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■10253 / inTopicNo.85)  2021抱負
  
□投稿者/ キティダニエル -(2020/12/31(Thu) 03:41:15)
    >信念

    私は私の意識的な45年間、終始自由主義者であった。そのうち44年間、

    私は反ファシズム・反経済ファシズム・反スターリニズムの自主的信念のも

    とで戦いつつ生きてきた。もしも私がもう1度初めからやりなおすとしたら

    私はもちろん個々の誤謬はさけるように努めるであろうが、私の生活の主要

    なコースは変わらないだろう。私は科学・現象学愛好家、自由主義者、人格

    主義者、したがって非妥協的な社会全体論批判論者として死ぬであろう。人

    類の自由主義的な、すなわち真の社会主義的な未来に対する私の信念は、私

    の青年時代におとらず熱烈であり、事実、今日それ以上に確固としている。

     ×××がいま、中庭から窓のところへやってきて、空気がもっと自由に

    私の部屋に流れこむように、窓をひろく開けてくれた。塀の下には、輝くば

    かりの青々とした細長い芝生が見え、塀の上には、澄みわたった青空があり

    日光はあたり一面にさんさんと降りそそいでいる。人生は美しい。未来の世

    代をして、人生からいっさいの悪と、抑圧と、暴力を一掃させ、人生を心ゆ

    くまで楽しませよ。(2008年8月24日初出より一部改変後抜粋)

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■10195 / inTopicNo.86)   父の叫び30
□投稿者/ キティダニエル -(2020/12/27(Sun) 07:00:45)
    日本国憲法、教育基本法は教育のあり方についての方向性についてそれなりの指針

    を示すものではあるが、教育現場においては必ずしも学校運営に生かされていると

    は言えないだろう。いやむしろ現場の教師は現場で教えた経験に従って教育の理念

    や信念をつくりあげていき、それを現実の学校運営や教育に生かすといった方法を

    取らざるを得ない。すると実際問題として民主主義的な理念の非効率さが実際の組

    織運営には支障となることが顕在化し、現場は次第に「学校ファシズム化」してい

    く傾向になる。これは日本社会に伝統的に横たわる「タテマエとホンネ」の相違の

    意識と相乗作用を引き起こすのである。
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■10162 / inTopicNo.87)   父の叫び29
□投稿者/ キティダニエル -(2020/12/24(Thu) 05:28:05)
    まず学校が目指す人物像があまり明確ではない。世の中で役に立つ人間、あるいは

    「社会的適応性の高い」人間というような人間像はあまり高く評価はされない。む

    しろ社会に妥協して懸命に生きているような人間は批判的に見なければならないと

    いうような態度が好ましいとされる。また人間に個性があることを認めその長所を

    伸ばし、短所を改めさせるというのではなしに、目立たず当たらず障らずの無個性

    的な人間が生き易いのだという処世術を学ばされる。

     こういった学校の無言の抑圧的な性格は多くの登校拒否者、学校嫌いを生むこと

    になっていった。
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■10135 / inTopicNo.88)  父の叫び28
□投稿者/ キティダニエル -(2020/12/21(Mon) 03:56:09)
    モラトリアムから引きこもりへと若年層の社会的不適応が深刻化している。しかし

    ながらこの問題は今日急に始まったことではなく、まずは登校拒否の問題として顕

    在化した。学校が楽しくない。なぜか。学校とは元来生活していくのに必要な知識

    や技術を身につけるところである。特に「近代国家」は国民を良質な労働力に育成

    する必要があったためにしかるべき教育制度を整える必要があったのだ。


    教育基本法(昭和二十二年法律第二十五号)の全部を改正する。

    目次 略
    前文

     我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。
     我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。
     ここに、我々は、日本国憲法の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。

    第一章 教育の目的及び理念

    (教育の目的)
    第一条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

    (教育の目標)
    第二条 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。 一 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
    二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
    三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
    四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
    五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

     「新」教育基本法は幾分表現が和らげられているもののやはり国家の意図が教育

    に反映しているのは否めないのだ。


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■10092 / inTopicNo.89)  父の叫び27
□投稿者/ キティダニエル -(2020/12/18(Fri) 13:57:18)
    古代中国の思想家墨子は儒教が持ち上げる長大な芸術音楽を非生産的と排撃した。

    (非楽)しかしながら墨子は庶民が作業時に唄う「労働歌」を排撃しなかった。そ

    れは生産をむしろ鼓舞するものであるからだ。現代のジャズ・ブルース・ロック・

    演歌のルーツはといえばこの手の労働歌であろう。最も最近のジャズ・ブルース・

    ロック・演歌は資本主義の影響を受けて恋愛感情を歌うものが大半をしめてはいる

    が、それでも恋愛・結婚・生殖は社会の再生産の重要な要素ではあるし、仕事のあ

    とのひとときをカラオケで過ごすというのも労働意欲の再生産という点では効果的

    であると評価はできる。ということでジャズ・ブルース・ロック・演歌は極めて農

    民的・プロレタリア的な要素を含む芸術=芸能ということができるだろう。ところ

    が自称左翼知識人の中にもっぱら西洋古典音楽=所謂クラシックにばかり芸術性を

    認めジャズ・ブルース・ロック・演歌は退廃的でかつ低劣なブルジョア音楽である

    と決めつける輩がいるが、ベートーベンにしてもブラームスにしてもかれらのパト

    ロンはブルジョアでありビバルディやバッハに至っては貴族である。その思想がい

    かに非プロレタリア的であるかがわかるだろう。(小生の父は熱烈なクラシック

    ファンだったが、軽音楽を一概に排除はせずその意味ではリベラルであった)

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■10022 / inTopicNo.90)  父の叫び26
□投稿者/ キティダニエル -(2020/12/14(Mon) 00:26:13)
    デューイのいうところの「そんなこと」は心底どうでもいい平凡な人間と、社会系

    哲学でいうところの労働者階級、あるいは社会心理学や実存系哲学で言うところの

    「大衆」とは微妙に重なる部分がある。例えばJ・POPなどははじめから「売れ

    る」ことを念頭に製作されるもので、一般勤労大衆が聞いて容易に理解できしかも

    その意識や欲望をくすぐるものとして製作される。所謂大衆文化とはこういう利潤

    を生み出し得る「平凡な人間」「一般勤労人民大衆」の心理に巧みに取り入ること

    をもくろむ資本主義が生み出しているとは言える。芸能プロダクションやその元締

    として知られたZ・K氏などはまさにそれを象徴する事象と言えるだろう。さてこ

    ういう風潮に対して「平凡な人間」や「一般勤労人民大衆」はそれに追従するわけ

    だが、右翼体制派はそれを苦々しい風に見ながらも反体制ではないと容認する傾向

    にある。ところが左翼体制派はそれを中産階級や労働者階級の目をくらませるブル

    ジョア階級の思想攻撃と見なす。中学のときの担任はこういう文化を低い文化とみ

    なししきりに排撃し、「高尚な」プロレタリア的社会主義的な文化を押し付けよう

    としたがさすがに効果は無かった。
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■9996 / inTopicNo.91)  父の叫び25
□投稿者/ キティダニエル -(2020/12/13(Sun) 05:14:10)
     中学三年間を通じて成績の方は何とかトップクラスを維持していたが、自慢では

    無いが小生はそう意識して努力をしていたわけではない。勉強して将来何になりた

    いかという希望があったというわけでもない。ただ当時の若者文化には共感するも

    のがあり現在獣医になっているI君にはロック文化を教えてもらった。以前にも書

    いたようにラジオのディスク・ジョッキーになれたらいいなという密かな憧れを描

    くようになりロック(もっぱら聞く方)にのめり込んでいくようになった。渋谷陽

    一さんなどは実にカッコいいなと感じ入っていた。ただ定番としてビートルズから

    ロックに入っていったものの、当初ロックンロールやブルースロック、ハードロッ

    クはウルサイ音楽だなと感じ(当時はオールドウェーブの時代でまだへヴィメタと

    いう語は無かった)次第にプログレッシブロックの方に嗜好を傾けていった。ジャ

    ズやロックは反体制の音楽で(体制内反体制)小生の気質や気分にはピッタリだと

    言ってよい。一方全共闘運動やベトナム反戦運動については当時騒がれてはいたが

    、小生は元来あまり社会や政治には関心が無いと言うこともあり当初は興味は無か

    った。さらに太宰治の時代から小生のような人間を放って置くとやがて左傾してや

    っかいなことになると危うんだ保守系教師からは「U高から東大へ」行くようにと

    しきりに口説かれたものだった。(口説かれるのが嫌だった)


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■9924 / inTopicNo.92)  父の叫び24
□投稿者/ キティダニエル -(2020/12/11(Fri) 09:22:15)
     まず級友や上級生の大部分、さらに小学校の教師や「大人」の少なからざる部

    分はデューイのいうところの「そんなこと」は心底どうでもいい人間なのだとい

    うことだったのだが、中学生の小生はそれには気づかなかった。次いで右翼的な

    権威主義だがこれは親が自衛官や警察官、神主、大地主、老舗、である生徒とその

    親、運動部の連中そして教師の一部がそれに当たっていた。かれらは変に儒教的で

    全体主義的であり小生とは合わなかったが、当時小生はまだ「優等生のはしくれ」

    であったためか、かれらは小生を一応認め対立することは無かった。

     次に最悪だったのが左翼的な権威主義の「教師」連である。かれらは集団生活や

    知育=徳育=体育特に左翼的な「徳育」にこだわり、「社会主義」の理念に反する

    ものは抑圧した。担任の青年教師は教室内で将棋を指すことを禁じた。「反社会主

    義的」と断じたのだ。(ちなみにレーニンは大の将棋(勿論チェス)好きだったこ

    とは知らなかったのだろうか)

     この三つのタイプは小生とは根源的に相性が悪い。小生が唯一心を開けたのは自

    由主義のグループだった。しかしこの考えの人間は極めて少数派であり、一部の優

    秀な教師や生徒のみだった。
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■9902 / inTopicNo.93)  父の叫び23
□投稿者/ キティダニエル -(2020/12/10(Thu) 08:17:28)
    「人間は理性的動物である」と唱えたのはアリストテレスであり、デカルトは「良

    識はこの世で最も公平に分配されている」と語った。しかし彼らは貴族階級のしか

    も最も知的な部類の人間に属していた。20世紀の小商人階級出身の哲学者デュー

    イは「科学書や哲学書を書くのは知的な人間で人間というものは論理的で知性的で

    あるのが当然であることと前提しているが、実際そんなことは心底どうでもいい人

    間も数多い」と書いている。かれらにあえて「論理的なこと」を押しつけるという

    ことは教育というより一種の暴力であるに過ぎない。当然ながらかれらは確固たる

    思想を持つことは無く、行動や言動に論理性や首尾一貫性や責任等を持とうとはし

    ない。これは人間を知的能力で差別しようとしているのではなく、事実を語ってい

    るのである。勿論かれらとて人間でありかれらに人間としての権利や発言権がある

    のは当然であるし、理屈でもって何もかも押し通そうとするのは間違いだという主

    張もそれなりに正しいとは言えるのだ。
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■9863 / inTopicNo.94)   父の叫び22
□投稿者/ キティダニエル -(2020/12/09(Wed) 06:06:19)
    よく言われる話だが日本は無資源国である。すなわち日本の社会構造は外国から安

    価な原材料を輸入し、それを加工して付加価値の高い工業製品を作り、それを外国

    に売りその差益を得ることで基本的には成り立っている。最近では見かけ上は為替

    取引なども多いが、根源的には円の信用は日本の工業力が生み出しているのだ。

     高度成長期を過ぎた日本は基本的にはソ連や中国の生活水準を凌駕していた。と

    にかく食えるという社会からより豊かな社会に向けて離陸を始める時期にあたって

    いた。その後日本社会はドルショック、オイルショックなどを乗り越え、バブル経

    済を謳歌した。この間ベトナム戦争、文化大革命、全共闘運動が終息する。

     小生を取り巻く人物たちが確固たる思想を持つグループと持たないグループ、思

    想を持つグループにも左翼的な権威主義、右翼的な権威主義あるいは自由主義とい

    ういろいろなタイプに分かれて見えてきたのもこの頃からだった。
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■9843 / inTopicNo.95)  父の叫び21
□投稿者/ キティダニエル -(2020/12/08(Tue) 05:44:19)
     今はすでに陳腐化した一流高校→一流大学→官庁・一流大企業というコースを父

    は切望していた。しかし左翼教師はそもそも官庁・一流大企業(の資本家・経営者

    は勿論所謂ホワイト・カラー)というものに対して憎悪・反感を抱いているようだ

    った。さらにはホワイト・カラー=精神労働≒知識・技術というものにも憎悪・反

    感を抱いている風だった。それはストレートに言うなら「学歴社会」への批判だっ

    た。

     今は「学歴社会」はむしろ理の当然と見なされているが小生が中学・高校の頃は

    教育界やマスコミを中心に「知識一辺倒」の教育、さらには「学歴社会」に対する

    批判が盛んだった。

     ではなぜ「学歴社会」はできあがったのか。近代社会=産業社会が形成されてい

    く過程において産業社会を築き上げるためには学識、特に実学的知識に長けた人材

    が必要とされたからである。高校までで基礎学力と学習能力を身につけ、大学では

    実学をマスターした人材が産業界には必要だった。特に一流大学を出たホワイト・

    カラーやテクノクラートは賃金や待遇の点で優遇され、一般の「労働者」よりも明

    らかに日の目を見る存在に見えた。
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■9803 / inTopicNo.96)  父の叫びS
□投稿者/ キティダニエル -(2020/12/07(Mon) 05:12:18)
    父は相変わらず小生に厳しく接していた。小生の父に対して最初に批判的態度を取

    ってきたのは級友たちだった。級友たちは父が小生の生活に過剰に干渉しているこ

    とを批判した。しかし小生はむしろ級友たちがマスコミの軟弱な思想に感化され、

    甘やかされているのだと考えた。これはある意味正しかったといえる。

     実は後年母に聞いた話では小学校の教師たちはおおむね父に対して批判的ではあ

    ったが正面切って父に議論を挑もうとする人物はいなかった。理論的には父に打ち

    勝つことができないとみたからであろう。せいぜい感情的な「陰口」をたたくのが

    せいいっぱいだったようである。

     ところが中学でのこの担任は正面切って父に議論を挑もうとはしなかったものの

    はっきりと父に対して批判的な態度を取り始めた。父の大企業管理職としての思想

    を批判し始めたのだ。
引用返信/返信 削除キー/

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