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Re[17]: つれづれなるままに
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2025/04/22(Tue) 18:45:52)
| No42696で、メルポンの〈0-点〉とカントの「負量の概念」「実在的対立」とを絡めて見たんだけど、 いまのわたしの物語りの出発点、 No42012の(M-C)の最後の二行のところを見てく。
ここのところは、 ・@「〈点0の知覚は0点にある〉という考えは、あらゆる対象肯定の根拠をはらんでいるはずの〈包括的生活としての意識〉という概念から、直接に帰結するものだからである。」 でいいよね。 これ、 ・A「あらゆる対象肯定の根拠をはらんでいるはずの〈包括的生活としての意識〉という概念から、〈点0の知覚は0点にある〉という考えは、直接に帰結するもの」 でもいいかな。 でね、 〈包括的生活としての意識〉を、《私の生活世界での意識》ってして見るのね。ただこの「意識」っていうのは〈知覚〉にかかわるものだと思われるから、《私の生活世界での知覚》ってしちゃうね。 で、 (P0点-A)私の生活世界での知覚においては、〈点0の知覚は0点にある〉という考えによって、「あらゆる対象を肯定している」。 こういうふうにして見たのね。
で、ちょっと思ったんだけど。或るものを「A」ってするね。 「A」が「存在する」。っていうばあい、その「A」を、否定してるんじゃなくて、〈肯定している〉っていうことになるんじゃないかしら。 「A」を「図」〈点〉ってして見て、 そして、 〈0〉「地」は存在する。ってしたとき、「地」〈0〉を〈肯定している〉って見ることになるから、 結局、生の知覚は、「地」〈0〉と「図」〈点〉の両方とも〈肯定している〉っていうことになるわけね。 こういうのから、 (P0点-A)を、 (A-0点) 私の生の知覚においては、〈点0の知覚は0点にある〉「地の上の図」という考え、すなわち、「地」〈0〉と「図」〈点〉の両方を〈肯定している〉なかで、だから、「あらゆる対象を肯定している」ことになる。 ってして見た。
なんかまだ上手に表言できてない感じだけど。
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