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■32802 / inTopicNo.37)  ザビビのふくろうさんへ
  
□投稿者/ パニチェ -(2023/09/02(Sat) 09:09:43)
    2023/09/02(Sat) 09:27:26 編集(投稿者)

    おはようございます、ザビビのふくろうさん。レスありがとうございます。

    No32789に返信(ザビビのふくろうさんの記事)

    > ご参加、ありがとうございます。
    > 刺激を与えられるよう、頑張ります(笑)

    十分刺激的な返信ですし、自分の意見を見直したり、まとめるのに有益です。^^

    > なるほど。
    > 私としてちょっと気になるのは、「弱い独我論」ですね。

    ですよね。^^

    > 「他の存在も認める」にもかかわらず「実在するのは我のみ」として、「他の存在を同じ次元、あるいは同一フィールドとは見なさない」とするのであれば、その「他の“存在”」とは、いったいどのような意味の“存在”なのか?ということが気になります。

    > 「我」の存在を“実在”=real existenceだとすると、「別次元の存在」を普通に考えると、「虚構」、もしくは「幻想」といった、“unrealな存在”あるいは“imaginaryな存在”ということになるように思いますが、
    > だとするとこれらはしょせん「私の表象」であって、私の世界内の“存在”、すなわち我と同一フィールドの“存在”ということになってしまわないか?という疑問が生じます。
    > この疑問については、どう考えられますか?

    実在と存在の再定義が必要かもしれません。

    先のレスで用いた実在というのは(哲学用語から離れてしまうかもしれませんが)「私たちの感覚器官を要せず直接的に存在を確信できる存在様相」ってことになります。
    これに対して他の存在は「私たちの感覚器官を通じて間接的に存在を知り得る存在様相」です。

    眼で眼を直接見れないし、意識で意識を意識することはできないように、五感で我の存在を感じることができない。
    「眼と我があるから見える」ってことになる。

    電柱の存在を幻想であるかの如く疑っていても、電柱に頭突きをすれば、痛いし血も出ることで電柱の存在を確信する(転法祖師の例えを無断借用w)。

    エフニさんの例えを借りるなら映画「マトリックス」の世界で他の存在がバーチャルであっても体験している主体はバーチャル世界の外にあるカプセル中に実在しているということ。

    他の存在はバーチャルであっても電気信号という外部刺激によって間接的に五感を通して知りえる存在ではあるが、その存在のフィールドが異なるということで、どうでしょうか?

    電気刺激もバーチャル世界の外ですが、カプセル中にある“我”の外部であることに(構図的には)変わらない(フィールドが異なる)と思います。

引用返信/返信 削除キー/
■32799 / inTopicNo.38)  時さんへ
□投稿者/ パニチェ -(2023/09/02(Sat) 08:40:52)
    2023/09/02(Sat) 09:53:52 編集(投稿者)

    おはようございます、時さん。レスありがとうございます。

    No32780に返信(時さんの記事)

    > 多分ですが、私の場合には強い独我になるでしょうか。しかしこれを言葉で説明するとなると、学問的ではないことも含めてかなり困難な作業になりそうですね。でも、独我の世界に入り込めると、私の場合には、かなり精神的に楽な状態になるのは確かなようです。でもそこには、それ以上のものは何もないというのが感想になるでしょうか。

    言葉で説明するのが困難というのは分かります。
    “我(パニチェは永井氏にならって〈私〉と表記しますが)”自体が語りえないです。
    独我の世界に入り込むのは禅定とか瞑想、あるいは内観に近いようなことをされるんでしょうか。

    > 仏典のお話の時にも感じたのですが、年月が経つにつれて多くの独我論が生まれているのですね。誰かの論を誰かが解釈して、それをまた解釈して何かをつけ足したり差し引いたり・・これらすべてを把握するのは私には到底無理そうです。(笑)

    同意しますし、すべてを把握するのは私も無理です。^^
    哲学にせよ、科学理論にせよ、諸宗教の教義にせよ、先人の到達した思想や知見を解釈して何かをつけ足したり差し引いたりしながら上書きしていくのだと思います。

    > そして、私の場合には人生哲学として学んでいますので、そう多くの論は必要ないのかもしれません。うーん、今は、この辺でよしとしましょうか。といった感じです。
    > 何の刺激もなく、すみません(笑)m(__)m

    とんでもありません、ありがとうございました。

    > ところでパニチェさんは、自由意志のあるなし問題については、どのように思われるでしょうか?よろしければパニチェさんのご意見を教えて頂ければ有難いです。
    > No32765の後半です。 私の場合には今現在の結論で、自由意思があろうとなかろうと、それは何ら日々の出来事に関与できない。よって、自由意志はないという方に傾く。というものです。

    以下、だらだらと書いてしますので興味のないところはスルーして下さい。
    まずは結論から。。。

    自由意思があろうとなかろうと日々の暮らしや今の自分にとっては何も変わらないというのは時さんとほぼ同じです。
    自由意志の有無については今のところはペンディングというか、判断停止、または仏説にならって無記です。
    理由は以下の通りです。

    自由意志の有無に関しては「リベットの実験」が有名です。
    ある行動を行おうと意識した瞬間の0.35〜0.4秒前に(無意識下で)筋運動の際に発生する準備電位が生じているというものです。
    さらに脳内ではこれらに要した時間を“なきもの”にし、時間を遡るように意識されるということです。
    みのりさんが引用された「受動意識仮説」ともかぶりますが、私たちは脊髄反射と変わらないような動き(行動)をしているにもかかわらず、それを後付けで意志したかのような行動として捉えてる可能性もあるということです。

    「リベットの実験」に関しては未だにさまざまな議論や評価(批判)もあり、まだ定まった解釈があるわけではありませんが、私たちは外部刺激という人形師と脳という糸によって操られたマリオネットである可能性も払拭できません。
    この場合、自由意志は幻想ってことになると思います。
    また私たちにはそもそも個我なんてものは存在せず(無我)、全体運動の一部でるというアドヴァイタ的な発想で考えても上記と合致します。

    意識にペンローズが提唱するような量子効果(マイクロチューブル)が関与しているなら機械論的なマリオネットから解放される可能性もあります。

    強いて現時点での私の考えを述べれば、おそらく自由意志があるにしても(行動の自由があっても機能的に人体では空を飛べないように)限定的な自由意志を有してるくらいではないかな?ってところです。

    もし「リベットの実験」に興味があればですが。。。
    「Panietzsche Room > 探究 > 脳科学 > 5.Rの実験(1)〜7.Rの実験(3)」に引用してます。

引用返信/返信 削除キー/
■32797 / inTopicNo.39)  ザビビのふくろうさんへ
□投稿者/ 時 -(2023/09/02(Sat) 00:08:14)
    ザビビのふくろうさん、こんばんは。お知らせをありがとうございました。

    No32788
    > もしまだご存知ないのであれば、ググって見て、わかりやすい解説がいっぱい出てきますので、読んで感想を聞かせてもらえれば、と思います。

    前野隆司先生のお話は知りませんでしたので、興味深く読みました。

    無意識に体験した事柄をエピソード記憶として保存しておくためだけの意識・・ここで意図的に行う事も何もできないはずの意識は「私」という幻想を作り出すということでしょうか。

    「あの日、公園でボールが飛んできたので、私は危険だと思ったので、手で払いのけました」というのが、まさに”私の”エピソード記憶であり、意識に保存され、しかしこれ(私が行ったというの)は、幻想だと言っているのでしょう。何か変ですものね。何やら後付けの説明文のようで。これを自由意思で、意識的に行った?・・・そのようなわけはないでしょう。

    それが無意識が体験したこと(飛んできたものを払いのけた)を瞬時に意識に伝達するので、意識は、私はという主語をもって創作文を作り出す(笑)それが私が主体的に自由意思をもって行いましたという幻想作文でしょうか。ですので実際は、無意識が周りの環境の何かに反応して、人間の見かけの行動が勝手に起こっているだけとなるのでしょう。

    ただ、先生の文章では、手で払いのけるというメカニズムの説明が無いように思いました。今のところ「無意識の体験」という一括りでの説明ですかね。

    先生の仮設と私の素人考察を合わせて考えてみると、自由意志は幻想です。ましてや、私の主体的な積極的な行動などあり得ません。では、なぜ、人は自由意思で活動しているように見えるのか?という問いには、どのように答えれば良いでしょうか。。

    人も動植物も地球の自然から生まれたものですので、まだ、人間には解明されていないその遺伝子に組み込まれた幻想遺伝物質を仮に取り除けたときも、今と同じく人間は社会を作り続けるでしょう。(先生の場合には、ニューロンだシナプスだと言う科学的なアプローチになるでしょうか)

    なぜならば、見かけの人の行動は、その意識や自由意志で作り出しているわけではなく、ましてや決定しているわけでもなく、人間に備わった遺伝子が、自然という周りの環境に単に反応しているだけだからです。そこに今まであった意識上での「私」は存在しえません。

    丁度、理科の実験で観察したアリの巣作りのように、そこに自由意志や主体的意識がないとしても、昆虫のハキリアリが、自ら切った葉を集めてキノコ栽培をするように、きっと今までと変わらず、人は社会や町を作り続けるでしょう。

    過去に書きました、意志してないことが起こっている等の疑問は、受動意識仮説で考えると一応は解決できそうです。そして、今後も先生は研究され続けると思いますので、いずれの日にか意識と自由意志と無意識等の解明が普通になされるかもしれませんね。もしもそれを知れば楽になれると思いますので、楽しみです。

    疎い感想で誤読があるかもですが、今は、このあたりで(笑)
引用返信/返信 削除キー/
■32789 / inTopicNo.40)  パニチェさんへ
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2023/09/01(Fri) 16:22:06)
    2023/09/01(Fri) 16:39:02 編集(投稿者)
    2023/09/01(Fri) 16:25:56 編集(投稿者)
    パニチェさん、こんにちは。
    ご参加、ありがとうございます。
    刺激を与えられるよう、頑張ります(笑)

    No32769に返信(パニチェさんの記事)
    > 2023/08/31(Thu) 23:05:38 編集(投稿者)
    >
    > こんばんは、ザビビのふくろうさん、時さん。横レス失礼します。
    > 刺激を求めて私の思うところを書き散らしてみます。
    >
    > 結論から言うと「独我論」は「人間原理」と同じく強弱があると思います。
    >
    > 「強い独我論」というのは実在するのは「我」のみであり、他者も含めた物質や現象など他は全て「我」の意識内容に過ぎないとする立場。
    > 「強い独我論」は一元論という意味で観念論(主観一元論)や唯心論(唯識説)と同じ。
    >
    >
    > 「弱い独我論」というのは「自他の境界認識があってこそ我が成立する」という確信から他の存在も認めるが、あくまでも我が基底であることから他の存在を同じ次元、あるいは同一フィールドとは見なさない立場。
    > 「弱い独我論」においても実在するのは我のみということは変わらないだろう。
    >

    なるほど。
    私としてちょっと気になるのは、「弱い独我論」ですね。


    「他の存在も認める」にもかかわらず「実在するのは我のみ」として、「他の存在を同じ次元、あるいは同一フィールドとは見なさない」とするのであれば、その「他の“存在”」とは、いったいどのような意味の“存在”なのか?ということが気になります。

    「我」の存在を“実在”=real existenceだとすると、「別次元の存在」を普通に考えると、「虚構」、もしくは「幻想」といった、“unrealな存在”あるいは“imaginaryな存在”ということになるように思いますが、
    だとするとこれらはしょせん「私の表象」であって、私の世界内の“存在”、すなわち我と同一フィールドの“存在”ということになってしまわないか?という疑問が生じます。
    この疑問については、どう考えられますか?

引用返信/返信 削除キー/
■32788 / inTopicNo.41)  Re[17]: 時さんへ
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2023/09/01(Fri) 15:49:54)
    時さん、こんにちは。

    みのりさんがご自分のトピで書かれいるのを見てふと思ったんですが、

    前野隆司さんてご存知でしょうか。

    この方の「受動意識仮説」という考えは、ひょっとすると、時さんの考えにしっくりくるんじゃないかという気がします。

    もしまだご存知ないのであれば、ググって見て、わかりやすい解説がいっぱい出てきますので、読んで感想を聞かせてもらえれば、と思います。
引用返信/返信 削除キー/
■32785 / inTopicNo.42)  時さんへ
□投稿者/ マジカルモンキー -(2023/09/01(Fri) 10:55:56)
    2023/09/01(Fri) 10:59:42 編集(投稿者)

    No32784に返信(時さんの記事)
    > マジモンさんへ。おはようございます。レスをありがとうございます。
    >
    > ■No32773に返信(マジカルモンキーさんの記事)
    >>身体から自由意志のプロセスって成立します?
    >>成立するんだったら、教えて欲しいです。
    >
    >>妊娠、寄生虫、ウィルス感染?ぐらいしか思いつかないです。
    >>ゾンビ?
    >
    >>★動画 28 Weeks Later(ゾンビ映画)
    >>https://www.youtube.com/watch?v=Z3d7y1YrPvg
    >
    >>コンピュータウィルスのようなもんですかね。
    >>カント哲学ってロボット産業に通じるもんがあるんですが、
    >>ロボットを支配するには、ウィルスしかない…、そういう発想でしょうか?
    >
    > 身体から自由意志のプロセスは私には分かりません。すみません。
    >
    > でも、今のところ私が考えているのは、自由意志は遺伝子に標準装備で組み込まれた幻想の類では無いのかな?と言った所です(笑)

    おはようございます。
    返信ありがとうございます。

    自由意志は、理解するに非常に難しいと感じます。
    私もPipitさんと出会い、カント哲学を熟考していますが、
    『 最終工程、自由意志産出プロセス 』は神業と感じます。

    カントが凄いのでは?と…


    > No32781
    > >・ 時さんの発言、『 我思うに我思う 』
    >
    > ん?このような発言しましたっけ?^^

    すみません (-_-;)
    『 我思う、ゆえに思いあり 』でした、訂正しておきます。
    品質マスターと豪語しているのに、正確さを欠いてはいけませんね。
    時さんとザザビさんの話している内容に興味を持ちまして、現在、脳の回転が速いです。
引用返信/返信 削除キー/
■32784 / inTopicNo.43)  マジモンさんへ
□投稿者/ 時 -(2023/09/01(Fri) 09:56:58)
    マジモンさんへ。おはようございます。レスをありがとうございます。

    No32773に返信(マジカルモンキーさんの記事)
    > 身体から自由意志のプロセスって成立します?
    > 成立するんだったら、教えて欲しいです。

    > 妊娠、寄生虫、ウィルス感染?ぐらいしか思いつかないです。
    > ゾンビ?

    > ★動画 28 Weeks Later(ゾンビ映画)
    > https://www.youtube.com/watch?v=Z3d7y1YrPvg

    > コンピュータウィルスのようなもんですかね。
    > カント哲学ってロボット産業に通じるもんがあるんですが、
    > ロボットを支配するには、ウィルスしかない…、そういう発想でしょうか?

    身体から自由意志のプロセスは私には分かりません。すみません。

    でも、今のところ私が考えているのは、自由意志は遺伝子に標準装備で組み込まれた幻想の類では無いのかな?と言った所です(笑)

    No32781
    >・ 時さんの発言、『 我思うに我思う 』

    ん?このような発言しましたっけ?^^
引用返信/返信 削除キー/
■32783 / inTopicNo.44)  ザビビのふくろうさんへ
□投稿者/ 時 -(2023/09/01(Fri) 09:40:59)
    ザビビのふくろうさんへ。おはようございます。レスをありがとうございます。

    No32770に返信(ザビビのふくろうさんの記事)
    > まあ、私の場合、思想の意義は真理か否かが基準(自分がどう思うか、ではなく)だから、論理的に両立不可能な絶対的唯物論と絶対的観念論は、0か100かしかないわけですが、
    > 時さんの場合、思想の意義は自分がどれだけ納得できるかという自分に基準を置いているので、そういう支持の度合いが考えられるんでしょうね。

    はい。そのようですね。

    > なんと、今度は自由意志の問題ですか!?(笑)
    > 私には正直、まずもって時さんには、自由意志の有無なんて問題ではないんじゃないの?って思うのですが。
    > 仏教の実践に関係あると思えませんしね。

    はい、自由意志の問題です(笑)。仏教の学びに関しては、あるといえばある、無いといえば無いのですが、仏教を学ぶ以前には、これは、私にとっての大きな問題だったのですね。詳しくは書けませんが、あれ?どうも自身の行動が自らの意志に反したことになっているぞ。そもそも意志していない事が起きているぞ。ということがあったのですね。そこが自由意思を考える始まりでした(笑)まぁ、学問的というわけではありませんので、単に人生哲学の範疇ですが。逆に言うと、人生哲学だからこその大きな問題でした。

    > 私にとっては、独我論はリアリティーのある問題だったので、それなりに勉強したり考えたりしてきましたが、自由意志問題はそれほどリアリティーを感じる問題ではありませんでした。
    > もちろん、どうでもいいというわけではなく、それなりに一応自分自身の考えは持っていますが、考えに考えて出した答えというよりは、割とすなおに「これでいいんじゃね?」って思う立場を採っています。

    > あまり詳しい議論は必要ないと思いますので、なるべく簡単に。
    > 私は、自由意志問題は時さんが述べられていることを含めて、大きく言って二つの間違った前提に基づいて生じていると考えています。

    > 一つは、決定論です。私は、因果的決定論であれ、意志決定論であれ、間違っていると思います。物理的現象は物理的法則に事実として従っていると言えるでしょうが、「したがわねばならない」という必然性はありません。同様に、意志に身体を必然化・強制する力はありません。

    了解しました。私の場合は、強いていうのであれば因果的決定論を支持するでしょうか。

    > もう一つは、意志(心)と身体(物)を別ものとみなす二元論です。
    > この二つの前提から、たとえば行為を決定するのは意志か、物理的因果か、また、意志が行為を決定するとしたらそれはいかにしてか、といった疑似問題が生じていると思うわけです。

    なるほど。これはザビビのふくろうさんのご認識では、疑似問題なのですか。了解しました。

    私の場合には、人間も草木や動物と同じく自然物という立場をとりますので、そこに人間の自由意志という幻想が、遺伝子に標準装備で組み込まれているのではないのか?という事を考えたのですね。

    > 確かに、私の手が私の意志した通りに上がったら、私が手を挙げたと普通言いますが、ここから心としての意志が、挙手の身体動作を決定・引き起こした、ということは帰結しないように思われますね。

    はい。帰結しませんよね。それ以前に、普通右手を上げようとは意志しておらずに、その時々に応じて手は上がっているので、そこにはその時の特別な意志というものは無いように思われます。つまりは、上げようと思わずとも、それは結果的に上がっているという事になるでしょう。

    > 私の手が上がったのは、私がそう意志したがゆえなのか、すなわち私が手を挙げたのか、それともそれは思い込みで、実情は単に物理的因果に基づいて手が上がっただけなのではないのか?
    > ですが、これは上述したように、決定論と二元論を採るがゆえに生じる疑問にすぎないと私は思います。

    了解しました。

    > 次のように考えてみましょう。
    > 私(精神としての自己)は、私(身体としての自己)である。
    > つまり、存在論的には同一(一元論)である。精神と身体は私の二側面である。私は精神的存在であり、同時に身体的存在である(当たり前でしょ?(笑))。

    当たり前といえば、当たり前ですが(笑)精神と身体は私の二側面であると言うところに、今は言葉にはならないのですが、何やら引っかかりを感じていますー。

    > そうすると、「私が手を挙げた」という主観記述した私の動作を、「私の手が上がった」と客観記述することもできるというだけの話、ということになります。
    > どちらの記述が正しいというわけではありません。
    > これで、「私が手を挙げた(上がらしめた)のか」それとも「(私の意志とは無関係に)私の手が上がっただけなのか」、いったいどちらが本当なのか、という疑問は解消します。
    > また、こう考えれば、意志(心)と身体動作は無関係でもありません。
    > 意志(心)と身体(動作)をべつものとする二元論を採るから無関係にも思えるのです。

    うーん。。記憶の後追いで客観的に記述する場合には、そうなのですが(笑)私が過去に問題視していたのは、通常の生活の上での行為(手が上がった)場合の直前、そこには手を挙げると言う意志は、ほとんどの場合には、(私の体験上では)ない、なかったのではないかという事です。

    例えば、公園であらぬ方向からボールが飛んできた場合には、結果的には、ボールが身体に当たるか、身体には当たらずに素通りするか、手で払いのけるかキャッチするか等になると思いますが、それに気づいたその瞬間、反射的によけたり払いのけたりすると思うんですね。この場合、後でそのことを記述するのであれば「あの日、公園でボールが飛んできたので、私は危険だと思ったので、手で払いのけました」等となると思うのですが、実際にはその時、払いのけようという意志は働いていなかったと思いますし、少なくともその記憶はありません。ですが、払いのけたという結果の記憶は残ります。それは、自然に、反射的に、意志とは無関係に手が動いたとなると考えたのですね。

    その時のことを後日に記憶をもとに記述するのであれば、「あの日、公園でボールが飛んできたので、私は危険だと思ったので、手で払いのけました」となると思いますが、、これは記憶の後追いでの記述ですので、その瞬間にはその意志はなかったのではないかなぁと(笑)

    > 一応現在における私の基本的立場はこんな感じだということで、私見についての説明は以上にしておきます。

    了解しました^^ ご意見をありがとうございました。
引用返信/返信 削除キー/
■32781 / inTopicNo.45)  ザビビさんへ
□投稿者/ マジカルモンキー -(2023/09/01(Fri) 09:31:14)
    2023/09/01(Fri) 10:57:17 編集(投稿者)
    No32776に返信(ザビビのふくろうさんの記事)
    > マジモンさん、おはようございます。
    > 明記されてませんが、たぶん私へのレスだと思って一応レスします。
    >
    > ■No32773に返信(マジカルモンキーさんの記事)
    >>2023/09/01(Fri) 01:12:53 編集(投稿者)
    >>
    >>身体から自由意志のプロセスって成立します?
    >>成立するんだったら、教えて欲しいです。
    >>
    >
    > いや、教るなんてできませんが(笑)
    > 私の立場は、
    > 自由意志のプロセスは、身体から成立する(生じる)ものではない、つまり意志と身体とは別物ではない、
    > とするものです。
    >
    > きっと答えになってないと思います。スンマセンm(_ _)m
    >
    >
    >>妊娠、寄生虫、ウィルス感染?ぐらいしか思いつかないです。
    >>ゾンビ?
    >>
    >>★動画 28 Weeks Later(ゾンビ映画)
    >>https://www.youtube.com/watch?v=Z3d7y1YrPvg
    >>
    >>コンピュータウィルスのようなもんですかね。
    >>カント哲学ってロボット産業に通じるもんがあるんですが、
    >>ロボットを支配するには、ウィルスしかない…、そういう発想でしょうか?
    >>
    >
    > 意識って、メタ認知システムじゃないですかね。

    おはようございます。
    返信ありがとうございます。

    この『 メタ認知システム 』という言葉で、
    いろいろと私の中の不透明な部分が解明できそうです。

    解明できそうな所

    ・ カント哲学のコペルニクス転回、叡智界(物の世界、道徳法則)、アプリオリ
    ・ < 私 >は薄っぺらい
    ・ 悪の研究より、『 人は記憶を持っていると思っているが、実は逆 』
    ・ 時さんの発言、『 我思う、ゆえに思いあり 』
    ・ 悪魔ちゃんの発言、『 腕をもっているように、我を持っている 』
    ・ 猫・妊婦の感染症のエキノコックス

    想像図は創っているだなと感じました。

    それはあたかも無線ランのロボットが監視している映像を、
    操作している人間が見ているようなもんなんでしょうね。
    そして、その映像に梃入れできるのも確かだと思います。
    https://cdn.thisiswhyimbroke.com/images/parrot-bebop-fpv-drone.jpg
引用返信/返信 削除キー/
■32780 / inTopicNo.46)  パニチェさんへ
□投稿者/ 時 -(2023/09/01(Fri) 09:21:30)
    パニチェさんへ。おはようございます。レスをありがとうございます。

    No32769に返信(パニチェさんの記事)
    > 結論から言うと「独我論」は「人間原理」と同じく強弱があると思います。

    > 「強い独我論」というのは実在するのは「我」のみであり、他者も含めた物質や現象など他は全て「我」の意識内容に過ぎないとする立場。
    > 「強い独我論」は一元論という意味で観念論(主観一元論)や唯心論(唯識説)と同じ。

    多分ですが、私の場合には強い独我になるでしょうか。しかしこれを言葉で説明するとなると、学問的ではないことも含めてかなり困難な作業になりそうですね。でも、独我の世界に入り込めると、私の場合には、かなり精神的に楽な状態になるのは確かなようです。でもそこには、それ以上のものは何もないというのが感想になるでしょうか。

    仏典のお話の時にも感じたのですが、年月が経つにつれて多くの独我論が生まれているのですね。誰かの論を誰かが解釈して、それをまた解釈して何かをつけ足したり差し引いたり・・これらすべてを把握するのは私には到底無理そうです。(笑)

    そして、私の場合には人生哲学として学んでいますので、そう多くの論は必要ないのかもしれません。うーん、今は、この辺でよしとしましょうか。といった感じです。

    何の刺激もなく、すみません(笑)m(__)m

    ところでパニチェさんは、自由意志のあるなし問題については、どのように思われるでしょうか?よろしければパニチェさんのご意見を教えて頂ければ有難いです。

    No32765の後半です。 私の場合には今現在の結論で、自由意思があろうとなかろうと、それは何ら日々の出来事に関与できない。よって、自由意志はないという方に傾く。というものです。
引用返信/返信 削除キー/
■32776 / inTopicNo.47)  マジモンさんへ
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2023/09/01(Fri) 06:20:40)
    マジモンさん、おはようございます。
    明記されてませんが、たぶん私へのレスだと思って一応レスします。

    No32773に返信(マジカルモンキーさんの記事)
    > 2023/09/01(Fri) 01:12:53 編集(投稿者)
    >
    > 身体から自由意志のプロセスって成立します?
    > 成立するんだったら、教えて欲しいです。
    >

    いや、教るなんてできませんが(笑)
    私の立場は、
    自由意志のプロセスは、身体から成立する(生じる)ものではない、つまり意志と身体とは別物ではない、
    とするものです。

    きっと答えになってないと思います。スンマセンm(_ _)m


    > 妊娠、寄生虫、ウィルス感染?ぐらいしか思いつかないです。
    > ゾンビ?
    >
    > ★動画 28 Weeks Later(ゾンビ映画)
    > https://www.youtube.com/watch?v=Z3d7y1YrPvg
    >
    > コンピュータウィルスのようなもんですかね。
    > カント哲学ってロボット産業に通じるもんがあるんですが、
    > ロボットを支配するには、ウィルスしかない…、そういう発想でしょうか?
    >

    意識って、メタ認知システムじゃないですかね。

引用返信/返信 削除キー/
■32773 / inTopicNo.48)  自由意志
□投稿者/ マジカルモンキー -(2023/08/31(Thu) 23:10:38)
    2023/09/01(Fri) 01:12:53 編集(投稿者)

    身体から自由意志のプロセスって成立します?
    成立するんだったら、教えて欲しいです。

    妊娠、寄生虫、ウィルス感染?ぐらいしか思いつかないです。
    ゾンビ?

    ★動画 28 Weeks Later(ゾンビ映画)
    https://www.youtube.com/watch?v=Z3d7y1YrPvg

    コンピュータウィルスのようなもんですかね。
    カント哲学ってロボット産業に通じるもんがあるんですが、
    ロボットを支配するには、ウィルスしかない…、そういう発想でしょうか?


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