| pipitさん、パニチェさん、皆さん、こんにちはー
昨日ご紹介した『コンタクト』はフィクションでしたが、本日の底なし沼探査レポはドキュメンタリー、それは或る若い兵士が戦場で書き綴った日記。
この日記他から作り上げられた作品が、この掲示板で最近話題にあがっている『論理哲学論考』です。
もちろん、或る兵士とはウィトゲンシュタイン。以下は1916年6月4日に始まる、いわゆる「ブルシーロフ攻勢」で死の危機に瀕する最中書かれた言葉です。
あ、パニチェさんは、きっとこれらにも造詣が深いですよね(・∀・)
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1916年6月11日
神と生の目的との関して私は何を知るか。 私は知る、この世界があることを。 私の眼が眼の視野の中にあるように、私が世界の中にいることを。 世界についての問題となるものを、我々が世界の意義と称することを。 世界の意義は世界の中にはなく、世界の外にあることを。 生が世界であることを。 私の意志が世界にあまねく浸透していることを。 私の意志が善か悪かであることを。 従って善と悪は世界の意義と何らかの連関があることを。 生の意義、即ち世界の意義を我々は神と称することができるのである。 そして父としての神という比喩をこれに結びつけること。 祈りとは世界の意義についての思想である。 世界の出来事を私の意志によって左右するのは不可能であり、私は完全に無力である。 私は出来事への影響を専ら断念することによって、自分を世界から独立させることができ、従って世界をやはり或る意味で支配しうるのである。
→ウィトゲンシュタイン「草稿1914-1916」,奥雅博 訳、大修館書店 ウィトゲンシュタイン全集1、p.253-p.254
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『論理哲学論考』は単純ウマシカな私にとって、単純?過ぎて全然分からず即サヨナラしたほろ苦い想い出があります(´;ω;`)ウッ…
なんでいきなり、"Die Welt ist alles, …"なの?とか。開口一番「世界とは〜」とほぼ結論めいた口調で始まり、結びは、テツガクシャ諸君、退路は断たれた!後はゴチャゴチャ言うな!みたいなノリ(;゚Д゚)マジマッチョ
でもですねー(;´・ω・)
もしこれから『論理哲学論考』に挑んでやろうという勇猛なお方がおられるようでしたら、私は『論理哲学論考』だけではなく、その日記草稿(「秘密の日記」もね)もそっと覗くことをおすすめしたいです。大修館書店から出ている全集の第一巻に収められています。『秘密の日記』(丸山空大 訳)は春秋社から。
上の日記に書かれた「私(の)」は、後年の私たち読者に理解をもとめている「私」ではないとおもいました。
「自我〔Das Ich〕。自我とは深い秘密に満ちたものである!」(1916年8月5日、同書p.267より)
(/・ω・)/沼〜 そろそろカント沼に戻らねば…
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