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No18527,18608,18670,18758,19219,19242,19480,20320,20453 の記事


■18527 / )  カント沼蜜蜂便o(・x・)/ !
□投稿者/ うましか -(2021/11/07(Sun) 21:54:32)
    2021/11/07(Sun) 21:55:39 編集(投稿者)

    pipitさん、沼っスo(・x・)/ !

    ミツバチから蜜の配達です。

    ******* 山下和也 『カントとオートポイエーシス』*******

    ◇序 カント認識論とオートポイエーシス

    ◇第一章 オートポイエーシス論
    ■第一節 経緯
    ■第二節 定義
    ■第三節 基本概念

    ◇第二章 理性と認識システム
    ■第一節 三つのシステム 生命・意識・認識
    ■第二節 感性・悟性・理性

    ◇第三章 批判と二つの視点
    ■第一節 オートポイエーシスの二つの視点
    ■第二節 カント認識論の構図
    ■第三節 現象と物自体を区別する者
    ■第四節 『純粋理性批判』における二つの視点

    ◇第四章 自我とシステム
    ■第一節 システムの自己
    ■第二節 統覚論とオートポイエーシス
    ■第三節 『オプス・ポストゥムム』の自己措定論

    ◇第五章 感覚と攪乱
    ■第一節 ロックとヒュームの感覚論
    ■第二節 感覚の主観性
    ■第三節 感覚の客観性
    ■第四節 オートポイエーシス論の攪乱概念と感覚

    ◇第六章 カテゴリーと概念コード
    ■第一節 認識システムの概念コード
    ■第二節 カントのカテゴリー
    ■第三節 概念コードとカテゴリー − 超越論的演繹論から −
    ■第四節 カテゴリーの超越論的演繹 − オートポイエーシス論から見て −

    ◇第七章 物自体と認識システムの環境
    ■第一節 カントの物自体
    ■第二節 システムの環境と認識
    ■第三節 認識システムの環境としての物自体

    ◇第八章 超越論的観念論とラディカル構成主義
    ■第一節 カントの超越論的観念論
    ■第二節 現象の主観性
    ■第三節 ラディカル構成主義
    ■第四節 超越論的観念論再考

    ◇第九章 超越論的自由と自律性
    ■第一節 第三アンチノミーにおける超越論的自由
    ■第二節 オートポイエーシスの自律性
    ■第三節 認識システムの自由

    ◇結 論 認識論の完成に向けて

    *******

    No.18527

返信/引用返信 削除キー/

■18608 / )  うましか壁日記(・ω・)ノ
□投稿者/ うましか -(2021/11/09(Tue) 19:38:33)
    2021/11/09(Tue) 22:48:39 編集(投稿者)

    pipitさん、沼っスo(・x・)/ ! 

    養老孟司の馬と鹿の壁、ありがとうございまーす(・∀・)

    まっしろな壁に、微妙な距離でむかいあうウマとシカの線画、、、

    ふしぎな感じですねー  

             
        (;´・ω・)        (゚Д゚;)


    https://shae-bear.com/archives/4600


    ******* 山下和也 『カントとオートポイエーシス』*******

    ◇序 カント認識論とオートポイエーシス

    ◇第一章 オートポイエーシス論
    ■第一節 経緯
    ・1960年、マトゥラーナは生物学博士号をとりチリに帰国、チリ大医学生に生物の起源について講義していたなか学生から受けた「35億年前に生命が始まったとき何が起きたのか」という質問を機に、生命のシステムの特徴について考察しはじめ、思いついたのが「生命システムの、すべてが自身との関連について起きるという自律性であった。

    ・1961年からは、マトゥラーナは生命システムを自己言及(self-referring)と呼んだ。ただし、彼はシステム自体とシステム・環境関係を区別する必要を感じていたのでこの表現に満足できなかった。


    ■第二節 定義
    ・オートポイエーシスを原理として成立するシステムを「オートポイエーシス・システム」と言う。

    ・「オートポイエーシス・システム」の定義とは、「構成素(component)を産出する構成素を産出(変形あるいは破壊)するプロセスのネットワークとして組織された(単位体として定義された)マシンであり、構成素は(@)その相互作用と変形を通じ、自身を産出するプロセス(関係)のネットワークを再生し実現する、そして(A)それ(マシン)を、自身(構成素)が存在する空間において、そうしたネットワークとしてのその実現の位相的領域を特定することで、構成する」〔p.4〕

    ・上記の定義は、山下によれば一見して分かりづらく、しかも言いたいことの内実が表現しきれていない。山下による定義は次のようになる。「オートポイエーシス・システムとは、産出物が次の産出プロセスを作動させる仕 方で連鎖する産出群が作るネットワークの、循環的に作動して閉鎖した自己完結的閉域である。閉域形成に参与する産出物をシステムの構成素と呼ぶ」〔p.5参照〕


    ■第三節 基本概念

    ◇第二章 理性と認識システム
    ■第一節 三つのシステム 生命・意識・認識
    ■第二節 感性・悟性・理性

    ◇第三章 批判と二つの視点
    ■第一節 オートポイエーシスの二つの視点
    ■第二節 カント認識論の構図
    ■第三節 現象と物自体を区別する者
    ■第四節 『純粋理性批判』における二つの視点

    ◇第四章 自我とシステム
    ■第一節 システムの自己
    ■第二節 統覚論とオートポイエーシス
    ■第三節 『オプス・ポストゥムム』の自己措定論

    ◇第五章 感覚と攪乱
    ■第一節 ロックとヒュームの感覚論
    ■第二節 感覚の主観性
    ■第三節 感覚の客観性
    ■第四節 オートポイエーシス論の攪乱概念と感覚

    ◇第六章 カテゴリーと概念コード
    ■第一節 認識システムの概念コード
    ■第二節 カントのカテゴリー
    ■第三節 概念コードとカテゴリー − 超越論的演繹論から −
    ■第四節 カテゴリーの超越論的演繹 − オートポイエーシス論から見て −

    ◇第七章 物自体と認識システムの環境
    ■第一節 カントの物自体
    ■第二節 システムの環境と認識
    ■第三節 認識システムの環境としての物自体

    ◇第八章 超越論的観念論とラディカル構成主義
    ■第一節 カントの超越論的観念論
    ■第二節 現象の主観性
    ■第三節 ラディカル構成主義
    ■第四節 超越論的観念論再考

    ◇第九章 超越論的自由と自律性
    ■第一節 第三アンチノミーにおける超越論的自由
    ■第二節 オートポイエーシスの自律性
    ■第三節 認識システムの自由

    ◇結 論 認識論の完成に向けて

    *******

    No.18527,18608

返信/引用返信 削除キー/

■18670 / )  おーとぽいえし〜っす! (;゚Д゚)謎沼
□投稿者/ うましか -(2021/11/10(Wed) 21:40:35)
    2021/11/10(Wed) 21:57:19 編集(投稿者)

    pipitさん、沼っす!(`・ω・´)ゞ


    感想は、、、今のところ抽象的すぎて全然分かりません(;゚Д゚)

    とりあえず、拾い読みし継ぎ接ぎしていきますー


    ******* 山下和也 『カントとオートポイエーシス』*******

    ◇序 カント認識論とオートポイエーシス

    ◇第一章 オートポイエーシス論
    ■第一節 経緯
    ・1960年、マトゥラーナは生物学博士号をとりチリに帰国、チリ大医学生に生物の起源について講義していたなか学生から受けた「35億年前に生命が始まったとき何が起きたのか」という質問を機に、生命のシステムの特徴について考察しはじめ、思いついたのが「生命システムの、すべてが自身との関連について起きるという自律性であった。
    ・1961年からは、マトゥラーナは生命システムを自己言及(self-referring)と呼んだ。ただし、彼はシステム自体とシステム・環境関係を区別する必要を感じていたのでこの表現に満足できなかった。

    ■第二節 定義
    ・オートポイエーシスを原理として成立するシステムを「オートポイエーシス・システム」と言う。
    ・「オートポイエーシス・システム」の定義とは、「構成素(component)を産出する構成素を産出(変形あるいは破壊)するプロセスのネットワークとして組織された(単位体として定義された)マシンであり、構成素は(@)その相互作用と変形を通じ、自身を産出するプロセス(関係)のネットワークを再生し実現する、そして(A)それ(マシン)を、自身(構成素)が存在する空間において、そうしたネットワークとしてのその実現の位相的領域を特定することで、構成する」〔p.4〕
    ・上記の定義は、山下によれば一見して分かりづらく、しかも言いたいことの内実が表現しきれていない。山下による定義は次のようになる。「オートポイエーシス・システムとは、産出物が次の産出プロセスを作動させる仕 方で連鎖する産出群が作るネットワークの、循環的に作動して閉鎖した自己完結的閉域である。閉域形成に参与する産出物をシステムの構成素と呼ぶ」〔p.5参照〕
    ■第三節 基本概念

    ◇第二章 理性と認識システム
    ・オートポイエーシスの認識論の基本となる三つのシステム、生命システム、意識システム、認識システムと、カントのあげる三つの認識能力、感性、悟性、理性との対応を考える
    ・この図式が山下の展開する認識論の基礎となる。〔p.15〕
    ■第一節 三つのシステム 生命・意識・認識
    ・生命システム・・・出発点としての。
    ・生命システムとは、生体器官を構成素とし、身体を構造とするAPシステムである。
    ・意識システム・・・表象を構成素とするシステム
    ・認識システム・・・生命システムからは二階言及、意識システムからは一階言及のシステム
    ・認識システムとは、認識表象を構成素とし、認識を構造とする。
    ■第二節 感性・悟性・理性

    ◇第三章 批判と二つの視点
    ■第一節 オートポイエーシスの二つの視点
    ■第二節 カント認識論の構図
    ■第三節 現象と物自体を区別する者
    ■第四節 『純粋理性批判』における二つの視点

    ◇第四章 自我とシステム
    ■第一節 システムの自己
    ■第二節 統覚論とオートポイエーシス
    ■第三節 『オプス・ポストゥムム』の自己措定論

    ◇第五章 感覚と攪乱
    ■第一節 ロックとヒュームの感覚論
    ■第二節 感覚の主観性
    ■第三節 感覚の客観性
    ■第四節 オートポイエーシス論の攪乱概念と感覚

    ◇第六章 カテゴリーと概念コード
    ■第一節 認識システムの概念コード
    ■第二節 カントのカテゴリー
    ■第三節 概念コードとカテゴリー − 超越論的演繹論から −
    ■第四節 カテゴリーの超越論的演繹 − オートポイエーシス論から見て −

    ◇第七章 物自体と認識システムの環境
    ■第一節 カントの物自体
    ■第二節 システムの環境と認識
    ■第三節 認識システムの環境としての物自体

    ◇第八章 超越論的観念論とラディカル構成主義
    ■第一節 カントの超越論的観念論
    ■第二節 現象の主観性
    ■第三節 ラディカル構成主義
    ■第四節 超越論的観念論再考

    ◇第九章 超越論的自由と自律性
    ■第一節 第三アンチノミーにおける超越論的自由
    ■第二節 オートポイエーシスの自律性
    ■第三節 認識システムの自由

    ◇結 論 認識論の完成に向けて

    *******

    No.18527,18608,18670

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■18758 / )  謎沼探検記(;´・ω・)
□投稿者/ うましか -(2021/11/13(Sat) 06:51:02)
    2021/11/13(Sat) 06:51:54 編集(投稿者)

    pipitさん、沼っす!(`・ω・´)ゞ

    ******* 山下和也 『カントとオートポイエーシス』*******

    ◇序 カント認識論とオートポイエーシス

    ◇第一章 オートポイエーシス論
    ■第一節 経緯
    ・1960年、マトゥラーナは生物学博士号をとりチリに帰国、チリ大医学生に生物の起源について講義していたなか学生から受けた「35億年前に生命が始まったとき何が起きたのか」という質問を機に、生命のシステムの特徴について考察しはじめ、思いついたのが「生命システムの、すべてが自身との関連について起きるという自律性であった。
    ・1961年からは、マトゥラーナは生命システムを自己言及(self-referring)と呼んだ。ただし、彼はシステム自体とシステム・環境関係を区別する必要を感じていたのでこの表現に満足できなかった。

    ■第二節 定義
    ・オートポイエーシスを原理として成立するシステムを「オートポイエーシス・システム」と言う。
    ・「オートポイエーシス・システム」の定義とは・・・
    「構成素(component)を産出する構成素を産出(変形あるいは破壊)するプロセスのネットワークとして組織された(単位体として定義された)マシンであり、構成素は(@)その相互作用と変形を通じ、自身を産出するプロセス(関係)のネットワークを再生し実現する、そして(A)それ(マシン)を、自身(構成素)が存在する空間において、そうしたネットワークとしてのその実現の位相的領域を特定することで、構成する」〔p.4〕
    ・上記の定義は、山下によれば一見して分かりづらく、しかも言いたいことの内実が表現しきれていない。「産出」「連鎖」「循環」「閉鎖」というキーワードを使った山下による定義は次のようになる。・・・
    「オートポイエーシス・システムとは、産出物が次の産出プロセスを作動させる仕方で連鎖する産出群が作るネットワークの、循環的に作動して閉鎖した自己完結的閉域である。閉域形成に参与する産出物をシステムの構成素と呼ぶ」〔p.5参照〕
    ・APシステムの分かりやすい例とは、細胞システム(※ただし細胞そのものではない)。

    ■第三節 基本概念
    ・「コード」
    ・「構造的ドリフト」
    ・「構造変動」
    ・「メタモルフォーゼ」
    ・「システムの環境」
    ・「相互浸透」
    ・「攪乱」
    ・「構造的カップリング」
    ・「カップリング・システム」
    ・すべてのオートポイエーシス・システムに共通な性質・・・@個体性、A単位性、B自律性、C入力・出力の不在
    ・「言及システム」・・・ (元のシステムに対する新しいシステムとして)一階言及システム、二階言及システム〜

    ◇第二章 理性と認識システム
    ・オートポイエーシスの認識論の基本となる三つのシステム、生命システム、意識システム、認識システムと、カントのあげる三つの認識能力、感性、悟性、理性との対応を考える
    ・この図式が山下の展開する認識論の基礎となる。〔p.15〕
    ■第一節 三つのシステム 生命・意識・認識
    ・生命システム・・・認識を考える場合の出発点
    ・生命システムとは、生体器官を構成素とし、身体を構造とするAPシステムである。
    ・意識システム・・・脳における自己言及に基づく生命システムの一階言及システム。表象を構成素とするシステム
    ・認識システム・・・生命システムからは二階言及、意識システムからは一階言及のシステム
    ・認識システムとは、認識表象を構成素とし、認識を構造とする。
    ■第二節 感性・悟性・理性
    ・カントによる人間の認識(能力)
    「すべての我々の認識は感官に始まり、そこから悟性に進み、理性で終わる、理性を超えて、直観の素材を加工し、思惟の最高の統一の下へともたらす、より高次のものは我々のうちに見いだされない」(B355)
    「人間の認識には、おそらくは共通の、しかし我々には未知な根から生える二つの幹がある、すなわち、感性と悟性である。前者によって我々に対象が与えられ、後者によってしかし思惟される」(B29)
    ・山下のイメージでいえば、感性と悟性とによって個別の認識が成立し、理性によってそれが体系化される。

    ◇第三章 批判と二つの視点
    ■第一節 オートポイエーシスの二つの視点
    ■第二節 カント認識論の構図
    ■第三節 現象と物自体を区別する者
    ■第四節 『純粋理性批判』における二つの視点

    ◇第四章 自我とシステム
    ■第一節 システムの自己
    ■第二節 統覚論とオートポイエーシス
    ■第三節 『オプス・ポストゥムム』の自己措定論

    ◇第五章 感覚と攪乱
    ■第一節 ロックとヒュームの感覚論
    ■第二節 感覚の主観性
    ■第三節 感覚の客観性
    ■第四節 オートポイエーシス論の攪乱概念と感覚

    ◇第六章 カテゴリーと概念コード
    ■第一節 認識システムの概念コード
    ■第二節 カントのカテゴリー
    ■第三節 概念コードとカテゴリー − 超越論的演繹論から −
    ■第四節 カテゴリーの超越論的演繹 − オートポイエーシス論から見て −

    ◇第七章 物自体と認識システムの環境
    ■第一節 カントの物自体
    ■第二節 システムの環境と認識
    ■第三節 認識システムの環境としての物自体

    ◇第八章 超越論的観念論とラディカル構成主義
    ■第一節 カントの超越論的観念論
    ■第二節 現象の主観性
    ■第三節 ラディカル構成主義
    ■第四節 超越論的観念論再考

    ◇第九章 超越論的自由と自律性
    ■第一節 第三アンチノミーにおける超越論的自由
    ■第二節 オートポイエーシスの自律性
    ■第三節 認識システムの自由

    ◇結 論 認識論の完成に向けて

    *******

    No.18527,18608,18670,18758

返信/引用返信 削除キー/

■19219 / )  謎沼探検記(;´・ω・) − 5
□投稿者/ うましか -(2021/11/21(Sun) 20:29:18)
    2021/11/21(Sun) 20:38:34 編集(投稿者)

    pipitさん、沼っす!(`・ω・´)ゞ

    今後は、山下本のまとめ「謎沼探検記(;´・ω・)」をナンバリングしていきますー

    No.18527 は1、 No.18608  は2、 No.18670 は3、 No.18758 は4とします (・ω・)ノ
    今回の No.19219 は5です。


    ******* 山下和也 『カントとオートポイエーシス』*******

    ◇序 カント認識論とオートポイエーシス

    ◇第一章 オートポイエーシス論
    ■第一節 経緯
    ・1960年、マトゥラーナは生物学博士号をとりチリに帰国、チリ大医学生に生物の起源について講義していたなか学生から受けた「35億年前に生命が始まったとき何が起きたのか」という質問を機に、生命のシステムの特徴について考察しはじめ、思いついたのが「生命システムの、すべてが自身との関連について起きるという自律性であった。
    ・1961年からは、マトゥラーナは生命システムを自己言及(self-referring)と呼んだ。ただし、彼はシステム自体とシステム・環境関係を区別する必要を感じていたのでこの表現に満足できなかった。
    ■第二節 定義
    ・オートポイエーシスを原理として成立するシステムを「オートポイエーシス・システム」と言う。
    ・「オートポイエーシス・システム」の定義とは・・・
    「構成素(component)を産出する構成素を産出(変形あるいは破壊)するプロセスのネットワークとして組織された(単位体として定義された)マシンであり、構成素は(@)その相互作用と変形を通じ、自身を産出するプロセス(関係)のネットワークを再生し実現する、そして(A)それ(マシン)を、自身(構成素)が存在する空間において、そうしたネットワークとしてのその実現の位相的領域を特定することで、構成する」〔p.4〕
    ・上記の定義は、山下によれば一見して分かりづらく、しかも言いたいことの内実が表現しきれていない。「産出」「連鎖」「循環」「閉鎖」というキーワードを使った山下による定義は次のようになる。・・・
    「オートポイエーシス・システムとは、産出物が次の産出プロセスを作動させる仕方で連鎖する産出群が作るネットワークの、循環的に作動して閉鎖した自己完結的閉域である。閉域形成に参与する産出物をシステムの構成素と呼ぶ」〔p.5参照〕
    ・APシステムの分かりやすい例とは、細胞システム(※ただし細胞そのものではない)。
    ■第三節 基本概念
    ・「コード」
    ・「構造的ドリフト」
    ・「構造変動」
    ・「メタモルフォーゼ」
    ・「システムの環境」
    ・「相互浸透」
    ・「攪乱」
    ・「構造的カップリング」
    ・「カップリング・システム」
    ・すべてのオートポイエーシス・システムに共通な性質・・・@個体性、A単位性、B自律性、C入力・出力の不在
    ・「言及システム」・・・ (元のシステムに対する新しいシステムとして)一階言及システム、二階言及システム〜

    ◇第二章 理性と認識システム
    ・オートポイエーシスの認識論の基本となる三つのシステム、生命システム、意識システム、認識システムと、カントのあげる三つの認識能力、感性、悟性、理性との対応を考える
    ・この図式が山下の展開する認識論の基礎となる。〔p.15〕
    ■第一節 三つのシステム 生命・意識・認識
    ・生命システム・・・認識を考える場合の出発点
    ・生命システムとは、生体器官を構成素とし、身体を構造とするAPシステムである。
    ・意識システム・・・脳における自己言及に基づく生命システムの一階言及システム。表象を構成素とするシステム
    ・認識システム・・・生命システムからは二階言及、意識システムからは一階言及のシステム
    ・認識システムとは、認識表象を構成素とし、認識を構造とする。
    ■第二節 感性・悟性・理性
    ・カントによる人間の認識(能力)
    「すべての我々の認識は感官に始まり、そこから悟性に進み、理性で終わる、理性を超えて、直観の素材を加工し、思惟の最高の統一の下へともたらす、より高次のものは我々のうちに見いだされない」(B355)
    「人間の認識には、おそらくは共通の、しかし我々には未知な根から生える二つの幹がある、すなわち、感性と悟性である。前者によって我々に対象が与えられ、後者によってしかし思惟される」(B29)
    ・山下のイメージでいえば、感性と悟性とによって個別の認識が成立し、理性によってそれが体系化される。

    ◇第三章 批判と二つの視点
    ■第一節 オートポイエーシスの二つの視点
    ■第二節 カント認識論の構図
    ■第三節 現象と物自体を区別する者
    ・カントは内官の対象である主観と、外観の対象である外的現象に関して、現象としてのあり方とそれ自体としてのあり方を区別する。
    ・後者(外観の対象)に対しては、現象と物自体の区別となる。
    ・ここで、区別している、いわば「カントの私」は、いかなる資格の私なのか?… 純粋理性としての私?純粋統覚としての私?自体的な私?内官の対象である主観としての私?
    ・現象と物自体の区別は、我々にとって認識されうるものと認識されえないものの区別である。
    ・あるものが認識されえないと言えるためには、少なくともそのものが存在することは知られていなければならない。しかし、「認識不可能な物自体の存在をカントはいかにして語ることができるのか?」
    ・上の問いに対する解釈二例。カウルバッハのパースペクティブ論とアディッケスの議論 → 両者とも、二世界解釈ではなく二側面解釈であり、物自体というあり方の事実性を否定しない。
    ■第四節 『純粋理性批判』における二つの視点

    ◇第四章 自我とシステム
    ■第一節 システムの自己
    ■第二節 統覚論とオートポイエーシス
    ■第三節 『オプス・ポストゥムム』の自己措定論

    ◇第五章 感覚と攪乱
    ■第一節 ロックとヒュームの感覚論
    ■第二節 感覚の主観性
    ■第三節 感覚の客観性
    ■第四節 オートポイエーシス論の攪乱概念と感覚

    ◇第六章 カテゴリーと概念コード
    ■第一節 認識システムの概念コード
    ■第二節 カントのカテゴリー
    ■第三節 概念コードとカテゴリー − 超越論的演繹論から −
    ■第四節 カテゴリーの超越論的演繹 − オートポイエーシス論から見て −

    ◇第七章 物自体と認識システムの環境
    ■第一節 カントの物自体
    ■第二節 システムの環境と認識
    ■第三節 認識システムの環境としての物自体

    ◇第八章 超越論的観念論とラディカル構成主義
    ・この章では、カント超越論的観念論とAP論的構成主義の認識論の比較しカントの記述通りに理解することを試みる。
    ・エルンスト・フォン・グレーザーズフェルドのラディカル構成主義をカントの議論と比較する。
    ■第一節 カントの超越論的観念論
    ■第二節 現象の主観性
    ■第三節 ラディカル構成主義
    ・グレーザーズフェルドによれば、ラディカル構成主義とは、「知識をどのように定義したところで、知識は人の頭の中に存しており、思考自体は自らの経験を基礎として自ら知っていることを構成する以外に他にないという前提から出発する。」
    ・「われわれが経験を用いて構成しているものは、われわれが意識しながら生きている唯一の世界をなす。それは、事物、自我、他者などのような多くの種類に分類することが可能だ。」
    ・「しかしあらゆる種類の経験は本質的に主観的なものである。」〔p.139〜p.140〕
    ・山下によれば、ラディカル構成主義の基本的な主張とは、「我々が経験している世界は我々が構成したもの」である。
    ■第四節 超越論的観念論再考

    ◇第九章 超越論的自由と自律性
    ■第一節 第三アンチノミーにおける超越論的自由
    ■第二節 オートポイエーシスの自律性
    ■第三節 認識システムの自由

    ◇結 論 認識論の完成に向けて

    *******

    No.18527,18608,18670,18758,19219

返信/引用返信 削除キー/

■19242 / )  謎沼探検記(;´・ω・) − 6
□投稿者/ うましか -(2021/11/23(Tue) 10:06:28)
    2021/11/23(Tue) 10:08:20 編集(投稿者)

    pipitさん、沼っす!(`・ω・´)ゞ

    ******* 山下和也 『カントとオートポイエーシス』*******

    ◇序 カント認識論とオートポイエーシス


    ◇第一章 オートポイエーシス論 ・・・ p.1〜p.14
    ■第一節 経緯
    ・1960年、マトゥラーナは生物の起源について講義していたなか医学生から受けた「35億年前に生命が始まったとき何が起きたのか」という質問を機に、生命のシステムの特徴について考察しはじめ、思いついたのが、生命システムの、すべてが自身との関連について起きるという自律性であった。
    ・1961年からは、マトゥラーナは生命システムを自己言及(self-referring)と呼んだ。ただし、彼はシステム自体とシステム・環境関係を区別する必要を感じていたのでこの表現に満足できなかった。
    ・1963年、マトゥラーナは微生物学者との対話により、DNAがタンパク質の合成に関与し、タンパク質はDNAの合成に関与するという生命システムの循環性に気づく。
    ・1964年から、マトゥラーナは生命システムを「その内ではそれを構成する産出以外、すべてが変化しうる分子産出の循環的システムとして、相互作用の単位あるいは存在者として構成されたシステム」と定義し始める。その一方で、ハトの色覚の実験を通じて、いわゆる神経システムが閉じたネットワークであることに気づく。
    ・1967年、マトゥラーナは分子産出システムとしての生命システムも神経システムも閉じていることを発見。
    ・1968年、マトゥラーナはネオ・サイバネティクスの権威であるフェルスターから招待され、1969年に「認知の神経生理学」を主題に発表するよう依頼される。この中で、生命システムは分子産出の循環的システムとして単位として構成されたシステムであるという構想を発表。
    ・1972年、マトゥラーナは共同研究者のヴァレラから形式化への示唆も受けて、マトゥラーナがこの構想を完成させスペイン語の論文「生命の機構と性質について」を発表。この論文を執筆中、マトゥラーナは友人との会話を通じて「オートポイエーシス」という造語を思いつく。
    ・1980年、マトゥラーナはヴァレラと『オートポイエーシスと認知』を出版。「生命の機構と性質について」の英訳を添えた。
    ・1987年、マトゥラーナとヴァレラは、入門書的な意味合いをもつ『知恵の樹 − 人間知性の生物学的根源』を英語で出版。
    ■第二節 定義
    ・オートポイエーシスを原理として成立するシステムを「オートポイエーシス・システム」という。
    ・「オートポイエーシス・システム」の定義とは、「構成素(component)を産出する構成素を産出(変形あるいは破壊)するプロセスのネットワークとして組織された(単位体として定義された)マシンであり、構成素は(@)その相互作用と変形を通じ、自身を産出するプロセス(関係)のネットワークを再生し実現する、そして(A)それ(マシン)を、自身(構成素)が存在する空間において、そうしたネットワークとしてのその実現の位相的領域を特定することで、構成する」〔p.4〕
    ・上記の定義は、山下によれば一見して分かりづらく、しかも言いたいことの内実が表現しきれていない。「産出」「連鎖」「循環」「閉鎖」というキーワードを使った山下による定義とは、「オートポイエーシス・システムとは、産出物が次の産出プロセスを作動させる仕方で連鎖する産出群が作るネットワークの、循環的に作動して閉鎖した自己完結的閉域である。閉域形成に参与する産出物をシステムの構成素と呼ぶ」〔p.5参照〕
    ・APシステムの分かりやすい例とは、細胞システム(※ただし細胞そのものではない)。
    ■第三節 基本概念
    ・「コード」
    ・「構造的ドリフト」
    ・「構造変動」
    ・「メタモルフォーゼ」
    ・「システムの環境」
    ・「相互浸透」
    ・「攪乱」
    ・「構造的カップリング」
    ・「カップリング・システム」
    ・すべてのオートポイエーシス・システムに共通な性質・・・@個体性、A単位性、B自律性、C入力・出力の不在
    ・「言及システム」・・・ (元のシステムに対する新しいシステムとして)一階言及システム、二階言及システム〜


    ◇第二章 理性と認識システム ・・・ p.15〜p.34
    ・オートポイエーシスの認識論の基本となる三つのシステム、生命システム、意識システム、認識システムと、カントのあげる三つの認識能力、感性、悟性、理性との対応を考える。
    ・この図式が山下の展開する認識論の基礎となる。〔p.15〕

    ■第一節 三つのシステム 生命・意識・認識
    ・生命システムとは、認識を考える場合の出発点。
    ・生命システムとは、生体器官を構成素とし、身体を構造とするAPシステム。
    ・意識システムとは、脳における自己言及に基づく生命システムの一階言及システム。表象を構成素とするシステム
    ・認識システムとは、生命システムからは二階言及、意識システムからは一階言及のシステム。
    ・認識システムとは、認識表象を構成素とし、認識を構造とする。
    ■第二節 感性・悟性・理性
    ・カントによる人間の認識(能力)
    「すべての我々の認識は感官に始まり、そこから悟性に進み、理性で終わる、理性を超えて、直観の素材を加工し、思惟の最高の統一の下へともたらす、より高次のものは我々のうちに見いだされない」(B355)
    「人間の認識には、おそらくは共通の、しかし我々には未知な根から生える二つの幹がある、すなわち、感性と悟性である。前者によって我々に対象が与えられ、後者によってしかし思惟される」(B29)
    ・山下のイメージでいえば、感性と悟性とによって個別の認識が成立し、理性によってそれが体系化される。


    ◇第三章 批判と二つの視点 ・・・ p.35〜p.52
    ■第一節 オートポイエーシスの二つの視点
    ・河本によれば、オートポイエーシス論を認識論的にみたときに決定的な区別とは、@システムそのものにとって(fuer sich)の視点と、A観察者にとって(fuer uns)の視点である。
    ■第二節 カント認識論の構図
    ■第三節 現象と物自体を区別する者
    ・カントは内官の対象である主観と、外観の対象である外的現象に関して、現象としてのあり方とそれ自体としてのあり方を区別する。
    ・後者(外観の対象)に対しては、現象と物自体の区別となる。
    ・ここで、区別している、いわば「カントの私」は、いかなる資格の私なのか?… 純粋理性としての私?純粋統覚としての私?自体的な私?内官の対象である主観としての私?
    ・現象と物自体の区別は、我々にとって認識されうるものと認識されえないものの区別である。
    ・あるものが認識されえないと言えるためには、少なくともそのものが存在することは知られていなければならない。しかし、「認識不可能な物自体の存在をカントはいかにして語ることができるのか?」
    ・上の問いに対する解釈二例。カウルバッハのパースペクティブ論とアディッケスの議論 → 両者とも、二世界解釈ではなく二側面解釈であり、物自体というあり方の事実性を否定しない。
    ■第四節 『純粋理性批判』における二つの視点


    ◇第四章 自我とシステム ・・・ p.53〜p.68
    ■第一節 システムの自己
    ■第二節 統覚論とオートポイエーシス
    ■第三節 『オプス・ポストゥムム』の自己措定論


    ◇第五章 感覚と攪乱 ・・・ p.69〜p.92
    ■第一節 ロックとヒュームの感覚論
    ■第二節 感覚の主観性
    ■第三節 感覚の客観性
    ■第四節 オートポイエーシス論の攪乱概念と感覚


    ◇第六章 カテゴリーと概念コード ・・・ p.93〜p.114
    ■第一節 認識システムの概念コード
    ■第二節 カントのカテゴリー
    ■第三節 概念コードとカテゴリー − 超越論的演繹論から −
    ■第四節 カテゴリーの超越論的演繹 − オートポイエーシス論から見て −


    ◇第七章 物自体と認識システムの環境 ・・・ p.115〜p.130
    ■第一節 カントの物自体
    ■第二節 システムの環境と認識
    ■第三節 認識システムの環境としての物自体


    ◇第八章 超越論的観念論とラディカル構成主義 ・・・ p.131〜p.150
    ・この章では、カント超越論的観念論とAP論的構成主義の認識論の比較しカントの記述通りに理解することを試みる。
    ・エルンスト・フォン・グレーザーズフェルドのラディカル構成主義をカントの議論と比較する。

    ■第一節 カントの超越論的観念論
    ■第二節 現象の主観性
    ■第三節 ラディカル構成主義
    ・グレーザーズフェルドによれば、ラディカル構成主義とは、「知識をどのように定義したところで、知識は人の頭の中に存しており、思考自体は自らの経験を基礎として自ら知っていることを構成する以外に他にないという前提から出発する。」
    ・「われわれが経験を用いて構成しているものは、われわれが意識しながら生きている唯一の世界をなす。それは、事物、自我、他者などのような多くの種類に分類することが可能だ。」
    ・「しかしあらゆる種類の経験は本質的に主観的なものである。」〔p.139〜p.140〕
    ・山下によれば、ラディカル構成主義の基本的な主張とは、「我々が経験している世界は我々が構成したもの」である。〔p.139〜p.140〕
    ■第四節 超越論的観念論再考


    ◇第九章 超越論的自由と自律性 ・・・ p.151〜p.170
    ■第一節 第三アンチノミーにおける超越論的自由
    ■第二節 オートポイエーシスの自律性
    ■第三節 認識システムの自由


    ◇結 論 認識論の完成に向けて ・・・ p.171〜p.175

    *******

    No.18527,18608,18670,18758,19219,19242

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■19480 / )  謎沼探検記(;´・ω・) − 7
□投稿者/ うましか -(2021/11/28(Sun) 11:48:14)
    2021/11/28(Sun) 11:49:09 編集(投稿者)

    pipitさん、沼っす!(`・ω・´)ゞ

    謎沼ばかりでヤケ〇ソの拾い読みです!( ノД`)シクシク…


    ******* 山下和也 『カントとオートポイエーシス』*******

    ◇序 カント認識論とオートポイエーシス


    ◇第一章 オートポイエーシス論 ・・・ p.1〜p.14
    ■第一節 経緯
    ・1960年、マトゥラーナは生物の起源について講義していたなか医学生から受けた「35億年前に生命が始まったとき何が起きたのか」という質問を機に、生命のシステムの特徴について考察しはじめ、思いついたのが、生命システムの、すべてが自身との関連について起きるという自律性であった。
    ・1961年からは、マトゥラーナは生命システムを自己言及(self-referring)と呼んだ。ただし、彼はシステム自体とシステム・環境関係を区別する必要を感じていたのでこの表現に満足できなかった。
    ・1963年、マトゥラーナは微生物学者との対話により、DNAがタンパク質の合成に関与し、タンパク質はDNAの合成に関与するという生命システムの循環性に気づく。
    ・1964年から、マトゥラーナは生命システムを「その内ではそれを構成する産出以外、すべてが変化しうる分子産出の循環的システムとして、相互作用の単位あるいは存在者として構成されたシステム」と定義し始める。その一方で、ハトの色覚の実験を通じて、いわゆる神経システムが閉じたネットワークであることに気づく。
    ・1967年、マトゥラーナは分子産出システムとしての生命システムも神経システムも閉じていることを発見。
    ・1968年、マトゥラーナはネオ・サイバネティクスの権威であるフェルスターから招待され、1969年に「認知の神経生理学」を主題に発表するよう依頼される。この中で、生命システムは分子産出の循環的システムとして単位として構成されたシステムであるという構想を発表。
    ・1972年、マトゥラーナは共同研究者のヴァレラから形式化への示唆も受けて、マトゥラーナがこの構想を完成させスペイン語の論文「生命の機構と性質について」を発表。この論文を執筆中、マトゥラーナは友人との会話を通じて「オートポイエーシス」という造語を思いつく。
    ・1980年、マトゥラーナはヴァレラと『オートポイエーシスと認知』を出版。「生命の機構と性質について」の英訳を添えた。
    ・1987年、マトゥラーナとヴァレラは、入門書的な意味合いをもつ『知恵の樹 − 人間知性の生物学的根源』を英語で出版。
    ■第二節 定義
    ・オートポイエーシスを原理として成立するシステムを「オートポイエーシス・システム」という。
    ・「オートポイエーシス・システム」の定義とは、「構成素(component)を産出する構成素を産出(変形あるいは破壊)するプロセスのネットワークとして組織された(単位体として定義された)マシンであり、構成素は(@)その相互作用と変形を通じ、自身を産出するプロセス(関係)のネットワークを再生し実現する、そして(A)それ(マシン)を、自身(構成素)が存在する空間において、そうしたネットワークとしてのその実現の位相的領域を特定することで、構成する」〔p.4〕
    ・上記の定義は、山下によれば一見して分かりづらく、しかも言いたいことの内実が表現しきれていない。「産出」「連鎖」「循環」「閉鎖」というキーワードを使った山下による定義とは、「オートポイエーシス・システムとは、産出物が次の産出プロセスを作動させる仕方で連鎖する産出群が作るネットワークの、循環的に作動して閉鎖した自己完結的閉域である。閉域形成に参与する産出物をシステムの構成素と呼ぶ」〔p.5参照〕
    ・APシステムの分かりやすい例とは、細胞システム(※ただし細胞そのものではない)。
    ■第三節 基本概念
    ・「コード」
    ・「構造的ドリフト」
    ・「構造変動」
    ・「メタモルフォーゼ」
    ・「システムの環境」
    ・「相互浸透」
    ・「攪乱」
    ・「構造的カップリング」
    ・「カップリング・システム」
    ・すべてのオートポイエーシス・システムに共通な性質・・・@個体性、A単位性、B自律性、C入力・出力の不在
    ・「言及システム」・・・ (元のシステムに対する新しいシステムとして)一階言及システム、二階言及システム〜


    ◇第二章 理性と認識システム ・・・ p.15〜p.34
    ・オートポイエーシスの認識論の基本となる三つのシステム、生命システム、意識システム、認識システムと、カントのあげる三つの認識能力、感性、悟性、理性との対応を考える。
    ・この図式が山下の展開する認識論の基礎となる。〔p.15〕

    ■第一節 三つのシステム 生命・意識・認識
    ・生命システムとは、認識を考える場合の出発点。
    ・生命システムとは、生体器官を構成素とし、身体を構造とするAPシステム。
    ・意識システムとは、脳における自己言及に基づく生命システムの一階言及システム。表象を構成素とするシステム
    ・認識システムとは、生命システムからは二階言及、意識システムからは一階言及のシステム。
    ・認識システムとは、認識表象を構成素とし、認識を構造とする。
    ■第二節 感性・悟性・理性
    ・カントによる人間の認識(能力)
    「すべての我々の認識は感官に始まり、そこから悟性に進み、理性で終わる、理性を超えて、直観の素材を加工し、思惟の最高の統一の下へともたらす、より高次のものは我々のうちに見いだされない」(B355)
    「人間の認識には、おそらくは共通の、しかし我々には未知な根から生える二つの幹がある、すなわち、感性と悟性である。前者によって我々に対象が与えられ、後者によってしかし思惟される」(B29)
    ・山下のイメージでいえば、感性と悟性とによって個別の認識が成立し、理性によってそれが体系化される。


    ◇第三章 批判と二つの視点 ・・・ p.35〜p.52
    ■第一節 オートポイエーシスの二つの視点
    ・河本によれば、オートポイエーシス論を認識論的にみたときに決定的な区別とは、@システムそのものにとって(fuer sich)の視点と、A観察者にとって(fuer uns)の視点である。
    ■第二節 カント認識論の構図
    ・『純粋理性批判』とは、文字通り、「理性批判」
    ・「純粋理性を批判するのが純粋理性自身」ということが重要。
    ・理性批判とは、自己認識という仕事、言いかえれば、「認識する主観の自己主題化」(クレメ)
    ・純粋理性は、超越論的認識を行う自身でもある。ここでいう超越論的とは、「対象にではなく、それがアプリオリに可能な限りで対象についての我々の認識のあり方にそもそも従事すべき全ての認識」に名づけられるのであり、超越論的認識を行うものは、アプリオリに認識する原理を含む純粋理性自身でもあるということ。⇒ 『純粋理性批判』において純粋理性の批判を行うのは、著者カント自身の純粋理性である(ブフナー:「超越論的議論の自己関係化」)
    ・上を言いかえるならば、『純粋理性批判』を執筆し、その中で主語として「私(Ich)」と言っているカントの「私」となり、現代の認知科学でいうなら「メタ認知」に相当する。
    ■第三節 現象と物自体を区別する者
    ・カントは内官の対象である主観と、外観の対象である外的現象に関して、現象としてのあり方とそれ自体としてのあり方を区別する。
    ・後者(外観の対象)に対しては、現象と物自体の区別となる。
    ・ここで、区別している、いわば「カントの私」は、いかなる資格の私なのか?… 純粋理性としての私?純粋統覚としての私?自体的な私?内官の対象である主観としての私?
    ・現象と物自体の区別は、我々にとって認識されうるものと認識されえないものの区別である。
    ・あるものが認識されえないと言えるためには、少なくともそのものが存在することは知られていなければならない。しかし、「認識不可能な物自体の存在をカントはいかにして語ることができるのか?」
    ・上の問いに対する解釈二例。カウルバッハのパースペクティブ論とアディッケスの議論 → 両者とも、二世界解釈ではなく二側面解釈であり、物自体というあり方の事実性を否定しない。
    ■第四節 『純粋理性批判』における二つの視点


    ◇第四章 自我とシステム ・・・ p.53〜p.68
    ■第一節 システムの自己
    ■第二節 統覚論とオートポイエーシス
    ■第三節 『オプス・ポストゥムム』の自己措定論


    ◇第五章 感覚と攪乱 ・・・ p.69〜p.92
    ■第一節 ロックとヒュームの感覚論
    ■第二節 感覚の主観性
    ・カントはロックとヒュームが主張した感覚の主観性を否定していない。
    ・感覚の主観性が主題となるのが、『プロレゴメナ』における「知覚判断」についての議論
    ・カント曰く「すべての経験判断は経験的である、・・・ それでも逆にすべての経験的判断が(それゆえに)経験判断であるわけではない。」
    ・カントによれば、経験的な判断は、@客観的な妥当性をもつ経験判断 A主観的にしか妥当しない知覚判断に区分される。
    ・フリーマンによる感覚sensationと知覚perceptionの区別は、カントの議論におそらく対応している。
    ・意識において綜合された感覚が知覚である。(山下)〔p.78〕
    ■第三節 感覚の客観性
    ■第四節 オートポイエーシス論の攪乱概念と感覚
    ・外的な物理的刺激によっては神経システムの活動は決定されず、むしろシステム自身によって決定されている(オートポイエーシス論の着想をえたマトゥラーナのハトの視覚神経の実験より)。ただし、神経システム自身は単独のAPシステムではなく、生命システムの部分ネットワークである。〔p.84〜p.85〕
    ・神経の反応は閾値をもち、自分が反応する外的刺激の強さや種類を自律的に自分で決定するが、強力すぎる刺激は神経の反応を不可能にする。明るすぎる光では何も見えず、大きすぎる音は耳鳴りにしかならない。


    ◇第六章 カテゴリーと概念コード ・・・ p.93〜p.114
    ■第一節 認識システムの概念コード
    ■第二節 カントのカテゴリー
    ■第三節 概念コードとカテゴリー − 超越論的演繹論から −
    ■第四節 カテゴリーの超越論的演繹 − オートポイエーシス論から見て −


    ◇第七章 物自体と認識システムの環境 ・・・ p.115〜p.130
    ■第一節 カントの物自体
    ■第二節 システムの環境と認識
    ■第三節 認識システムの環境としての物自体


    ◇第八章 超越論的観念論とラディカル構成主義 ・・・ p.131〜p.150
    ・この章では、カント超越論的観念論とAP論的構成主義の認識論の比較しカントの記述通りに理解することを試みる。
    ・エルンスト・フォン・グレーザーズフェルドのラディカル構成主義をカントの議論と比較する。

    ■第一節 カントの超越論的観念論
    ■第二節 現象の主観性
    ■第三節 ラディカル構成主義
    ・グレーザーズフェルドによれば、ラディカル構成主義とは、「知識をどのように定義したところで、知識は人の頭の中に存しており、思考自体は自らの経験を基礎として自ら知っていることを構成する以外に他にないという前提から出発する。」
    ・「われわれが経験を用いて構成しているものは、われわれが意識しながら生きている唯一の世界をなす。それは、事物、自我、他者などのような多くの種類に分類することが可能だ。」
    ・「しかしあらゆる種類の経験は本質的に主観的なものである。」〔p.139〜p.140〕
    ・山下によれば、ラディカル構成主義の基本的な主張とは、「我々が経験している世界は我々が構成したもの」である。〔p.139〜p.140〕
    ■第四節 超越論的観念論再考


    ◇第九章 超越論的自由と自律性 ・・・ p.151〜p.170
    ■第一節 第三アンチノミーにおける超越論的自由
    ■第二節 オートポイエーシスの自律性
    ■第三節 認識システムの自由


    ◇結 論 認識論の完成に向けて ・・・ p.171〜p.175

    *******

    No.18527,18608,18670,18758,19219,19242,19480

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■20320 / )  謎沼探検記(;´・ω・) − 8
□投稿者/ うましか -(2022/01/08(Sat) 14:45:15)
    2022/01/08(Sat) 14:47:35 編集(投稿者)

    pipitさん、新年、沼っす!(`・ω・´)ゞ

    *******

    -------  山下和也『カントとオートポイエーシス』、晃洋書房 -------

    ◇序 カント認識論とオートポイエーシス

    -------

    ◇第一章 オートポイエーシス論 ・・・ p.1〜p.14
    ■第一節 経緯
    ・1960年、マトゥラーナは生物の起源について講義していたなか医学生から受けた「35億年前に生命が始まったとき何が起きたのか」という質問を機に、生命のシステムの特徴について考察しはじめ、思いついたのが、生命システムの、すべてが自身との関連について起きるという自律性であった。
    ・1961年からは、マトゥラーナは生命システムを自己言及(self-referring)と呼んだ。ただし、彼はシステム自体とシステム・環境関係を区別する必要を感じていたのでこの表現に満足できなかった。
    ・1963年、マトゥラーナは微生物学者との対話により、DNAがタンパク質の合成に関与し、タンパク質はDNAの合成に関与するという生命システムの循環性に気づく。
    ・1964年から、マトゥラーナは生命システムを「その内ではそれを構成する産出以外、すべてが変化しうる分子産出の循環的システムとして、相互作用の単位あるいは存在者として構成されたシステム」と定義し始める。その一方で、ハトの色覚の実験を通じて、いわゆる神経システムが閉じたネットワークであることに気づく。
    ・1967年、マトゥラーナは分子産出システムとしての生命システムも神経システムも閉じていることを発見。
    ・1968年、マトゥラーナはネオ・サイバネティクスの権威であるフェルスターから招待され、1969年に「認知の神経生理学」を主題に発表するよう依頼される。この中で、生命システムは分子産出の循環的システムとして単位として構成されたシステムであるという構想を発表。
    ・1972年、マトゥラーナは共同研究者のヴァレラから形式化への示唆も受けて、マトゥラーナがこの構想を完成させスペイン語の論文「生命の機構と性質について」を発表。この論文を執筆中、マトゥラーナは友人との会話を通じて「オートポイエーシス」という造語を思いつく。
    ・1980年、マトゥラーナはヴァレラと『オートポイエーシスと認知』を出版。「生命の機構と性質について」の英訳を添えた。
    ・1987年、マトゥラーナとヴァレラは、入門書的な意味合いをもつ『知恵の樹 − 人間知性の生物学的根源』を英語で出版。

    ■第二節 定義
    ・オートポイエーシスを原理として成立するシステムを「オートポイエーシス・システム」(※以下、うましかは引用以外をAPシステムと略します。)という。
    ・APシステムの定義とは、「構成素(component)を産出する構成素を産出(変形あるいは破壊)するプロセスのネットワークとして組織された(単位体として定義された)マシンであり、構成素は(@)その相互作用と変形を通じ、自身を産出するプロセス(関係)のネットワークを再生し実現する、そして(A)それ(マシン)を、自身(構成素)が存在する空間において、そうしたネットワークとしてのその実現の位相的領域を特定することで、構成する」〔p.4〕
    ・上記の定義は、山下によれば一見して分かりづらく、しかも言いたいことの内実が表現しきれていない。「産出」「連鎖」「循環」「閉鎖」というキーワードを使った山下による定義とは、「オートポイエーシス・システムとは、産出物が次の産出プロセスを作動させる仕方で連鎖する産出群が作るネットワークの、循環的に作動して閉鎖した自己完結的閉域である。閉域形成に参与する産出物をシステムの構成素と呼ぶ」〔p.5参照〕
    ・APシステムの対概念とは、「他のものに作られる」という意味のアロポイエーシス・システム
    ・APシステムの分かりやすい例とは、細胞システム(※ただし細胞そのものではない)。

    ■第三節 基本概念
    ・「コード」 ・・・ APシステムにおいて産出される構成素のタイプと順序を決める規則。何が構成素となるのかが決まるのがシステム実現のときなので、コードもシステム実現と同時創発される。
    ・「構造的ドリフト」・・・ コードの書き換えを伴うシステムの変化
    ・「構造変動」・・・ コードの書き換えを伴わないシステムの変化で、ネットワーク形状自体が不変のまま構成素の変化によって起きるもの
    ・「メタモルフォーゼ」・・・コードの書き換えを伴わないシステムの変化で、時間的推移によってコードの読み取りが変化し、ネットワーク形状自体を変えるもの
    → 例) 細胞システム: 成長に伴う細胞拡大が「構造変動」、幹細胞から特定の内臓細胞への変化が「メタモルフォーゼ」、細胞のガン化が「構造的ドリフト」
    ・「システムの環境」
    ・「相互浸透」
    ・「攪乱」
    ・「構造的カップリング」
    ・「カップリング・システム」
    ・すべてのAPシステムに共通な性質・・・@個体性、A単位性、B自律性、C入力・出力の不在
    ・「言及システム」・・・ (元のシステムに対する新しいシステムとして)一階言及システム、二階言及システム〜

    -------

    ◇第二章 理性と認識システム ・・・ p.15〜p.34
    ・オートポイエーシスの認識論の基本となる三つのシステム、生命システム、意識システム、認識システムと、カントのあげる三つの認識能力、感性、悟性、理性との対応を考える。
    ・この図式が山下の展開する認識論の基礎となる。〔p.15〕

    ■第一節 三つのシステム 生命・意識・認識
    ・生命システムとは、認識を考える場合の出発点。
    ・生命システムとは、生体器官を構成素とし、身体を構造とするAPシステム。
    ・意識システムとは、脳における自己言及に基づく生命システムの一階言及システム。表象を構成素とするシステム
    ・認識システムとは、生命システムからは二階言及、意識システムからは一階言及のシステム。
    ・認識システムとは、認識表象を構成素とし、認識を構造とする。

    ■第二節 感性・悟性・理性
    ・カントによる人間の認識(能力)
    「すべての我々の認識は感官に始まり、そこから悟性に進み、理性で終わる、理性を超えて、直観の素材を加工し、思惟の最高の統一の下へともたらす、より高次のものは我々のうちに見いだされない」(B355)
    「人間の認識には、おそらくは共通の、しかし我々には未知な根から生える二つの幹がある、すなわち、感性と悟性である。前者によって我々に対象が与えられ、後者によってしかし思惟される」(B29)
    ・山下のイメージでいえば、感性と悟性とによって個別の認識が成立し、理性によってそれが体系化される。

    -------

    ◇第三章 批判と二つの視点 ・・・ p.35〜p.52
    ■第一節 オートポイエーシスの二つの視点
    ・河本によれば、オートポイエーシス論を認識論的にみたときに決定的な区別とは、@システムそのものにとって(fuer sich)の視点と、A観察者にとって(fuer uns)の視点である。

    ■第二節 カント認識論の構図
    ・『純粋理性批判』とは、文字通り、「理性批判」
    ・「純粋理性を批判するのが純粋理性自身」ということが重要。
    ・理性批判とは、自己認識という仕事、言いかえれば、「認識する主観の自己主題化」(クレメ)
    ・純粋理性は、超越論的認識を行う自身でもある。ここでいう超越論的とは、「対象にではなく、それがアプリオリに可能な限りで対象についての我々の認識のあり方にそもそも従事すべき全ての認識」に名づけられるのであり、超越論的認識を行うものは、アプリオリに認識する原理を含む純粋理性自身でもあるということ。⇒ 『純粋理性批判』において純粋理性の批判を行うのは、著者カント自身の純粋理性である(ブフナー:「超越論的議論の自己関係化」)
    ・上を言いかえるならば、『純粋理性批判』を執筆し、その中で主語として「私(Ich)」と言っているカントの「私」となり、現代の認知科学でいうなら「メタ認知」に相当する。

    ■第三節 現象と物自体を区別する者
    ・カントは内官の対象である主観と、外観の対象である外的現象に関して、現象としてのあり方とそれ自体としてのあり方を区別する。
    ・後者(外観の対象)に対しては、現象と物自体の区別となる。
    ・ここで、区別している、いわば「カントの私」は、いかなる資格の私なのか?… 純粋理性としての私?純粋統覚としての私?自体的な私?内官の対象である主観としての私?
    ・現象と物自体の区別は、我々にとって認識されうるものと認識されえないものの区別である。
    ・あるものが認識されえないと言えるためには、少なくともそのものが存在することは知られていなければならない。しかし、「認識不可能な物自体の存在をカントはいかにして語ることができるのか?」
    ・上の問いに対する解釈二例。カウルバッハのパースペクティブ論とアディッケスの議論 → 両者とも、二世界解釈ではなく二側面解釈であり、物自体というあり方の事実性を否定しない。

    ■第四節 『純粋理性批判』における二つの視点

    -------

    ◇第四章 自我とシステム ・・・ p.53〜p.68
    ■第一節 システムの自己
    ■第二節 統覚論とオートポイエーシス
    ■第三節 『オプス・ポストゥムム』の自己措定論

    -------

    ◇第五章 感覚と攪乱 ・・・ p.69〜p.92
    ■第一節 ロックとヒュームの感覚論

    ■第二節 感覚の主観性
    ・カントはロックとヒュームが主張した感覚の主観性を否定していない。
    ・感覚の主観性が主題となるのが、『プロレゴメナ』における「知覚判断」についての議論
    ・カント曰く「すべての経験判断は経験的である、・・・ それでも逆にすべての経験的判断が(それゆえに)経験判断であるわけではない。」
    ・カントによれば、経験的な判断は、@客観的な妥当性をもつ経験判断 A主観的にしか妥当しない知覚判断に区分される。
    ・フリーマンによる感覚sensationと知覚perceptionの区別は、カントの議論におそらく対応している。
    ・意識において綜合された感覚が知覚である。(山下)〔p.78〕

    ■第三節 感覚の客観性

    ■第四節 オートポイエーシス論の攪乱概念と感覚
    ・外的な物理的刺激によっては神経システムの活動は決定されず、むしろシステム自身によって決定されている(オートポイエーシス論の着想をえたマトゥラーナのハトの視覚神経の実験より)。ただし、神経システム自身は単独のAPシステムではなく、生命システムの部分ネットワークである。〔p.84〜p.85〕
    ・神経の反応は閾値をもち、自分が反応する外的刺激の強さや種類を自律的に自分で決定するが、強力すぎる刺激は神経の反応を不可能にする。明るすぎる光では何も見えず、大きすぎる音は耳鳴りにしかならない。

    -------

    ◇第六章 カテゴリーと概念コード ・・・ p.93〜p.114
    ■第一節 認識システムの概念コード
    ■第二節 カントのカテゴリー
    ■第三節 概念コードとカテゴリー − 超越論的演繹論から −
    ■第四節 カテゴリーの超越論的演繹 − オートポイエーシス論から見て −

    -------

    ◇第七章 物自体と認識システムの環境 ・・・ p.115〜p.130
    ■第一節 カントの物自体
    ■第二節 システムの環境と認識
    ■第三節 認識システムの環境としての物自体

    -------

    ◇第八章 超越論的観念論とラディカル構成主義 ・・・ p.131〜p.150
    ・この章では、カント超越論的観念論とAP論的構成主義の認識論の比較しカントの記述通りに理解することを試みる。
    ・エルンスト・フォン・グレーザーズフェルドのラディカル構成主義をカントの議論と比較する。

    ■第一節 カントの超越論的観念論
    ■第二節 現象の主観性
    ■第三節 ラディカル構成主義
    ・グレーザーズフェルドによれば、ラディカル構成主義とは、「知識をどのように定義したところで、知識は人の頭の中に存しており、思考自体は自らの経験を基礎として自ら知っていることを構成する以外に他にないという前提から出発する。」
    ・「われわれが経験を用いて構成しているものは、われわれが意識しながら生きている唯一の世界をなす。それは、事物、自我、他者などのような多くの種類に分類することが可能だ。」
    ・「しかしあらゆる種類の経験は本質的に主観的なものである。」〔p.139〜p.140〕
    ・山下によれば、ラディカル構成主義の基本的な主張とは、「我々が経験している世界は我々が構成したもの」である。〔p.139〜p.140〕

    ■第四節 超越論的観念論再考

    -------

    ◇第九章 超越論的自由と自律性 ・・・ p.151〜p.170
    ■第一節 第三アンチノミーにおける超越論的自由
    ■第二節 オートポイエーシスの自律性
    ■第三節 認識システムの自由

    -------

    ◇結 論 認識論の完成に向けて ・・・ p.171〜p.175

    *******

    No.18527,18608,18670,18758,19219,19242,19480,20320


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■20453 / )  謎沼探検記(;´・ω・) − 9
□投稿者/ うましか -(2022/01/16(Sun) 22:04:54)
    2022/01/16(Sun) 22:10:47 編集(投稿者)

    pipitさん、沼っスo(・x・)/ !

    *******

    -------  山下和也『カントとオートポイエーシス』、晃洋書房 -------

    ◇序 カント認識論とオートポイエーシス

    -------

    ◇第一章 オートポイエーシス論 ・・・ p.1〜p.14
    ■第一節 経緯

     (/・ω・)/済

    ■第二節 定義p.3
    ・オートポイエーシスを原理として成立するシステムを「オートポイエーシス・システム」(※以下、うましかは引用以外をAPシステムと略します。)という。
    ・APシステムの定義とは、「構成素(component)を産出する構成素を産出(変形あるいは破壊)するプロセスのネットワークとして組織された(単位体として定義された)マシンであり、構成素は(@)その相互作用と変形を通じ、自身を産出するプロセス(関係)のネットワークを再生し実現する、そして(A)それ(マシン)を、自身(構成素)が存在する空間において、そうしたネットワークとしてのその実現の位相的領域を特定することで、構成する」〔p.4〕
    ・上記の定義は、山下によれば一見して分かりづらく、しかも言いたいことの内実が表現しきれていない。「産出」「連鎖」「循環」「閉鎖」というキーワードを使った山下による定義とは、「オートポイエーシス・システムとは、産出物が次の産出プロセスを作動させる仕方で連鎖する産出群が作るネットワークの、循環的に作動して閉鎖した自己完結的閉域である。閉域形成に参与する産出物をシステムの構成素と呼ぶ」〔p.5参照〕
    ・APシステムの対概念とは、「他のものに作られる」という意味のアロポイエーシス・システム
    ・APシステムの分かりやすい例とは、細胞システム(※ただし細胞そのものではない)。

    ■第三節 基本概念p.8
    ◎「コード」 ・・・ APシステムにおいて産出される構成素のタイプと順序を決める規則。何が構成素となるのかが決まるのがシステム実現のときなので、コードもシステム実現と同時創発される。
    ◎「構造的ドリフト」・・・ コードの書き換えを伴うシステムの変化
    ◎「構造変動」・・・ コードの書き換えを伴わないシステムの変化で、ネットワーク形状自体が不変のまま構成素の変化によって起きるもの
    ◎「メタモルフォーゼ」・・・コードの書き換えを伴わないシステムの変化で、時間的推移によってコードの読み取りが変化し、ネットワーク形状自体を変えるもの
    → 例) 細胞システム: 成長に伴う細胞拡大が「構造変動」、幹細胞から特定の内臓細胞への変化が「メタモルフォーゼ」、細胞のガン化が「構造的ドリフト」
    ◎「システムの環境」・・・ APシステムは、操作的閉鎖によりネットワーク閉域をそれ自身以外のものから切り離すことで実現する。このときAPシステムに属さないものとして切り捨てられた一切のものをいう。ただしこれはシステムの構造の空間的外部ではないことに注意。
    ◎「相互浸透」・・・ システムと環境の関係。山下によれば、この関係は、水中にできる渦と水の関係に近い。水を旋回させて渦を生み出す働きがシステム、旋回している渦がシステムの構造、水が環境に相当する。
    ◎「攪乱」
    ◎「構造的カップリング」
    ◎「カップリング・システム」
    ・すべてのAPシステムに共通な性質・・・@個体性、A単位性、B自律性、C入力・出力の不在
    ◎「言及システム」・・・ (元のシステムに対する新しいシステムとして)一階言及システム、二階言及システム〜

    -------

    ◇第二章 理性と認識システム ・・・ p.15〜p.34
    ・オートポイエーシスの認識論の基本となる三つのシステム、生命システム、意識システム、認識システムと、カントのあげる三つの認識能力、感性、悟性、理性との対応を考える。
    ・この図式が山下の展開する認識論の基礎となる。〔p.15〕
    →AP認識論とカント認識論の対応図式

    B認識システム − 理性
    A意識システム − 悟性
    @生命システム − 感性

    ■第一節 三つのシステム 生命・意識・認識
    ≪生命システム≫p.15〜
    ・生命システムとは、認識を考える場合の出発点。
    ・生命システムとは、生体器官を構成素とし、身体を構造とするAPシステム。
    ・生命システムもAPシステムである以上、@個体性、A単位性、B自律性、C入力・出力の不在に妥当する。

    ≪意識システム≫p.18〜
    ・意識システムとは、脳における自己言及に基づく生命システムの一階言及システム。表象を構成素とするシステム

    ≪認識システム≫p.24〜
    ・認識システムとは、生命システムからは二階言及、意識システムからは一階言及のシステム。
    ・認識システムとは、認識表象を構成素とし、認識を構造とする。

    ■第二節 感性・悟性・理性p.26
    ・カントによる人間の認識(能力)
    「すべての我々の認識は感官に始まり、そこから悟性に進み、理性で終わる、理性を超えて、直観の素材を加工し、思惟の最高の統一の下へともたらす、より高次のものは我々のうちに見いだされない」(B355)
    「人間の認識には、おそらくは共通の、しかし我々には未知な根から生える二つの幹がある、すなわち、感性と悟性である。前者によって我々に対象が与えられ、後者によってしかし思惟される」(B29)
    ・山下のイメージでいえば、感性と悟性とによって個別の認識が成立し、理性によってそれが体系化される。

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    ◇第三章 批判と二つの視点 ・・・ p.35〜p.52
    ■第一節 オートポイエーシスの二つの視点
    ・河本によれば、オートポイエーシス論を認識論的にみたときに決定的な区別とは、
    @ システムそのものにとって(fuer sich)の視点と、
    A 観察者にとって(fuer uns)の視点である。

    ■第二節 カント認識論の構図
    ・『純粋理性批判』とは、文字通り、「理性批判」
    ・「純粋理性を批判するのが純粋理性自身」ということが重要。
    ・理性批判とは、自己認識という仕事、言いかえれば、「認識する主観の自己主題化」(クレメ)
    ・純粋理性は、超越論的認識を行う自身でもある。ここでいう超越論的とは、「対象にではなく、それがアプリオリに可能な限りで対象についての我々の認識のあり方にそもそも従事すべき全ての認識」に名づけられるのであり、超越論的認識を行うものは、アプリオリに認識する原理を含む純粋理性自身でもあるということ。⇒ 『純粋理性批判』において純粋理性の批判を行うのは、著者カント自身の純粋理性である(ブフナー:「超越論的議論の自己関係化」)
    ・上を言いかえるならば、『純粋理性批判』を執筆し、その中で主語として「私(Ich)」と言っているカントの「私」となり、現代の認知科学でいうなら「メタ認知」に相当する。

    ■第三節 現象と物自体を区別する者
    ・カントは内官の対象である主観と、外観の対象である外的現象に関して、現象としてのあり方とそれ自体としてのあり方を区別する。
    ・後者(外観の対象)に対しては、現象と物自体の区別となる。
    ・ここで、区別している、いわば「カントの私」は、いかなる資格の私なのか?… 純粋理性としての私?純粋統覚としての私?自体的な私?内官の対象である主観としての私?
    ・現象と物自体の区別は、我々にとって認識されうるものと認識されえないものの区別である。
    ・あるものが認識されえないと言えるためには、少なくともそのものが存在することは知られていなければならない。しかし、「認識不可能な物自体の存在をカントはいかにして語ることができるのか?」
    ・上の問いに対する解釈二例。カウルバッハのパースペクティブ論とアディッケスの議論 → 両者とも、二世界解釈ではなく二側面解釈であり、物自体というあり方の事実性を否定しない。

    ■第四節 『純粋理性批判』における二つの視点

    -------

    ◇第四章 自我とシステム ・・・ p.53〜p.68
    ■第一節 システムの自己
    ■第二節 統覚論とオートポイエーシス
    ■第三節 『オプス・ポストゥムム』の自己措定論

    -------

    ◇第五章 感覚と攪乱 ・・・ p.69〜p.92
    ■第一節 ロックとヒュームの感覚論

    ■第二節 感覚の主観性
    ・カントはロックとヒュームが主張した感覚の主観性を否定していない。
    ・感覚の主観性が主題となるのが、『プロレゴメナ』における「知覚判断」についての議論
    ・カント曰く「すべての経験判断は経験的である、・・・ それでも逆にすべての経験的判断が(それゆえに)経験判断であるわけではない。」
    ・カントによれば、経験的な判断は、@客観的な妥当性をもつ経験判断 A主観的にしか妥当しない知覚判断に区分される。
    ・フリーマンによる感覚sensationと知覚perceptionの区別は、カントの議論におそらく対応している。
    ・意識において綜合された感覚が知覚である。(山下)〔p.78〕

    ■第三節 感覚の客観性

    ■第四節 オートポイエーシス論の攪乱概念と感覚
    ・外的な物理的刺激によっては神経システムの活動は決定されず、むしろシステム自身によって決定されている(オートポイエーシス論の着想をえたマトゥラーナのハトの視覚神経の実験より)。ただし、神経システム自身は単独のAPシステムではなく、生命システムの部分ネットワークである。〔p.84〜p.85〕
    ・神経の反応は閾値をもち、自分が反応する外的刺激の強さや種類を自律的に自分で決定するが、強力すぎる刺激は神経の反応を不可能にする。明るすぎる光では何も見えず、大きすぎる音は耳鳴りにしかならない。

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    ◇第六章 カテゴリーと概念コード ・・・ p.93〜p.114
    ■第一節 認識システムの概念コード
    ■第二節 カントのカテゴリー
    ■第三節 概念コードとカテゴリー − 超越論的演繹論から −
    ■第四節 カテゴリーの超越論的演繹 − オートポイエーシス論から見て −

    -------

    ◇第七章 物自体と認識システムの環境 ・・・ p.115〜p.130
    ■第一節 カントの物自体
    ■第二節 システムの環境と認識
    ■第三節 認識システムの環境としての物自体

    -------

    ◇第八章 超越論的観念論とラディカル構成主義 ・・・ p.131〜p.150
    ・この章では、カント超越論的観念論とAP論的構成主義の認識論の比較しカントの記述通りに理解することを試みる。
    ・エルンスト・フォン・グレーザーズフェルドのラディカル構成主義をカントの議論と比較する。

    ■第一節 カントの超越論的観念論
    ■第二節 現象の主観性
    ■第三節 ラディカル構成主義
    ・グレーザーズフェルドによれば、ラディカル構成主義とは、「知識をどのように定義したところで、知識は人の頭の中に存しており、思考自体は自らの経験を基礎として自ら知っていることを構成する以外に他にないという前提から出発する。」
    ・「われわれが経験を用いて構成しているものは、われわれが意識しながら生きている唯一の世界をなす。それは、事物、自我、他者などのような多くの種類に分類することが可能だ。」
    ・「しかしあらゆる種類の経験は本質的に主観的なものである。」〔p.139〜p.140〕
    ・山下によれば、ラディカル構成主義の基本的な主張とは、「我々が経験している世界は我々が構成したもの」である。〔p.139〜p.140〕

    ■第四節 超越論的観念論再考

    -------

    ◇第九章 超越論的自由と自律性 ・・・ p.151〜p.170
    ■第一節 第三アンチノミーにおける超越論的自由
    ■第二節 オートポイエーシスの自律性
    ■第三節 認識システムの自由

    -------

    ◇結 論 認識論の完成に向けて ・・・ p.171〜p.175

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    No.18527,18608,18670,18758,19219,19242,19480,20320,20453

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