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Re[7]: つれづれなるままに
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2025/04/16(Wed) 18:32:08)
| No42114につづけて、カントの「0」っていうの、 No42011から見て見る。
(本Ko)のAに、 『感覚の始まりである純粋直観=0』ってある。わたしいまだにカントの言う「純粋直観」っていうのぜんぜんわかんないので『純粋直観』っていうのは無視しちゃて、 (a)「感覚の始まりである0」ってして見る。 (本Ko)のBに、 (c)『感覚はある量・・・・内包量をもつ』 (本Ko-O)のBに、 (b)〔知覚の含んでいる感覚がもつ量〕 ってある。 (a),(b),(c)から、 感覚と知覚をセットにして、〈感覚-知覚〉ってして見て、
(Ko4-A4)〈感覚-知覚〉において、カントが「0」と呼んでいるものは「内包量」をもつ
ってして見る。
(本Ko)のBに、 『無=0』ってあるけど、 「無」っていうのを、〈何も無い〉ってしたとき、 No42012の(M-V)に、 メルポンは『無でないような存在のゼロ点』ってあるから、〈0〉っていうのは〈何も無い〉っていうことじゃない、ってするね。(Ko4-A4)のように見たとき、カントの「0」っていうのもある量を“もつ”って見れるし。
カントは数学「0」のこと言ってるわけだし、「0」は「ゼロ」って言うんだと思う。「無」って言わないよね。だから逆に、
(Ko4-A5)〈「0」は存在する〉
っていうふうにも見れる。 あと、 (KP-A)〔知覚にはあらかじめ見込まれたもの(予科)をもつ〕
っていうのも記録しとく。
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