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No41037 の記事


■41037 / )  Re[23]: つれづれなるままに 18
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2025/02/24(Mon) 16:00:48)
    No40983のつづきね
    No40973の(KoL)のなかの、「分析的に説明することではない」とか「総合的判断」、っていうのについてね。

    (本Ko)の中かからところどころ書き出して見る。
    御子柴さんのカント記述の日訳を(K-お)、御子柴さんの記述を(お)ってするね。
    ―――――――――――――――――――
    (お1)〈分析的判断と総合的判断〉ってあって、

    (お2)〔ここでカントの批判哲学にとって重要な視点が提示されます。はたして〈概念を分析すること〉は――それ自体否定されるべきことではなのですが――認識に拡張をもたらすでしょうか。この問いに対して、カントは自らの諸説を展開する端緒を「概念」にではなく「判断」に求めます。「判断」とは、〈AはBである〉というように、主語と述語との結合によって表現されるものです。〕(p66)

    (K-お1)『すべての判断においては、主語の述語に対する関係が考えられているが(私は肯定判断のことだけを考える。後から否定的判断に応用するのは容易だから)、このような関係は二つの仕方で可能である。述語Bが、主語Aに(隠されたかたちで)含まれているものとして主語Aに含まれているか、あるいはBが、確かにAと結びついてはいるものの、概念Aのまったく外にあるか、のいずれかである。前者の場合の判断を私は分析的と名づけ、後者の場合の判断を総合的と名づける。したがって、分析的判断(肯定的)は、述語の主語との結合が同一性によって考えられている判断である。他方、そのような結合が同一性なしに考えられている判断を、総合的判断と呼ぼう。前者は解明判断と呼ぶことができるだろうし、後者は拡張判断とも呼ぶことができるだろう。』(B10f.) (p67)

    (お3)〔述語Bが主語概念Aに(隠されたかたちで)含まれていて、その主語Aと述語Bとの結合が「同一性」で考えられている判断を分析的判断(ein analytisches Urteil)と呼びます。主語概念Aにおいてすでに考えられている内容が述語Bとして捉えらだされるので、ことがらは主語概念Aの同一性に基づいて進行します。それでも、この判断によって、主語概念Aが部分概念に分けられ、主語概念Aが判明になります。〕(p67)

    (お3)〔他方、述語Bが主語概念Aと結びつきつつも、概念Aの外にある場合、したがって、この結合が「同一性」によらない場合、そうした判断を総合的判断(ein synthetisches Urteil)と呼びます。この判断によって、主語概念Aに対して、そこまでまったく考えられていなかった述語が付け加えられることになるので、このような判断は拡張判断とも呼ばれます。〕(p68)

    そして、
    (お4) 〈経験的判断は総合判断である〉(p68)
    ってあって、

    (お5)〈アプリオリな総合判断という問題〉ってあって、

    (お6)〔分析的判断はア・プリオリです。経験的判断は総合的だがア・ポステリオリです。では、「ア・プリオリな総合判断」はどうでしょうか。先に、そうした判断が存在することは容易に分かるとされました。では、そうした判断において総合=拡張は可能でしょうか。これこそが『純粋理性批判』の核心的問題です。〕(p69)

    (K-お2)『しかし、ア・プリオリな総合判断の場合には、このような補助手段がまったく欠けている。私が、概念Aを出ていくことで、他の概念Bが概念Aと結合していると認識しようとする場合、いったい、私のささえになるもの、またそれによって総合が可能になるものはなんだろうか。この場合、私には経験の領野にそれを求めて探し回るという術がないのだから。』(B12f.)(p69)

    (お6)〔「ア・プリオリな総合判断」はア・プリオリなのだから、ア・ポステリオリな経験的なものを含んでいません。したがってそこでは、経験判断のように経験的なものを「補助手段」として総合を行うことはできません。なお、この引用文にある「概念Aを出ていく」という表現に気を付けましょう。「出ていく」というのは多分に比喩的な表現です。ここで「概念Aを出ていく」とは、〈概念ではないなにか〉にかかわるということを意味しているのです。では、〈概念ではないなにか〉とはなんでしょうか。〕(p70)

    そして、
    〈ア・プリオリな総合判断は存在する〉ってあって、
    (お7)〔経験的なものを補助手段にしない、ア・プリオリな総合判断は存在するのでしょうか。・・・・この問題に「存在する」と答えます。というのは、まず純粋数学の判断はすべて総合的であり、次に自然科学にはア・プリオリな総合判断が原理として含まれているからです。〕(p71)
    ―――――――――――――――――――

    これらのからペイントして見たので添付しま〜す。

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