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■23915 / inTopicNo.1)  蜜丸経
  
□投稿者/ pipit -(2022/06/14(Tue) 21:28:39)
    2022/06/14(Tue) 21:35:38 編集(投稿者)

    みなさま、こんばんは

    No23913 で訳した箇所を、
    光明寺経蔵さまのサイトに載っているパーリ原文(記号は入力できていません)と、光明寺住職さまによる日訳部分を引用させていただきます
    m(_ _)m


    Cakkhuncavuso, paticca rupe ca uppajjati cakkhuvinnanam, tinnam sangati phasso, phassapaccaya vedana, yam vedeti tam sanjanati, yam sanjanati tam vitakketi, yam vitakketi tam papanceti, yam papanceti tatonidanam purisam papancasannasankha samudacaranti atitanagatapaccuppannesu cakkhuvinneyyesu rupesu.

    友等よ、眼に縁って、色に対し、眼識が生じます。三者の和合が触です。触という縁より受があります。感受するものを想念します。想念するものを尋思します。尋思するものを妄執します。妄執するものによるがゆえに、過去・未来・現在の、眼によって識られるべき諸々の色に関して、人に迷妄を具えた想の部類が生起します。

    https://komyojikyozo.web.fc2.com/mnmlp/mn02/mn02c19.files/sheet001.htm
引用返信/返信 削除キー/
■23913 / inTopicNo.2)  経文の英訳の日訳
□投稿者/ pipit -(2022/06/14(Tue) 20:39:11)
    2022/06/15(Wed) 09:53:51 編集(投稿者)
    2022/06/15(Wed) 06:22:44 編集(投稿者)
    2022/06/14(Tue) 20:49:27 編集(投稿者)
    2022/06/14(Tue) 20:40:31 編集(投稿者)

    『蜜丸経』経文の一部分の英訳を日訳してみました。

    "Dependent on eye & forms, eye-consciousness arises. The meeting of the three is contact. With contact as a requisite condition, there is feeling. What one feels, one perceives (labels in the mind). What one perceives, one thinks about. What one thinks about, one objectifies. Based on what a person objectifies, the perceptions & categories of objectification assail him/her with regard to past, present, & future forms cognizable via the eye.

    https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/mn/mn.018.than.html
    ================
    上記引用英訳のpipit日訳↓

    "Dependent on eye & forms, eye-consciousness arises.

    眼と色形に依存して、眼の意識が生じます。


    The meeting of the three is contact.

    この3つ(眼・色形・眼の意識)の集いが接触です。

    With contact as a requisite condition,
    there is feeling.

    接触を必要条件として、感覚があります。

    What one feels, one perceives (labels in the mind).

    感じたものを、知覚(解釈、理解)します(心の中でラベル付けします)

    What one perceives, one thinks about.

    知覚(解釈、理解)したものを、それについて考えます。

    What one thinks about, one objectifies.

    それについて考えたものを、客体化します。

    Based on what a person objectifies, the perceptions & categories of objectification assail him/her with regard to past, present, & future forms cognizable via the eye.

    人が客体化したものに基づき、
    目を通して認識され得る、過去・現在・未来の色形に関して、客体化の知覚(解釈、理解)とカテゴリー(分別)が彼、彼女を襲います。

引用返信/返信 削除キー/
■23912 / inTopicNo.3)  パパンチャについて
□投稿者/ pipit -(2022/06/14(Tue) 20:24:59)
    Thanissaro Bhikkhu様のパパンチャについての記事を引用します。
    https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/mn/mn.018.than.html

    Translating papanca:
    As one writer has noted, the word papanca has had a wide variety of meanings in Indian thought, with only one constant: in Buddhist philosophical discourse it carries negative connotations, usually of falsification and distortion. The word itself is derived from a root that means diffuseness, spreading, proliferating. The Pali Commentaries define papanca as covering three types of thought: craving, conceit, and views. They also note that it functions to slow the mind down in its escape from samsara. Because its categories begin with the objectifying thought, "I am the thinker," I have chosen to render the word as "objectification," although some of the following alternatives might be acceptable as well: self-reflexive thinking, reification, proliferation, complication, elaboration, distortion. The word offers some interesting parallels to the postmodern notion of logocentric thinking, but it's important to note that the Buddha's program of deconstructing this process differs sharply from that of postmodern thought.

    ※上記引用文をDeepLで翻訳しました。↓



    パパニャーを翻訳する。
    ある作家が指摘したように、パパニャーという言葉はインド思想において多種多様な意味を持っているが、ただ一つ不変のものがある。仏教哲学の言説においては、通常は偽りや歪曲といった否定的な意味合いを含んでいる。この言葉は、拡散、拡散、増殖を意味する語根に由来している。パーリ語の解説書では、パパニャーを「渇望、自惚れ、見解」という3種類の思考をカバーするものとして定義している。また、輪廻からの脱出において、心の動きを鈍らせる働きもあると記している。その分類は「私が思考者である」という客観的な思考から始まるので、私はこの言葉を「客観化」と表現することにしたが、次のような代替案も受け入れられるかもしれない:自己反射的思考、再化、増殖、複雑化、精巧化、歪曲。この言葉は、ポストモダンの論理中心的思考という概念と興味深い類似性を持っているが、このプロセスを脱構築するブッダのプログラムは、ポストモダン思想のそれとは大きく異なることに注意することが重要である。


引用返信/返信 削除キー/
■23911 / inTopicNo.4)  パパンチャ日記
□投稿者/ pipit -(2022/06/14(Tue) 20:11:46)
    訳を読んでるんだけど、難しい!

    何処が難しいかというと、パーリ語で『papanca:パパンチャ』という単語が出てくるんだけど、その部分の訳がとても難しい。

    訳者の方もそれぞれご自分の考えの訳を当ててられるかんじで、統一的な定型文句にはなってない感じです。

    片山先生は、『妄執』と訳されてます。
    水野弘元先生のパーリ語辞典では、『障碍、戯論、迷執、妄想』です。
    スマナサーラ長老は、『捏造』とされてた覚えがあります。

    読んでいた英訳は、Thanissaro Bhikkhu様のものなんだけど、↓

    https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/mn/mn.018.than.html
    冒頭のTranslator's Introduction にも、パパンチャについていろいろ書かれてます。

    どっかで(中村元先生かなぁ、違ったらすみません)、『拡がる妄想』みたいな訳も見た気がするんだけど、Bhikkhu Sujatoさまは、『proliferate:増殖する、急増する』という訳語を使用されてました。↓

    What you think about, you proliferate. What you proliferate about is the source from which a person is beset by concepts of identity that emerge from the proliferation of perceptions.

    https://suttacentral.net/mn18/en/sujato?layout=plain&reference=none&notes=asterisk&highlight=false&script=latin

    パパンチャは、大乗仏教ではプラパンチャ、戯論、と呼ばれてる単語と同じなのかな??

    難しいー(;ω;)

    自信ないけど、Thanissaro Bhikkhu様の英訳のpipit日訳を後で投稿します。
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■23901 / inTopicNo.5)  日記
□投稿者/ pipit -(2022/06/13(Mon) 23:45:31)
    2022/06/13(Mon) 23:47:46 編集(投稿者)

    No23900
    >
    > 「友らよ、眼と色を縁として 眼識が生じます。
    >
    >  三者の和合によって 触が生じます。
    >
    >
    >  触を縁として 受が生じます。
    >
    >  感受するものを 想念します。
    >
    >  想念するものを 尋思(じんし)します。
    >
    >  尋思するものを 妄執します。
    >
    >  それより妄執する人に、過去・未来・現在の眼に知られるもろもろの色について、もろもろの妄執想の部分が起こります。(略)』
    >  
    > 引用終了<

    ここ、ちょっとおもしろいなぁと思ってるんです。

    眼と色によって生じた眼識 の 三者が和合して 触 が生じる。

    触 を縁として 感受が生じる。

    眼識を感受の結果にしてないように感じませんか?

    カント大好きpipitは、どうしてもカント哲学を想起してしまうけど、

    触 を 触発と考えたら、おもしろいんじゃないかな、と。

    意識受動仮説があるでしょう?感受以降を顕在意識、触発前を潜在意識って考えたら、どうかな、って。

    まあ、まだ、経文を全然読めてないので、ゆっくり読んでみます!
    おやすみなさーい ☆彡

引用返信/返信 削除キー/
■23900 / inTopicNo.6)  Re[74]: 十二処
□投稿者/ pipit -(2022/06/13(Mon) 23:34:00)
    引き続き、『パーリ仏典にブッダの禅定を学ぶ 『大念処経』を読む』片山一良先生著、大法輪閣、p156より引用します。

    引用開始
    『中部第一八『蜜玉経』(第六-七節)によってそれを見ることにしましょう。(略)、長老はつぎのように詳説したということです。

    「友らよ、眼と色を縁として 眼識が生じます。

     三者の和合によって 触が生じます。


     触を縁として 受が生じます。

     感受するものを 想念します。

     想念するものを 尋思(じんし)します。

     尋思するものを 妄執します。

     それより妄執する人に、過去・未来・現在の眼に知られるもろもろの色について、もろもろの妄執想の部分が起こります。(略)』
     
    引用終了

    ================
     
    上記引用部分あたりの、蜜丸経(蜜玉経)の英訳を見ていこうと思っています。
引用返信/返信 削除キー/
■23898 / inTopicNo.7)  Re[73]: 十二処
□投稿者/ pipit -(2022/06/13(Mon) 20:55:27)
    読んでて、まず目についたのは、『処』の説明箇所です。

    『パーリ仏典にブッダの禅定を学ぶ 『大念処経』を読む』片山一良先生著、大法輪閣、p155より引用します。
    ※aの上に棒記号がある字はAと入力してます。

    引用
    『(略)、「処」は認識が集まる場所です。
    「処」(Ayatana)という語は、生地、根拠、集合場所などの意味を持っていますが、ここでは「集合場所」、すなわち「門」、「認識領域」と解されます。
    「来る」「入る」(AyAti<A-√ yA)という動詞から出来た語で、「処」「入」などと漢訳されます。
     それでは、どのようにこの実践が行われるのでしょうか。「六の内処と六の外処との法において法を観つづけて住む」ということです。』
    引用終了

    ※※※※※※※※
    片山先生の他説明も読んでのpipit感想

    六の内処は、眼・耳・鼻・舌・身・意の六つの感官(六の認識する領域)

    六の外処は、色・音・香・味・触・法の六つの対象(六の認識される領域)

    処は、集合場所。

    十二の集合場所。おもしろいな。先を読んでみます
    (o^^o)

引用返信/返信 削除キー/
■23893 / inTopicNo.8)  十二処
□投稿者/ pipit -(2022/06/13(Mon) 16:23:14)
    みなさま、こんにちは(^ ^)

    No23887
    > 『パーリ仏典にブッダの禅定を学ぶ 『大念処経』を読む』片山一良先生著、大法輪閣、<

    という本から、十二処についての記事を引用しようと思っていますが、

    本のタイトル中の『大念処経』は、
    長部>大篇>第二十二経
    です。

    ※ 光明寺経蔵さま訳「大念処経」目次

    https://komyojikyozo.web.fc2.com/dnmv/dn22/dn22c00.html


    光明寺経蔵さまの目次真ん中あたりにある
    【法随観:〔十二〕処の部】

    が、

    片山先生の本の
    >p154ー157<
    の内容となります。

引用返信/返信 削除キー/
■23887 / inTopicNo.9)  Re[71]: 蜜丸経
□投稿者/ pipit -(2022/06/12(Sun) 23:51:54)
    みなさまこんばんは。

    『蜜丸経』は、十二処についての経文なのかな、と思った(実際はもっとたくさんの教えがつまっていそうでした)のは、片山先生の解説に引用されてたからです。

    十二処についての勉強になると思うので、その箇所を抜粋引用させていただきます。

    『パーリ仏典にブッダの禅定を学ぶ 『大念処経』を読む』片山一良先生著、大法輪閣、p154ー157からの引用です。

    というわけで、引用しながらのお勉強はまた後ほど。。。

    今日は、おやすみなさい!☆彡
引用返信/返信 削除キー/
■23881 / inTopicNo.10)  Re[70]: 蜜丸経
□投稿者/ pipit -(2022/06/12(Sun) 17:25:43)
    2022/06/12(Sun) 17:29:49 編集(投稿者)
    2022/06/12(Sun) 17:27:20 編集(投稿者)

    みなさま、こんにちは。
    超難しそうな経典であきらめかけたのですが、やっぱり一部分でも読みたい!
    しかも蜜丸は、蜜の飴玉のように元気が出るという比喩のよう!
    ので、片山一良先生解説文章の十二処の記述箇所に引用されてた箇所だけでも、読んでみようかな、と、思いました。

    まず、光明寺経蔵さんのサイトでpipitには理解しきれないなりにざっと経文を読ませてもらいました。
    https://komyojikyozo.web.fc2.com/mnmlp/mn02/mn02c18.files/sheet001.htm

    大まかな構成としては、

    @お釈迦さまがダンダパーニさんとお話しした内容について、弟子たちに説かれる。



    A説法を聞いたものの理解しきれなかった弟子たちが、マハーカッチャーナ尊者に頼んで、内容を解説してもらう。



    Bマハーカッチャーナ尊者に解説してもらった旨を弟子たちがお釈迦さまに報告すると、お釈迦さまは解説内容を追認される。

    みたいな感じかなーと。

    それで十二処の箇所は、Aのマハーカッチャーナ尊者の解説として、出てくるようです。

引用返信/返信 削除キー/
■23845 / inTopicNo.11)  蜜丸経
□投稿者/ pipit -(2022/06/10(Fri) 16:43:25)
    2022/06/10(Fri) 16:44:05 編集(投稿者)

    ちょっと検索してたら、、、

    もんのすごく難しそうな経典でした。。。
    :(;゙゚'ω゚'):

    興味あるけど、もしかしたら、読む経典を変更するかもです。。。

引用返信/返信 削除キー/
■23831 / inTopicNo.12)  十二処
□投稿者/ pipit -(2022/06/09(Thu) 21:37:02)
    みなさま、こんばんは
    五蘊のことについて述べられた『泡沫経』は読み終わったので、次は十二処について述べられた経典を読もうと思ってます。 

    全然詳しくないし、未読なのですが、中部経典『蜜丸経』読もうかな、と。
    (片山一良先生の本の十二処の説明のとこで引用されてたので)

    wikiより※パーリ記号は入力できてません。
    『蜜丸経』[1](みつがんきょう、巴: Madhupindika-sutta, マドゥピンディカ・スッタ)とは、パーリ仏典経蔵中部に収録されている第18経。『蜜玉経』(みつごくきょう)とも[2]。
    類似の伝統漢訳経典としては、『中阿含経』(大正蔵26)の第115経「蜜丸喩経」等がある。
    釈迦が、釈迦族のダンダパーニに、仏法を説いていく。

    (略)』

    おほ、リンク先の英訳みたら、

    The Ball of Honey

    https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/mn/mn.018.than.html


    蜜丸。。。どんな内容なのかなー
    (*^ω^*)
引用返信/返信 削除キー/

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