| で、中国語の部屋の話だ。
ざっくり言うと、シンタックス(統語論)から、セマンティックス(意味論)は演繹できないということだ。
カテゴリーが違うから、原因・結果の因果関係も結べない(それをやるとカテゴリー・ミステイクになる)。
また当然の如く、シンタックスとセマンティックスは同じものではない。
セマンティックスにとってシンタックスは、必要条件の一つであって、十分条件ではない。
したがって、シンタックス(アルゴリズム、プログラム)は、セマンティックス(心)ではないし、またセマンティックス(心)を生み出すものでもない。
まぁ、これがサールが論証したことだ。
サールと違ったアプローチで、安宅教授もAIに心はないと結論づけたが、当然私もサール・安宅派です。 (・ε・)
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