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■37148 / inTopicNo.13)  Re[45]: 中部経典62『大ラーフラ教誡経』
  
□投稿者/ 時 -(2024/04/20(Sat) 13:07:43)
    2024/04/20(Sat) 14:03:24 編集(投稿者)

    pipitさんへ。こんにちは。

    五蘊非我の教えは、通常我々は、未来であろうと過去であろうと五蘊(色蘊・受蘊・想蘊・行蘊・識蘊)が我のものだという認識(有身の状態)でいますが、これを滅尽するために行います。これを完全理解できれば、有身見は滅尽します。

    過去にお話しいただいたと思いますが、有身見は、pipitさんが目標とされていた預流果(三結を完全に断じた状態で、七回の転生以内に阿羅漢果になる事が決定した状態)での、断じるべき三結(有身見・疑・戒禁取)の中の一つです。

    身は、その呼吸との関係が深いという事で、呼吸の長短や深浅を意識しつつ全身を感受する等の仏典の記載通り、各処を把握してみてください。このラーフラの経典では記載がないのですが、この身至念を深く理解できると、四念処(身念処・受念処・心念処・法念処)の中の身念処のマスターとなります。

    後は、四無量心(慈無量心・悲無量心・喜無量心・捨無量心)の記載がありますが、この中の慈無量心は、相手の幸福を望む心で、自身の「怒り=瞋恚」を滅します。

    No36938
    > そのために比丘たちよ、このように学ぶべきである。私たちは、心(citta)が変化しないようにしよう、 私たちは、悪しき言葉を発さないようにしよう。私たちは、情ある者(anukampi)、慈しみ(metta)の心ある者、瞋恚(dosa)なき者として生きよう。私たちは、その人を慈しみの心によって満たそう、またすべての世界に対しても、増大した、増幅した、超越した、無量の、害意なき、慈しみの心で満たして住足して生きよう。まさに比丘たちよ、このように学ぶべきである。』

    上記の鋸喩経での説明が、慈無量心の事です。

    ラーフラの経でも、「慈という修習を収めたのであれば、瞋恚(怒り)が捨断される」とあります。怒りの滅尽という事では、この慈無量心の瞑想と四禅定(初禅・二禅・三禅・四禅)の二禅の瞑想で怒りは消滅します。

    四無量心(慈無量心・悲無量心・喜無量心・捨無量心)をまとめますと

    慈無量心は、相手の幸福を望む心で、自身の「怒り」を滅します。
    悲無量心は、相手の苦しみを除いてあげたいと望む心で、自身の「害意」を滅します。
    喜無量心は、相手の幸福を共に喜ぶ心で、自身の「不快」を滅します。
    捨無量心は、相手に対する平静で落ち着いた心で、自身の「貪り」を滅します。

    実はこれを書こうか少し迷いましたが、預流果への道という事も踏まえて書くことにしました。(^^)

    瞑想は、10回や20回ではマスターできないかもしれませんが、諦めずに楽しみながら何度もチャレンジしてみてくださいね。

    では、この辺で。ご返信は不要です。
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■37130 / inTopicNo.14)  Re[44]: 中部経典62『大ラーフラ教誡経』
□投稿者/ pipit -(2024/04/17(Wed) 06:52:16)
    knowingitselfさん、おはようございます(^O^)

    No37128
    お釈迦さまがラーフラ沙弥に親切丁寧に修習(バーヴァナー https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%8A%E3%83%BC)を教授されているとても素敵な経典だったのですね。
    (中部第62経をおすすめいただいた時さんに感謝です!)

    『えん坊&ぼーさん マンガで楽しい原始仏典・ブッダの教え』のサイトに、この第62経のあらすじが載っていました。
    https://buddha.pink/sutra/202/

    まだ詳しくは全然読めてないので、楽しみながら少しずつ読んでみますね。
    書き込みありがとうございます♪
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■37128 / inTopicNo.15)  Re[43]: 中部経典62『大ラーフラ教誡経』
□投稿者/ knowingitself -(2024/04/16(Tue) 17:21:08)
    pipitさん こんばんは

    >関西パーリ語実習会さまの日訳も載っていました!(著作権は保持されています。CC BY-NC-ND 3.0 DEED)
    『62. 大いなるラーフラへの教諭の経』
    https://suttacentral.net/mn62/jpn/kansai?lang=en&reference=none&highlight=false

    目を通しましたが、これは素晴らしいお経だと思います。

    瞑想には極めて有効でしょう。禅をする人にも役立つくらい。

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■37114 / inTopicNo.16)  中部経典62『大ラーフラ教誡経』
□投稿者/ pipit -(2024/04/14(Sun) 10:13:09)
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■37113 / inTopicNo.17)  ダンマパダ第九章『悪』・127.128
□投稿者/ pipit -(2024/04/14(Sun) 08:18:56)
    2024/04/14(Sun) 08:36:07 編集(投稿者)

    みなさまおはようございます!
    ダンマパダ127.128で『悪』の章は終わりです。

    (Bhikkhu Sujatoさま英訳)

    Not in the sky, nor mid-ocean,
    nor hiding in a mountain cleft;

    you’ll find no place in the world
    to escape your wicked deeds.

    Not in the sky, nor mid-ocean,
    nor hiding in a mountain cleft;

    you’ll find no place in the world
    where you won’t be vanquished by death.

    (英訳のpipit日訳)

    空に無い、海の中にも無い、山の裂け目に隠れていても無い;

    あなたの悪行為(悪業)から逃れる場所はこの世界のどこにも見つからない。 

    空に無い、海の中にも無い、山の裂け目に隠れていても無い;

    あなたが死によって打ち負かされない場所はこの世界のどこにも見つからない。

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■37112 / inTopicNo.18)  ダンマパダ126
□投稿者/ pipit -(2024/04/13(Sat) 23:31:35)
    2024/04/14(Sun) 06:11:21 編集(投稿者)

    みなさまこんばんは!
    ダンマパダ126です。

    Some are born in a womb;
    evil-doers go to hell;
    the virtuous go to heaven;
    the undefiled become fully extinguished.
    https://suttacentral.net/dhp116-128/en/sujato?

    lang=en&layout=plain&reference=none&notes=asterisk&highlight=false&script=latin

    ある者は胎内に生まれる;
    悪の行為者は地獄へ行く;
    徳のある者は天国へ行く;
    穢れなき者は完全に滅する。

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■37103 / inTopicNo.19)  日記
□投稿者/ pipit -(2024/04/12(Fri) 22:42:24)
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■37102 / inTopicNo.20)  Re[38]: 志・作意・精進
□投稿者/ pipit -(2024/04/12(Fri) 21:59:41)
    knowingitselfさん、こんばんは(^○^)

    No37096
    >>カント的世界の外って、どんな感じなんですかねー(o^^o)
    >
    > 私の思いついた範囲でしかありませんが、世界の内というのは感性界で、世界の外は叡智界にあたるのかもしれません。人間はどちらにも跨がると。叡智界にもいるなどとおおそれたことがいえるのは、道徳律の存在が疑えなあからだといっていると。無条件の道徳律の実行は普通の人間にはまず不可能ですが、カントが超厳格な道徳律をもちだすのは、叡智界に人間が帰属することをいうためだから、道徳律、完全なる善意志の実行ができないからといって、がっかりしたり、あきらめることはないと思いますね(笑)。実際、カント哲学には楽観的な香りがします。<

    私も投稿した後に、あー物自体の世界なんかなーと思いました。
    純理であれほど徹底的に物自体は認識できない、と述べながら、
    善意志で行為するときは現象界の外としての存在(?)が可能になる(のが人間)、みたいな雰囲気なのかなーって。


    > テーラワーダもそれとあるところまでパラレルというか、善意志の完全な実行は、宝くじの一等より難しいですね。阿羅漢が毎年、日本から何人も誕生したことは一度もありません。じゃ、外れる人はダルマに従うことを断念するかといえば、そんなことはないですね。
    > 少しても善意志に従えば、確実に心が明るくなる、軽くなることを知っているので、ダルマが真理であることを確信できると。
    >
    > カントの叡智界は涅槃にあたるとも解釈できるかと思いまふ。<

    最後のまふが和みますが(*^ω^*)、、、

    私も同じように感じています。
    私は「理念」という言葉を思い浮かべるし、「 トライアンドエラー(正しくはtrial and error?)」もよく思います。
    初期仏教の場合は、失敗しながら上達していくのも折り込み済みで修行の道が提示されている気にもなります。

    カント倫理学も、行為ごとの動機を問うとしたら、何回もチャレンジできますね
    (o^^o)v


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■37096 / inTopicNo.21)  Re[37]: 志・作意・精進
□投稿者/ knowingitself -(2024/04/12(Fri) 19:01:47)
    pipitさん こんばんは

    >>「行為を起こす動機となる想い」であれば、カントに接近するともいえますね。<

    > そうですねー
    > 私はカントの善意志の記述をよく思い浮かべますねー
    > (#^.^#)
    >
    > 『「世界の内でもその外でさえも、無制限に善いとみなされうるものはひとり善意志だけであり、それ以外に考えられない」[W393]。』
    > (『カント事典』p299、【善意志】の項目より引用。)
    >
    > 『世界の内でもその外でさえも、』って、考えてみたら、結構大胆に言い切ってますね。
    >
    > カント的世界の外って、どんな感じなんですかねー(o^^o)

    私の思いついた範囲でしかありませんが、世界の内というのは感性界で、世界の外は叡智界にあたるのかもしれません。人間はどちらにも跨がると。叡智界にもいるなどとおおそれたことがいえるのは、道徳律の存在が疑えなあからだといっていると。無条件の道徳律の実行は普通の人間にはまず不可能ですが、カントが超厳格な道徳律をもちだすのは、叡智界に人間が帰属することをいうためだから、道徳律、完全なる善意志の実行ができないからといって、がっかりしたり、あきらめることはないと思いますね(笑)。実際、カント哲学には楽観的な香りがします。

    テーラワーダもそれとあるところまでパラレルというか、善意志の完全な実行は、宝くじの一等より難しいですね。阿羅漢が毎年、日本から何人も誕生したことは一度もありません。じゃ、外れる人はダルマに従うことを断念するかといえば、そんなことはないですね。
    少しても善意志に従えば、確実に心が明るくなる、軽くなることを知っているので、ダルマが真理であることを確信できると。

    カントの叡智界は涅槃にあたるとも解釈できるかと思いまふ。

引用返信/返信 削除キー/
■37087 / inTopicNo.22)  Re[36]: 志・作意・精進
□投稿者/ pipit -(2024/04/11(Thu) 23:17:39)
    knowingitselfさん、こんばんは!
    書き込みありがとうございます♪

    No37085
    > 「行為を起こす動機となる想い」であれば、カントに接近するともいえますね。<

    そうですねー
    私はカントの善意志の記述をよく思い浮かべますねー
    (#^.^#)

    『「世界の内でもその外でさえも、無制限に善いとみなされうるものはひとり善意志だけであり、それ以外に考えられない」[W393]。』
    (『カント事典』p299、【善意志】の項目より引用。)

    『世界の内でもその外でさえも、』って、考えてみたら、結構大胆に言い切ってますね。

    カント的世界の外って、どんな感じなんですかねー(o^^o)

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■37085 / inTopicNo.23)  Re[35]: 志・作意・精進
□投稿者/ knowingitself -(2024/04/11(Thu) 20:15:53)
    pipitさん こんばんは。貼り付けありがとうございます。以下、スマナサーラ長老の解説から引用します。

    >業とはいったい何なのか、より具体的な説明があります。 「比丘らよ、『意志が業だ』と私は言う:Cetan&#257; 'ha&#7747; bikkhave kamma&#7747; vad&#257;mi」 という釈尊の言葉があります。
    「業」=「意志」だとおっしゃるのです。心には常に「行為を起こす動機となる想い」があります。たとえば妄想する場合でも、「なぜこういうことを妄想するのか」と見てみると、何らかの「想い」が見つかるでしょう? その「想い」がcetan&#257;(意志)であり、業なのです。

    「行為を起こす動機となる想い」であれば、カントに接近するともいえますね。







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■37082 / inTopicNo.24)  Re[34]: 志・作意・精進
□投稿者/ pipit -(2024/04/10(Wed) 23:59:41)
    2024/04/11(Thu) 00:07:28 編集(投稿者)

    knowingitselfさん、こんばんは(^ ^)♪

    No37079
    > ここですね。「意志」に何を盛り込むか、どういう心所と結びつけるかでどういうカルマになるかが違ってくると<

    そうですね、やっぱり善(kusala/クサラ)の方向(貪瞋痴から離れる方向)へ意志を向けることが初期仏教的には、心を育てるステップとして説かれているのだろうなぁと思いました。

    業についてのスマナサーラ長老の解説ページもあったのでアドレスを貼ります。
    https://j-theravada.com/world/keyword/keyword-17/

    アビダンマ内容も2000年前くらいのテキストなんかなー?と思うと、すごいなーとも思うのですが、人間そんなに変わってないんかなーとかもいろいろ思って、よくわからなくなるような不思議な気持ちになります。

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