| S大学の教育学部にはかなり日共や左翼に肩入れしている教授がいたようで、そこ
で洗脳され養成された左翼教師にもさまざまなタイプがいた。中2中3のときの担
任は理科教師で優しい物腰の青年教師だった。かれは今までの教師達と違い小生を
「知に走る子供」と批判はしなかった。むしろ小生の知的能力と知識を認めた最初
の人物といっても良かった。またいたずらに生徒の親と衝突することは避けていた
ようでもあり、父もかれを初めのうちは批判することはなかった。
ところがかれの個人的な考えではなかったのかも知れないがかれの言動や行動に
次第に既成左翼のイデオロギーが反映されてくるようになった。「集団主義」であ
る。生来小生はこの「集団主義」「集団中心主義」「全体主義」にはなじまない。
またかれの科学理論には多分にイデオロギーが混在していることに気がついて来た
のだった。
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