| ■44360 / ) |
Re[25]:つれづれなるままに
|
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2025/10/03(Fri) 18:06:20)
| カントのカッコで括られた私――(私) について、
No44291で見たように、 カントの(私) 感性的なものに留まる“感じ”的なもので、我々人間には“知る”ことができない、そのようなものX。 でも、そのようなXは存在する、 ってカントはしている、ってしてわたし見てるなかで、 この(私)っていうの、 前にわたし、 No44110の『一つの意識((私)という自己意識)』の見方として、<(私が存在す)と(私は考える)>の<一なる(私)> ってして見たんだけど、 (本Ko)のp201のカント訳文のなかに、『同じ主観において』とか『一にして同一である』っていうのがあったので、 ちょっと変えるね。 (Ks-a)「一つの意識((私)という自己意識)」 → <(私が存在す)と(私は考える)>の<一にして同一である(私)> って。
|
|