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No41064 の記事


■41064 / )  Re[24]: つれづれなるままに 18
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2025/02/27(Thu) 18:20:12)
    No41037のところから、まとめて見たよ

    「AはBである」っていう「判断」において、

    @ひとまず、
    (K-sU)「総合的判断(拡張判断)」⇒「AはBである」、Aに同一性ではないBが結びつき付け加えられ拡張されてる判断
    ってしといた。

    Aカントは、彼の諸説を展開するとき、そのてがかりとして、概念にではなく「総合的判断(拡張判断)」に求めていた。
    「A」の概念や「B」の概念にじゃなくて、(K-sU)のような「A」と「B」の結びつき。

    B「総合的判断(拡張判断)」は、「経験的総合判断」(ア・ポステリオリな総合的判断)と「ア・プリオリな総合的判断」(経験に拠るものではない総合的判断)をカントは考えてた。

    C「アプリオリな総合的判断」は、〔純粋数学の判断はすべて総合的であり、次に自然科学にはア・プリオリな総合的判断が原理として含まれている〕(お7)っていうことから、存在する。

    Dでも、カントが問題としてるのは、数学や自然科学じゃなくて、「形而上学」。形而上学における「ア・プリオリな総合判断(拡張判断)。

    で、
    No40973の、
    (KoM)『いかにしてア・プリオリな総合的判断は可能であるあるか。』 (B19)
    っていう問い。

    No40052の(資料b)のなかでは、
    〔「ア・プリオリな総合的判断〔認識は如何にして可能であるか」 (Wie sind synthetische Urteile a priori moglich?)と定式化しうる.カントはこれを「純粋理性の一般的課題」 (B19)と呼んで,批判哲学を通じての根本的問題と考えている.〕
    ってなってた。
    「総合的判断」を「認識」ってして見てもいいのかも。どういう認識かっていうと(K-sU)のような判断。
    ネットで調べたら、[synthetische]→「合成」、 [Urteile]→「判決」ともあった。「A」と「B」の合成による「AはBである」っていうふうにして見ると、「総合的判断」っていうよりも、(同一性のない)「合成的判断」って言った方がわたしにはわかりやすい感じ。

    こういうふうに見ると、(KoM)の問いは、
    (KoMA1)《いかにして、形而上学において、ア・プリオリな総合判断(拡張判断)は可能であるのか》?
    っていうことなんじゃないかしら?
    もうちょっと、これをわたしので見ると、

    (KoMA2)《形而上学〈人間の経験的生活世界を超えたところに、知の究極的・普遍的・必然的なものがあって、それを探究する学問〉におけるア・プリオリ〈経験に拠るものではない〉総合判断(拡張判断的認識)は、いかにして可能であるのか》?

    っていうふうになる。

    いづれにしても、(KoM)のカントの言う「総合的判断」っていうの、(K-sU)のようなもの、って見とくことにしたよ。

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