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■16360 / inTopicNo.37)  Re[55]: 生
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/09/16(Thu) 16:46:44)
    ■16358、アットちゃん、ありがと。

    どのような生きものも、生を受けたときから、生きるために生きてる、ってわたし思ってる。
    わたしの問題は、「私」、「世界」、そして「私が生きられた世界と私との連関」。メルポンので言うと「世界における(への)存在(etre au monde)」としての「私」っていうことになるのかな。

    わたしの生活世界でもいろいろとあるのよ。
引用返信/返信 削除キー/
■16358 / inTopicNo.38)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ アートポット -(2021/09/16(Thu) 15:55:11)
    No16308
    悪魔ちゃんの視点、ワタクシは、好きです。
    ハエも生涯を一生懸命に生きてる。
引用返信/返信 削除キー/
■16357 / inTopicNo.39)  Re[53]: 無用の用 第3回
□投稿者/ アートポット -(2021/09/16(Thu) 14:55:00)
    No16354に返信(田秋さんの記事)
    > 2021/09/16(Thu) 12:22:51 編集(投稿者)
    >
    > おはようございます、アートポットさん
    >
    > 無用の用の第3回です。今回は老子に出てくる無用の用を調べてみます。老子の版本の一つに《河上公章句》というのがあり、その第11章には《無用》という題名がついています。短いですから全文の口語訳をここに挙げます。
    >
    > 三十本の輻(や)が轂(こしき/車輪の中心)に集まる。その何もない空間に車輪の有用性がある。
    > 粘度をこねて、容器をつくる。その何もない空間に容器の有用性がある。
    > 戸口や窓の穴をあけて、家をつくる。その何もない空間に家の有用性がある。
    > 故に何かから利益を受ける(ように見えるのは)、実はその何もないところに有用性があるのである。
    >
    > これが第11章の全文です。短い4つの文章からなり、最初の3つは無用の用の具体例、4つ目がそれを一般化したものです。
    > 輻や轂は写真中、→で示した部分です。「轂の何もない空間」というのは車軸を通すところです。それにしても30本の輻というのは多いですね。上の車輪が12本、下の車輪で28本です。
    > 2番目の文章は鉢のような容器を想像するとわかりやすいと思います。
    > 3番目の家の説明も写真を見るとわかりますが、壁面に穴を掘って作った家です。
    > いずれもそのもの自体よりもそれによって作られた空間が有用であるという主張です。最初の轂の例はボクはイマイチピンときませんが、2番目、3番目の容器、家の空間については大いに納得できます。鉢は食べ物を盛る空間があって初めて有用になります。その空間を作り出しているのが鉢だということですね。家についても同様です。
    >
    > 3回に亘って無用の用について書いてきました。
    > 1. 役に立たない者になってこそ、寿命を全うできる。
    > 2. 不必要に見えるものが役に立っている
    > 3. 物自体ではなくそれによって作られた空間が役に立つ
    > 大体こんな感じですが、ボク的には2番が最もストンと自分に落ちます。広い通りをまっすぐ歩くのは難しいことではありませんが、幅20センチの橋を渡りきるのは容易ではありません。
    >

    こんにちは、田秋さん

    容器の話に凄く納得しました。

    無用の用1回(1番)が個人的に好きです。
    でも、無用の用2回(2番)がかっこいいですね。
    3回も無の部分(空気のみの部分)の有用性に感動です。

    今回も、とても勉強になって楽しい話をありがとうございます。
引用返信/返信 削除キー/
■16354 / inTopicNo.40)   無用の用 第3回
□投稿者/ 田秋 -(2021/09/16(Thu) 09:51:14)
    2021/09/16(Thu) 12:22:51 編集(投稿者)

    おはようございます、アートポットさん

    無用の用の第3回です。今回は老子に出てくる無用の用を調べてみます。老子の版本の一つに《河上公章句》というのがあり、その第11章には《無用》という題名がついています。短いですから全文の口語訳をここに挙げます。

    三十本の輻(や)が轂(こしき/車輪の中心)に集まる。その何もない空間に車輪の有用性がある。
    粘度をこねて、容器をつくる。その何もない空間に容器の有用性がある。
    戸口や窓の穴をあけて、家をつくる。その何もない空間に家の有用性がある。
    故に何かから利益を受ける(ように見えるのは)、実はその何もないところに有用性があるのである。

    これが第11章の全文です。短い4つの文章からなり、最初の3つは無用の用の具体例、4つ目がそれを一般化したものです。
    輻や轂は写真中、→で示した部分です。「轂の何もない空間」というのは車軸を通すところです。それにしても30本の輻というのは多いですね。上の車輪が12本、下の車輪で28本です。
    2番目の文章は鉢のような容器を想像するとわかりやすいと思います。
    3番目の家の説明も写真を見るとわかりますが、壁面に穴を掘って作った家です。
    いずれもそのもの自体よりもそれによって作られた空間が有用であるという主張です。最初の轂の例はボクはイマイチピンときませんが、2番目、3番目の容器、家の空間については大いに納得できます。鉢は食べ物を盛る空間があって初めて有用になります。その空間を作り出しているのが鉢だということですね。家についても同様です。

    3回に亘って無用の用について書いてきました。
    1. 役に立たない者になってこそ、寿命を全うできる。
    2. 不必要に見えるものが役に立っている
    3. 物自体ではなくそれによって作られた空間が役に立つ
    大体こんな感じですが、ボク的には2番が最もストンと自分に落ちます。広い通りをまっすぐ歩くのは難しいことではありませんが、幅20センチの橋を渡りきるのは容易ではありません。

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引用返信/返信 削除キー/
■16229 / inTopicNo.41)  Re[51]: 無用の用 第2回
□投稿者/ アートポット -(2021/09/12(Sun) 18:33:12)
    No16224に返信(田秋さんの記事)
    > 2021/09/12(Sun) 17:09:33 編集(投稿者)
    >
    > こんにちは、アートポットさん
    >
    > 随分間が空きましたが無用の用の第2回です。
    >
    > 前回の無用の用は役に立たないことこそが生きのびる道であるという論理の展開で、役に立たない(無用)ことが生きのびる為の術([有]用)ということを述べているのだと思います。これに酷似したエピソードはまだいくつか載っていますが少し形の変わったものもあります。
    >
    > 既にno14580で書いた尾を泥中に曳くとその中で触れた生贄の牛の話です。どちらも死んで尊ばれることより生きのびる道を選ぶという話です。無用の用を逆方向から見て、役に立ったからその命を全うできなかった例を挙げています。
    >
    > 以上述べたことは生き永らえることが重要という観点から書いていますが、荘子本来の万物斉同、絶対無差別の思想からするとおかしな考えになります。生死をも差別しないというのが万物斉同だからです。しかし、もし生と死が同じ比重なら、「人を殺したら罪になる」根拠が無くなるような気がします。が、その辺りの哲学的考察はボクの守備範囲外になるのでこれ以上は論じません。
    >
    > 今回はシチュエーションの異なる無用の用を見てみます。
    > 列禦寇が弓を射る話です。この話は列子にも荘子にも載っています(列子では[禦]、荘子では[御])。列禦寇の話ですから列子に載る話を見てみましょう。
    > このエピソードは黄帝第二にあり、列禦寇が先輩に当たる伯昏ぼう(孜の下に目)人(はくこんぼうじん)の前で矢を射てみせます。弓を満月のように引きしぼり、肘には水をたたえた盃を載せそのまま矢を射ますが、水は一滴もこぼれません。放たれた矢は次々と命中します。
    > これを見た伯昏ぼう人
    > 「確かに素晴らしい腕前だ。しかし有心の射であって無心の射ではない。」
    > そう言って伯昏ぼう人は列御寇を近くの高い山へ連れて行き、自分はそそりたつ岩に立ち百仞もある深い淵を見下ろしました。そうして禦寇の方を振り向くと後ずさりし、足の半分は宙に浮いている状態なりながらこちらへ来いと促しました。
    > ところが禦寇は目が眩んでしまい地面に這いつくばり冷汗が踵まで伝わる始末。
    > そこで伯昏ぼう人は言いました。
    > 「至人は天の果てから地の底まで、宇宙を縦横無尽に駆け回っても少しも動じない。それに比べてお前さんはこれしきの事でぶるぶる震えている。そんなていたらくではいくら矢を中てても危なっかしいものだ」
    >
    > 話はこれで終わります。
    > さてこの話のどこが無用の用に繋がるのでしょうか。この段の主題は動じない心であり、無用の用を引き出そうとする意図は感じられません。アートポットさんも1分考えてみてください。
    >
    > 私見を述べる前に次のエピソードをみてみましょう。
    > 荘子・雑篇・外物篇第26に載っている話です。
    > 恵子が荘子に
    > 「君のことばは役にたたないよ」
    > というと荘子は
    > 「役にたたないという本当の意味がわかって初めて有用について語れるんだよ。例えば大地は広く、人間が立つのに必要な広さは両足の大きささえあれば十分だ。しかし、もしもその部分だけを残して、後を黄泉の国まで届くほど深く掘り下げたとしたら、それでもそこを十分な広さと言えるかい?」
    > 恵子
    > 「言えない」
    > 荘子
    > 「これが無用の用さ」
    >
    > 以上のような話です(但し、田秋流に少々アレンジしてあります)。
    > 安心して立っていられるのは立っている部分以外の地面が十分あるからで、この「立っている部分以外」が無用の用なのです。
    >
    > もう一つ、同じく荘子・雑篇・除無鬼篇第24から。
    > 足で大地をふむとき、足はその幅だけのひろさをふむものである。だが足の幅だけの土地があればよいというのではなく、足のふまない周囲のあるおかげで、安心して足のふむ範囲をひろげてゆくことができるのである。
    > 同様に、人間の知識の範囲はせまい。だが、そのせまい知識も、その周囲にひろがる未知の範囲に助けられて、はじめて広大無辺の自然のはたらきを知ることができるのである。
    > (以下略)
    >
    > このように進んでくると最初のエピソードの別の解釈ができそうです。列禦寇が最初「弓を満月のように引きしぼり、肘には水をたたえた盃を載せそのまま矢を射ても水は一滴もこぼれず、放たれた矢は次々と命中」したのは自分の足場以外に一見不要に思える十分な地面があったからであり、「目が眩んでしまい地面に這いつくばり冷汗が踵まで伝わる」状態になったのは無用に見える地面が無かったからだという解釈も成り立ちそうです。
    >
    > 参考文献
    > 岩波文庫 列子(上)
    > 中公文庫 荘子・雑篇
    >

    こんばんは、田秋さん

    いつも以上に難しい話でした。
    1分考えるように勧められ、考えて、
    ・「練習と本番では、スケールや、怖さが、全然違うよ。」
    ていう意味かと思っちゃいました。

    実際には、
    ・大地が果てしなく(無駄のように)広いからこそ足場が安定している
    ・未知の知識のお陰で、知ることを知る、知らないことを知る、助けられている

    て解釈が正解に凄く近いようですね。

    田秋さんの解説でなんとか分かった気分です。
    ありがとうございます。
引用返信/返信 削除キー/
■16224 / inTopicNo.42)  無用の用 第2回
□投稿者/ 田秋 -(2021/09/12(Sun) 16:47:24)
    2021/09/12(Sun) 17:09:33 編集(投稿者)

    こんにちは、アートポットさん

    随分間が空きましたが無用の用の第2回です。

    前回の無用の用は役に立たないことこそが生きのびる道であるという論理の展開で、役に立たない(無用)ことが生きのびる為の術([有]用)ということを述べているのだと思います。これに酷似したエピソードはまだいくつか載っていますが少し形の変わったものもあります。

    既にno14580で書いた尾を泥中に曳くとその中で触れた生贄の牛の話です。どちらも死んで尊ばれることより生きのびる道を選ぶという話です。無用の用を逆方向から見て、役に立ったからその命を全うできなかった例を挙げています。

    以上述べたことは生き永らえることが重要という観点から書いていますが、荘子本来の万物斉同、絶対無差別の思想からするとおかしな考えになります。生死をも差別しないというのが万物斉同だからです。しかし、もし生と死が同じ比重なら、「人を殺したら罪になる」根拠が無くなるような気がします。が、その辺りの哲学的考察はボクの守備範囲外になるのでこれ以上は論じません。

    今回はシチュエーションの異なる無用の用を見てみます。
    列禦寇が弓を射る話です。この話は列子にも荘子にも載っています(列子では[禦]、荘子では[御])。列禦寇の話ですから列子に載る話を見てみましょう。
    このエピソードは黄帝第二にあり、列禦寇が先輩に当たる伯昏ぼう(孜の下に目)人(はくこんぼうじん)の前で矢を射てみせます。弓を満月のように引きしぼり、肘には水をたたえた盃を載せそのまま矢を射ますが、水は一滴もこぼれません。放たれた矢は次々と命中します。
    これを見た伯昏ぼう人
    「確かに素晴らしい腕前だ。しかし有心の射であって無心の射ではない。」
    そう言って伯昏ぼう人は列御寇を近くの高い山へ連れて行き、自分はそそりたつ岩に立ち百仞もある深い淵を見下ろしました。そうして禦寇の方を振り向くと後ずさりし、足の半分は宙に浮いている状態なりながらこちらへ来いと促しました。
    ところが禦寇は目が眩んでしまい地面に這いつくばり冷汗が踵まで伝わる始末。
    そこで伯昏ぼう人は言いました。
    「至人は天の果てから地の底まで、宇宙を縦横無尽に駆け回っても少しも動じない。それに比べてお前さんはこれしきの事でぶるぶる震えている。そんなていたらくではいくら矢を中てても危なっかしいものだ」

    話はこれで終わります。
    さてこの話のどこが無用の用に繋がるのでしょうか。この段の主題は動じない心であり、無用の用を引き出そうとする意図は感じられません。アートポットさんも1分考えてみてください。

    私見を述べる前に次のエピソードをみてみましょう。
    荘子・雑篇・外物篇第26に載っている話です。
    恵子が荘子に
    「君のことばは役にたたないよ」
    というと荘子は
    「役にたたないという本当の意味がわかって初めて有用について語れるんだよ。例えば大地は広く、人間が立つのに必要な広さは両足の大きささえあれば十分だ。しかし、もしもその部分だけを残して、後を黄泉の国まで届くほど深く掘り下げたとしたら、それでもそこを十分な広さと言えるかい?」
    恵子
    「言えない」
    荘子
    「これが無用の用さ」

    以上のような話です(但し、田秋流に少々アレンジしてあります)。
    安心して立っていられるのは立っている部分以外の地面が十分あるからで、この「立っている部分以外」が無用の用なのです。

    もう一つ、同じく荘子・雑篇・除無鬼篇第24から。
    足で大地をふむとき、足はその幅だけのひろさをふむものである。だが足の幅だけの土地があればよいというのではなく、足のふまない周囲のあるおかげで、安心して足のふむ範囲をひろげてゆくことができるのである。
    同様に、人間の知識の範囲はせまい。だが、そのせまい知識も、その周囲にひろがる未知の範囲に助けられて、はじめて広大無辺の自然のはたらきを知ることができるのである。
    (以下略)

    このように進んでくると最初のエピソードの別の解釈ができそうです。列禦寇が最初「弓を満月のように引きしぼり、肘には水をたたえた盃を載せそのまま矢を射ても水は一滴もこぼれず、放たれた矢は次々と命中」したのは自分の足場以外に一見不要に思える十分な地面があったからであり、「目が眩んでしまい地面に這いつくばり冷汗が踵まで伝わる」状態になったのは無用に見える地面が無かったからだという解釈も成り立ちそうです。

    参考文献
    岩波文庫 列子(上)
    中公文庫 荘子・雑篇

引用返信/返信 削除キー/
■16217 / inTopicNo.43)  ベルモンド
□投稿者/ アートポット -(2021/09/12(Sun) 09:10:10)
    漫画の宇宙海賊コブラのモデルになったとされる、
    ジャン=ポール・ベルモンドが亡くなられた。
    ご冥福をお祈りします。
引用返信/返信 削除キー/
■16206 / inTopicNo.44)  Re[48]: 赤ちゃん
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/09/11(Sat) 21:14:10)
    ■16203、アットちゃん
    <赤ちゃん度>、ありがと。
    証明なんていらないよ。

    感覚的赤ちゃん度95%が目安ね。
    なるほど〜、なんかいいかも。

    たしか、最近話題の酸素飽和度もそのぐらいの%だったような気がする。
引用返信/返信 削除キー/
■16203 / inTopicNo.45)  Re[47]: 赤ちゃん
□投稿者/ アートポット -(2021/09/11(Sat) 20:55:44)
    No16198に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > 赤ちゃんになる、っていうのいいね。
    >
    > 赤ちゃんになる、っていうこと、それは現実回避だとか病的な退行だっていう見方をする人もいるかもしれないけど、私の原初的世界に遡ることだとしたならそれはそういう人たちより人間の本来的生を見ようとすることなんじゃないかしら?
    >
    > わたしが読んだ「ニーチェ」っていう本の中に、
    > 〔ニーチェによれば、明暗・表裏をふくめての生存全体を大きく肯定し、ありのままの存在と軽快に遊び戯むれる無垢なる小児の立場こそが「存在の主」としての本来の自分をとりもどす人間回復の自由を可能ならしめるものである。〕
    > って書いてあった。
    >

    こんばんは、悪魔ちゃん

    これは、とても良いこと聞いた。今以上に心が楽になったよ。

    > ところで、アットちゃんが考えた
    > >赤ちゃん度チェック<
    > っていうの、もしよかったら教えて。
    > 嫌ならいいよ。
    >
    >

    証明は出来ないけど、
    感覚的に「今、赤ちゃん度はどれくらい」って感覚を
    自分自身に探りをいれて辿ってみて「90%だな」
    「よし95%まで回復させよう」
    って、なんとなくで「95%」に保つことを考えると
    案外スンナリ95%まで回復する。
    ゆっくり10秒数えても良いし、5分から10分あれば
    【マッタリ赤ちゃん、ぱっぷう気分】
    暑くて、赤ちゃん度65%くらい40%まで下がらないようにアイスクリーム食べよう
    → 90%95%くらいまで回復する

    赤ちゃん度95%まで回復させようって意識すると案外スンナリ回復

    【マッタリ】のもっと赤ちゃんっぽくて純粋な【ぱっぷう】ていう気持ち

    「ぱっぷう」

    以上でありんす。
引用返信/返信 削除キー/
■16198 / inTopicNo.46)  Re[46]: 赤ちゃん
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/09/11(Sat) 19:55:22)
    赤ちゃんになる、っていうのいいね。

    赤ちゃんになる、っていうこと、それは現実回避だとか病的な退行だっていう見方をする人もいるかもしれないけど、私の原初的世界に遡ることだとしたならそれはそういう人たちより人間の本来的生を見ようとすることなんじゃないかしら?

    わたしが読んだ「ニーチェ」っていう本の中に、
    〔ニーチェによれば、明暗・表裏をふくめての生存全体を大きく肯定し、ありのままの存在と軽快に遊び戯むれる無垢なる小児の立場こそが「存在の主」としての本来の自分をとりもどす人間回復の自由を可能ならしめるものである。〕
    って書いてあった。

    ところで、アットちゃんが考えた
    >赤ちゃん度チェック<
    っていうの、もしよかったら教えて。
    嫌ならいいよ。


引用返信/返信 削除キー/
■16177 / inTopicNo.47)  Re[45]: ひたすら再入院を回避
□投稿者/ アートポット -(2021/09/10(Fri) 22:47:11)
    No16173に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > お医者さんの「異常と正常」の基準はどんなのかしらね。
    > あ、っていうか「それは病気である」っていう判断基準って言ったほうがいいのかな。
    >

    こんばんは、悪魔ちゃん

    幻聴が聴こえる程度ならよっぽど大丈夫で、暴れると即入院。

    > ■16094、
    > >げんちょうプラス過去のフラッシュバックで時々アタマがおかしくなりそうになるんですよ。<
    > ちょっと聞いちゃうね。
    >
    > <アタマがおかしくなりそうになる>のは、<げんちょう>と<過去のフラッシュバック>があるから?
    >

    最初は、性欲と、ストレスだった。異常でした。
    でも、幻聴になってからが凄く悲惨で、四六時中辛い。
    フラッシュバックも奇声を上げたくなる。

    > <げんちょう>って、「幻聴」っていうことでいい?だとして、その”聞こえてるもの”?がどうのようにして「それは幻聴である」って判断してるの?
    >

    ほとんどは裏のほうの家の方向からだけど、明確に幻聴とは判別できない。
    ただ耳元や1メートルくらい離れた距離から約友の笑い声が聴こえる時もあるからほぼ幻聴。

    > <アタマがおかしくなりそう>っていうことは〈アタマはおかしくないとき〉っていうの知ってるってるっていうことよね。
    > でもどっちのアタマがおかしくなくて、どっちのアタマがおかしいのか、をどのようにして知ることができるの?ん?他人(たとえばお医者さん)の判断によって?
    > でもね、その他人の判断が間違ってないとも限らないんじゃないの?(あ、ここニーチェの真似ね)
    >
    > こんなこと言ったら<平和発言>じゃなくなるから、ここだけの話にしといて。
    >

    奇声を上げたらもう異常者だよ。
    頭がおかしくなるっていうのは統合を失調してる状態でマトモに考えられない。

    > アタマがおかしくなりたくない。でも
    > >アタマがおかしくなりそうになる<
    > これでアットちゃんは困ってるのかしら?
    > だったら、薬を飲むことによって、おかしくないアタマであるとアットちゃんが思うのならそうしたほうがいいのかも。
    >

    統合失調症の人々は、薬飲んでも余裕で幻聴が聴こえるよ。
    天の仕業か、人の仕業、だからね。

    > そもそも<おかしくなったアタマ>っていうのどういうのかしらね。
    >
    > こう言うんで、マッタリできたかな〜?
    >
    >
    >

    レス書いてる間、全く幻聴聴こえません。いい感じ。
    マッタリにょ

    ネットで公安警察に喧嘩売ってるって訪問看護カルテに書かれちゃったので
    流石に不味い。

    で、訪問看護終了後に、再入院を回避する方法を考え込んで、

    「自分を赤ん坊だと思って平和ぱっぷう」

    ってチラシの裏に書いて寝床に貼った。
    次の病院診察にてこの考えをアピールして入院回避予定。
    赤ちゃん度チェックっていうのも考えて
    赤ちゃん度95%を保つ努力をすることにした。

    レス返してる最中、全く幻聴聴こえません。色々ありがとう
引用返信/返信 削除キー/
■16173 / inTopicNo.48)  Re[44]: ひたすら再入院を回避
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/09/10(Fri) 21:09:01)
    お医者さんの「異常と正常」の基準はどんなのかしらね。
    あ、っていうか「それは病気である」っていう判断基準って言ったほうがいいのかな。

    ■16094、
    >げんちょうプラス過去のフラッシュバックで時々アタマがおかしくなりそうになるんですよ。<
    ちょっと聞いちゃうね。

    <アタマがおかしくなりそうになる>のは、<げんちょう>と<過去のフラッシュバック>があるから?

    <げんちょう>って、「幻聴」っていうことでいい?だとして、その”聞こえてるもの”?がどうのようにして「それは幻聴である」って判断してるの?

    <アタマがおかしくなりそう>っていうことは〈アタマはおかしくないとき〉っていうの知ってるってるっていうことよね。
    でもどっちのアタマがおかしくなくて、どっちのアタマがおかしいのか、をどのようにして知ることができるの?ん?他人(たとえばお医者さん)の判断によって?
    でもね、その他人の判断が間違ってないとも限らないんじゃないの?(あ、ここニーチェの真似ね)

    こんなこと言ったら<平和発言>じゃなくなるから、ここだけの話にしといて。

    アタマがおかしくなりたくない。でも
    >アタマがおかしくなりそうになる<
    これでアットちゃんは困ってるのかしら?
    だったら、薬を飲むことによって、おかしくないアタマであるとアットちゃんが思うのならそうしたほうがいいのかも。

    そもそも<おかしくなったアタマ>っていうのどういうのかしらね。

    こう言うんで、マッタリできたかな〜?



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