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No45205,45208,45209 の記事


■45205 / )  うましかさんへ(^_-)-☆
□投稿者/ パニチェ -(2026/01/21(Wed) 09:19:46)
    おはようございます、うましかさん。レスありがとうございます。

    No45200に返信(うましかさんの記事)
    > こんばんはー
    > No.45199(パニチェさん)を読ませていただいてテンションがあがりました!
    >  (* ̄0 ̄)/ オゥッ!!
    > というのも、 No.45195 のfloraさん宛の投稿で書いた内容↓について、私の調査結果と相反する解説が、なんとあの『ニーチェ事典』にあることを知ったからです(;´・ω・)

    上記のような言い回しにうましかさんの優しさと気遣いを感じます。
    ほんと私と違ってよくできた方だなぁ〜と。^^

    > >・ただし研究によればニーチェが直接的に『種の起源』の原著(英語であれドイツ語訳であれ)を読んだ可能性は低いとのことです。〔by うましか〕
    > 手持ちの『ニーチェ事典』(1995年)をさっそく確認したところ、野家啓一による「ダーウィニズム」の解説で以下のような記述がありました。

    > >1859年にダーウィンの『種の起源』が公刊されたとき、ニーチェは15歳であった。すなわち、ダーウィンの進化論がヨーロッパ中を瞬く間に席巻していった時期は、そのままニーチェの精神形成期に重なっている。しかも、ニーチェが旺盛な執筆活動を続けていた1870年代から80年代にかけては、社会ダーウィニズム、すなわち人間は遺伝と環境に支配されつつ生存闘争を行いながら、優勝劣敗の鉄則に従って不適応者は次第に淘汰されていく、という宿命的ペシミズムの思想が世界的流行を見せていた時期でもあった。それゆえ、ニーチェがこうした時代思潮から影響を受けなかったわけはない。事実、彼はダーウィンの『種の起源』と『人間の由来』を丹念に読んでおり、またランゲの『唯物論の歴史』を通じて進化論の思想的意味を把握していた。しかし、ダーウィニズムに対するニーチェの態度は、いわば両義的と言わざるをえない。< 同書p.347

    > 野家によれば、ニーチェはダーウィンの『種の起源』を丹念に読んでいることは事実であるとのこと(・∀・)♪
    > 残念なのは野家が参考文献を示していないことですが、パニチェさんは野家の「ニーチェはダーウィンの『種の起源』を丹念に読んでいる」という解説を支持する情報を何かご存じですか?(;´・ω・)
    > もしご存じでしたら、教えていただけますと幸いです。。。m(__)m

    ニーチェが『種の起源』を丹念に読んでいる」という確たる証拠にはなりませんが私が思うところの有力な記述を以下で引用しておきますね。
    せっかくなので次の投稿ではダーウィンやダーウィン主義についてニーチェが述べているアフォリズムを引用しておきます。Panietzsche Roomにもまとめたいと思ったので。
    私が言えるのは次の引用も含めて『種の起源』を読まずにこれだけダーウィンのことを賞賛したり、批判したりできないのではないか?ということぐらいですかねぇ〜。

    「ここで僕はひとりの男の功績をもう一度、称えざるをえないのだが、その男については以前いちど君に手紙を書いたことがあるね。もし君に今日の唯物論的な動きについて、ダーウィンの理論や宇宙体系や命のっかよっている暗箱などを応用した自然科学について完全に知りたいという気があるなら、また同時に倫理的な唯物論やマンチェスター理論などについても知りつくしたいなら、いちばん素晴らしいものを紹介することができるよ。つまり、フリードリヒ・アルベルト・ランゲ(イーザーローン、1866年)の『唯物論の歴史』だ。(ちくま学芸文庫刊ニーチェ全集別館T「ニーチェ書簡集 26カール・フォン・ゲルスドルフへ ナウムブルク、1868年2月16日」より)」

    「──これがレー博士には知られていなかった。だが彼はダーウィンを読んでいた。──そのため彼の仮説のなかでは、ダーウィン式の野獣と、〈もはや噛みつきはしない〉飛び切り現代風の慎ましやかな道徳的優男とが、すくなくとも面白みはある格好で慇懃に手を取りあっている。(道徳の系譜 7)」

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■45208 / )  ニーチェによるダーウィン評
□投稿者/ パニチェ -(2026/01/21(Wed) 15:42:41)
    「形象による思考の場合でも、ダーウィン説は正しい。すなわち、より強力な形象は、より軽微な諸形象を食い尽くして行く。(ちくま学芸文庫刊ニーチェ全集3「哲学者の書」P268)」

    「ダーウィン説の驚くべき帰結。ともかく私は、ダーウィン説は真理だと思っている。(ちくま学芸文庫刊ニーチェ全集3「哲学者の書」P300)」

    「イギリスのダーウィニズムそのもの周りには、イギリスの人口過剰の息詰まるような空気に似た何かが、窮乏に追いつめられた細民の臭気さながらの雰囲気が、匂っている。けれど、自然科学者であるかぎりは、おのれの人間臭い片隅から抜けだしてぃるべきだろう。それというのも、自然のうちに支配いているものは、窮迫状況ではなくして、過剰であり、浪費である、しかも馬鹿馬鹿しいまでの過剰浪費であるからだ。生存競争といったものなぞは、一個も例外にすぎない、生意志の一時的な制限状態にすぎない。ほかならぬ生の意志であるところの権力の意志のままに、大小の闘争が、いたるところで、優越を競い、成長へと拡大を競い、権力を競って、おこなわれているのだ。(悦ばしき知識349)」

    「弱化の状態としても最高の公平と柔和(新約聖書と原始キリスト教団、──イギリス人ダーウィン、ウォレスは、これがまったくの愚事であることを示した)。君たち高級な方々よ、君たちの公平は君たちを普通選挙その他に、君たちの「人間性」は犯罪や愚味に対する柔和にかりたてる。やがては、かくして君たちは愚味と無難なものとに勝利をもたらすであろう。快適と愚味──中間。(権力への意志130)」

    「根本問題。どこから信仰のこの全能は由来するのか?道徳を信ずることの全能は?(この信仰は、生の根本条件ですら道徳のためとなら誤った解釈をうけるといいうことからもうかがいしることができる、動物界や植物界について知られていることはそうした解釈をゆるさないにもかかわらず。「自己保存」は、利他主義の原理と利己主義の原理とを調停するためのダーウィン主義的遠近法である。)(権力への意志253)」

    「哲学者についての迷信、すなわち、科学的人間の取りちがえ。あたかも価値は事物のうちにひそんでいて、それを確保しさえすればよいかのごとくであるとは!どこまで彼らがあたえられた価値の教唆のもとで研究するかの問題(仮象、肉体などに対する彼らの憎悪)。道徳に関してはショーペンンハウアー(功利主義に対する嘲笑)。最後にはこの取ちがえは、ダーウィン主義が哲学とみなされるほどはなはだしくなり、かくして現今では科学的人間が支配権をにぎっている。(権力への意志422)」

    「ダーウィン主義に反対して。──或る機関の有用さはその発生を説明しはしない、逆なのである!このうえなく長期にわたって或る固有性が形成されつつある間は、その固有性は、個体を保存することもなく、個体に有用であることもなく、外的環境や外敵との闘争においてはことさらそうである。結局「有用」とは何か?「何に関して有用なのか?」と問われなければならない。たとえば個体の持続にとって有用であるものは、その個体の強さや華麗さにとっては不都合であるかもしれない。個体を保存するものは、同時にその個体の発達を固定させ停止させるものであるかもしれない。他方、或る欠陥は、或る変質は、それが他の機関の刺戟剤としてはらたくかぎり、このうえなく有用でありうる。(権力への意志647)」

    「ダーウィン主義的生物学の意味での「有用である」とは──言いかえれば、他者との闘争においておのれを好都合のものとして証明することにほかならない。しかし私には、高揚された感情、より強くなるという感情がすでに、闘争における有用さをまったく別としても、本来の進歩であると思われる。すなわち、この感情からはじめて闘争への意志が発現するのである──(権力への意志649)」

    「反ダーウィン。──人間の馴致、これはいかなる決定的価値をもちうるのか?ないしは総じて馴致ということは或る決定的価値をもっているのか?──私たちは、この後者を否認する根拠を持っている。…〈中略〉… 生存競争が、弱者の死滅と最も強壮な最も天賦にめぐまれてたものの存続が、予期されている。したがって、生物は完全性へと不断に生長していると想像されている。私たちが確証してきたのはこれと逆であって、それは生存競争においては、偶然は強者にと同じく弱者にも幸いするということ、狡智はしばしば力に有利な補強をするということ、類の豊饒性は破滅の機会と注目すべき関係にあるということであった・・・(権力への意志684)」

    「反ダーウィン。──人間の大いなる運命を概観して私が最も多く驚かされるのは、今日ダーウィンがその学派とともに認めないしは認めようと欲していることは、すなわち、より強いものに、出来のよいものに好都合な淘汰、類の進歩とは正反対のことをつねにまのあたりにするということである。まさしくこの正反対のことが、すなわち、幸運の抹殺、出来上がりの高級な類型の無用性、中位の類型の、中位以下の類型すらの不可避的支配が、明白なのである。なぜ人間は被造物のうちで例外であるかということの根拠が私たちに示されないなら、私はダーウィン学派はいたるところで思いちがいをしていると頭から考えざるをえない。私がすべての変化の究極的根拠や性格をそのうちで再認識するあの権力への意志が、なぜまさしく例外や幸運に好都合な淘汰が生じないかを明らかにする手引きをあたえてくれる。すなわち、最も強く最も幸福な者は、組織化された畜群本能を、弱者の恐怖心を、大多数を敵にまわすときには、弱いのである。価値の世界に関する私の総体観は、今日の人類の頭上にかかげられている至高の価値のうちで優勢を持しているのは、幸運では、淘汰された類型ではないということを示している。むしろそれはデカダンスの類型であり、──おそらくはこの世において、こうした望ましからざる光景にもまして興味深いものは何ひとつないであろう・・・(権力への意志685)」

    「反ダーウィン。──あの有名な「生存競争」に関して言えば、それはさしあたり私には証明されているというより、むしろ主張されていると思われる。それはおこりはするが、しかし例外としてである。生の総体的光景は、窮乏状態、飢餓状態ではなく、むしろ豊富、豊満であり、ばからしいほどの浪費ですらある、──闘争がおこなわれるときでも、それは権力をめぐる闘争である・・・人はマルサスと自然とを取りちがえてはならない。──しかし、この闘争がおこるとすれば──そして事実、それはおこるのであるが──、遺憾ながらそれは、ダーウィン学派が願っているのとは、おそらくはこの人がこの学派とともに願ってさしつかえないと思うのとは逆の結果となる。すなわち、強者、特権者、幸福な例外者には不利となる。種属は完全性という状態のうちで成長するのではない。弱者が繰り返し強者を支配するからであり、──それは、弱者が多数であり、弱者がより怜悧でもあるためである・・・ダーウィンは精神を忘れてしまっていた。(偶像の黄昏14)」


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■45209 / )  ニーチェとダーウィン
□投稿者/ パニチェ -(2026/01/21(Wed) 16:33:20)
    ダーウィンの『種の起源』が公刊された1859年は、ニーチェ15歳の多感な年頃であった。

    その後、社会ダーウィニズムがヨーロッパを席巻していったことからして、ニーチェの精神の三変化に象徴される超人思想はダーウィニズムの影響があったことは否定できないだろう。

    進化論や物理学(宇宙論)の目覚ましい発展は創造論を退けつつ、唯物論的世界観がキリスト教圏に浸透していった。
    ニーチェは「神は死んだ」と過去形でツァラトゥストラに語らせたが、19世紀後半にドイツ観念論が唯物論によって侵食される時代であったことも反映している。

    但し、進化論を土台として超人思想が生まれたということではない。
    ツァラトゥストラに語らせた超人思想とは、あくまでも旧約・新約聖書へのアンチテーゼとして生まれた思想(福音)であるからだ。

    ダーウィニズムについてニーチェは両義的に捉えている。
    創造論を否定したダーウィンは高級な人間であり、前期ではダーウィニズムを真理と賞賛しているが、後期には反ダーウィンとしてのアフォリズムがメインとなる。

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