■36599 / ) |
Re[37]: つれづれなるままに
|
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/02/20(Tue) 19:57:48)
| そこはかとなく、 ちょっと想い出したので、
【ニーチェ著『善悪の彼岸』1885-86/木場深定訳/発行者山口昭男/発行所岩波書店1970】の中に、 ************* 第2章 自由な精神 36 『実在的に「与えられて」いるのは、われわれの欲望と情熱の世界より他の何ものでもなく、従ってわれわれはまさにわれわれの衝動の実在性より以外の他の「実在性」へ下降することも上昇することもできないとすれば――思惟することはこれらの衝動が相互に関係し合うことにすぎないから――、この「与えられて」いるものがその同類のものから更にいわゆる機械的(または「物質的」)世界をも理解するに十分でないかどうかを、試みに問うことが許されるのではないか。・・・・』(P63) ************* ってあるのね。 「欲望と情熱の世界」、 スケベおやじも、 No36016のようなの、見てるんじゃないかしら?って。 (f)の『投影』 No36590で見たよな、〔刺激対象を知覚する際に,個体の興味,欲求,期待などの影響を受けてそれにそうように知覚が生じること。〕の〔個体の興味、欲求、期待〕のような「欲望」。 (j)の『想像的なものの源泉が情緒にある』 (m)の『意識の自由の現れ』 みたいなの。
【モーリス・メルロ=ポンティ著 『知覚の現象学』1945中島盛夫訳法政大学出版局2009】のなかの、 『現象学はずっと以前から、その道を歩みつつあったのである。その信奉者たちはいたるところに、ヘーゲルやキルケゴールはもちろん、マルクス、ニーチェ、フロイトにもまた、現象学を見出すのである。』 っていうのも思い出してる。
ちなみに、わたしのいばあい、「価値」って、「欲求(欲望)を満たすもの」ってしてる。 価値って、ひとそれぞれね。
|
|