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No31748 の記事


■31748 / )  非我と無我
□投稿者/ パニチェ -(2023/07/13(Thu) 20:47:02)
    こんばんは、時さん。今回も丁寧な返信をありがとうございました。
    引用は一部ですが全て拝読しました。^^

    No31726に返信(時さんの記事)
    > 色は私のものだ、感受は私の感受だ等という思い込みに対して、色はあなたのものではありませんので離れなさい。・・・受は、想は、、、五蘊はあなたのものではありませんので、(渇愛を捨棄して)離れなさい。というのが五蘊非我の教えです。そしてもしも離れられれば、それ(五取蘊)は単なる五蘊に戻ります。この状態が無我と呼ばれる状態だと理解しています。

    No31738に返信(時さんの記事)
    > ・通常の我々は、「私」と「あなた」という二元の世界での認識等をしていますが、ここでいう「私」の状態が五取蘊の状態です。つまりは、私は将来〜になりたい等という思いがあると思いますが、ここに渇愛が潜んでいるという事です。そしてこの状態と同時に、色は私のものだ、感受は私の感受だ等という思い込みに対して、色はあなたのものではありませんので離れなさいよ。・・・受は、想は、、、五蘊はあなたのものではありませんので、離れなさいよ。というのが五蘊非我の教えです。そしてもしも離れられれば、それ(五取蘊)は単なる五蘊に戻ります。この状態が無我と呼ばれる状態だと理解しています。つまりは、五取蘊の状態から渇愛(五蘊に対する貪欲)や妄想が取り除かれた状態が無我の状態だと理解しています。

    ありがとうございます。時さんが非我と無我をどのように理解されているかよく分かりました。
    あともう少し質問させて下さい。

    中村元先生の説明によれば(鵜呑みしているわけではないのですが、私はパーリ語が分からないので中村元先生の説明を元に理解しています)原始仏典では「諸法無我(sabbe dhamma anatta)」の“anattan”という語は名詞にも形容詞にも用いられているとのことで、非我の意味でも無我の意味でも使用されているとのことでした。

    そして後世の中観派においてはアートマンの意味を「それ自体」や「自性」と解釈するようになり、そこから無我(anatman nairatmya)と表現するようになったとのことでした。

    時さんが読まれている原始仏典では(パーリ語でも英訳、和訳でも)非我と無我は言葉として違う語として表現されていますか?

    非我と無我が区別されていても、区別されていなくても、文脈も含めて意味合い的にはどちらの言葉(言葉の意味)が多用されているでしょうか?(非我と無我のどちらが説かれていることが多いでしょうか?)
    分かる範囲で教えていただければ有難いです。

    > 暑い日が続きますね。お体を大切になさってください。

    ありがとうございます。いよいよ夏本番ですね。
    今年は南米の太平洋岸沖合〜東中部太平洋にエルニーニョが発生しているにもかかわらず、本来は海水温が下がるはずの東南アジアにラニーニャ現象の影響がまだ残っているため、両方の海域でともに海水温が高いままになっているそうで観測史上初の現象とのことです。何か起こるかも予想できないとのことでした。
    時さんもお体を大切になさって下さい。

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