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■10297 / inTopicNo.1)  Welcome&雑談 7
  
□投稿者/ パニチェ -(2021/01/01(Fri) 21:05:21)
    いきなり他トピへの書きこみはちょっとという方とは、このトピを利用下さい。

    その他、どんな話題(雑談)でもどうぞ♪
引用返信/返信 削除キー/
■10423 / inTopicNo.2)  Re[1]: Welcome&雑談 7
□投稿者/ つばめ -(2021/01/10(Sun) 11:03:35)
    >> そういう場所っていつでも必要な気がする。

    >無責任なことを言える場所ということ? 違うかな…
    (ちょっと反省するところがあったので、元記事のその辺りに編集加えました。

    はい。場所というより関係に近いかなぁ。
    カシさん相手に爆弾発言をしたわけですよね?
    そもそもカシさんは無責任な爆弾とは思わないだろうし、
    (あ〜〜〜。これ。私の投影もあります。・・・が、私が見てきた中でカシさんはそういう判断をしない人って感じだし。・・・賭けてもいい♪)

    思った事(過ったこと?)(たとえその時何がしらかの根拠がなくても)を言える場所(関係)って必要だと思う。
    っていうより、私には必要。(ユルシテ)
    (じゃぁ。無責任な誹謗中傷の類はどうなんだ?と聞かれると答えに詰まりますが。)
    (そもそも無責任な誹謗中傷ではないし。)
    (違う意見がある人は思った事があれば言えばいいし。)
    (そういうレベルじゃない、と言われてしまえば、仏教の知識ゼロに近い私は、そうですか、というしかないけど。)

    でも。反省をされていたのですね。
    そうとは知らず余計なことを書いてごめんなさいでした。


    >> 意味(因果)を考え始めると意味(因果)に囚われる気がします。

    >意味と因果の関係が分からなかったのですが、勝手に解釈して思うことを書きます。ツバメさんの言いたいことと全然違う可能性が高いです。

    >言葉の意味が、言語活動全体の中での関係で決まる。個々の事象の意味も世界全体の中での関係で決まる。それを因果と言ってるのかな、と。影響関係。

    (私がおくったがわさんの言われていることを間違えて捉えていなければ、)
    はい。
    言語活動全体も世界全体も「私の中の話」、言語活動全体、世界全体=私と考えます。
    だから私にとって意味という言葉も因果という言葉も同じような「意味」に訳されてしまう。



    ☆意味(いみ)とは、次のような概念である。

    言葉(単語・用語など)が持っている概念のこと。言葉の意味、語の意味、語句の意味、用語の意味、言意、語意、語義などともいう。例えば、「雨」は、音声としては「ア」と「メ」が組み合わさっただけのものであるが、そこには「空から水滴が落ちてくる現象」「空から落ちてくる水滴自体」というような意味が備わっている。
    ある行動や発言が持つ必要性、もしくはそれが行われた理由のこと。
    ある物(物体やシステムなど)が存在する必要性や理由のこと。
    意味論が対象とするものである。ウィキペディア


    ☆いん‐が〔‐グワ〕【因果】 の解説
    [名]
    1 原因と結果。また、その関係。

    2 仏語。前に行った善悪の行為が、それに対応した結果となって現れるとする考え。特に、前世あるいは過去の悪業 (あくごう) の報いとして現在の不幸があるとする考え。「親の因果が子に報い」

    [形動][文][ナリ]宿命的に不幸な状態におかれているさま。不運なさま。「頼まれるといやと言えない因果な性分」  goo 辞書


    確かに辞書としての意味は上記だけれど、
    意味(概念)は、個人そのもの、私そのもの、う〜〜ん。。。。
    ええと。意味づけするのは私でそれが誰かの概念と一致するか、大勢の概念と一致するかどうかの違いがあるだけみたいな。
    因果も原因と結果を結びつけるのは私で、その前に原因や結果そのものの意味づけをするのも私、みたいな。

    ☆>>そうなると、存在とは何か ってことにもなって・・
    けれども・・ここだけの話ですが・・・ 。oそういう類のことを考えて人生を過ごしてはいけない というのがお釈迦様の教えだったりするかも(無責任な爆弾)
    (編集追記 ↑禅に関する知識・経験から書きましたが、理解が間違っているかもしれず、お釈迦様の教えかどうかは、さらに知りません。しかも仮にお釈迦様がそう言ったとしても、皆が従わなければならないわけではないので、余計な発言だったと思っています。)

    で、存在とは何か?って考えることは意味を問うことだと思いました。
    で、個人的に「そういう類のことを考えて人生を過ごしてはいけない。」という意見にいたく共感しました。

    意味を問いはじめると自分の中で堂々巡りするだけかなと。
    例えば何かがある。(例えば生老病死)
    その意味を問うても仕方がないかなと。
    もし、お釈迦様が「そういう類のことを考えて人生を過ごしてはいけない。」といったのであればすごく親近感覚えるな、と。

    >個人の知識とか経験という枠の中でしか考えられない。また、個人の都合にも左右される。ちなみに後者については、人は自分にとって都合のいい解釈・結論をすると多くは言われるようですが、私は必ずしもそう思わず、自分にとって不利な方・苦しい方へ考えてしまう性癖もある。意外に、そういう傾向を持つ人もいると思う。

    「自分にとって不利な方・苦しい方へ考えてしまう性癖もある。意外に、そういう傾向を持つ人もいると思う。」

    いると思います。
    自分にとって都合のよい解釈をしてすやすや眠っている人もいれば、自分にとって不利な解釈をして眠れない人もいる。
    安心、安全の基準というのは人によって違うから、自分にとって不利な方・苦しい方へ考えてしまうことが安心・安全ならばそうするのが自然かなと思います。

引用返信/返信 削除キー/
■10425 / inTopicNo.3)  Re[2]: Welcome&雑談 7
□投稿者/ つばめ -(2021/01/10(Sun) 11:29:07)
    >言葉の意味にしろ、事象の意味にしろ、一人の頭の中で正確な意味を確定できるかというのは、私的言語は可能かという問題になるのかな(違うかもしれない)。
    とりあえず、仮にそれを私的言語とすると、現段階の自分は、成立しない・もしくは形の上で成立しても不毛(役に立たない)と。

    「私的言語」という言葉の意味がまず分からず、たぶんヴィトゲンシュタインというが関係していると思うのですが、私、ヴィトゲンシュタインという人には興味がなかった(というより、哲学に関心がなかった。)のでおくったがわさんの言われていることとは見当違いのことを言ってしまうかもです・・・が、
    思いつくことを足場として考えてみるに、
    ・人は正確な意味を確定できるか
    という事を考える時、前提になるのが「正確な意味」ってなに?っていう事と
    ・「私的言語」って言うけれど、「言語」というツールは集団での伝達方法なのでこれに「私的」があるのかどうか。
    つまり、以前エフニさんに教えてもらったのだけれど、「言葉」自体が客観であること。
    言葉自体が客観的なものなのにその中での「私的」とはどういう事であるのか。

    (・・・なんか。なんか。どうしよう。)

    (なんでこんなこと言ってんだろう。わたし。)( ;∀;)


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■10427 / inTopicNo.4)  Re[3]: Welcome&雑談 7
□投稿者/ つばめ -(2021/01/10(Sun) 11:54:13)
    > つまりさ、
    >
    > 意味を考える人は
    >
    > みんなの答えに行きつきたいんじゃないか、なんて思う日もあるんだよね。

    琴線の意味ってなんだろう、というのは、みんなはどういう意味で使ってるんだろう。で、それは他者との関係で誤解を避けたいから、ですね。

    ごめん、そういう話ではないんでしょうね。おそらく俺は分かってない。

    考えてみるに、そういう話にもなるのだろうなと。
    ええと。語弊がありそうだけれど、みんなと同じを目指すみたいな。
    なぜそうなのかというと、言葉は伝達のツールだから。
    他者との間で言葉の意味の違いで齟齬があっては本末転倒だから・・・かな。
    それから、推測だけど意味を考える人は、みんなの答え(真実?みたいなもの?)があると思ってる。
    で、そこに行きつきたいと思ってる・・・んじゃないかと思って。

    で、自分はどうなのか?と思うと
    とりあえずのみんなの答え(真実?みたいなもの?)はあるだろうし、
    あったほうがいいような気はするけど。・・・・ね。

引用返信/返信 削除キー/
■10428 / inTopicNo.5)  Re[4]: Welcome&雑談 7
□投稿者/ つばめ -(2021/01/10(Sun) 12:10:37)
    >2(・・はじめて禅に触れた時、哲学は妨げとなるという発想もセットで触れたことを思い出した。カシさんへのレスのあれを書いてしまうというのは、その辺からの自分の囚われなのかな、とちょっと思った。ツバメさんはそれを言いたかったのかなと一瞬思いましたが…それはないかな…)

    哲学については、あまりというかほとんど知りません。
    禅についても全然知りません。

    >ツバメさんはそれを言いたかったのかなと一瞬思いましたが…それはないかな…

    ないです。

    なんか自分がすご〜〜く単純な生きもののような気がしてきて・・・( ;∀;)



引用返信/返信 削除キー/
■10430 / inTopicNo.6)  Re[5]: Welcome&雑談 7
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/01/10(Sun) 19:23:43)
    わたし、あいみょんの「裸の心」っていう「表言」、なんかいいと思う。
    フッサールの言う”単なる自然”、ニーチェの”人間的な、あまりにも人間的な”を思い出すよ。

    でも、彼女の歌詞を見る限りにおいて、彼女は”裸の心”に気づいてるけど、ただそれに”触れてるだけ”の物語りみたい。

    つばめさん、
    >なんか自分がすご〜〜く単純な生きもののような気がしてきて・・・<
    っていうの、なんかいい。わたしここが出発点だと思ってる。

    キリスト教?仏教?哲学? ん? ん? なにそれ? だから、なんなの?
    ってね。

    こういうのって、居酒屋で酔っぱらっいのおじさんたちがなにかぐだぐだとなんか物語りたいひとたちには意味不明なんじゃない?「俺の言うことをきいてくれ」的なひとたちには?

    現象学で言う「感性的世界」とか「感性的意味」っていうの触れる気がそもそもないひとたち、すでに思われたもののうちでしか、すでにその信念のうちでしか、になっていません?ま、それはそれでいいんだけど。でもそれってわたしには”明け”がないからつまんない。

    これからは現象学を〈裸の心〉の探究、を見えるようにさせるもの、ってすることっってしようかな?

    ハイデガーの言う、「現象」=〈おのれを示す当のもの・自己示現するもの・あらわなもの〉、「現象学」=〈おのれを示す当のものうぃ、そのものがおのれをおのれ自身のほうから示すとおりに、おのれ自身をおのれのほうから見えるようにさせること〉的に。

    つばめさん
    〈単純な生きもの〉ってどういう生きもの?
    こう問うとき、この問いって、当たりまえ(自明的)で、わたしにとってはムズいよ。








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■10449 / inTopicNo.7)  Re[6]: Welcome&雑談 7
□投稿者/ つばめ -(2021/01/11(Mon) 09:54:51)
    > >☆「自己投影解釈の先走りがなくなっていった」・・・あ。なるほど、です。
    >> 自己投影から始まり(今のところそれしか無さげに思えますが。)

    >それしかない… 最初はそれしかない? ・・ではなく、他者が自分と似ていると思うことは最後まで自己投影しかないという意味?

    言葉が足りなかったです。ごめんなさい。
    最初はそれしかない、です。
    最後はどうなるのだろう・・・
    自分の中で見方が変わるとその人間が違って見えてくる事あると思うから
    (例 同じ男性でも以前恋人だったけれど今は違う人に対する印象って違うじゃないですかぁ。)
    最後まで自己投影ぽい(・・・自己投影しかない、じゃなく。)線は保たれるかなぁ。・・


    >全体から個別化…は分からない。すいません。

    こっちこそ。すみませんです。
    「全体からの個別化」の「全体」としてイメージしたのは、本能につかって生きる生きもの、特に群れで行動する生きものでした。(魚の群れとか鳥の群れとか、あと、ハルメーンの笛吹き男に出てくるネズミの群れなど。)
    「個別化」はなんとなくユングの「個別化」が頭に浮かんできちゃって。
    (ユングの個別化という言葉も私が内容を間違って覚えているかもしれず、ですが)
    人には内側と外側があって外側はその社会(集団意識)が求める人間像、役割(成人男性、成人女性、子ども、父親、母親、妻、夫、医師や弁護士、会社員等々)に対応している。
    しかし人には内面もあるので、自分の内部の要求を抑えすぎてペルソナをかぶり続け、ペルソナ(外部に向けた顔)=自分となってしまった時、自分の内部は死ぬこともある。(← ここ。表現が適当じゃないかもです。)
    (ただし内部の自分が死んでしまっても苦にならない場合(ペルソナ=自分)は問題ないというか、それはそれでOKかな。)
    逆にペルソナをかぶらず(ペルソナに守られず)内部の自分を出しすぎてしまった場合、社会的に立ち行かなくなることもある。
    そこで内部の自分と外部の自分を調整し、両方生かしながら自分自身になるということが必要となってくる。それが「個別化」と理解しています。
    ・・・なりたい自分になりしかも社会の中で十分に生きる、活動するみたいな。
    これって、集団で生きながら少し集団のとの間に隙間を保つという事でなされることじゃないかと思うのですよ。
    そして隙間は自分が自分を周囲に投影して解釈しているという事を知ることでわずかに得られるのではないかと思うのです。

    ええと。
    投影しあって生きることが人としての自然だとしたら投影しあって生きてることに問題はないしそのことに気づきもしないのではないかと。
    おしまいには投影の神様みたいなもの(共通概念、みんなの投影の総まとめみたいなもの)(・・・我ながら言っていて怖い (笑))もあったりしてその中で生きているのかなと。

    ごめんなさい。
    わけわからなくなってきた・・・( ;∀;)


引用返信/返信 削除キー/
■10451 / inTopicNo.8)  Re[7]: Welcome&雑談 7
□投稿者/ つばめ -(2021/01/11(Mon) 11:19:46)
    >> 皆さ、お互いに自己投影しあって団子状になっている。

    >助さん「お前は自分がそうだからひとのこともそうだと思ってしまってるんだろう」
    格さん「それこそ、お前がそうだからひともそうだと思ってるんだよ」

    >団子状って、そういうことではなく?


    ☆うん。そういうことです。


    >極端には、逆を思い合ってる・言い合ってるケースもあると思う
    Aさん:平気で嘘つく人  Bさん:嘘つけない人
    Aさん「Bさんの言ってること嘘だよね(人なんて平気で嘘つくんだから)。」
    Bさん「Aさんが嘘ついてるとは思えない(人はそんなに簡単に嘘はつかない)。」


    ☆はい。あると思います。
    結果が出るまではお互い自分の投影のままに相手を思っている。


    >[自分は嘘つきだけど、あの人は違う]あるいはその逆を(的確に)感じ取るというような判断はリアルに比べて掲示板の方が難しいんじゃないだろうか。情報が少ないゆえに。
    だからSNSでは団子状が。


    ☆ある意味で映画と小説の違いは情報量の違いですよね?
    映画は視覚提示されるから小説と比べて想像力(投影)を使う割合が少なく、
    そのかわり観察力が必要になるのではないかと思ったりします。
    SNSは小説に近くその人に対する情報量の少なさを自分の想像力で補っているのではないかと。
    そしてそのことをあまり気にしない。
    極端な見方をすれば、SNSは自分の思い込み、想像力、投影が満たされる場所でもあるのかなと。(全くの推測)


    >まさに。自分の知っている限りでも強烈に付きまとって非難していたケースで最初は仲良かったとか信頼していたとからしいのが複数あり。
    しかし( )内、凄い。見てたの?というくらいピッタリです。人や場所は違っても同じようなことが起きているということなんだろうな。


    これ。これに似たようなことが知人に起きたことがあって、その内容を少し書いたのですが削除しました。

    ☆毎日知人を罵るために知人の職場にやって来ていたおばあさんがいました。
    そのお婆さんにどう対処したらよいのか?と悩む知人に精神科の先生がこう答えていました。
    「〇〇さんはそのおばあさんの心の中に入ってしまったのでこのようなことになったのだろう。自分に心当たりがなくても、入ろうと思わなくても入ってしまうことはある。」
    「一度その人の心に入ってしまうと厄介な(苦しい)状態に陥ることもある。なぜなら相手が思い描く自分と実際の自分(の対応)が違った場合相手から攻撃を受けることがあるから。」
    「対処としては物理的な距離を置くしかない(その人が来たら他の人に対応をかわってもらう、その人の目に触れない等)。」
    「今後はできるだけ他人の心の中に入らないように注意しなくてはいけない。」
    要約するとこんな感じのことです。

    ☆それからカウンセラーにクライエントが恋愛感情に似た気持ちを抱いてしまうことがあることなども何となく脳裏をよぎったので。


引用返信/返信 削除キー/
■10452 / inTopicNo.9)  Re[8]: Welcome&雑談 7
□投稿者/ つばめ -(2021/01/11(Mon) 11:51:17)
    >その比較を自身の中だけでやっている人がめんどうだ。[自己投影解釈した他者]と[理想の自分(未だ無いものである自分)]の比較とか---ここでも本人と相手の関係が実態と逆になる。
    特殊な人の事例ばかり考えすぎかな…

    いや。・・・特殊でもないんじゃないでしょうか。
    掲示板なんかで人を責める時に多いパターンだったのではないでしょうか。
    やってる本人は大まじめで、意外と目についたのが傲慢さと謙虚さの裏返しみたいなことだったような気がします。
    リアルでは表明されない限りわからないので難しいかもです。
    そう言えば、科学者のハシクレさんという人が「人はないものを語る。」と言われていました。なるほどと思っています。未だない理想の自分が自己投影した他者を責める、なんてことありそうですね。
    自分も気をつけなきゃな、と思います。人を裁く時、未だない理想の自分(ないものを語る)が出てこないように。

    >先ほどの、他者がいるから自分が分かる、に付け加えると
    自分がやっていないこと考えもしないことを、考えただろう・やっただろう と押し付けられることで逆に、自分が実際にはどういう状況下で何をせず・何をしてきた人間であるかを再確認できる。
    ↑ 何を言っているか分かりにくいですかね。

    いえ。わかると思います。
    他人からの投影を受けると自分との違いがわかるということあると思います。


引用返信/返信 削除キー/
■10453 / inTopicNo.10)  Re[9]: Welcome&雑談 7
□投稿者/ つばめ -(2021/01/11(Mon) 12:49:21)
    >>でも。まあ。なんだろ。
    >>ひとって執着する生きものなのかもですね。

    >煩悩?たぶん。執着の対象はそれぞれ違うんだろうけど。

    >俺にも執着はあるけど掲示板の他人にそこまで執着するのが分からない、というようなことを考えて思ったのは、
    他人に執着しているようでも、それは自分自身への執着なのかな。理想の自分への。


    うん。「理想の自分」それだと思う。
    (・・・理想の自分が出てくるということは現在の自分じゃだめ、という事なのかなぁ。とふと。)


    >相手が感情的になるというの分かる。ヤフー参加初期のころ自分も経験ある。質問を続けていると相手が不機嫌になっていく。質問に答えるのが楽しい人と苦痛に感じる人がいるということを知った。

    「質問に答えるのが楽しい人と苦痛に感じる人がいるということを知った。」
    私はカシさんの質問に答えることで自分の考えをまとめたり、修正したりしていました。
    自分がそう思った根拠は何だろうと考えていくことは楽しかったです。


    >記憶の塗替えについて話しした憶えはあるけど、同じ本を読んだのでしたっけ…。


    あ。違うんだぁ。おくったがわさんと話したと記憶していたけどガーナさんとかなぁ。
    ガーナさんがヤフー掲示板で紹介していた本だったのはしっかり覚えていますが。


    >その件がね、記憶の嘘に興味があるんだけど、自分は害の方を考えてた。冤罪問題とか。
    ツバメさんは、記憶が変わることによって心が救われるというメリットについて書いていたと思います。それで、興味の対象が同じでも理由とか、そこから引き出すものが違うということがありそうだな、と思った。それが自分の中で今回の話へつながってる。
    『結論が同じでも性格は』という表現はあまりにテキトーすぎたと思います。
    ただし、楽観的・メリットの方を受け取るというイメージが性格という言葉になったと思います。

    確かに害、ありますね。冤罪問題とか。なんでそっちを重要視しなかったのだろう。・・・
    目撃情報の9割は間違い、見誤り、勘違い(でそれが強化される仕組みも書いてあったような気がした。)

    思い出しました。
    過去(の記憶)に対する意味づけ解釈が変われば過去が変わる。
    過去の(記憶)物語りを変えてゆくことで現在の気持ちを変えていける可能性があるというものでした。

    確かに興味の対象が同じでも理由やそこから引き出すものが違うということがありそうですね。

引用返信/返信 削除キー/
■10500 / inTopicNo.11)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ おくたがわ -(2021/01/12(Tue) 22:12:01)
    2021/01/13(Wed) 10:38:06 編集(投稿者)

    > おくったがわさま、あけましておめでと。

    おめでとうございます。(関西は15日までOKと書いてあったので)

    > ■NO.10302 (リンク先間違いを編集済)
    > 選挙で当選したある人がいたとするよね。日本は政党制で、そこに「公約」っていうのあるよね。かんたんにいうと「わたしは当選したあかつきには○○をすることを約束します。」的な。でも当選して例えば国会議員になったあと、その約束が果たされなかったとき、その議員さんがその約束を「責任」をとる必要がないみたいじゃん?

    次の選挙で落とす(政党なら議席を減らす)ことが責任を取らせることだと思うけど、公約破られても投票し続ける有権者がいるということかな。代わりに政権担当できる政党がない、というのが理由もしくは言い訳になるんだと思うけど…。

    > わたしね、なにもいってないの。ただ、問うているだけ。
    > 「問うこと」に「責任」ってあるのかしら?

    問うだけで責任があるという場面は想像できないけれど、そういうケースが絶対無いかどうかは分かりません。いや、無いかな…。
    少なくともニーチェクラブでの悪魔ちゃんの問いに責任が発生することはないと思う。

    > おくったがわさま、これを責任回避って見ます?

    意見を言わず問うだけという姿勢が責任回避という意味?
    もしそうなら、責任回避とは思わない。俺自身、そのようにしたい場合があり、それを責任回避と言われると辛い(or めんどくさい)
    問われた側が答えたければ答える、答えたくなければ答えない、でいいと思う。

    > そもそも責任とか無責任っていうのは文化的存在。

    あー、ほんとに、納得。とても文化的なものな気がする。

    > 「嘘」っていうのも同じね。

    自分個人は、責任と「嘘」を同列に置きたくはないかな。
    嘘は人の人生を狂わすこともできる。仮に文化的だとしても拳銃等と同じく慎重に扱うべきもの。いい加減に使う人間は非難されていいと、現在個人的には思ってる。

    ちなみに、前に自分が
    >あっていい場所、あった方がいい場所
    >しかし、無責任に何を言うかによっては、ダメなこともあると。

    こう書いたとき念頭に置いていたのは個人に対する無責任な誹謗・中傷のことです。
    現状のニーチェクラブには、その心配はなさそうで嬉しい。


    ****

    以下、自分の思い過ごしだったらスルーしてください。
    なぜ、こういう質問が来たのかについて、他の人の悪魔ちゃんに対する批判と俺の発言をリンクさせたのかなと想像しました。
    しかし自分は悪魔ちゃんに対する考えを他の人と共有しているわけではないので、リンクさせないでください。
    (他の人の考えが間違っていると言っているのではなく、それぞれに考えが違ってあたりまえ。また、当事者だからこそ感じるということもあると思うし。)
    こういう推測をしたには理由があるのですが、それは長くなるので書きません。

    ******

    で、ニーチェクラブ内を「責任」で検索してみたら思いのほか多数の投稿がヒットしたので確認はあきらめた。
    意外に頻繁に使われている言葉なんだな。ツイッターなら分かるけどニーチェクラブでこんなに「責任」が使われているのは意外だった。
引用返信/返信 削除キー/
■10501 / inTopicNo.12)  ただ: 悪魔ちゃんへ
□投稿者/ おくたがわ -(2021/01/12(Tue) 22:15:45)
    ただし、
    悪魔ちゃんなのに全然悪魔じゃないのが無責任だという批判が悪魔界隈では起きるのかもしれない。
    けれど、俺はその界隈の住人ではないので、悪魔ちゃんが天使であっても問題を感じない。
引用返信/返信 削除キー/

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