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■32823 / inTopicNo.1)  原文のDeepLによる英訳
  
□投稿者/ pipit -(2023/09/02(Sat) 23:10:05)
    If, for example, I make the empirical view of a house into a perception by apprehending the manifold of it, then the necessary unity of space and of the external sensual view in general lies at the basis of my perception, and I draw its shape, as it were, according to this synthetic unity of the manifold in space. But precisely the same synthetic unity,
    if I abstract from the form of space, has its seat in the understanding,

    ※これ以降の英訳がアクセス禁止対象みたいなので、まずこの箇所までを投稿します。

引用返信/返信 削除キー/
■32822 / inTopicNo.2)  純粋理性批判B162
□投稿者/ pipit -(2023/09/02(Sat) 23:03:19)
    みなさまこんばんは。カントの原文をDeepLに英訳してもらったものを、pipitが日訳で読んでみます。
    が、投稿が、アクセス禁止になるので英訳文を略します。(後で英訳文だけで投稿してみます。)

    (英訳のpipit日訳)
    例えば、私が家の経験的な直観を、直観に含まれる多様を把握(覚知)することによって知覚化するのであれば、
    私の知覚の土台として、空間と外的な感覚的直観一般の必然的統一があり、
    私はその形を、空間の多様の総合的統一に従って描くのである。
    しかしながら、まさに同じ総合的統一を、
    もし、私が空間の形式から抽象し、
    知性にその座を持つなら、
    一般的直観においての、似たものの総合としてのカテゴリーであり、
    すなわち、大きさのカテゴリーであり、
    それゆえに、把握(覚知)の総合、つまり知覚は、絶対にこれに対応しなければならない。

    ------------------------

    (pipit感想)
    量(Quantity)のカテゴリーは、
    Unity
    Plurality
    Totality
    で、
    似たものの総合、って、Unity(単位)の
    Plurality(複数・積み重ね)の
    Totality(全体性)で、空間における広がり(外延量)として把握する、ってことかなぁ。
    (※全然違うかもだけど、西研先生の100分de名著のテキストp58-61を参考にしました。)

    純粋悟性概念を直観(認識対象としては多様としか言いようのない段階の素材)に適用することで、対象としての知覚を可能にしている、みたいな???

    全然違うかもだけど先に進んでみますー
    。゚(゚´ω`゚)゚。

引用返信/返信 削除キー/
■32814 / inTopicNo.3)  読書感想文が書けない日記
□投稿者/ pipit -(2023/09/02(Sat) 20:05:12)
    みなさまこんばんは。
    シクシク、シクシク-

    あまりに私には難しく、先に進めないでいます。
    無理矢理にでも進んでみようと思います。
    とりあえず続きの英訳を投稿します。純粋理性批判B162です。
    カテゴリーによって把握の総合(覚知の総合)が行われる、その例を、住宅を見るということで説明してる??
    後でpipitが日訳してみます
    。゚(゚´ω`゚)゚。 訳すと文に向き合うことになるので、わからなかったことがわかることもある、と期待しまして..

    When, then, for example, I make the empirical intuition of a house by apprehension of the manifold contained therein into a perception, the necessary unity of space and of my external sensuous intuition lies at the foundation of this act, and I, as it were, draw the form of the house conformably to this synthetical unity of the manifold in space. But this very synthetical unity remains, even when I abstract the form of space, and has its seat in the understanding, and is in fact the category of the synthesis of the homogeneous in an intuition; that is to say, the category of quantity, to which the aforesaid synthesis of apprehension, that is, the perception, must be completely conformable.[24]

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap51

    とりあえずのDeepL日訳

    『例えば、私が、そこに含まれる多様体を知覚することによって、家屋の経験的直観を知覚にするとき、空間と私の外的感覚的直観の必要な統一がこの行為の基礎にあり、私は、いわば、空間における多様体のこの総合的統一に適合するように、家屋の形態を描くのである。しかし、このまさに総合的な統一は、私が空間の形態を抽象化するときでさえも残っており、理解においてその座を占め、実際、直観における均質なものの総合の範疇、すなわち、量の範疇であり、前述した理解の総合、すなわち知覚は完全に適合的でなければならない[24]。』
引用返信/返信 削除キー/
■32775 / inTopicNo.4)  田秋さんへ
□投稿者/ pipit -(2023/09/01(Fri) 00:18:00)
    田秋さん、こんばんは。

    No32772
    > no 32715 でpipitさんが紹介された
    > 『悟性(Verstand ; understanding ; enendement)」
    > http://tanemura.la.coocan.jp/re3_index/2K/ko_verstand.html
    > 読みました。理性、悟性、感性の序列についてカント以前とカント以降の違いなどの話が印象に残りました。<

    私もその話が、特に「人間にとって知的直観(intellectuelle Anschauung)は不可能だとするカントの有限主義のもとでは、こうした〈知性〉の基本的規定は抜け落ちて、」という箇所が印象に残りました。


    > 上記論考に「純粋悟性概念はカテゴリーとも呼ばれる」とありました。そうなんですね!?<

    そうみたいです。
    『カント事典』p70の【カテゴリー】の説明の一部に、
    『、カテゴリーは悟性による思惟の形式であり、純粋悟性概念ともよばれる。』(執筆者・岩隈敏先生)と書いてありました。


    > 引き続き宜しくお願いします。<

    私自身、調べる中でとても勉強になります。ありがとうございます&よろしくお願いします(^ ^)
引用返信/返信 削除キー/
■32772 / inTopicNo.5)  御礼
□投稿者/ 田秋 -(2023/08/31(Thu) 22:51:23)
    こんばんは、pipitさん

    no 32721
    >なのでpipitとしては、「概念とは言語化可能になっている表象である。」かなぁ。
    理解できました。概念は言語化されている必要は無いのですね。

    no 32715 でpipitさんが紹介された
    『悟性(Verstand ; understanding ; enendement)」
    http://tanemura.la.coocan.jp/re3_index/2K/ko_verstand.html
    読みました。理性、悟性、感性の序列についてカント以前とカント以降の違いなどの話が印象に残りました。100%理解した、にはほど遠いですが、少しでもわかったことがあれば良しとしています^^;

    上記論考に「純粋悟性概念はカテゴリーとも呼ばれる」とありました。そうなんですね!?

    そういう目でpipitさんのスレを読み返すと、pipitさんとうましかさんとの会話に「カテゴリー」という言葉がよく出て来る時期がありました。

    引き続き宜しくお願いします。
引用返信/返信 削除キー/
■32734 / inTopicNo.6)  Re[20]: 概念の記述をB93に見つけた日記
□投稿者/ マジカルモンキー -(2023/08/28(Mon) 10:25:09)
    No32732に返信(pipitさんの記事)
    > 2023/08/28(Mon) 06:32:24 編集(投稿者)

    > 概念は、秩序づける行為の統一的な作用によって生まれる、かぁ。

    おはようございます。これはそう思います。
引用返信/返信 削除キー/
■32732 / inTopicNo.7)  概念の記述をB93に見つけた日記
□投稿者/ pipit -(2023/08/28(Mon) 06:29:06)
    2023/08/28(Mon) 06:32:24 編集(投稿者)

    みなさまおはようございます。

    カントが「概念」について「機能によって生まれる」と述べてる箇所を見つけたので引用します。(過去投稿からの再引用)

    カント、中山元先生訳。『純粋理性批判2』p50〜(B93.94)
    『すべての直観は、感覚的なものであって、触発によって生まれるが、
    概念は機能(フンクツィオン)によって生まれる。
    わたしがこの〈機能〉という語で意味しているものは、心に思い描かれたさまざまな像を一つの共通の像のもとに秩序づける行為の統一的な作用のことである。
    だから、感覚的な直観作用が印象の受容性に根拠づけられているように、概念の営みは、思考の自発性に根拠づけられているのである。
    知性はこれらの概念を、ただ判断するために使用することができる。
    ところで直観を除くと、心に思い描かれたいかなる像も、対象に直接かかわるものではない。
    これと同じように概念もまた、対象と直接にかかわることはない。
    概念が直接に関係するのは、対象についての像であり、これは対象とは異なるものである。
    だから判断とは、対象についての間接的な認識であり、対象の像についての像なのである。
    (略)
    このようにすべての判断は、わたしたちのさまざまな像を統一する働きをする。
    まず対象と直接にかかわる像が存在し、その上位に、その像とそのほかのさまざまな像を含む高次の像があり、これが対象を認識するために利用される。この高次の像において、ほかのさまざまな可能的な認識が、一つにまとめられる。
     ところでわたしたちは、知性のすべての振舞いを結局のところは判断とみなすことができる。
    だから知性とはそもそも判断を下す能力と考えることができる。
    すでに述べたように知性とは、思考する能力だからである。
    思考とは、概念によって認識する行為である。
    (略)』


    概念は、秩序づける行為の統一的な作用によって生まれる、かぁ。

    「外延的論理学」のこと思い出したけど、、、山口修二先生の本全然読めてないなー
    また少しのページでも再チャレンジしてみよう(^○^)
引用返信/返信 削除キー/
■32721 / inTopicNo.8)  田秋さんへ
□投稿者/ pipit -(2023/08/27(Sun) 13:50:11)
    2023/08/27(Sun) 14:37:17 編集(投稿者)

    田秋さん、こんにちは!返信ありがとうございます♪

    No32718
    > 御子柴先生の文章の中、「領野」は「領域」、「感官」は「感覚器官」という意味で捉えていいですか?<

    それで捉えていいのではないかとpipitは思いました。

    >西先生、御子柴先生どちらの文章にも「概念」という言葉がありますが、これは「言語化」するという意味合いですか?<

    私見述べますね。
    少し微妙なんですけど、pipit的には、言語化できる準備が整ってる心の状態でも「概念」において認識してると言えるのではないかなーと思ってます。
    私は全然詳しくないんですけど、曲のコードとかってありますよね?
    コードの状態が規則として整ってて、それに何という言葉(コード名)を当てはめるか、という2段階考えられませんか?
    カントは悟性を【規則の能力】※B356参照(もしご興味あれば引用しますのでおっしゃってくださいね(^^))としてるんですけど、、、
    なのでpipitとしては、「概念とは言語化可能になっている表象である。」かなぁ。
    細かくてすみません(><)


    > もしそうならば西先生の
    > 「悟性 
    >  概念を通じて判断・思考する能力のこと」
    > は「悟性とは言語化することによって判断・思考する能力のこと」
    > 御子柴先生の
    > 『ここで「現象の領野で学ぶ」と表現された悟性は、感官によって与えられた現象を概念によって理解する能力です』は
    > 『ここで「現象の領域で学ぶ』と表現された悟性は、感覚器官によって捉えた現象を言語化することによって理解する能力』
    > と理解して良いでしょうか。<

    言語についての哲学が、様々な哲学者によって深く考察されているようなのですが、pipitはカントばっかりで未勉強なんです。
    言語化、については詳しくわからなくてすみません。m(_ _)m

    > 中山先生の『〜悟性は「知性」と訳し〜』という所は、悟性と知性が「等しい」或いは「かなり近い意味合い」ということなんでしょうね。ボク的には「知性」とは理解の原動力にもなるし、理解し蓄積した産物にも思えます(この場合「教養」?)。<

    そうなのですね。
    哲学者が、「一般的」と言っても、実は哲学界の中での「一般的」に限定されてしまっていることもあるかもしれませんね。


    > 「悟性」というのは西周によるUnderstandingや Verstand の和訳ですが、これらの単語は今は「理解(すること)」と訳すのが普通です。それを「理解」と訳さずに「悟性」とするのは「感性」や「理性」と並べるときに「〜性」という言葉を使うことにより統一感を出すという美的感覚もあるのでしょうか。<

    あるかもしれませんね!
    【感】
    【悟】
    【理】
    の性能、かぁ。


    >それと「理解」というと「〜のような性質」という語感が不足するということもあるのかな。
    >
    > ===
    > 今日は地元の音楽を目指すand楽しむ人達の音楽会のお助けマンに行きます。先生は大変です。余程大学の先生の方が楽(?)です。<

    こちらは今日も暑い日になりました。
    おつかれさまです!
引用返信/返信 削除キー/
■32718 / inTopicNo.9)  Re[17]: 悟性(Verstand)
□投稿者/ 田秋 -(2023/08/27(Sun) 07:42:01)
    2023/08/27(Sun) 07:48:15 編集(投稿者)

    おはようございます、pipitさん

    (直前にご紹介の文章を読まずに書いています)

    説明ありがとうございます。

    御子柴先生の文章の中、「領野」は「領域」、「感官」は「感覚器官」という意味で捉えていいですか?西先生、御子柴先生どちらの文章にも「概念」という言葉がありますが、これは「言語化」するという意味合いですか?
    もしそうならば西先生の
    「悟性 
     概念を通じて判断・思考する能力のこと」
    は「悟性とは言語化することによって判断・思考する能力のこと」
    御子柴先生の
    『ここで「現象の領野で学ぶ」と表現された悟性は、感官によって与えられた現象を概念によって理解する能力です』は
    『ここで「現象の領域で学ぶ』と表現された悟性は、感覚器官によって捉えた現象を言語化することによって理解する能力』
    と理解して良いでしょうか。

    中山先生の『〜悟性は「知性」と訳し〜』という所は、悟性と知性が「等しい」或いは「かなり近い意味合い」ということなんでしょうね。ボク的には「知性」とは理解の原動力にもなるし、理解し蓄積した産物にも思えます(この場合「教養」?)。

    「悟性」というのは西周によるUnderstandingや Verstand の和訳ですが、これらの単語は今は「理解(すること)」と訳すのが普通です。それを「理解」と訳さずに「悟性」とするのは「感性」や「理性」と並べるときに「〜性」という言葉を使うことにより統一感を出すという美的感覚もあるのでしょうか。それと「理解」というと「〜のような性質」という語感が不足するということもあるのかな。

    ===
    今日は地元の音楽を目指すand楽しむ人達の音楽会のお助けマンに行きます。先生は大変です。余程大学の先生の方が楽(?)です。
引用返信/返信 削除キー/
■32715 / inTopicNo.10)  悟性(Verstand)
□投稿者/ pipit -(2023/08/27(Sun) 06:48:53)
    田秋さん、みなさま、おはようございます(^_^)
     
    「Verstand」で検索したら、詳しく説明されているページがありました。

    『悟性(Verstand ; understanding ; enendement)」
    http://tanemura.la.coocan.jp/re3_index/2K/ko_verstand.html

    いろいろ勉強になります、感謝です!


引用返信/返信 削除キー/
■32714 / inTopicNo.11)  田秋さんへ
□投稿者/ pipit -(2023/08/27(Sun) 00:18:30)
    田秋さんこんばんは(^○^)

    No32706
    > カントが使う悟性はどのような意味合いになるのでしょう。<

    NHK 100分de名著のテキスト
    『カント純粋理性批判』西研(にしけん)先生の用語解説p129がわかりやすく思えたので引用します。

    (西研先生の説明)
    『悟性
    概念を通じて判断・思考する能力のこと。(略)。』

    次に、御子柴善之先生の解説本(『カント純粋理性批判』p64からの解説を引用します。

    (御子柴善之先生の説明)
    『ここで「現象の領野で学ぶ」と表現された悟性は、感官によって与えられた現象を概念によって理解する能力です。それゆえ、悟性が英語に訳されるとき、understandingという訳語が選ばれます。』


    >またカントの言葉で「悟性」と訳される単語は「Verstand」ですか?<

    はい、そのようです。御子柴先生の説明を同本p64より引用します。
    (御子柴善之先生の説明)
    『なお、この引用文に「悟性(Verstand)」と「理性(Vernunft)」という用語が表れます。』


    > もう一つ、ウィキペディア「悟性」のページの「カントの悟性論」の項には「中山元訳による同書(純粋理性批判)においては「悟性」という訳語は一部を除いて使用されておらず、「知性」という語が使用されている」とあります。ここでいう「知性」とは一般に知性という言葉からイメージされる意味合い(カント専用の言葉としてではなく、ということ)でしょうか。これについてpipitさんは何かお考えはありますか?
    >

    中山先生がご自分の訳について言及された文章があるので引用しますね。
    『純粋理性批判1』光文社古典新訳文庫p420訳者あとがきより引用
    『(略)、カントの用語として通例となっている多くの訳語を採用せず、ごく一般的な用語に代えた。この巻で言えば、悟性は「知性」と訳し、(略)。またきまった訳語というものは安心なのだが、それを自動的に採用していると、思考がすべりがちになる。その語にその文脈でもっともふさわしい訳語は何かと、毎回足をとめて考えるべきなのである。』

    とあるので、「知性」という言葉から一般的にイメージされる内容が、カント的「Verstand」の内容に一致していると中山先生は判断されたのかな、と、思いました。

    pipitは、個人的には、「知性」のイメージと「悟性」のイメージは重なっています。
    でもそれはpipitが全然わかってないからこその感想かもで、詳しいことはわからなくて、すみません
    (^◇^;)

    書き込みありがとうございます!

引用返信/返信 削除キー/
■32706 / inTopicNo.12)  質問です
□投稿者/ 田秋 -(2023/08/26(Sat) 19:32:00)
    こんばんは、pipitさん

    カントの悟性について教えて頂きたいことがあります。カントが使う悟性はどのような意味合いになるのでしょう。またカントの言葉で「悟性」と訳される単語は「Verstand」ですか?

    もう一つ、ウィキペディア「悟性」のページの「カントの悟性論」の項には「中山元訳による同書(純粋理性批判)においては「悟性」という訳語は一部を除いて使用されておらず、「知性」という語が使用されている」とあります。ここでいう「知性」とは一般に知性という言葉からイメージされる意味合い(カント専用の言葉としてではなく、ということ)でしょうか。これについてpipitさんは何かお考えはありますか?

引用返信/返信 削除キー/

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