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Re[21]: つれづれなるままに 18
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2025/02/16(Sun) 18:10:09)
| No40976、また間違っちゃた (A-po)「ア・ポステリオリ」⇒〈経験に拠るもの〉 です。
No40975のつづき、(KoL)をわたしので見たのを書いて見るね。 (KoL-A)――――――――――――――― 〈人間の経験世界を超えたところに、知の究極的・普遍的・必然的なものがあって、それを研究する学問〉を、これまでただ試みられたに過ぎない学問ではあるが、それでも人間の〈悟性の根拠・原理を推理する能力〉の本性によって不可避の学問であると見なすなら、そうした〈人間の経験世界を超えたところに、知の究極的・普遍的・必然的なものがあって、それを研究する学問〉には〈経験に拠るものではない〉ような総合的〈客観的な知、論理的な認識〉が含まれているはずである。〈人間の経験世界を超えたところに、知の究極的・普遍的・必然的なものがあって、それを研究する学問〉にとって重要なのは、〈(神に対して)私たち人間〉が〈経験に拠るものではない〉ような物事について作る諸概念を、たんに分解しそれによって分析的に説明することではない。むしろ、〈(神に対して)私たち人間〉は自分の〈経験に拠るものではない〉ような〈客観的な知、論理的な知〉を拡張しようとする。そのために〈(神に対して)私たち人間〉は、与えられた概念を超え出てそこに含まれていなかったことを付け加えるような諸原則を使用しなくてはならない。そして、〈経験に拠るものではないもの〉な総合判断によって、経験そのものがそこまではついてこられないところにまで出て行こうとするのである。たとえば、世界には最初の始まりがなければならない、という命題におけるように。このように〈人間の経験世界を超えたところに、知の究極的・普遍的・必然的なものがあって、それを研究する学問〉は、少なくともその目的からすれば、まったく〈経験に拠るものではない〉ような総合的命題からなるものである。 ――――――――――――――― なんか長くなっちゃたけど、どうかしら?
No40973を読み返して、わたしちょっと思ったこと。 {神、自由、不死、霊魂、世界全体}(形而上)、このような課題の解決に向けられている学問が形而上学。たしかにこれらは人間に経験することできない。そして、人間理性には形而上学への素質があるらしくて、で、理性にこの企てを実現する能力があるかないかを前もって吟味すること。これが『純粋理性批判』。 {自由}って、経験できない?そうなのかも。 {世界全体}、メルロが「ハイデガーが言うように世界という知覚があるかどうかがさておき」って言ってたのを、ちょっと想い出した。 わたしのばあい形而上的なの考えたことないからちょっと距離感あるかな。
ちなみに、わたしの見方から、 「純粋理性批判」→〈一切経験に拠るものではない〉〈思考-概念/概念-理解/概念-思考〉の〈根拠・原理-推理〉の批判 ってなるのかな。
これでひとまず「形而上学」との関係からは離れるね。
わたしの物語り、次の展開は、 No40973の(KoL)のなかに、「分析的に説明することではない」とか「総合的判断」っていうのあるけど、これについて(本Ko)にあったから後で見て見る。
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