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No14580 の記事


■14580 / )  尾曳於塗中
□投稿者/ 田秋 -(2021/06/30(Wed) 21:43:07)
    2021/07/01(Thu) 07:27:32 編集(投稿者)

    こんばんは、アートポットさん

    今日のお題は《尾を泥中に曳く》です。
    史記の《老子・韓非子列伝 第三》に荘子についての記載があります。

    「荘子というのは、蒙の人である。名は周。(中略)梁の恵王や斉の宣王と同じころである。」

    荘子の項はこのように始まります。蒙(もう)は地名で今の商丘辺りです(地図参照)。梁というのは魏のことで恵王の生年月日は紀元前400〜319とわかっています。斉の宣王の死亡年月日はBC301とわかっています(生年は不明)。荘子は彼らと同じころだというのですから、大雑把に紀元前4世紀の人だということになります。史記は大体紀元前90年頃完成しているので、それから約250年前前後の人という事になります。ですから司馬遷から見た荘子というのは、現代のボク達から見た田沼意次ぐらいの人だということになります。

    書物《荘子》にも触れ、10余万字としています。現行の《荘子》が6万字強ですから、当時はかなりの大部だった訳です。内容にも触れ、寓言が多く、孔子の弟子をそしり、老子の思想を明らかにしたとあります。そして具体的な話を一つ紹介しています。

    楚の威王は荘周を賢者だと聞き、使者をたて手厚い贈り物を与えて迎え、宰相にすると約束した。荘周は楚の使者に向かい、笑いながら言った。「千金の利益は重く、卿・相は尊い位だが、おぬしは郊の祭に生贄にされる牛を見たことはないか。何年も飼育して、縫い取りの着物をきせて、大廟(おたまや)へ引き込む。その時になって、小さな豚になりたいと思っても、それができようか。おぬしはすみやかに去れ。わしをけがしてくれるな。わしはきたない溝の中でゆるゆると泳ぎまわるのが愉快なのだ。国をもつ者にしばられることなく、一生つかえず、わしの心のままにしているまでだ」

    これと全く同じ話は現行の《荘子》にはありません。が、似た話はあります。《雑篇・第三十二 列禦寇篇》に

    ある人が荘子を召しかかえようとして使者をやった。すると荘子はその使者に応対していった。
    「君はあの祭の犠牲になる牛をみたことがあるかね。なるほど美しい刺繍をした衣服を着せてもらい、まぐさや大豆を食わせてもらうが、いざ引かれて祖先の廟に入ろうとするだんになってから、ただの子牛になりたいと願っても、もはや手おくれではないか」
    とあります。

    史記に載る話の最後、「ゆるゆると泳ぎまわる」というところがしっくりきません。その前で「小さな豚になりたい」と書いているので子豚が溝の中で泳ぐのかなと頭の中が???となります。この部分、《列禦寇篇》にはありません。
    もう一つ、よく似たエピソードが《外篇・第十七 秋水篇》にあります。

    荘子が濮水で釣りをしていた。すると楚王はふたりの大夫に命じて荘子のところに行かせ、前もってその意向を伝えさせた。
    「願わくば、あなたをわずらわし、国内の政治をつかさどる宰相になっていただきたいと存じます」
    すると荘子は、竿を手にしたまま、ふりかえりもしないでいった。
    「わしが聴いているところでは、楚の国には霊験あらたかな亀がおり、死んでから三千年になるが、王はこれを絹で包み、箱に入れて、祖先の廟堂のなかでたいせつに保存しておられるそうだ。だが、この亀は、死んでからこのように骨を残してとうとばれることを願っているだろうか。それとも生きのびて、泥のなかで尾をひきずっていることを望んでいるだろうか」
    ふたりの大夫は答えた、
    「それはやはり生きのびて泥のなかで尾をひきずることを望んでいるでしょう」
    すると、荘子はいった。
    「では帰ってくれ。わしも泥のなかで尾をひきずることにしよう」

    註:古代中国では亀の甲羅を焼いてその罅(ヒビ)で占いをして大事なことを決めていました。

    この話では牛が亀になっていて、そうすると史記の最後の「溝の中でゆるゆる泳ぎまわる」と辻褄が合います。史記の話は《雑篇・列禦寇篇》と《外篇・秋水篇》に出てくる話がミックスされている訳で、《荘子》が当時まだ十分に整理されていなかった名残りかもしれません。

    ここに載せた三つの話で荘子は、高い位や尊ばれる地位よりも市井に埋もれて暮らす方を選ぶと言っています。
    ここは解釈の分かれるところで、見方によっては保身、或いは生を重んじる、とも解釈できます。しかし荘子の中心思想である《万物斉同》の立場からすると生死は等しいはずですから、生贄の牛になっても構わないはずです。ここで荘子は名誉などは相対的なものであり、本質とは何の関係もない取るに足らないものなのだということを主張しているのだと思います。

    最後の亀が泥の中で尾を曳く話が《曳尾於塗中》(尾を塗中に曳く)の出典となります。「塗」は「泥」のことで「と」と読みます。

    参考文献:岩波文庫《史記列伝(一)》、中公文庫《荘子 外篇》及び《荘子 雑篇》、地図は中央公論社《世界の名著4『老子・荘子』》より


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