| 2021/09/16(Thu) 12:22:51 編集(投稿者)
おはようございます、アートポットさん
無用の用の第3回です。今回は老子に出てくる無用の用を調べてみます。老子の版本の一つに《河上公章句》というのがあり、その第11章には《無用》という題名がついています。短いですから全文の口語訳をここに挙げます。
三十本の輻(や)が轂(こしき/車輪の中心)に集まる。その何もない空間に車輪の有用性がある。 粘度をこねて、容器をつくる。その何もない空間に容器の有用性がある。 戸口や窓の穴をあけて、家をつくる。その何もない空間に家の有用性がある。 故に何かから利益を受ける(ように見えるのは)、実はその何もないところに有用性があるのである。
これが第11章の全文です。短い4つの文章からなり、最初の3つは無用の用の具体例、4つ目がそれを一般化したものです。 輻や轂は写真中、→で示した部分です。「轂の何もない空間」というのは車軸を通すところです。それにしても30本の輻というのは多いですね。上の車輪が12本、下の車輪で28本です。 2番目の文章は鉢のような容器を想像するとわかりやすいと思います。 3番目の家の説明も写真を見るとわかりますが、壁面に穴を掘って作った家です。 いずれもそのもの自体よりもそれによって作られた空間が有用であるという主張です。最初の轂の例はボクはイマイチピンときませんが、2番目、3番目の容器、家の空間については大いに納得できます。鉢は食べ物を盛る空間があって初めて有用になります。その空間を作り出しているのが鉢だということですね。家についても同様です。
3回に亘って無用の用について書いてきました。 1. 役に立たない者になってこそ、寿命を全うできる。 2. 不必要に見えるものが役に立っている 3. 物自体ではなくそれによって作られた空間が役に立つ 大体こんな感じですが、ボク的には2番が最もストンと自分に落ちます。広い通りをまっすぐ歩くのは難しいことではありませんが、幅20センチの橋を渡りきるのは容易ではありません。
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