップス感情移入論(;´・ω・)
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□投稿者/ うましか
-(2023/09/19(Tue) 18:08:23)
石田三千雄『テオドール・リップスの感情移入論を巡る問題』,1999年
・
https://repo.lib.tokushima-u.ac.jp/ja/85984
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■32991
/ inTopicNo.96)
訂正します(´;ω;`)ウゥゥ
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□投稿者/ うましか
-(2023/09/10(Sun) 21:47:36)
No.32955
において、私は以下のように書きましたが、、、
*******
◆ヴォルフの影響を受けたカントは『人間学』第1篇第2節において、自分の判断を他人の悟性について吟味することを無用とみなす「論理的エゴイズム」、他人の評価を気にせず、自己自身の趣味に満足する「美的エゴイズム」、あらゆる目的を自己自身にのみ限定し、自分に役立つもの意外のものには何の利益も見いださないような「道徳的エゴイズム」の三つを区別
* 先述の
No.32884
であげた倉本論文によれば、カントは『人間学』において「「一切の目的を自分の上だけに限り己れに役立つもの以外には何の効用も認めない幸福論者」を「道徳的エゴイスト」」と呼び、そうした幸福論者を「自己中心的な我執(selbstsuch)」即ち、独我論(solipsismus)に陥っている」としたとあります。
・
https://www.jstage.jst.go.jp/article/philosophy1952/1997/48/1997_48_227/_article/-char/ja
*******
>* 先述の
No.32884
であげた倉本論文によれば、カントは『人間学』において「「一切の目的を自分の上だけに限り己れに役立つもの以外には何の効用も認めない幸福論者」を「道徳的エゴイスト」」と呼び、そうした幸福論者を「自己中心的な我執(selbstsuch)」即ち、独我論(solipsismus)に陥っている」としたとあります。
↓
* 先述の
No.32884
であげた倉本論文によれば、カントは『人間学』におい「「一切の目的を自分の上だけに限り己れに役立つもの以外には何の効用も認めない幸福論者」を「道徳的エゴイスト」」と呼び、そうした幸福論者を『実践理性批判』において「自己中心的な我執(selbstsuch)」即ち、独我論(solipsismus)に陥っている」としたとあります。
・
https://www.gutenberg.org/cache/epub/49543/pg49543-images.html#Pg071
倉本論文では引用箇所をV73、すなわちアカデミー版のV巻、p.73としておりましたm(__)m どうりで『人間学』を読んでもみつけられないはずだ(´;ω;`)ウゥゥ
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