| >> そういう場所っていつでも必要な気がする。
>無責任なことを言える場所ということ? 違うかな… (ちょっと反省するところがあったので、元記事のその辺りに編集加えました。
はい。場所というより関係に近いかなぁ。 カシさん相手に爆弾発言をしたわけですよね? そもそもカシさんは無責任な爆弾とは思わないだろうし、 (あ〜〜〜。これ。私の投影もあります。・・・が、私が見てきた中でカシさんはそういう判断をしない人って感じだし。・・・賭けてもいい♪)
思った事(過ったこと?)(たとえその時何がしらかの根拠がなくても)を言える場所(関係)って必要だと思う。 っていうより、私には必要。(ユルシテ) (じゃぁ。無責任な誹謗中傷の類はどうなんだ?と聞かれると答えに詰まりますが。) (そもそも無責任な誹謗中傷ではないし。) (違う意見がある人は思った事があれば言えばいいし。) (そういうレベルじゃない、と言われてしまえば、仏教の知識ゼロに近い私は、そうですか、というしかないけど。)
でも。反省をされていたのですね。 そうとは知らず余計なことを書いてごめんなさいでした。
>> 意味(因果)を考え始めると意味(因果)に囚われる気がします。
>意味と因果の関係が分からなかったのですが、勝手に解釈して思うことを書きます。ツバメさんの言いたいことと全然違う可能性が高いです。
>言葉の意味が、言語活動全体の中での関係で決まる。個々の事象の意味も世界全体の中での関係で決まる。それを因果と言ってるのかな、と。影響関係。
(私がおくったがわさんの言われていることを間違えて捉えていなければ、) はい。 言語活動全体も世界全体も「私の中の話」、言語活動全体、世界全体=私と考えます。 だから私にとって意味という言葉も因果という言葉も同じような「意味」に訳されてしまう。
☆意味(いみ)とは、次のような概念である。
言葉(単語・用語など)が持っている概念のこと。言葉の意味、語の意味、語句の意味、用語の意味、言意、語意、語義などともいう。例えば、「雨」は、音声としては「ア」と「メ」が組み合わさっただけのものであるが、そこには「空から水滴が落ちてくる現象」「空から落ちてくる水滴自体」というような意味が備わっている。 ある行動や発言が持つ必要性、もしくはそれが行われた理由のこと。 ある物(物体やシステムなど)が存在する必要性や理由のこと。 意味論が対象とするものである。ウィキペディア
☆いん‐が〔‐グワ〕【因果】 の解説 [名] 1 原因と結果。また、その関係。
2 仏語。前に行った善悪の行為が、それに対応した結果となって現れるとする考え。特に、前世あるいは過去の悪業 (あくごう) の報いとして現在の不幸があるとする考え。「親の因果が子に報い」
[形動][文][ナリ]宿命的に不幸な状態におかれているさま。不運なさま。「頼まれるといやと言えない因果な性分」 goo 辞書
確かに辞書としての意味は上記だけれど、 意味(概念)は、個人そのもの、私そのもの、う〜〜ん。。。。 ええと。意味づけするのは私でそれが誰かの概念と一致するか、大勢の概念と一致するかどうかの違いがあるだけみたいな。 因果も原因と結果を結びつけるのは私で、その前に原因や結果そのものの意味づけをするのも私、みたいな。
☆>>そうなると、存在とは何か ってことにもなって・・ けれども・・ここだけの話ですが・・・ 。oそういう類のことを考えて人生を過ごしてはいけない というのがお釈迦様の教えだったりするかも(無責任な爆弾) (編集追記 ↑禅に関する知識・経験から書きましたが、理解が間違っているかもしれず、お釈迦様の教えかどうかは、さらに知りません。しかも仮にお釈迦様がそう言ったとしても、皆が従わなければならないわけではないので、余計な発言だったと思っています。)
で、存在とは何か?って考えることは意味を問うことだと思いました。 で、個人的に「そういう類のことを考えて人生を過ごしてはいけない。」という意見にいたく共感しました。
意味を問いはじめると自分の中で堂々巡りするだけかなと。 例えば何かがある。(例えば生老病死) その意味を問うても仕方がないかなと。 もし、お釈迦様が「そういう類のことを考えて人生を過ごしてはいけない。」といったのであればすごく親近感覚えるな、と。
>個人の知識とか経験という枠の中でしか考えられない。また、個人の都合にも左右される。ちなみに後者については、人は自分にとって都合のいい解釈・結論をすると多くは言われるようですが、私は必ずしもそう思わず、自分にとって不利な方・苦しい方へ考えてしまう性癖もある。意外に、そういう傾向を持つ人もいると思う。
「自分にとって不利な方・苦しい方へ考えてしまう性癖もある。意外に、そういう傾向を持つ人もいると思う。」
いると思います。 自分にとって都合のよい解釈をしてすやすや眠っている人もいれば、自分にとって不利な解釈をして眠れない人もいる。 安心、安全の基準というのは人によって違うから、自分にとって不利な方・苦しい方へ考えてしまうことが安心・安全ならばそうするのが自然かなと思います。
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