(現在 過去ログ2 を表示中)

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

No13509 の記事


■13509 / )  pipitさんへ ありがとうございました!
□投稿者/ うましか -(2021/06/03(Thu) 00:06:56)
    No.13390
    No.13278
    No.13240

    高峯訳の引用をしてくださり、ふかく感謝いたします!m(__)m

    *******

    >Es ist also wenigstens eine der naeheren Untersuchung noch benoetigte und nicht auf den ersten Anschein sogleich abzufertigende Frage: ob es ein dergleichen von der Erfahrung und selbst von allen Eindruecken der Sinne unabhaengiges Erkenntnis gebe. Man nennt solche Erkenntnisse a priori, und unterscheidet sie von den empirischen, die ihre Quellen a posteriori naemlich in der Erfahrung, haben.<
    https://www.gutenberg.org/cache/epub/6343/pg6343.html

    >したがって、経験から独立し、また感官のあらゆる印象からさえも独立しているような認識(六)が存在するかどうか、という問いは少なくとも、さらに精密な研究をまだまだ必要とする問いで、一見してただちに解決されるような問いではない。一般にはこのような認識は先天的と称され(七)、その源泉を後天的に、すなわち経験中に有する経験的認識と区別されている。
    → 高峯一愚訳、p.44(→No.13464

    高峯一愚訳は訳中でカントによる「経験的(認識)」の強調をしめしていないのでしょうか?

    中山元訳や原佑訳は強調をしめしています。
    (※天野貞祐訳は、、、"a posteriori"が強調されています^^;)

    *******

    以下は、pipitさんがNo.13390で引用してくださった第二版序論の高峯訳と注釈について感じたことを書いてみます。

    ひどくまとまりがない上に的外れ或いは誤読の可能性が大いにありますが、ご容赦くださいませ(;´・ω・)


    さて、タイトルの"I. Von dem Unterschiede der reinen und empirischen Erkenntnis"中の"empirischen(Erkenntnis)"の訳には、「経験的(empirisch)認識」と表記してあります。

    これは続く本文中冒頭の「alle unsere Erkenntnis mit der Erfahrung anfange,(われわれの認識はすべて(ニ)をもってはじまる。)」中の「経験(Erfahrung)」表記と対比しようとしたのでしょうか…(;´・ω・)

    というのも、タイトルと本文冒頭における「経験的」(empirisch)と「経験」(Erfahrung)の表記が、高峯の注釈(二)の、「カントはここでは「経験的」(empirisch)と「経験」(Erfahrung)とを区別していないが、」につながるのではないか?とおもったからです。高峯は、カントは後々「経験」という言葉を区別するよといいたかったのでしょうか?

    ではカントは「経験」について、どの段階で、どのような区別を導入するのか?
    私はそれが気になりました。そこで高峯訳を読み進めると、高峯の「経験認識(Erfahrungserkenntnis)」表記に目がとまりました。これは先述のタイトルにおける「経験的(empirisch)認識」との対比を意識したものなのか?(;´・ω・)

    もし、もしそうだとしたら、私は、高峯のこの対比の仕方に、(もちろん"empirisch"と"Erfahrung"の区別自体には意味はあるとおもうのですが)、少々違和感があります。

    というのも、カント自身はここで"rein" と" empirisch"の区別を主題的に論じています。今回pipitさんが引用してくださった段落で、経験的認識の"empirisch"という言葉は、先天的と称される認識(高峯訳参照)という言葉との対比で、ゲシュぺルト(隔字体というそうです)による強調によってカントに表記されます。

    したがって私としては、もし高峯が冒頭で「経験的認識」と「経験認識」の対比を提示することによって(「カントはここでは「経験的」(empirisch)と「経験」(Erfahrung)とを区別していないが、」にもかかわらず、)読者に区別を意識させようとしたとすれば、(たとえ、第二版序論に先立つプロレゴーメナの用例があるとしても)ちょっと早過ぎるように感じるのです。(※とはいえ、それは結局、カントの表記が原因なのかもしれませんが^^;)

    タイトルと本文だけを頼りに追っていくならば、「経験的empirisch認識」とは、ごく単純に、経験による認識とも読めます。それは、この段階では、「経験認識 Erfahrungserkenntnis 」という、経験Erfahrungと認識Erkenntnisという言葉を足してつくったかのようなカント語?(・・;)?との区別によって注目されるべきではなく、さしあたっては「純粋な」あるいは「ア・プリオリな」と区別される「経験による」「経験的な」という意味によって注目されるべきなのではないかなーなどと、素人の私はおもうのでした。

    *******

    >もう少し長く引用を読みたいときには遠慮なくおっしゃってください
    また、他の箇所でもいつでもおっしゃってくださいね

    ありがとうございます(´;ω;`)ウゥゥ
    とってもありがたいです!

    それでは〜
返信/引用返信 削除キー/


Mode/  Pass/

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -