□投稿者/ pipit -(2021/06/02(Wed) 10:19:47)
| うましかさん、こんにちは!(^o^)/♪
■No13458 > pipitさんにお願いがあります! > > 私は高峯訳をもっていないのですが、pipitさんが引用してくださった箇所の次の段落も引用をしていただければ幸いです。m(__)m<
もっちろんいいですよ〜(^_^)v 注釈も引用しますね!
> 次の段落ではタイトルにもある「認識」の区別をめぐり、ア・プリオリ(と名づけられた)認識と、empirischen(な)認識が、カントによって強調され対比してのべられていますが、高峯がそこをどう訳し、どう注釈をつけているのかちょっと興味があります。<
『世界の大思想5カント純粋理性批判』高峯一愚先生訳、河出書房新社、p44より 引用開始 『 したがって、経験から独立し、また感官のあらゆる印象からさえも独立しているような認識(六)が存在するかどうか、という問いは少なくとも、さらに精密な研究をまだまだ必要とする問いで、一見してただちに解決されるような問いではない。一般にはこのような認識は先天的と称され(七)、その源泉を後天的に、すなわち経験中に有する経験的認識と区別されている。』 引用終了
↓高峯先生による注釈、p60より 引用開始 『(六) ここで、今まで女性名詞として用いられていた「認識」(Erkenntnis)が中性名詞として用いられているが、別に意味の相違はない。 (七) カントはここで「一般的には」といっているが、「批判」の出された直後すでに各方面から、カントが今まで慣用されていなかった用語を認められた語のように用いていることについて注意された。それまでは a priori はアリストテレスの「それに先立つもの、すなわち原因から」の認識をいい、或いはライプニッツの「普遍的概念もしくは普遍的命題から演繹的に推論された」認識を称するのに用いられていた。』 引用終了
もう少し長く引用を読みたいときには遠慮なくおっしゃってください また、他の箇所でもいつでもおっしゃってくださいね (図書館で借りてる本なので、もう少ししたら返却しますが、すぐ近くの生活圏内の図書館ですので気軽に借りることができます!)
おつかれさまです ♪ (o^^o)v
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