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No42012 の記事


■42012 / )  Re[87]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2025/04/10(Thu) 19:09:08)
    No42011のつづき

    メルポンの『行動の構造』から、
    (M-C)―――――――――――――――――――――
    が、そのようにして哲学は、素朴的意識が自明だと信じているものにふたたび帰ることになる。なぜなら超越論的観念論は、主観と客観を不可分な相関者とすることによって、世界がみずからがじかに、しかも主観とは異なるものとしてあらわれてくるような〈知覚的経験〉の妥当性を保証してくれるからである。かりに〈認識〉が惰性的な〔=意味をもたない物質的な〕絵の主観的表象ではなくて、その絵の〈意味〉の把握だとすれば、客観的世界と主観的見かけとの相異はもはや二種類の存在の相違ではなく、ふたつの〈意味〉の違いとなり、そのかぎり拒みようのないものとなる。そして、われわれの考えうるものはすべて「物の意味」であり、そしてこの意味を私に開示する作用がまさに知覚と呼ばれるものであるから、私は知覚において〈物そのもの〉に到達しているわけである。
    〈点0の知覚は0点にある〉という考えは、ベルクソンにではなくカントにこそさかのぼるべきものであろう。
    その考えは、あらゆる対象肯定の根拠をはらんでいるはずの〈包括的生活としての意識〉という概念から、直接に帰結するものだからである。
    ―――――――――――――――――――――(下p126)

    メルポンの『見えるものと見えないもの』から、
    (M-V)―――――――――――――――――――――
    問いかけとしての哲学(つまりこのものとそこにある世界のまわりに、くぼみをいつらえたり、このものや世界がそれ自体おのれが何であるかを語らざるをえなくなるような質問をしつらえたりすることである哲学。―つまり、言語の不変項や辞書的本質の探究ではなく、沈黙の、構造の不変項の探究である哲学)の本領は、無でないような存在のゼロ点から出発して世界がどのように分節されるかを示すところ、言いかえれば、対〈自〉のうちにでも即〈自〉のうちにでもなく、存在者の縁に、世界の多くの入り口が交叉しているところに身を据えるというところにしかありえない、といことを示すこと。
    ―――――――――――――――――――――(P383)

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